1-1『刺激を求める旅人』
ここは街から遠く離れた森。
木々が生い茂り、心地よい風が辺りを包み込む。ここはそんな居心地の良い場所だが、かなりの危険地帯なため、人が訪れることは無い。
理由として一番に挙げられるのは、ここが危険な魔物の巣窟となっていることだろう。街の人々には、この森に入ったら二度と出られないことから『死の森』と呼ばれている。
魔物とは基本的に人に危害を加える生き物で、動物に非常に似ているが、似て非なる生き物だ。その体には基本的に人体に有毒である魔素を含んでいるため、安易に口にすると人体にある魔力回路が破壊され、魔力が暴走して自滅するという死を迎えることとなる。
そんな危険な魔物は国から駆除命令が出ていて、冒険者たちが退治したりしているのだが、この森は如何せん街から離れすぎているため、放置していてもそんなに被害はないだろうという考えの元、滅多に冒険者すらも立ち寄らない場所だったりする。
だって、街からここまで来るの面倒だもんな。馬車だって通っていないし、歩いてきてまでこんな危険な森に入りたがるバカはどこにいるって話だ、ハハハ……。
――俺だ。
俺はこの危険な死の森の話を半年ほど前に聞き、それはそれは目を輝かせたものだ。
通常、街から死の森の距離は歩くと約五日はかかる距離。馬車は通ってないが、もし馬車なら大体二日位か。だが、俺が走れば一日位で着くから街との行き来は困らない。昔、父さんに「馬車より速いとは何事!?」と驚かれたりもした。
仕方がないだろ? 実際に馬車に乗るより速いんだから。
それに非常に退屈していたというのもあって刺激が欲しくてこの森に来たのだ。
最初こそは未知との出会い、強い魔物たちに期待していた。だが、一ヶ月経った辺りからここの魔物たちの対処も慣れてきてしまって、今では昔と同じ、退屈する日々を送っていた。
だが、今の生活は嫌いでは無い。魔物は頻繁に襲ってくるけど、そんなに脅威足り得ない。
そのため俺は今現在、刺激探しの旅の最中ではあるが、ここで悠々自適なスローライフを満喫中である。
魔物の声は響くが、街とは違ってだいぶ静かで穏やかな場所だ。かなり気に入っているのだが、今日は違った。
「あんた、これ解きなさいよ! 聞いてるの? ねぇ!」
非常にうるさい。
俺の背後から甲高い絶叫にも似た声が聞こえてきて、あまりの鬱陶しさに眉をしかめながら背後を振り返った。
そこには紫色のつやつやした髪を持ち、その頭からは左右に向かって立派な角が生え、立派な黒い尻尾を持った少々幼げに見える位の少女がロープにぐるぐる巻きにされて倒れていた。
誰がこんな幼気な少女に酷いことを――あ、俺だったわ。
昼飯を食うという俺のリラックスタイム中に突如空から魔法をぶっぱなしてきたから返り討ちにしてロープでキツめのぐるぐる巻きにしたのだ。
この少女に生えているあの角は魔族の証だ。人の姿形をしているが、種族としては人間とは全く異なり、どちらかと言うと魔物に近い肉体構造をしている。
基本的に力が人よりも強く、保有魔力も人よりもかなり多いとされている。正確にどのくらい多いのかは定かではないが、昔見た文献ではそう書いてあった。
それにしても、久しぶりに魔族を見た。
色んな場所を旅してきて色んな魔物と戦ってきたが、魔族は巧妙で知恵も働くため、滅多に人前に姿を見せないことで有名なのだ。
だからこうして捕縛出来る機会もそうそう無い。
「な、何よ。じっと見て」
しかし、見れば見るほど美少女だ。魔族は基本的に容姿が整っているっていう話も聞いたことがあるし、魔族はもし人間だったならモテていたことだろうなと、今この場に似つかわしくないことを考えてしまう。
「も、もしかしてあなた、私に惚れたのかしら? そ、それならちょっとサービスしてあげるから、速く解いてくれるかしら?」
「いや、それは無い」
「そ、即答!?」
美少女だとは思うが、恋に落ちるかと聞かれたら別問題だ。
それよりも俺は少し気になっていることがある。そのため、俺は彼女の体をじっくりと観察していた。
すると少女は顔を赤くして身を捩り始めた。
「ちょ、ちょっと……どこ見ているのよ」
「いや、魔族って食ったことないからどんな味がするんだろうなって」
「ば、バッッッッッッカじゃないのっっっっっっっ!?」
「え、うっさ」
今日一番の絶叫を上げ、今日一番の抵抗といわんばかりにジタバタと暴れ始める魔族。
