第17話 料理と目論見
(うーーん、これでいいかなぁ……)
俺は朝から不安になっている。
目の前にあるのは卵焼きとウインナーとふりかけご飯の弁当が二つだ。
つい数日前までは食事は全てユウノが作ってくれていた。
たが、昨日菊菜に宣言した通り今日からは俺が三食分作らなければならない。
となれば昼用には弁当を作らなければならないということだ。
数年ぶりに菊菜と再会した俺は、今でも彼女のことが好きなのだと痛いほど思い知った。
ほぼ一方的に捨てられたにもかかわらずだ。
そこで俺は、捨てた男の手料理を食べなければならないという屈辱感を菊菜に味わわせようと考えた。
そしてその料理が美味ければ美味いほど、菊菜の屈辱感は増すに違いないと思ったのだ。
俺が菊菜のことが好きだということは彼女に悟られてはいけない。
もし悟られたら、また捨てられてしまう。
そのためには彼女に屈辱を与えなければならないのだ
自分に屈辱を与える男がまさか自分に恋愛感情を抱いているなどとは夢にも思わないだろうから。
とはいえ、今目の前にある卵焼き弁当が果たして菊菜に屈辱を味わわせるに足る出来なのかと聞かれると、いささか自信がないのだが。
(とりあえず今日はこれでいくしかない)
明日からはよりグレードアップしていこうと俺はこころにきめた。
(仕事帰りにスーパーに寄らなきゃだな)
そろそろ出かけようとしていたところに菊菜が部屋から出てきた。
「お、おはよう」
俺は何故かドギマギしてしまった。
「おはよう」
菊菜が気持ち眠そうに答えた。
(なんか、ドキドキする……!)
契約結婚していた時は菊菜の朝が早かったので顔を合わせないことが多かったのだ。
「朝食と昼の弁当作っておいたから。それとこれ合鍵」
俺はテーブルに合鍵を置いた。
「ありがとう……わぁ、美味しそうーー」
眠たげな顔で微笑みながら菊菜が言った。
(よし、作戦成功だ!これで緋之原さんも屈辱を感じる、はず……だよな)
朝食はトーストにスクランブルエッグときゅうりのサラダという、なんてことはないものだ。
そんな何の変哲もない朝食を菊菜は嬉しそうに見ている。
「そ、それじゃあ、俺行くから」
「うん、いってらっしゃい」
(あれでよかったんだよな……)
その日はほぼ定時で仕事を上がり、食材を仕入れにスーパーに寄った。
普段は休みの日にまとめて買っている。
だが人数が増えたうえ、メニューにも工夫を凝らす必要があると俺は考えた。
(今夜は何にしよう……)
食材売り場を見ながら頭の中で手持ちのレシピと相談した。
いきなり手の込んだ料理というのも不自然だろう。というより俺にはそこまでの腕はない。
(無難にカレーにするか)
カレー売り場に行ってみると俺の知らないものも増えている。
最近は「フレークタイプ」というものもあるようだ。
(コク深く香り豊か、か……うん、これにしよう)
具は玉ねぎ、人参、じゃがいも、しめじに豚バラの角切りにした。
カレーには豚肉が一番と俺は常々考えている。
牛肉はカレーには優しすぎるし、鶏肉だと少々物足りない。
などと考えていて、俺はふと大事なことに気がついた。
そう、菊菜の味の好みというものを確認していなかったのだ。
昨日の牛肉も今朝の卵焼きにも特に難色は示していなかったようだが。
(電話で聞くか……いや、ダメだ、スマホないんだよ緋之原さん!)
なので、俺は念の為に冷凍のシーフードセットも買うことにした。
使わなければそれはそれで冷凍しておいて、別の料理に使える。
ひと通り買い物を済ませアパートに帰ると、菊菜は既に帰ってきていた。
或いは出かけなかったのかもしれないが。
「ただいま」
「おかえり」
どこの家庭でも交わされる普通のやりとりだが、こと今の俺と菊菜の間に限れば妙な感じだ。
「今夜はカレーにするから」
「カレー、大好き」
「あ……豚肉は平気?」
「うん、私、大体のものは大丈夫」
俺が買い物袋から食材を出していると、
「私も何か手伝っていい?」
菊菜が聞いてきた。
「うん、いいけど」
「じゃあ、野菜切るね」
「できるの?」
「当たり前でしょ」
こんな感じて、俺と菊菜は二人でカレーを作り始めた。
特に話が弾んだわけではなかったが、仕事は見つかりそうなのかという話はした。
「化粧品関係の仕事を探してるんだけど中々なくて」
ということらしい。
カレーは思っていた以上に美味くできた。
「美味しい!」
「美味いね」
嘘偽りなく俺は美味いと思った。
カレールーさえあれば誰でも美味くできる料理ではあるが、いつも作っているカレーより確実に美味かった。
(二人で作ったからかな……)
それよりも、菊菜が美味そうにカレーを食べているのが気になった。
どう見ても屈辱を感じているようには見えない。
それどころか明らかに喜んでいるように見える。
しかも、そんな菊菜を見て俺まで嬉しくなってしまう始末だ。
(計算が狂ったのか?もしかしてまた、俺は捨てられてしまうのか?)
