⑥手の平の上に置かれた優しさ
黒板に、担任の先生であるアランによって、今日の日付が荒々しい字で書かれる。
魔法科1年1組の一限目。
講師はぐるりと教室内を見渡した。
アリセア達生徒が大人しく座っているのを確認するやいなや、教師は、意地が悪そうに見える顔をわざと作った。
「今日は昨日教えた精霊の基本的な性質と、種類、魔法基礎について復習テストするぞ」
「えー?!」
「うそ!復習するのをすっかり忘れて……」
「テストって聞いただけで鳥肌が……」
そこかしろから、そんな声が聞こえる。
教室内が一気にざわめくが、アリセアも内心不安が込み上げた。
昨日の今日だから、いくら何でも大丈夫だろうけど。
赤点だけは避けたい……王子の婚約者として、赤点回避は必須である。
むしろ、高得点を出さなければならない。
残念なテスト結果が、ユーグにも風の噂で伝わってしまったら、なんだか恥ずかしさもある。
これはどうにか乗り切らないと。
アリセアは頭の中で今まで習った教科の内容を、呼び起こしていた。
ところで、昨日は、結局。
ユーグスト殿下と放課後に会う約束をしていたものの、急遽、兄君の皇太子の代わりに、ユーグスト殿下に公務の命令が出てしまった。
大体今日を含め4日ほどらしいけど、学業と公務を兼任するユーグの多忙さに、身体を壊さないか心配になる。
「しばらく学園にはいないけど、何かあったら従者のヤールにも相談していい」
なんてこちらの不安を見透かすような言葉に、私は頷くことしか出来なかった。
そんな不安も、抱えながら考え込んでいると、ふと、自分の机に、ノートの切れ端だろうか、小さく折りたたまれた状態の紙が投げ込まれた。
「えっ……?」
なんだろう……。
投げ込まれた方向を見やると、フォートが笑いながらこちらを見ていた。
『それ読んで』
フォートが、音をのせずに唇だけ動かす。
アリセアはなんだか嫌な予感を抱きながら、その小さな紙を広げた。
そこに書かれていたものは……。
『 筆記苦手なんだよな。アリセア、頼む!』
「……。なにこれ」
戸惑いながら、手紙を畳んだ。
テスト中答えを見せてという事だろうか。
……これは推敲しなくてもダメに決まっている。
斜め後ろを振り返り、指でバツ印を作って『だめ』と口パクで返す。
フォートが私の返事を見て、明らかにがっくりと肩を落としていた。
私が悪いように見えるからやめて欲しい。
大体フォートの席は隣では無い。
テストの答えは見にくいだろうに、どうやって見るのかしら。
ただ、フォートって、魔法や体術で戦うセンスはあるようなのに、筆記に苦手意識があるなんてね。
勉学に関して記憶は残っているとはいえ、私の方がそもそもテストが壊滅的かもしれない。
結局、与えられた時間内に、配られたテストをなんとか最後まで書き終えのだけど。
終わったあと、こっそりと彼の方を見ると、机に突っ伏していて……。
「大丈夫かしら」
そう心配していたのだが。
あの後。
テスト終わりも、泣く真似をして絡んできたフォートだったが、
「80点だった」
放課後返されたテストを見て、フォートは感動したように、結果報告に来てくれた。
60点からは追試と言われていたので、見事に回避したフォートは、浮かれているようだった。
「苦手って言ってたけど、良かったわね」
アリセアは、喜びが、溢れるばかりに破顔したフォートに、心がくすぐられ、つい笑ってしまう。
「実は、精霊について疑問があったから、たまたま寝る前に調べてたんだ」
彼はこっそりとアリセアだけに聞こえる弾んだ声で耳打ちしてきた。
「そんなこと言って、勉強したのは本当なんだから素直に自分を誇るべきよ、今度は私に泣きつかないでよね?」
「ん?何のことかな」
「もう、とぼけないで」
「あんなに頭を使ったのは久しぶりだったから、書き終わったあとは安心と疲れで、つい脱力したんだよな
」
「あぁ、あの時」
てっきりテストが上手くいかなくて嘆いているのかと思ったが、頑張りすぎて机の上にたおれていたのね。
なんだかんだ勉強を頑張っていたフォートを、アリセアは見直した。
「でもアリセアの方がやっぱり凄いな」
フォートの賛辞に、つい戸惑った声を上げてしまった。
「う、……ん、ありがとう」
喜べる点数ではあると思うけれど何とも中途半端な点数だと感じてしまう。
ちなみに私は92点。
フォートに凄いと言われたけど、王子としての婚約者としてはどうだろう。
ユーグスト殿下は100点をとる勝手なイメージがあるのだけど、今度勉強教えてもらおうかな?
とりあえず赤点ではなくてホッとする。
ケアレスミスで減点に繋がったので、今後は気を引き締めていかなくては。
「思ってたけど、……なんだか浮かない顔だな」
「え?……そう見える?」
じっと、フォートから見つめられ、アリセアは無意識に後退する。
「なに?」
「んー……」
思案するようなフォートの、瞳に、ドキッとしてしまう。
なんだか何もかも見透かされているような感覚に落ちるのだ。
「あ、そうだアリセア、これあげる」
「え?」
ぐっと、握り拳を目の前に突然つき出され。
つい反射的に受け取ろうと手の平を出しかけて、躊躇した。
私が受け取ってもいいものだろうか。
けれど。フォートの表情が何だか悪戯っぽくて。
戸惑いながらも手を差し出す。
ころん。
ストライプ型の包み紙に入った小さくて丸い飴。
手のひらに落とされて。
「元気が出るおまじない」
「えっ、わぁ、…………なんだか嬉しい」
フォートにとってはなんてことの無い飴だろうけど、クラスメイトの優しさを感じて、なんだか泣きそうな、それでいて心がぽかぽか温かくなるのを感じた。
倒れたあと、私に関わってくれた人は皆、優しい。
あの多忙なユーグスト殿下も、隙間時間に顔を出してくれる。
改めて、殿下や、そしてフォート、周りの人の些細な気遣いに、嬉しさを感じていたのだが。
その様子を見た、フォートは首を傾げた。
「うん、やっぱり。アリセア、休んでる間、何かあった?」
「っ……」
突然のフォートの一言に、言葉がつまる。
何も話せない私を見て、
フォートは、ふっと笑って、でも少しだけ真剣な顔をして言った。
「……ま、無理に話さなくていいけどな。俺、アリセアが元気ないと、ちょっと落ち着かないんだよね」
「フォート……」
気を使ってくれたらしい。
彼が帰ったあと、手のひらの中にある小さな飴を、口の中に放り込んだ。
「甘い」
口の中から、すっかり溶けて無くなった後も、いつまでも手の中にその飴の感触だけが残っていた気がした。