その顔はつい数秒前まで赤くなっていたが、今はサーっと血の気が引いているように見える。
「ま、魔物を、それも魔族を食べるとか正気!?」
「俺の趣味の一つは魔物を狩って食べることなんだよ」
「魔物を食べるなんてどうかしてるわ……。そもそも魔物には魔素があるはずでしょ? 魔力回路がない私達魔族ならいざ知らず、人間が魔物を食べたら普通死ぬわよ」
「確かに魔物には魔素があるが、魔素を取り除いてしまえば後は人間も食べられる可食部だけが残る。魔物ごとにその魔素がある場所は異なるが、適切に処理すれば問題ない」
そこまで説明すると魔族はまるで変態を見るかのような引き気味の目を向けてきた。
「あ、あんた、まさか全ての魔物の調理法を頭に入れてるの?」
「そうだが」
「イカれてる……イカれてるわ……。この世界にいったいどれだけの魔物が居ると思ってるのよ……。そ、そもそも! あんた達人間と私達魔族って見た目はかなり酷似してるじゃない! そんな相手を食べるって罪悪感とか何も感じないわけ!?」
言われて改めて魔族のことを見てみる。
確かに、見れば見るほど人間に見えてくる肉体構造してるんだよな。角としっぽさえ無ければ完全に人間だと言っても過言では無い。
これを食べるのはちょっと嫌かもしれない。一応覚えはしたんだが、この知識は破棄した方が良さそうだ。今後使うこともないだろう。
「魔族は脳、心臓、腎臓、膵臓、胆嚢、肝臓に魔素が存在し、魔素が漏れ出さないようにそれを適切に処理すれば――」
「やめて、本人の前で調理法を唱えないで!?」
真っ青な顔をして懇願してくる魔族。
まぁ、これで食事中に急襲してきた仕返しは出来た。心に相当なトラウマを植え付けてしまったかもしれないが、別に魔族のことを俺が気にかける義理はないだろう。
とりあえずかなり大人しくなってくれたので、俺は食事を再開する。
今日のメニューはドラゴンモドキのスープ。
こいつもついさっき襲いかかってきたため、昼飯に丁度いいと思い、丸焼きにして倒したのを調理してスープにしたものだ。
この間、初めて試した魔物だが、こいつの肉がかなり絶品だ。肉は柔らかくて油もしっかりと味が濃く、甘くて濃厚なのだが、後味は決してしつこくない。
これなら普通に安い動物の肉を食うよりも、危険を冒してこいつを狩って食うことを選ぶくらいだ。
「ねぇ、もしかしてそれの食材」
「ドラゴンモドキ」
「あんた、それAランクの魔物よね。普通に狩って調理して食べてるって……あはは、私も運がないものね」
魔族がもう泣きそうになっている。
正直もう無力化したし、なんだか意思疎通ができるからこのまま殺すのも可哀想になってきてるんだよな。
かと言ってこのまま逃がすのも良くない気もするが……。
「そもそも、なんでこんな魔王軍の領地に居座ってるのよ! 部下から救難信号が届いたから何事かと来てみればこんな化け物が居るし!」
「そっか、ここは魔王軍の領地だったのか。つまり、俺は侵入していたって訳か」
「そうよ! もう殺されるだろうし開き直るけど、あんたのせいで魔王軍はかなり混乱しているんだからね! 多くの魔物を送り込んでも一瞬でやられたとか、食われたとか! そんな事があるわけないと思ってたら全て本当みたいだし! もうヤダ〜」
魔族と言えどもじたじたと暴れながら泣き喚く様は人間の子供とほとんど変わらないな。
なんだか心が痛い。すっごく申し訳ない気持ちになってくる。
まぁ、本来なら国から駆除命令が出ている魔物だし、こんな話を聞かずに処分するべきなんだと思う。
でも、なんだかいたたまれなくなってきたから解放してあげることにした。
「あー、その、悪かったな……。早めに出て行くことにするよ」
「ほ、ほんとー……? ぐすっ」
こんな少女を泣かせて、俺が悪者みたいだ。いや、この少女からしたら悪者以外の何物でもないんだけども。
仕方がない。もう少しこの森に居るつもりで小屋も建てたけど、次の場所へと移動することにする。
その前に色々と俺が作り出したものを片付けなければいけないため、俺はここで作りだした小屋や作業台へ手のひらを向けた。
魔法はイメージだ。イメージを膨らませて身体中の魔力回路を通じて手のひらに魔力を送り込み、手のひらに集まった魔力を魔法に変換して放出。
「爆発したらごめんな〜『ファイアボール』」
「へ?」
俺の手のひらから射出された小さな火球が俺の作り出したものに直撃したその瞬間。
ズドーン!
