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4-21『地獄の始まり』

 魔人の顔面から鞠が落ち、その瞬間周囲の空気がピリ着いたような気がした。

 思わず俺は警戒態勢に入ってしまう。そしてそれはマナも同じようで、男の動向を伺うようにしてじっと見据える。

 これは『喝』ではない。その存在感だけで俺たちに冷や汗をかかせている。


「あ、おじちゃん、ごめんなさい! あの、ボールを取ってくれませんか?」


 恐らくあの子供はこの魔人のヤバさに気がついていないのだろう。

 一般人相手にするように謝ってボールを取ってくれないかと伺っていた。だが、俺たちの内心は穏やかじゃなかった。

 鞠なんか構っている場合じゃない。一刻も早くこの場から逃げろと叫びたいが、それを言ってあの魔人を怒らせてしまったら大変なことになってしまう。


 なるべくここは魔人の神経を逆撫でしないように務めるべきだ。


「坊主。この鞠は坊主のか」


「はい!」


「いい、鞠だなぁ」


 静かに言うと魔人は左手につけていた手袋を外すと、素手で地面に落ちた鞠へ触れ、そして――


「あっ」


 男の子が小さく声を漏らした。

 魔人が鞠へ手を触れた瞬間、その鞠は砂化してしまい、そのままさらさらと風に飛ばされて消えてしまった。

 そのあまりの光景に俺とマナも息を呑む。そして持ち主と思われる男の子が涙を浮かべた。


「鞠、そんなものはここにはない。俺の顔面を直撃した鞠なんてどこにもない」


 俺とマナが魔人の神経を逆撫でしないようにと気を使っていたのは完全に無駄だった。なにせ、魔人はもう既に鞠が顔面に直撃した瞬間からブチギレていたのだから。

 これはマズイ。


「おい、坊主。鞠を蹴ったのはどいつだぁ」


 子どもたちはあまりの威圧感に言葉を発することも忘れ、誰も口を開くことはできなくなっていた。

 だが、子どもたちは正直で、徐々に視線が一人の男の子に集まっていった。

 つまり、あの鞠はあの子が蹴ったということなのだろう。

 となると、あの子が危ない。


 理解したときには既に魔人は俺たちの眼の前には居らず、視線が集まった男の子の前に一瞬で移動して男の子へ手を伸ばしていた。

 あまりにも速すぎる。今のブレスレットの制限じゃ反応することが出来なかった。

 だが、隣に居たマナは反応することが出来ていたようで、男の子の眼の前に移動した魔人に横から迫り、そしてマナはその魔人に真横から飛び蹴りを繰り出し、魔人を蹴り飛ばしてしまった。


「はぁ……はぁ……君たち逃げなさい!」


「で、でもぉ」


「早く!」


 マナのあまりの剣幕に気圧されたのか、子どもたちはこの場から慌てて逃げていった。

 これで子どもたちが攻撃されるという心配はなくなった。だが、問題が出来てしまった。

 一番最悪なのだが、こともあろうにこの街中で魔人と戦う羽目になってしまったということ。俺たちはこうならないために人気のない場所にまで移動しようとしていたのだが、それももう叶いそうにない。


 俺もブレスレットを本気ギリギリのラインにまでダイヤルを緩める。


「エシュド、作戦変更よ。今私たち二人であいつを倒すわ」


「でも、大丈夫なんですか? 全盛期の力はまだ戻っていないんですよね?」


「そうだけど、それでもこの前、ガルガとかいう魔人と戦った後、結構力が戻ってきたのよ。多分、必死に戦ったからだと思うわ。だから、あの時よりも今の私は強いわよ」


「了解です。それじゃあ、やりましょう」


 魔人相手だからといってまた今回も俺は切り札(カード)を容易に使うわけには行かないし、ユイたちと戦っている時と違ってカルマ・エルドライトになるわけにもいかない。

 なにせ、マナはカルマがトラウマになっている。下手にカルマになるとマナは脱兎のごとく逃げ出してしまうかもしれない。


 魔人と戦う時は賢者が戦うにしても戦力が多いに越したことはないからな。マナにも一緒に戦ってもらいたい。

 だから、絶対に賢者であるということは明かさない。


「はぁ、お前ら、俺が魔人だということに気がついてるなぁ? しかも俺を蹴り飛ばした、これは相当な力が無いと出来ないことだ……この街は強者が多いとは聞いていたが、まさかこれほどとはなぁ」


 どう来る?

 魔人は立ち上がり、俺とマナの様子を交互に確認し、右手の手袋も外した。

 さっきの様子を見るに、素手で触れたものを砂化できるみたいだけど、そんな魔法は今まで一度も見たことも聞いたこともない。

 つまりあれは恐らく切り札(カード)だ。


 ついこの間も初見殺しの様な切り札(カード)を見たばかりなんだけど、また凶悪な初見殺し切り札(カード)だ。しかも、触れたら一瞬でアウトと言う凶悪な効果。


「俺は魔人、ハイド・バッカス。逃げるなら今の内だ。もし俺の邪魔をするというのならば、死を覚悟することだ」


「普段から死に直面しているような状態だもの。今更ね」


「あぁ、死の覚悟ならとっくの昔にできている」


 嘘だ。

 こんな場所で魔人と戦う覚悟なんて出来ているわけがない。しかも、前の戦いのダメージがまだ残っているというのに、また新たな魔人。

 今回の戦いは制限が多すぎて戦いにくいったらありゃしないが、ここはルリハの大切な故郷なんだ。この街をめちゃくちゃにさせるわけには行かない。


 瞬間、俺の眼の前にハイドが迫ってきていた。

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