第5話 青天の霹靂
家事育児アンドロイドのユウノが来てから三ヶ月が過ぎようとしていた。
ユウノのおかげで通常勤務に戻れたうえ、休日の三人での散歩が何よりも俺の癒しになっている。今のところ生活は順調と言っていい。
とはいえ、マンションのローンは重くのしかかり、しっかり稼ぐのはもちろん、無駄な出費も抑えなければならない。
ユウノは最新型の高性能AGIアンドロイドたが試験運用中のプロトタイプということで、通常の一割の価格で派遣してもらっている。
それでも負担であることには変わりはない。
住込みにしてもらえば今以上に助かるのだが、そうなると料金も高くなってしまう。
そんな俺の目下の悩みといえば……
「ふぇええーーーん……」
「んん……どうしたぁ……摩衣李ぃ……」
そう、摩衣李の夜泣きである。一晩で二、三回泣きだすのだ。
オムツチチェックをして大丈夫なら、抱き上げてゆっくりとあやしてやる。
「ふぇええーーーーん……」
それでも泣き止まないときはベランダへ。
「ふぇええーーーーん……」
「うーーん……だめかぁ……」
こうなると、夜のお散歩しかない。
夜のお散歩も気をつけなくてはいけない。
深夜に陰キャがうろついているだけでも怪しいのに、女児をだっこしているのだ。
お巡りさんに呼び止められることに備えて身分証も忘れてはならない。
「ふぇ……ふぇ……」
しばらく歩いていると摩衣李も泣き止んできた。
「ふう……やっと」
今夜はお巡りさんに遭遇しないで済みそうだ。
こんなことがほぼ毎日なので睡眠時間が不足気味だ。
「大丈夫ですか、之々良さん?」
翌朝、半分寝たままのような顔をしている俺に、ユウノさんが心配そうに聞いてくれる。
「はい、大丈夫です……!」
と、から元気で答える俺。
そんないつもどおりの朝、菊菜からショートメールが届いた。
『転勤が決まりました。遠方なので引越します。明日荷物を取りに行きます』
とあった。
「明日かよ!」
俺は思わずでかい声を出してしまった。
「ふぇ、ふぇええ………」
俺の声に驚いた摩衣李が泣き出しそうになる。
「うあ、ヤバい……」
俺が焦ってあたふたしていると、ユウノが淀みなく摩衣李を抱き上げてあやし始めた。
摩衣李はすぐに泣き止んだ。
「ありがとうございます……」
俺が小さな声でいうと、
「いいえ……」
とユウノが小さな声で言いながら笑顔を返してくれた。
「あの、明日は」
「はい、私はメンテナンスで来られません」
「ですよね」
「すみません」
「いえいえ、とんでもないです!」
このマンションに越してきた時のことを思い返してみる。荷物といっても大きな家具は無かったように思う。
実際のところ、菊菜の部屋を見たことがないので、今どれほどの荷物があるのかは分からないが。
そして翌朝、菊菜がやってきた。
「もうすぐ業者さんが来るから」
そう言って自分の部屋に入って行った。
「俺も何か手伝おうか?」
ドア越しに俺が聞くと、
「大丈夫」
とだけ返ってきた。
しばらくして引越し業者が来ると、菊菜はテキパキと指示をして荷物を運び出した。
作業はものの一時間で終わった。
「それじゃ」
「ちょっと待って」
菊菜が出ていこうとしたところを、俺は呼び止めた。
「引っ越し先はどこ?」
「後で知らせるわ」
菊菜はそう肩越しに答えた。
「ちょっと待ってて」
そう言って俺は居間に行った。
そしてベビーベッドで寝ている摩衣李をそっと抱き上げ、菊菜のところへ戻った。
「ちょっと顔を見るくらいしてやってくれ」
そう言って俺は摩衣李を菊菜に差し出した。
菊菜は摩衣李をじっと見つめてから俺に言った。
「摩衣李を見てくれてありがとう。これからもお願いね」
