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因習の胎動 ー「因習村」は、どのようにして生まれるのだろうかー  作者: 無機色


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六. 山道、冒険

 一郎太を先頭にして、三人は互いに見える距離で進み、離れすぎないよう固まって山道を進んでいった。


 進むにつれて、豊一郎の耳の奥には、弟・太一の譫言うわごとが響く。


 "見られている" "逃げられない" "黄金色の光が"


 家族とも来慣れたはずの裏山が、次第に辺りの空気は薄暗く、何か重苦しいものを纏っているように感じられ始めた。


 ――


「あの奔放だった太一が閉じこもるなんて、一体何があったんだろうな」


「いや、ほんとに。それが分からなんだよ弥平君」


「ついこないだまでは元気だったんだろ?この裏山にはよく来てたのか?」


「ああ、兄さん。あいつはす~ぐ逃げ出すからなぁ。"俺は好きにしたいんだ~" なんて言ってな」


「はっはっは、太一らしいじゃないか。そりゃ一郎太さんも大変だな。しっかし本当に彼は何を見たんだか」


「まあでも弥平君がいてくれるだけでもかなり頼もしいよ。世話をかけてすまないが、付き合ってくれて嬉しい」


 兄さんは、俺がちびだったころから何でも教えてくれた。うまくできない時も、何度でも励ましてくれた。

 俺も、弥平兄さんと一緒に何かできるなんて嬉しい。もちろん若干の不安は残ってるが、俺もこんな逞しい漢になりたいもんだ。



 雑談をしながらしばらく歩き、山の中腹に来た辺りだろうか。

 弥平兄さんが、少し休憩しようか、と言い、俺たちは立ち止まって水を飲んでいた。

 ふぅと一息つき辺りを見回していると、豊一郎は藪の暗くなっているところに何かチラチラと光っているのが見えた。


「今、何か光ったような……………」


 俺は小声で呟き、そちらへ引き寄せられるように歩み寄る。




 目が、離せない。




 その小さな呟きに一郎太と弥平が振り返ると、豊一郎はふらふらと興味深そうに、何かを確かめるように山道の端へ歩み寄って行っていた。



 二人が声を掛けるまでもなかった。


 豊一郎が獣道の外に一歩踏み出した途端、斜面がガラガラと音を立てて崩れ、彼の足は瞬く間に滑り落ちた。



「危ないっっっ!!」



 事態に気付いた一郎太と弥平が同時に駆け出すが、既に豊一郎の身体は斜面の端から消えそうになっていた。

 弥平の伸ばした手が、運よく豊一郎の腕を掴んだ。

 彼は叫びを上げながら、持ち前のその腕っぷしで思い切り引き上げる。


 ドタッと鈍い音を立てながらも、豊一郎の身体はすんでのところで崖上に投げ出された。


 そして、豊一郎と入れ替わるようにバランスを崩した弥平の姿は、崖下へと消えていった。




「っっおい……!大丈夫かァっ……!?」


 一郎太は大声を上げたが、その喉は詰まり、先細るような震える声だった。


 一方の豊一郎は、この一瞬の出来事に目を見開き、その場で腰が抜けたまま動けなかった。全身がズキズキと痛むが、あまりの衝撃にそんなことを気にしていられなかった。


 "落ちた?" "弥平兄さんが?" "なんで" "怪我は" "あの斜面の高さは"


 頭の中で熱がぐるぐると回る。心臓が煩いほどに拍動し、小刻みに痙攣する背中にはじっとりと汗が滲む。

 キーンと耳鳴りがして、視界が白く、狭まっていく。

 動けない。




 どれほど時間が経っただろうか。

 実際には数瞬、もしくは数秒であっただろうが、それはやけに長く感じられた。


 一郎太はがくがくと崩れそうになる足を必死に支えながら、斜面の端まで慎重に進み、下を覗き込んだ。




 見なければよかった。




 彼は、目にした光景に言葉を失った。


 暗がりに浮かび上がっていたのは、確かに崖下に横たわる弥平だった。


 ただし、黒々とした無数の手足のようなものが、その身体を絡め取っていることを除けば。


 てらてらと鈍い光沢を放つねっとりとした触手は勇敢だった彼の身体を掴み、ずりずりと音を立てながらゆっくりと岩影に引きずり込もうとしている。


「……ハァッ、ぁあ、う、うそ……だ、ろ……」


 なんだこれはなんだこれはなんだこれは


 一郎太は唇を戦慄わななかせ、冷や汗が背筋を伝うのを感じながら、ズリッズリッと足をすり引き、後ずさった。




「……どうしたんだよ、父さん。兄さんは?兄さんは、どうなったんだよ?どこなんだよ?」


『もしかして俺の代わりに』という言葉は飲み込んだ。口に出せるわけがなかった。認めてしまうことになるから。


 先ほどよりは少し落ち着いたらしい様子の豊一郎が尋ねたことに、一郎太はハッと意識を取り戻し、すぐさま彼の肩を両手で強く掴んだ。


「彼が、落ちた後……いくつもの……なんだ、触手とでもいうのか、が彼を掴んでいた……。それで、あれは、っ……彼をどこかに引きずり込んでいった……」


 父の声は震え、その両手は痛いくらいに俺の肩を絞めつけている。

 俺の顔も、引き攣っているのが分かる。


 二人は見つめ合った。今は、それしかできなかった。


 豊一郎はショックで動揺しつつも、やがて父の手もまた震えていることに気づいた。

 父さんも、同じように恐怖しているのだと、はっきり感じられた。


 俺は父さんの手に手を重ねて、しっかりと握り返した。


 深く息を吸う。


「……分かった。一先ひとまず、……無事、な、俺たちだけでも戻ろう。……気を付けて」


 一郎太は視点の定まらない目で僅かに頷き、ゆるゆると立ち上がった。


 二人は体を支え合いながら、一歩ずつ、ゆっくりと来た道を戻っていった。


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