第20話 気持ちと気持ち
(どうしたらいいんだ……)
菊菜と別れて帰ってくる道中、俺はほとんどそれしか考えられなかった。
まさか菊菜からあのようなことを言われるとは思っていなかった。
今でも俺が菊菜のことを好きだというのは間違いない。
となれば、菊菜の申し出は嬉しいはずだ。
嬉しいはずなのだが……
「ああーーちくしょうーー!」
やはり俺は怖がっている。再び菊菜に捨てられるのを。
菊菜が信じられないからというわけではない。
いや、少しはそれもある、というかあった。
だが、仕事も決まり少額ずつとはいえ毎月金も振込んでくれている。
それに、今では菊菜はユウノ家族と親密にしているのは間違いない。
摩衣李も菊菜のことを慕っているようだ。
信じられないのは俺自身だ。
俺みたいな陰キャが菊菜の心を捉えることができるのか?
菊菜が俺なんかに恋愛感情を抱いてくれるのか?
俺がずっと菊菜のことが好きだったように、菊菜もずっと俺を好きでいてくれるのか?
(あり得ないよなぁ……)
契約結婚では菊菜からのほぼ一方的な離婚で、金銭面と摩衣李の養育の事で俺に負担を負わせた。
そのことについては、菊菜も俺に引け目を感じているのだろう。
そういう意味で俺とやり直したい、やり直して借りを返したいということなのだ。
となれば、借りを返し終わったらそれで終わり、ということも十分考えられるではないか。
(てか、そうなるよな……)
俺の気持ちが既に菊菜から離れてしまっている、というのであればそれでもいいだろう。
だが違う。今でも俺は菊菜のことが好きだ。
「はぁーーどうすりゃいいんだ」
俺は声に出して言うと、テーブルに突っ伏した。
キンコーーン♪
ショートメールの着信を知らせる音だ。
着信はユウノからで動画が添付されている。
(なんの動画だろ……)
動画には摩衣李が映っていた。今日モフモフランドで買ったお姫様ネグリジェを着ている。
『きくなちゃん、うみちゃん、きょうはありがとう』
撮影されているからか、心持ち緊張しているようだ。
『たくさんなかよくできて、たのしかったね』
合間にチラチラと横を見るところがなんとも言えず可愛らしい。
『これからもきくなちゃんと、うみちゃんと、なかよくしたいね』
(菊菜ちゃんと、海ちゃんと、仲良く……)
心に刺さる言葉だ。
『きくなちゃんだいすき!うみちゃんだいすき!』
動画はそこで終わっていた。
俺はユウノに返信をした。
『動画ありがとうございます。俺も摩衣李が大好きだと伝えてください』
送り終わると、俺はなぜかホッとした気持ちになって椅子の背にどかっともたれ掛かった。
どうやら、ここ数ヶ月で菊菜は摩衣李の心をしっかりと掴んでいたようだ。
(なんだか妬けちゃうよなぁーー)
俺が四年かけて築き上げてきたものをたった数ヶ月で追い越された気分だ。
またそれは、摩衣李は勿論のこと、ユウノと鞍人からも信頼されるように菊菜がなった、ということだ。
(いや、違うな……)
ユウノは元から菊菜を信頼していたと思う。
菊菜が摩衣李を引き取ったことに感謝していたのだから。
(もしかしたら、緋之原さんにも動画送ったのかな?)
内容からして菊菜と俺にあてた動画だろうから、送られていてもおかしくない。
俺は菊菜にショートメールを送った。
『摩衣李の動画届いてる?』
しばらくして菊菜から返信があった。
『うん、届いてる』
『可愛いよね』
『うん、可愛いね』
そこでやり取りは終わってしまった。
メールしたはいいが、その後どうするか考えていなかった。
こういうところが陰キャ非モテの悪いところだ、と言っても良いところだって勿論無いのだが。
今すぐしたいことは何だ?と自問自答してみる。
(話がしたい……かな、緋之原さんと)
そう思うと無性に菊菜と話がしたくなってきた。
でも何を?菊菜と何の話がしたいんだ?
(あーーうるせーー!俺の中の小賢しいビビりやろう黙れよ!)
とにかく菊菜に会いたい、それでよし!