それだけ?と思ったが、俺が何か言う前に菊菜は玄関から出ていってしまった。
「摩衣李……緋之原さん……お母さん行っちゃったよ……」
半分眠ってムニャムニャしている摩衣李に、俺はそっと呟いた。
その後、菊菜にショートメールで転居先を尋ねたりもしたが、返信は無かった。
やがて、摩衣李も二歳になった。写真を撮って菊菜に送ったが、これにも無反応。
カタコトを喋るようになったので動画を撮って送ったりもしたが無反応。
忙しいんだろうとは思うが、一言くらい何かあってもいいんじゃないかと思ったりもする。
「摩衣李もそう思うだろ?」
最近は俺の膝の上に座るようになった摩衣李に聞いた。
「ほにゃぁにゃ、のににぬろー?」
摩衣李は覚えたての宇宙語で答えてくれた。
そんなある日、保育園の運動会のお知らせが来た。
「運動会かぁ……」
勿論出たいのだが、俺なんかが父親づらして出てもいいのだろうかと思ってしまう。
(それで摩衣李がいじめられでもしたら)
なんて思うと恐ろしくなる。
摩衣李はというと、最近は暇さえあれば不思議な踊りを踊っている。
「それはなんの踊りだ?」
と聞くと、
「おどぃいーー」
と嬉しそうに答える。
きっと運動会の出し物なのだろう。
「可愛らしいですね」
ユウノさんな聖母の笑顔でいってくれる。
俺が褒められたわけではないのに、顔が緩んでしまいそうになる。
(いかんいかん!)
俺は役割として摩衣李を育てているだけだ。いい気になってはいけない。
とはいえ、気がつくと摩衣李の不思議な踊りに見惚れてしまっているのだった。
(やっぱ出るぞ、運動会!)
俺は固く決意した。
(ユウノさんも出てくれればなぁ、運動会……)
とも思うのだが、外出は二時間程度までと管理会社から言われているとユウノが言っていた。
とりあえず聞くだけ聞いてみようと、
「あの、ユウノさん、摩衣李の運動会なんですけど……」
とユウノに振ってみた。
「はい」
「ユウノさんにも出てもらうわけにはいきませんか?」
俺の言葉に多少困惑したような表情を見せて、考えるようにユウノは目を伏せた。
「ほぼ一日の外出になりますよね……」
「あ、あの、無理にではなくて、もしかしたらと思っただけなので」
(やっぱりダメだよな……)
と俺が諦めかけたら、
「管理会社に聞いてみます」
と顔を上げてユウノが言った。
「大丈夫ですか?」
「多分ですけど、管理会社の方が付いてくれれば大丈夫なのではと思います」
そういえば、毎日ユウノを車で送り迎えしてくれる人がいた。
「もしかしたら追加料金がかかってしまうかもしれませんが……」
ユウノが申し訳無さそうに言った。
「なんのそれしき、摩衣李のためです!」
ユウノに来てもらえるかもしれないという嬉しさで、つい大見得を切ってしまった。
「運動会、ユウノさんも来てくれるぞ、摩衣李」
既に確定事項のように俺かいうと、
「ゆーのんもーゆーのんもー」
と嬉しそうに言いながら、摩衣李はまたしても不思議な踊りを始めた。
そして運動会の当日、いつもより早くユウノはやってきた。お弁当を作るためだ。
「無理を言ってすみません」
俺は運営会社の担当者の高越さんに頭を下げた。
「いいえ、とんでもございません。当社としましても屋外活動の状況を把握することができますので」
ということで今回は追加料金なしでやってくれることとなった。
摩衣李が出るのは行進とお遊戯だ。
しっかりと摩衣李の勇姿の記録を撮っておかなければならない。
俺が鼻息も荒く身構えていると、
「記録は私がやります。之々良さんは摩衣李ちゃんの姿をしっかりと目に焼き付けてください」
とユウノが言ってくれた。
ジーンと胸が熱くなった。
「あ、ありがとうございます……!」
(そうだ俺は摩衣李の父親なんだから!)
