平民令嬢は幻の第三王子の婚約者
「レオニックさま、今日もよろしくお願いします」
「よろしくな、カーミラ。今日は王国史の勉強をするか」
わたしが明るく話しかけるのは王国騎士団第二部隊副隊長をしている騎士、レオニックさま。
毎週王立図書館でレオニックさまと勉強会をするのが習慣となっている。
レオニックさまはわたしと同じ平民出身でありながら、実力で騎士学校に主席で入学し卒業した天才騎士。
平民出身の騎士は珍しく、騎士団に入れたとしても副隊長までなった人は王国史の中でも数少ない。
そんな天才騎士レオニックさまは何故かわたしに勉強を教えてくれる。
多分それはわたしも同じ、平民出身だからだ。
「ここは難しいから手こずるのも無理はない」
「すみません……」
「よし、一旦休憩しようか」
「はい……」
「落ち込むな、ちょっと待ってろ。資料を持ってくるから」
「それなら、わたしが持ってきます」
レオニックさまはわたしがへこんでいると、わたしの頭を優しく撫でてくれる。
資料を取りに行くのは恥ずかしくて逃げるための言い訳だ。
こんな調子じゃダメなのに……。
レオニックさまと一緒にいると、どうしても気を許してしまう。
やはりそこは平民だということが影響してしまっているのかもしれない。
だけど本当はレオニックさまとこんなふうに頻繁に会うのはダメな身分なのだ。
わたしは公爵令嬢で第三王子殿下の婚約者。いくら平民出身だからといえど、守らなければいけないことはわかっている。
なのにレオニックさまのことを好きになっていくわたしがいる。
「ううん、この想いは捨てなくちゃ」
資料を探し出し手に取ってレオニックさまのところに戻る。
探すのに手間取ってしまい、駆け足で戻った。
するとレオニックさまはテーブルに突っ伏した状態で静かに寝ていた。
やっぱり疲れているんだよね。
だって副隊長として王太子殿下の警護をやっていて、週に二度しかない休日の一日をわたしのために割いてくれている。
普通なら二日休めるはずなのに、一日しか休めていない。
勉強会ももうやめた方がいいのかも。
レオニックさまも疲れが溜まっているだろうから。
そんなふうに思うのに、何故かやめましょうと言えない。言いたくない。
婚約者がいるのに他の男性を思っているなんて、人として最低だ。
「今日はお休みしましょうか」
資料をテーブルに置き、ぼそっとそう呟くとわたしは少し離れた場所に移動した。
レオニックさまが少しでも休めるようにするために。
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「あの子でしょ、平民出身の公爵令嬢って」
「公爵様もどうかしているのではなくて」
「でも話によると公爵様のもう一人の令嬢を第三王子の婚約者にしたくないから、わざわざ愛人だった人の娘を養子にしたそうよ」
所詮は噂だ。
そう思いつつもわたしの心に負荷がかかる。
「でもいくら平民だといえど、幻の第三王子の婚約者になるのは可哀想よね」
陰口として聞こえていた根も葉もない噂。
最初はわたしを貶めるような噂しか流れていなかったけれど、わたしと第三王子の婚約が発表されると同情の声もちらほら聞こえてきた。
幻の第三王子とはわたしの婚約者。
だけどわたしも第三王子殿下にはお会いしたことがない。
何故幻と言われているのかは、第三王子は不治の病に罹っており表舞台に姿を現したことがないからだ。
だけど使用人には冷たく当たり、暴言を吐き暴力を振るっているなどの噂まである。
噂だけれどそんな噂をされる人物の婚約者になりたがる令嬢はいない。
そんななか白羽の矢が立ったのがわたしだ。
国王からの直々の願いだからということでお父さまは断ることができず、わたしが選ばれたというわけだ。
「それにしても婚約披露パーティーだというのに、第三王子は来ないのね」
「いくらなんでも可哀想よね」
わたしの婚約披露パーティーは婚約者のいない中で始まり、そして終わった。
「これなら平民のままだった方が幸せだったかも」
パーティーが終わり他の貴族の人たちが帰るなか、わたしは庭園のベンチの座りそう呟いていた。
不敬ではあると分かっていながらも、そう呟かずにはいられなかった。
どうせ誰もいないわけだから。
「なんでそう思うんだ?」
急に後ろから声がして、わたしは振り向く。
そこには剣を携えた騎士さまがいた。
「い、今のは聞かなかったことに!」