俺は菊菜にショートメールを送った。
『こんな時間だけど今から会ってもらえる?』
ほどなくして菊菜から返信が来た。
『うん、いいよ』
『それじゃ今からそっちに向かうね』
と送って俺は立ち上がった。
ピンポーン♪
玄関の呼び鈴がなった。
「誰だよ、こんな時間に……俺は今から出かけるんだからよーー……」
俺はブツブツ言いながら玄関を開けた。
菊菜が立っていた。
俺と目が合うと菊菜は、
「あ、あのね摩衣李ちゃんの動画がすっごく可愛かったから一緒に見るのもいいかなぁって思ってそしたら之々良さんからショートメールがきてそれで……」
菊菜にしては珍しく、というより俺が知る限りでは初めて、猛烈な早口でまくし立てた。
俺にとっても、まさかと思うような菊菜の訪問で驚いてしまった。
「えっと、そしたら少し、外を歩く?」
「うん……」
なぜだか部屋に二人でというのが憚られた。というより単純にビビった。
「……摩衣李ちゃん、可愛かったね」
菊菜が小さな声で言った。
「だね。今日買ったお姫様ネグリジェ早速着てたし」
「そうだね」
「うん」
夜は声が響く。俺と菊菜は囁くような声で話した。
「摩衣李、緋之原さんが大好きって言ってたね」
「之々良さんのことだって」
「俺は摩衣李と四年も一緒にいたしさ。なんか数ヶ月の緋之原さんに負けたみたいで悔しいよ」
俺はわざと拗ねたように言った。
「……うん、私、なんとかして挽回しなきゃって思って……」
うつむき加減で菊菜が言った。
「で、挽回できた?」
我ながら中々意地悪な質問だと思いながら俺は聞いた。
「分からない……でも、まだまだだと思う……」
菊菜の声が先細りになっていく。
(挽回できてると思うよ)
と俺は心の中で思った。
俺は四年の間、摩衣李と接するという幸福に恵まれた。
その経験から、摩衣李の感情の動きのようなものを感じることができるようになったと自負している。
モフモフランドに三人で行った時の摩衣李の菊菜に対する接し方は、ほぼ全幅の信頼を菊菜に置いていると俺は感じた。
そしてあの動画だ。
俺が嫉妬してしまうほど菊菜に対する摩衣李の愛情と信頼が感じられた。
俺の中に菊菜を疑う気持ちは無くなっていた。
菊菜は摩衣李に、そして俺にも罪の意識を感じ、真剣にそれを償おうとしているのだ。
(だから、俺とやり直したいって言ったんだな……)
後悔と罪悪感、それが今の菊菜の気持ちなのだ。
(喜んでいいのかな……)
今ここで俺が菊菜に気持ちを伝えたら。
菊菜のことが好きだと伝えたら。
そして結婚を申し込んだら。
菊菜は受けてくれるだろう、俺と、そして摩衣李への償いの証として。
そして、俺が最も恐れていたこと、菊菜に捨てられるということも起こらないだろう。
(でも、それでいいのか?)
「……之々良さん」
菊菜の呼ぶ声で俺は物思いから覚めた。
「……なに?」
「私が……私が、あなたのことを、好きって言ったら、信じてもらえる……?」
菊菜はうつむき加減で前を向いている。
「緋之原さんが……え……ええ?」
(俺、何か聞き間違えたか?)
「やっぱり、そうだよね、信じてもらえるわけないよね、はは……」
菊菜の乾いた笑い声はちっとも可笑しく無さそうだった。
「あの、緋之原さん……こっちを向いてもらって、いい……?」
俺は菊菜に近づいて遠慮しながらも、彼女の顔を見た。
「え……だ、だめだよ、そんなの」
菊菜の声がくぐもって聞こえる。
「俺の話も聞いてもらいたいから」
そう言って俺は一か八か菊菜の肩に手をかけた。
(ビンタ覚悟だ!)
だが、覚悟していたビンタは飛んでこなかった。
俺は無理矢理にならないように気をつけながら、そっと菊菜を俺の方に向かせた。
「……ダメだって言ったのに、もう……」
そう言った菊菜の顔がちょうど街灯に照らされた。
いつもクールにすましている菊菜の顔が、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「こんな、最低の女に、好きなんて、言われても、嫌だよね、迷惑だよね……」
菊菜は必死で泣くのを堪えながら言葉を絞り出している。
(俺がビビってもたもたしてたから……)
菊菜に、好きな女性にこんな思いをさせてしまった。
「緋之原さん、いえ菊菜さん、俺もあなたが好きです。いえ、好きでした。最初に会った時から、ずっと」
初めからこう言えばよかったんだ!
俺の言葉を聞いて、菊菜は涙を拭いながら微笑んだ。
「うん、分かってた」
「まじ!?」
「悪い女でしょ、私」
「だよ!」
俺の胸につかえていたものが、スーッと消えていった。