こうして俺と菊菜の共同生活は続いていった。
昼の弁当は冷凍食品を活用することで、数段グレードアップできることを発見した。
夕食は菊菜と一緒に作ることが普通になってきた。
「化粧品関係にこだわらないで探してみようと思うの」
その日のシーフードたっぷりの八宝菜を二人で食べながら菊菜が聞かせてくれた。
(やばい……なんか、やばい気がする……)
俺はそう思い始めた。何がやばいのかといえば、勿論、菊菜と過ごす時間が楽しくなってきたことだ。
そしてその夜、事件が起きた。
俺は食事の後すぐに風呂に入るのがいつものルーティンだ。
その夜も同じように夕食後に風呂に入った。
菊菜は寝る前に風呂に入っているようだ。
その頃には俺は既に寝ていることが多いのでかち合うことはない。
だがその夜は菊菜は俺が出て間もなく風呂に入ったようだった。
俺はイヤホンをしてダイニングで動画サイトを観ていたのでそれに気づかなかった。
俺はひと通り動画を観て、そろそろ寝ようかと思ってイヤホンを外して立ち上がった。
その時、菊菜が脱衣場の戸を開けて出てきた。
とはいえ裸ではなくパジャマ姿で、バスタオルで頭を拭いている。
「ぁ…………っ!」
俺は声にならない声をあげてしまった。
「?」
菊菜は特に気にする様子もなく俺を見た。
契約結婚時代、菊菜はマンションの風呂を使っていたが俺はスーパー銭湯に行っていた。
なので風呂上がりの菊菜を見たことは一度もなかったのだ。
「あの、えっと、その……」
もう俺はパニック寸前だった。
そんな俺を見て菊菜も気づいたようで、
「あ、ごめんなさい……」
と、やや恥ずかしそうに言った。
「いや、べ、別に……」
俺は菊菜から視線を外してテーブルを片付けた。ガチャガチャと音を立てて。
自分の部屋に戻ると、俺はゆっくりと何度も深呼吸した。
それでもドキドキは中々収まらなかった。
(やばかったーー……)
やっと落ち着き始めると改めて俺は考えた。
(もしかしたらバレちゃったかな、俺が緋之原さんを好きなこと……)
普通の男なら、あんな場合でも冷静に対処できるのだろう。
だが俺はできなかった。初めて見る菊菜の風呂上がりパジャマ姿に、鼓動が速くなりパニック寸前にまで陥ってしまったのだ。
(これだから陰キャ非モテは……)
つくづく自分が情けなくなる。
だが、起きてしまったことは仕方ない。今後も同じような状況が起こり得るわけだから、十分に気をつけなければならない。
そんな事件はあったが、菊菜との共同生活は続いていった。
そして日に日にそれを楽しく思っている自分がいた。
手料理屈辱作戦はほぼ失敗だということが判明してきた。
なぜかといえば、俺が菊菜と料理を作るのが楽しくて仕方ないからだ。
そして二人で作った料理を一緒に食べる幸福感といったら……
むしろ俺のほうが屈辱を感じているくらいだ。
それどころか逆に菊菜に罠を仕掛けられているのではないかと思うことすらあった。
その日夕食を終えて風呂に入ろうと脱衣場の戸を開けた俺の視界に、とんでもないものが入ってきたのだ。
「うわぁっ!」
それはハンガーにかけてある菊菜の下着だった。
「あ、ごめんなさい、昼間に洗濯したから」
菊菜が素早く入ってきて下着を回収した。
その時、菊菜がちらりと俺を横目で見た。
こういう場合に陰キャ非モテが女性から向けられる目は、所謂虫けらを見るような目と相場は決まっている。
だが、その時の菊菜の目は違った。
虫けらは虫けらでも、罠にはまった獲物としての虫をみるような目だったのだ。
(もしかしたら俺、また捨てられるのかも……)
そんな思いが俺の頭をよぎった。