着弾点から大きな炎柱が発生し、俺の作り出した小屋や作業台を巻き込んで粉々に焼き尽くしていく。
なるべくこの森に影響を与えないように出力を調整したつもりだけど、まだちょっと威力が高すぎたかもしれない。
この森を燃やし尽くしてしまう前に消火する。
少し地面の葉っぱが焦げてしまったけど、この位なら許容範囲内だろう。今回は最小限に抑えることが出来た。
前に一度、森を全焼させちゃったことがあったからな。あの時は森が一夜にして消失したとして国中大騒ぎになったっけな。
あれから反省して出力調整の練習をしているんだけど、威力に関しては申し分ないんだが、手加減が苦手なんだよな。
「な、なにその威力。ふぁ、ファイアボールってそんな威力出たっけ!?」
「熟練度の問題じゃないかな。練習したらどんな魔法も最低でも上級魔法位までの威力にはなるよ」
「どこの世界の常識よ!」
振り返って魔族を見てみると再び顔を真っ青にしてわなわなと震えていた。
どうやら怯えさせてしまったらしい。
まぁ、賢者達もファイアボールをここまでの練度にしてる人は居なかったからな。ちなみに俺は魔法がどんどん強くなっていくのが楽しくてどの魔法も満遍なく特訓している。
今思うと器用貧乏になってないか心配だが、今の所は威力的にそこまで困ってない。ただ一つ困っていることと言えば、出力調整の特訓を忘れていたせいで出力調整が非常に苦手ということだ。だから前みたいに森を消滅させる結果に繋がってしまうのだが。
「よし、解くからじっとしてろよ」
「こ、怖いわね。近づいてきてその腰に下げている剣でサクッと首を飛ばしたりしない?」
「…………」
「な、なんで無言なの? もしかして、本当にやるつもり!? じょ、上等よ! わ、私を舐めるんじゃないわよ! こう見えても私、かなり強いんだから! ぴゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
腰の剣を手に取ると情けなく悲鳴をあげた魔族だったが、俺はもう殺す気など更々無かったため、普通に剣でロープだけ斬った。
無言でやった理由は反応が少し面白かったからだ。
ロープから開放されたのを確認すると、魔族は俺から一気に距離をとる様に上空へ飛び上がってはぁはぁと息を切らしていた。
「く、くぅ……受けたこの屈辱、必ず返してやる! いい? 首を洗って待ってなさいよ! 名前を覚えておいてあげる! 名乗りなさい!」
「えぇ……」
そんなに名乗りたくないんだけどな。
だって、俺はこの身分を隠して世界中を今逃亡している最中だし、世間的に俺は死んだことになってる可能性も高いから今、生きてるってことがバレると大騒ぎになるんだよな。
そしたら退屈なあの日々に逆戻り! それだけは嫌なんだけど……まぁ、魔族が人間にそれを伝える可能性も低いか。敵対してるし、伝えようと人里に降り立ったら真っ先に攻撃対象になる。
魔族にバレても別に支障はないな。
「カルマ・エルドライトだ」
「そう、カルマ・エルドライトね! 覚えたわ! 私の名前はマナ・デストラーラよ。覚えておきなさい!」
「そっか、マナ・デストラーラか……ん? 魔族に苗字?」
「それにしても、カルマ・エルドライトっていう名前どこかで……カルマカルマカルマカルマ……っ! か、か、かかかかかかかかかかかかかかかかかかかかか」
俺の名前を聞いてバグった魔族だったが、そんな事今の俺にはどうでもよかった。
今、こいつは爆弾発言をした。
基本、魔族には苗字という概念は存在せず、名前だけなのだが、こいつは今苗字を名乗ったな。
苗字は基本的に襲名することになってるはずだし、苗字を持っているのは確か魔王だけだったはずなんだけど……もしかして、こいつ魔王だったりする?
久しぶりに見て捕縛した魔族が魔王だったの? それ、どんな確率だよ! ちょっとこのあとすぐに賭け屋に行った方がいいかもしれない。
というか、魔王って魔物に指示して人間を襲わせてるんだよな。解放しないでやっぱ殺した方が良かったかもしれない。
「あんた、もしかして賢者!?」
「あ、知ってたんだ。魔族にまで知れ渡っているとは俺も有名になったな。うんうん」
「当たり前よ! というより、なんでこんな所にいるのよ! 本当に最悪! あんた、死んでなかったのね!」
「まぁね~。ところでさ、やっぱりその首貰って行っても良いかな?」
「ひぎゃあっ! じ、自分で解放しておいて今更何よ! もう絶対のぜーったいに近づかないから! あんたの近くには絶対に行かないから! へ、へんっ! 人間は空を飛べないからこっちに来れないでしょ。来れるもんなら来てみなさいよ!」
安っぽい挑発だな。
そこも充分俺の射程範囲内なんだけどな。米粒くらいにしか見えない距離まで飛び退いたから安心してるみたいだけど、魔法を使えば普通に攻撃出来る位置に居るって気づいてないのか?
でもまぁ、今回は諦めよう。あれの首にかかってる賞金は非常に惜しいけど、魔力の波長は覚えたし、倒そうと思ったらいつどこに居ても捕まえに行けるしな。
「じゃあ、とっととどっか行きなさいよ! この死に損ない賢者!」
そんな捨て台詞だけ残して魔王は空の彼方へと飛び去って行ってしまった。遠くから微かに「うわーん! 賢者に名前覚えられちゃったよぉぉ」と泣き言が聞こえてくるので、大変締まらない魔王様である。
一つ訂正したい。別に俺は死に損なっている訳では無い。死にそうになった経験も別にない。
「俺はただ、刺激を求める旅人って言うだけなんだ」
誰に聞かれているという訳でもないのに、俺は虚空に向かって訂正の言葉を吐いた。