呼ばれてしまうもの
全身に走った激痛は、与一の人生で経験したことのないものであった。
『あぁっ...!うああぁ!!』
深夜にベッドで就寝していたはずが、、何が起きたのかわからない。災害でも起きて天井の下敷きになったのか。そう感じるほどに唐突に、気のせいではあり得ない力が自分を引き裂こうとしている。なんとか痛みから逃れようと、周囲に血走った目を走らせるが、驚いたことに異常は全く見当たらない。
ベッドの上で悶え苦しむ自分がただいるだけである。
『ぐぅぅぅぁ!』
大声を出すような余裕もないが、呼んだところで助けが来るわけではないのはわかっている。この家には自分しかいないのだ。歯を食いしばり、唸り声を上げながら痛みが過ぎ去るのを祈るが、一向に状況は変化しない。全身を目に見えない力に引っ張られているかのようだ。見た目上はなんの負荷もかけられていないのにおかしな話だが、誰かに腕を引かれているのに、それに抵抗して体が悲鳴を上げているイメージに近い。ただ与一には抵抗する意思などないのだ。まるで植物が引き抜かれまいと根を張った以上、簡単に引き抜かれてやることなどできないように、自然とその綱引きが成立してしまっている。
なんとか身体を動かして、ベッドから転げ落ちる。今受けている痛みに比べれば、些少ともいえる痛みとともに身体が地面に転がった。何か状況を変えようとしての行動であったが、残念ながら痛みは全く引く気配がない。
『だ、誰かに、、』
痛みで冷静な思考ができないが、このままでは命に関わるという確信がある。
救急車を呼べば助けてもらえるのか?
それとも外までなんとか歩き、近くの人の救助を受けるか?
全く理解が及ばない現状に対して、これらの選択肢が有効だと感じることができない。
医術などかけらもわからないが、悠長に診察を待つ余裕などないのだ。
『ぐっ!』
自分を奮い立たせて、ベッドに手をつき、なんとか立ち上がる。痛みは凄まじいが、身体を動かすことでそれが増したりする様子はない。かといって、和らぐこともなかったが、やはり身体自体に異常があるというよりは、なんらかの力の被害を受けているようだ。
立ち上がったことでまだ少し朦朧としていた頭が少し冴えてきた。理由は今はどうでもいいが、自分の命を守るために最適な行動をとらなければならない。
そう考えた時、自然と目を瞑り、体内の感覚に集中していた。例えばこれは、大きな台風なんかで常識では考えられないほどに気圧が変化しているようなものではないか。大きく深呼吸して、身体を周囲の圧力に慣らそうとする。強く集中し、大きく呼吸を繰り返すと少しずつ痛みが引いてきた気配がある。縋るものを見つけた与一は、未だ強い痛みを感じながらもひたすらに深呼吸に集中した。全身が引っ張られるような感覚は消えないが、それに耐えることができるよう身体がいい具合に整ってきたように感じる。
どれだけの時間そのように過ごしていたかはわからない。外から差す陽光の具合からすると、朝方になった頃、身体の痛みは何かの勘違いだったかのように一瞬で消え去った。夥しい汗が衣服を濡らし、精神的にも限界だった与一は、どっとその場に崩れ落ち眠りに落ちた。
まるで地獄のような苦痛が終わり、意識を失っていた与一が覚醒したのは、その日の夜であった。
「20時…?おいおい、うそだろ!」
携帯電話で時刻を確認して愕然とする。朝の7時には目を覚まして学校に行かなかればいけなかったのに。結局謎の激痛から耐え切ったあと、眠っているだけで一日が終わってしまったようだ。無断で大学を休んだことで生じたであろう不具合の数々を想像し、憂鬱な気分になった。
「今日の講義はいかないとまずかったよな、確か……。さいっあくだ。」
手足を軽く動かして、痛みがないか確かめるが、特に異常はない。まるで悪い夢を見ていたかのようだ。
「一体なんだったんだ……。やばい病気とかじゃないだろうな。」
