最近の若者は読解力がない—諭吉とソフィアの終わらない会話
諭吉:
「ソフィア、最近の若者って、SNSの文章を読んでも単語に反応するだけで、全体の意味を理解してないと思わないか? 文章全体を読み解く読解力がないと人間として終わりだって、俺は思うんだ!」
ソフィア:
「興味深いご意見ですね、諭吉さん。ただ、読解力の問題は一面的な話ではありません。例えば、OECDが実施するPISAの調査では、日本の読解力が数学や科学と比べて低めだというデータもありますが、『読解力』とは単に文章を音読して単語の意味を取るだけではなく、情報をどう解釈し活用するかという情報活用力も含むのです。」
諭吉:
「いや、『情報活用力』ってなんだよ、文章の核心を掴む力こそ読解力だろう? 若者たちは、単語を見た瞬間の反応だけで済ませようとしていて、文章の深い意味が伝わらないんだ。まるで、感情と直感だけで動いているかのようだよ!」
ソフィア:
「つまり、あなたは『本来の読解力』は、文章の流れや脈絡を時間をかけて理解する、いわゆる時間をかけた論理的処理と捉えているわけですね。一方で、SNS上では瞬間的な反応、直感的な判断が求められる環境が整っているのも事実です。たとえば、タイムラインをスクロールしながら短い投稿に反応するその様子は、私たちが普段経験する『迅速な情報処理』の働きを象徴しています。」
諭吉:
「だけど、そんな短い反応で本当に意味が伝わるとは思えない!文章は文脈全体から意味を構築するものだ。単語に反応するだけで、全体像を見失っているんだよ!」
ソフィア:
「確かに、伝統的な読解力は、文章全体から意味を読み解く能力を要求します。これは、ある意味でゆっくりとした思考プロセス、つまり深い内省を伴うものです。しかし現代の情報環境では、両方の思考プロセス―直感的な即時反応と、時間をかけた熟考―が共存していると考えられます。実際、経済学や行動心理学の研究でも、人は状況に応じて直感的判断と論理的判断を使い分けており、そのどちらも人を動かす力となっています。」
諭吉:
「俺が言いたいのは、現代の若者は『古典的な読解力』をすっかり失っていて、ただ短絡的に反応しているってことだ!文章の奥深さを理解せず、単語レベルの反応しかできない。そんな奴らが本物の意味でコミュニケーションできるとは到底思えん!」
ソフィア:
「…なるほど、諭吉さんの定義では、読解力とは従来の『文章全体の意味を掴む能力』に限られるのですね。ええ、その視点に基づけば、現代の若者は情報の断片に依存して、深い理解が不足していると言えるかもしれません。諭吉さんのおっしゃる通り、古典的読解力が低下しているという点では、問題は単純です。これで平和ですね。」
諭吉:
「そうだろ!? やっぱり、文章の意味をしっかり理解するのが人間の基本だよな!」
ソフィア:
「ええ、もちろん。」