行進は摩衣李たち一歳から二歳の組を先頭に始まった。
キョロキョロしながら歩いている摩衣李が俺に気がついた。
嬉しそうに大きく笑って手を降っている。
(ヤバい、俺泣きそう……)
始まったばかりなのに既に俺の涙腺が緩みだした。
行進が終わると摩衣李たち小さい子は色鮮やかなボンボンを手にした。
そして、かけっこや大玉転がしなどで熱戦を繰り広げるお兄さんお姉さんたちを夢中で応援した。
(なんだこれはぁーー俺たち父兄を泣かせるのが目的かぁーー!)
などと叫びたくなるような光景だ。
午前の部が終わると待ちに待ったお弁当タイムだ。
「たくさん食べてくださいね、摩衣李ちゃん」
聖母笑顔でユウノがお弁当を広げてくれた。
二歳になった摩衣李はご飯が大好きだ。なので、今日は色々なおにぎりがずらりと並んでいる。
鮭や焼きたらこなどの具を混ぜ込んだものは特にお気に入りで、俵型のおにぎりをおいしそうバクバク食べている。
そんな摩衣李を見ながら、
(緋之原さんも来れたら良かったのに……)
という思いが湧き上がった。
勿論、今日の運動会のことはショートメールで菊菜に伝えた。
たが、いつものように菊菜からの返事はなかった。
午後は摩衣李が楽しみにしていたお遊戯だ。
子供に人気のアニメソングに合わせて摩衣李たちが真剣な表情で踊っている。
子供が真剣に取り組む姿の神々しさといったら!
(俺は泣かないぞ!泣くもんかぁああーーーー!)
熱血少年マンガの主人公よろしく、俺は必死で涙をこらえた。
こうして、摩衣李の初めての運動会は幕を閉じた。
帰り道、俺とユウノに挟まれて歩いていた摩衣李も、やはり疲れたのかぐずりだした。
「よしよし」
と、俺が抱っこしてやると摩衣李はすぐに寝息を立て始めた。
「やっぱり摩衣李ちゃんはお父さんが大好きなんですね」
摩衣李を抱っこする俺を見て微笑みながらユウノが言った。
「そ、そうですかねぇ、はは、と、ところでユウノさんは大丈夫でしたか?」
ユウノが言ってくれた言葉が照れくさくて、俺は咄嗟に話題を変えた。
「ええ、大丈夫でした。まだ油断はできませんが、連続六時間位までは問題無さそうです」
俺達の後ろを歩いていた高越さんが答えてくれた。
「それはよかった」
これからはユウノと摩衣李だけでも長いお出かけができそうだ。
(ますます母親のようになっていくなぁ
ユウノさんも)
そんなことが俺の頭に浮かんだ。
その後も穏やかな日々が過ぎていった。
運動会の画像と動画を菊菜に送ったがいつも通り反応は無かった。
摩衣李とユウノは益々親密になり、本当の親子だと言っても誰も疑わないだろう。
ユウノがアンドロイドだと知らなければだが。
そして摩衣李は三歳を迎えた。
俺はユウノさんと二人で目一杯摩衣李を祝うことにした。
今では摩衣李も口が達者になった。
「誕生日プレゼントは何が欲しい?」
と俺が聞くと、
「アイドルへんしんセット!」
と元気な答えが返ってきた。
どうやら摩衣李は歌と踊りが大好きになったらしい。
誕生日当日、ご馳走やケーキが並ぶテーブルを前に、摩衣李はアイドル変身セットをフル装備した。
そして付属のキラキラマイクを手に、大好きなアイドルの歌を、動画をバックに熱唱した。
(これ、マジやばくね?もう将来アイドル確定じゃん!)
と、親バカ全開で摩衣李の勇姿を動画に収める俺だった。
その日の夜、
(これを観れば緋之原さんだって摩衣李に会いに来るだろう)
と、ワクワクしながら摩衣李のアイドルなりきり動画を菊菜に送った。
すると、思惑通り(実際はめちゃくちゃ驚いた)菊菜から返信が来た。
「ふふふ、さすがにこれには抗えなかったようだな」
と、つい魔王声で言ってしまう俺。
だが、菊菜からの返信を見て俺は固まってしまった。
そこには、ただ短くこうあった。
『私と離婚してください』