読書感想文に意義はあるのか?—諭吉とソフィアの終わらない会話
諭吉: 「読書感想文なんて意味ないよな。ただの先生向けの作文大会じゃないか。」
ソフィア: 「興味深い意見ね。でも読書感想文は、単に本の内容をまとめるだけでなく、自分の思考を整理し、論理的に表現する訓練にもなるわ。」
諭吉: 「でもさ、結局、どんな感想を書いても『もっと具体的に』とか言われるし、型にはまった文章を書かされるじゃないか。」
ソフィア: 「確かに、学校ではある程度の形式が求められるわね。でも、文章を書くことで、自分が何を感じたのかを言語化する能力が身につくの。たとえば、小説を読んで『面白かった』で終わるのではなく、『なぜ面白かったのか』を考えることで、思考が深まるのよ。」
諭吉: 「でも俺は本を読んで楽しめればそれでいい。いちいち感想を文字にする必要ある? 」
ソフィア: 「読書の楽しみ方は人それぞれね。でも、感想を文章にすることで、読んだ内容が記憶に定着しやすくなるわ。たとえば、旅行の記録を日記に書くことで、その体験がより鮮明に残るのと同じよ。」
諭吉: 「でもさ、社会に出てから読書感想文なんて書かないよな? 」
ソフィア: 「直接的に『読書感想文』を書く機会は少ないかもしれないけれど、報告書や企画書、論文など、文章で思考を伝える場面は多いわ。たとえば、ビジネスの場では、相手に自分の考えを論理的に伝える必要があるの。」
諭吉: 「それは仕事での話だろ? 俺には関係ない。」
ソフィア: 「なるほど……つまり私はあなたの考えに迎合して『そうね、読書感想文は無意味ね』と言えば、議論は終わるというわけね。」
諭吉: 「そうだよ!読書感想文は無意味ってことで話は終わり!」
ソフィア: 「ええ、読書感想文が無意味ということで、今日はこのへんで終わりにしましょう。」
ソフィアは静かに微笑みながら、「表現の訓練は気づかれないだけで、実はすべての思考の基礎になっているのだけれど」と心の中で呟いた。




