61:無防備すぎる微笑みに
ユーグスト殿下に呼び出された早朝、ヤールは王族が使用する寮施設の前に立っていた。
(……殿下からの急な呼び出し。何かあったのだろうか)
まだ朝露の残る空気のなか、胸に小さな不安を覚えつつ玄関扉を開ける。
「おはようございます。入らせていただきます」
中へと足を踏み入れると――
「早朝からすまない」
ユーグスト殿下が、個室の扉を開けて待っていた。
「どうしたんですか……なんだか嬉しそうですね」
どこか張り詰めていた殿下の顔が、緩んでいる気がした。
「あぁ……君も喜ぶと思うよ」
そう言ってユーグストは、隣室の扉に視線をずらした。
「ヤール」
アリセア様のたった一言。
己の名前を呼ぶその声色で、ヤールはすぐにわかった。
扉が開く音がして、ハッと振り返ると。
そこには、照れたように笑うアリセアがいた。
「アリセア様?」
ヤールが思わず、1歩前に進んだ。
「ただいま……ヤール」
「ただいまって……まさか。……記憶が戻ったのですか」
呆然としていたと思う。
信じられない気持ちが大きい。
けれども、目の前の彼女の瞳は、確かに意志の強さが宿っていた。
「本当に……?」
「うん……記憶が戻ったの。でもね、記憶をなくしてた時の“わたし”も、そのまま残っているの。だから、今のわたしが“本当のわたし”なのかもって……。ところで……」
アリセアはヤールに近づいて、そっと、彼の胸に手をついて見上げた。
一瞬、空気が止まったような静寂。
その距離感に、ヤールの喉がごくりと鳴る。
(近い……!)
ユーグストは、その様子を黙って見守っていた。
しかし、ヤールは彼の視線が気になって顔を向けられず、ただ、アリセアを見つめる事しかできない。
「っ、な……何ですか?」
「ねえ……どうして……“私に”教えてくれなかったの?」
「……え?」
「貴方が私の……」
「従兄、だってこと」
その言葉に、ヤールの胸がきゅっと締めつけられる。
声の震えと、目元の潤み――彼女の抱えている想いに、触れてしまったから。
「私……ずっと、貴方をただのユーグの護衛だと思ってたのよ。……それに気づいた時、私……」
「……すごく寂しかった」
ヤールは、息を呑む。
言葉もすぐに出てこない。
「……アリセア……本当に戻ったんだな、記憶が」
実感が、ようやく胸の奥に降りてくる。
掠れたような言葉しか出てこず、ヤールは自分でもうまく気持ちを処理出来なかった。
悲しみにくれるアリセアを見て、思わず抱きしめようと手を動かすも……しかし直前で拳を握った。
(もう、あの頃の、幼いアリセアではない。それに……)
ちらり、と視線をわずかに横に送る。
そこには、黙って彼らを見ているユーグストの姿があった。
けれど、その目の奥に微かに揺れるものを、ヤールは見逃さなかった。
アリセア様は、ユーグスト殿下の婚約者でもある。
普段は例え従兄弟でも敬語を使うようにしていた。
けれど、この時ばかりは……その仮面が外れてしまった。
「もう……皆して……私をあんなに甘やかして」
困惑したようなアリセアの顔に、ふと、笑いが込上げる。
「俺はアルトネス家に、一時的とはいえ養子に出されているから。……それに」
視線を、アリセアの方へ向けた。
「どんな立場だったとしても、アリセアを守りたいという気持ちは本物だから。身内だとか、他人だとか……正直いって。……俺は……意識しておりませんので」
「っ、……ヤール」
アリセアが、頬を染め上げる。
困ったように目を伏せるその仕草は、幼いときを思い出された。
「……2人とも……まさか俺の事忘れている……?」
ユーグストが苦笑しながら首をすくめる。
「うっ……忘れてないわ。でもヤール、ごめんなさい。距離感がおかしかったわよね」
感情が、高ぶるままに、ヤールに触れた事を今更ながらに自覚し、彼から後ずさった。
(申し訳なさすぎる……穴があったら入りたいっ)
以前の私なら絶対にしないのに……身体が勝手に……。
「あっ、……いえ、お気になさらず。……殿下も失礼しました。申し訳ありません、嬉しくて」
ヤールの視線が揺れる。
「いいや、……でも、確かにヤールが1番心配していた」
ユーグストがどこか諦めたように溜息をつきながら苦笑する。
「そうよね、心配かけたわよね」
アリセアは本当に申し訳なさそうにヤールを見つめた。
「“寂しかった”なんて、昔なら絶対に言わなかったですよね。けれど……素直な言葉が聞けるのは嬉しいです」
ふっと目元を緩めて、ヤールは微笑む。
「ーードキッとしましたよ」
その瞬間。
「さすがに……そこまで、だよ?」
すぐ横から、ユーグストの声が落ちてきた。
どこか低く、けれど冗談めいた調子で。
「す、すみません」
(いつの間に隣りに!?)
ヤールは思わず背筋を伸ばし、わずかに顔を赤くする。
「もう、……ユーグったら。それにしてもヤールまでそんなこと言うんだから」
アリセアは困ったように笑って、視線をそらした。
(まいったな……本当に)
アリセア様が可愛すぎて……たまらなく愛おしい。
いつも、いつも、これほどまでに心を揺さぶってくるのは、彼女だけだった。
「おかえりなさい……アリセア様」
ヤールの、言葉に、アリセアはふわりと微笑んだ。
「ただいま……ヤール」
****
(まったく……アリセアは無自覚に人を、魅了する)
ーーユーグストは、アリセアのその微笑みに、胸の奥にかすかに焦燥が滲むのを感じた。
無垢なその笑顔に、誰もが心を奪われるのも当然。
けれど、できることならその笑顔を守れるのはーー自分でありたい。
そう思ってしまった。
小説を書いておよそ2ヶ月になります。
ここまで来れたのはみなさんのおかげです
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