56:見守るもの
お待たせしました、携帯の不具合で遅れました^^;
放課後。
ユーグストは、静まり返った一室を訪れていた。
重厚な本棚に囲まれた空間には、夕日が差し込み、柔らかな光が棚や床を染めている。
そこに座っていたのは、白髪の一人の男性。
彼はユーグストの姿を見つけると、にこにこと穏やかな笑みを浮かべて立ち上がった。
「わざわざ来てくれたのかね」
「一言お礼をお伝えしたくて」
ユーグストはまっすぐに彼を見つめる。
学園長はその真っ直ぐな視線に、目を細めて頷いた。
「気にしなくていい。……凄い戦いだったね」
その言葉に、ユーグストは静かに一礼する。
「本日は、ありがとうございました――学園長」
彼の言葉に、学園長はふっと目を細めて笑った。
「……対抗戦を、行うだけで良かったのかね?」
含みある彼の言葉に、ユーグストは苦笑した。
「はい.....お陰様で、色々と見えてきました」
「そうか。それは何より」
「けれど。まさか、彼と戦う初めての場が、公式の対抗戦になるとは思ってもみませんでした。……初めは戸惑いましたが」
学園長は椅子に腰掛けながら、目の前の若き殿下を、どこか微笑ましげに見つめる。
「君が、どうやら……彼を気にしているようだったから...」
名を言わずとも、フォートのことだとすぐに分かった。
……否応なく、胸の奥が波立つ。
「学園長……よくわかりましたね」
ユーグストは伏し目がちに、苦笑を浮かべた。
学園長は目を細め、楽しげに肩をすくめる。
「そりゃあまあ、年の功というやつかな。教師たちの確執を上手く利用して、無理やり開催に持ち込んだのも、ちょっとした遊び心だが……少しでも君の助けになれたのなら嬉しいよ」
「ええ、間違いなく助けになりました」
「なら、良かった。ここにいる限り、誰もがわが校の生徒だよ。もちろん......君も、対戦相手の彼も、ね」
「......はい。そして"アリセア”に関することも、私の事を信頼して一任してくださり、感謝しています」
その言葉に、学園長の口元がふっと緩む。
「君が本気になるのは、いつもアリセア様絡みだね?」
冗談めかしたその言葉に、ユーグストの肩が微かに揺れる。
「……っ、それは……」
「殿下は、信頼できる彼女に出会って、変わりましたな」
「そう……でしょうか」
「自分では気がつきにくいものだろうね。幼い頃に比べて、……よく表情が出るようになった。もちろん、公的な殿下の表情は相変わらず落ち着いていて凛としているが、彼女の前では、少し……素が出ているように思えるよ」
(学園長は、私の幼い頃を知る数少ない人物だ)
兄や親族がこの学園を卒業していたこともあり、王家との縁は深い。
アリセアを大切に思う気持ちは、学園長にも伝わっているのだろう。
「この学園は、生徒のための学園だからね......生徒自身の成長を促すためのもの。だから、大人は見守るくらいが調度良いんだ...」
学園長の、その優しい言葉に、ユーグストの胸がじわりと熱くなる。
「そういえば……君は知っているかね。以前、図書館一帯を封鎖したことがあったのを」
「私が公務で不在の日ですね……。アリセアから聞きました」
学園長は頷く。
「……あの措置を命じたのは、君の兄上だよ。ちょうど、その日、別の公務の前後に、学院にお忍びで立ち寄っていてね」
「……やはり、あれは、兄の指示だったのですね」
ユーグストの声に、感情の揺れが滲む。
思っていたことが確信に変わった。
アリセアを一人で行動させないため。
あの兄なら、きっとそう動くだろう。
「私が言いたいのはね……君やアリセア様を大切に思っている者は、他にもいるということ。それだけは、忘れないでほしい」
そう言って、ユーグストを真っ直ぐに見つめる。
学園長のその優しい言葉に、ユーグストの胸が静かにざわめいた。
――どうして、この人は……。
まるで、自分の葛藤も感情も、すべて見透かされているような気がしてならない。
握りしめた手のひらが、少しだけ汗ばんでいた。
気づかれないよう、そっと背後に引く。
「……温かい言葉を、ありがとうございます」
震えそうになった声を押し殺しながら、ユーグストはただ静かに頭を下げた。
「さて。今日の経験を、どう活かすかは君次第だ。今日は、よく頑張ったね。……ゆっくり休みなさい」
「はい……失礼します」
学園長の、慈しむような眼差しに、胸がいっぱいになる。
(貴方のおかげで……フォートの実力や想いの強さがわかりました)
静かに部屋を後にした。
「さすが……学園長だな」
夕焼けが校舎の壁を朱に染める中、ユーグストはぽつりと呟いた。
静かに歩を進めながら、その瞳は遠くを見据えている。
自分と彼が向き合うために、あえて無謀な、『先生同士が喧嘩して対抗戦を行う』
だが、その裏には確かな意図と配慮があった。
ーー提案をしてくれた学園長に、感謝しなければ。
彼には、アリセアが倒れたことや、学園のマスターキーを借りていること、
ミクリヤ球への立ち入り許可を得ることしか話していない。
けれど、彼もこの学園を束ねる1人の人間だ。
点と点を線にして思考することなど、容易いのかもしれない。
「一体、どこまで察しているのだろう......学園のことも、俺の気持ちも」
ユーグストは小さく息を吐いた。
「それにしても、兄上も……知らせてくれればよかったのに」
口元をわずかに緩めながらも、その瞳には微かな影が落ちる。
(いつだって……先回りして、肝心なところで俺の前に現れる)
誰よりも優秀で、誰よりも正しい。
そう思うからこそ、いつまで経っても……その背に、手が届かない。
だけど。
(アリセアのために動いてくれたのなら……素直に、感謝したい)
目を伏せ、そして顔を上げる。
もう、自信のなさを隠れ蓑にはしない。
もう、言い訳もしない。
……あのとき、アリセアは何気なくこう言った。
『ーーユーグのライバルですね』
その一言が、ユーグストを救った。
追いかけるばかりで、見上げてばかりだった兄を、「肩を並べる存在」として捉えようと思えたから。
しかし、今は……もう一人。
その言葉を向ける相手がいる。
ユーグストは瞑目し、深く息を吐いた。
今は、なりふり構わず。
前を向いて、ただ突き進んでいくのみ。
****
夕日に照らされる部屋で、学園長は、本棚の奥から1冊の古い本を取り出した。
ページをめくると、一枚の写真が現れる。
写っているのは、今はもうこの世にいない――あの方。
その顔を見て、ふっと口元が綻ぶ。
「……これで、良かったのでしょうか」
“あるがままの、学園を存続してほしい――”
遺言のように受け継がれてきた、その言葉。
「皆、血縁関係はなくとも、志は確かに受け継がれています」
学園長は目を閉じ祈るように呟き……。
「あの子たちが……どうか、光ある未来へと導かれますように」
そっと、本を閉じた。