「あー、大丈夫、大丈夫。オレ、口堅いからさ」
そうにこやかに笑いながら言ったのがレオニックさまだった。
これがレオニックさまとの初めての出会い。
そこでわたしはレオニックさまに不満を打ち明けた。
婚約披露パーティーで婚約者である第三王子が来なかったこと、他の貴族たちからの貶しや同情、この先結婚したときへの不安、第三王子の噂から来る恐怖。
そんな婚約に対することを告げる。
そのあと、学園でひとりぼっちなことや勉強に追いつけないこと、平民から貴族になったことでの周囲の変化など、今まで打ち明けることのできなかったことを何故かそのとき初めて会ったレオニックさまに全て告げてしまった。
泣きそうになりながら不満や不安を言っていた。
多分レオニックさまからしたら最悪な第一印象だったと思う。
「どうだ? 言いたいことを全て言えた感想は?」
「意地悪ですね」
レオニックさまはわたしを慰めるわけではなく、茶化すような感じで聞いてくる。
だけどそのときの顔は忘れられない。
だって月の光に当たり輝く黒髪と真剣にわたしのことを見てくれる黒い瞳、そして少し嬉しそうにしている顔。
この人は何故こんな顔をできるのだろう。
そう思ったからだ。
「ありがとうございます、話を聞いてくれて」
「どういたしまして」
そう言ってレオニックさまは王宮に戻る。
そして最後にこう告げた。
「泣いてたら、綺麗な銀髪も碧眼も顔も台無しだぞ」
そう言われたとき、わたしは小声で「ばかっ」と言ってしまった。
きっとそれはレオニックさまには伝わっていないから、それが救いだろう。
それにそのときの顔は自分でもわかるくらい真っ赤だったと思う。
だって顔がとても熱かったから。
そしてこれがわたしの初恋でもあった。
その後、わたしは自分の力でレオニックさまのことを調べた。
そして王国騎士団第二部隊副隊長をしていることを知り、お礼を言いにいった。
そこから勉強を教えてくれるようになり、今の関係になったというわけだ。
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「カーミラ!」
「レオニックさま、おはようございます」
レオニックさまは少し慌てた様子でわたしの元に来た。
わたしは少しおかしいなと笑いそうになりつつも、起きたばかりのレオニックさまに挨拶した。
「起こしてくれれば良かったのに」
「あまりに気持ち良さそうに寝ていたので。それに疲れが溜まっているのでしょう?」
「そんなことは……。まあ疲れていたのは事実だな」
「今日はもうお開きにしましょうか」
「すまないな、勉強をあまり教えることができなくて」
「いいえ、そんなことありません。毎週教えてくれること、嬉しく思っています」
「それならよかった」
そしてこの日の勉強会はお開きとなった。
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勉強会から二日後、わたしと第三王子の結婚式の日程が決まった。
わたしがまだ学生という身分だったから普通よりは結婚をするのが遅れていたと思っていたのだが、どうやらお父さまがまだ早いからと止めておいてくれたらしい。
けれどそれにも限界が来てしまい、二週間後に結婚式を執り行うこととなった。
わたしはちょうど良かったと思いつつも、とても悲しく悔しくなった。
だってもうレオニックさまとの勉強会もできなくなり、この想いも本当に捨ててしまわなくてはならなくなってしまったから。
そのままトントン拍子にことが進み、結婚式当日となった。
わたしの口から直接結婚することを告げれなかったのはとても心苦しい。けれどどこかで耳にしているはずだ。
最後に思ったのはあの日の勉強会、レオニックさまを起こしてもっと話しておけば良かったな、と。
お父さまから当日に聞かされた。
今日は第三王子殿下が来ていると。
初めての出会いが結婚式なんて、と思ってしまったが仕方がないことだ。
わたしはウエディングドレスを身に付けて、式場に入った。
バージンロードの先には、黒髪に黒い瞳の男性が立っていた。
一緒に入場していたお父さまから離れて、わたしはウエディングドレスのまま走り出し、男性に抱きついた。
「なんで、言ってくれなかったんですか」
「嬉しいか?」
「はい! とっても、嬉しいです!」
ちょっと意地悪っぽく言う男性、それはわたしの初恋の人。
レオニックさまだ。