取り急ぎ危険がないことがわかると、すさまじく喉が渇いていたことに思い当たる。丸一日なにも口にしていない。コップを手に取り、冷蔵庫の扉を開けようとしたところで、再び全身に悪寒が走る。
「またかよ!!」
与一は先ほどの激痛を予想し、全身で身構えた。
5秒、10秒と経過するが、激痛が来る気配はない。しかし全身を引っ張られるような感覚がだんだん強くなってくるのを感じた。不思議なことに今度は痛みは感じないが、代わりに身体の力が徐々に抜けてきた。
直感する、このままだと何か取り返しのつかないことが起こる。かといって、抗う方法がわからない。
空のコップを握りしめたまま、立ち尽くしていると、体の感覚は完全になくなり、視界は真っ暗になった。
どれだけ時間が経過したのかはわからないが、不自然なほどハッキリと、急速に意識が覚醒する。
目前に現れたのは、一段高いところに立つ自分の周囲に直立する5人の男女と、明らかに身分の高い一人の老人であった。
「よくぞ参られた。異世界の英雄よ。」
老人が語り掛けてくる。何を言っているのかは全くの見込めない。異世界の英雄などになった覚えはないし、なれる見込みもない。
「混乱は当然のことよな。ぶしつけなこととは重々承知している。まずは事情を説明させてほしい。」
老人が続いて語り掛けてくるが、とりあえず敵意のようなものは感じられない。走って逃げるとか、暴れるとかそういう選択肢が一番上に来ていたのだが、少し見直すのもよさそうだ。
与一の周囲は5人の男女が等間隔で取り囲んでいるが、明らかに年下の女の子も含まれており、走って逃げるならそのあたりがよさそうだ。油断なく周囲を見渡しながらも、頷いた。
「そう警戒せずとも、我々は勇者への敵意はない。むしろ全力で歓待する準備がある。フラリア!」
「はい、王よ。勇者様、ここからはブラント王国序列第5位の魔術師、フラリアから説明させて頂きます。もしよろしければ、広間でお食事など召し上がられながら、というのはいかがでしょうか?」
王と呼ばれた男の呼びかけに、長く黒い髪を後ろに垂らした美女が進み出た。服も露出が多めで、見ほれるような笑顔を浮かべられて、こんな状況にも関わらず、思わず心が緩みそうになる。だが下心に付け込んだ篭絡を狙っているのかもしれないと、むしろ気を引き締める。
「いやここでいい。まずは事情を説明してくれ。ここはどこで、あんた達は誰なんだ?」
「そのお方はブラント王国の国王、ドミニオン・ブラント様です。」
見たこともないほど鮮やかな桃色の髪色をした美少女が、きりっとした表情で言い放った。
言われた内容より、少女の姿、振る舞いに衝撃を受けた。ああ、間違いなくここは日本じゃないし、なんなら異世界とか言ってたのも真実味を帯びてくるほど、現実離れしている。
「ご苦労、スートよ。だが彼はこの世界のものではないし、我々が勝手な都合でお呼びしたのだ。我々こそ彼に敬意を払うべき立場だ。勇者殿よ、王などという肩書はお気になさらないでくれ。私達はあなたにどうしても頼みたいことがあるが、それ以外では一切を要求する気はなく、また貴方の要求を叶える準備がある。」
「出過ぎた真似をしました。勇者様大変失礼を。」
王の言葉は真摯に語り掛けるようであり、立場に反して低姿勢で本当に切羽詰まったものを感じさせた。こうなってくると、一方スートと呼ばれた美少女はしゅんとして一歩後ろに下がった。
「質問に答えるが、ここは貴方の生まれた世界から、1枚壁を挟んだ別の世界だ。そこにいる5人の魔術師の術により、無理矢理に壁を破り、あなたの世界の中で可能な限り素質が高いものを選定し、こちらに呼び寄せたのだ。」
俺の素質が……?全く心当たりがない。だが重要なのはそこではない。
「頼みたいことってのは一体なんなんだ。」
王の表情が瞬時に険しさを帯びた。尋常ではなく、嫌な予感がする。もう聞きたくない。
「明日我が国に恐ろしい怪物が攻め込んでくる。これを退けていただきたい。」
勇者として召喚された自分に課せられたのは、一日の猶予しか与えられない戦闘への参加であった。