孤島
あゆみは、やっとの思いで到着した島の、建物を見上げた。
三時間の航海の末にたどり着いたのは、まさに絶海の孤島と言うのに相応しい貫禄を持つ建物だった。
回りには、何もない。
大きな船すら近くに付ける場所がなく、乗って来たフェリーからは小さな船に乗り換えて、そして小さな桟橋に上陸するしかないほどだった。
しかし、ビーチは美しい砂浜で、そこから頑張って坂道を登った先には大きな鉄の扉があり、そこを入れば静かなイングリッシュガーデンが広がっていて、そこを石畳に沿って歩けば、大きな建物の入り口が見えた。
ホッと息をつくと、そこまで案内して来てくれた、初老の黒髪の凛々しい外国人の男が、言った。
「ここまでお疲れ様でした。ここが、皆様に働いて頂くホテルとなります。ご案内致します。中へどうぞ。」
皆は頷いたが、ここまでの坂道で息が上がっていて誰も声は発しなかった。
案内人の男は、ステファンという名前だった。
港からここまで、自分達を案内して来てくれたが、こちらは全く疲れた様子はない。
ぞろぞろとステファンについて入り口を入ると、中はきちんと空調が聞いていて、暖かかった。
最後尾の背の高い男が扉を閉じて、そこでステファンは皆を振り返った。
「ここは、玄関ホールです。正面の階段が、上につながる物で、皆様の居室は二階三階に分かれてあります。四階以上には入らないでください。後程ご案内します。ここを向かって左に行くと、リビングがございます。どうぞ、まずはこちらへ。」
ステファンは、流暢な日本語で言う。
恐らく日本で生まれて育った人なのだろうと思われた。
廊下を抜けて正面の扉を抜けると、そこは広いリビングになっていて、大きな窓からはさっきの中庭の、イングリッシュガーデンがこれでもかと見えた。
正面の壁には暖炉があって、その上には金時計が鎮座していた。
天井からはこの洋館風の建物には不似合いな大きなモニターが吊り下げられてあり、テレビなのかと思ったが、薄い板のような感じなのでそうでもないように思う。
その下には、小さなソファが円を描いて置いてあり、また不釣り合いなホワイトボードが置いてあった。
ステファンは言った。
「ここで、こちらでの生活について運営者よりご説明致します。お荷物はそちらに置いて、お好きなソファに分かれて座って頂き、ソファの上にある腕時計を腕に巻いてください。」
全員が、言われるままに荷物を隅に置くと、思い思いのソファへと向かう。
そして、その上に置かれてあった、銀色の腕時計を手にした。
あゆみは、それを左手に装着すると、その腕時計は自動的にぐっと締まって手首にぴったりくっついた。
全員が座って腕時計を着けたのを見てから、ステファンは言った。
「…では、私はここまでです。これより、担当者が今回の社会実験についてご説明致しますので、そのまましばらくお待ちください。ちなみに、今腕につけられた時計に番号がついていると思いますが、それがそのまま皆様の番号となり、お部屋もその番号の部屋に入って頂きますので、終了までご自分の番号をお忘れにならないでください。では、私はこれで。」
「あ…、」
誰かが、声をかけようとしたが、ステファンはさっさと出て行ってしまった。
取り残されて、あゆみは困惑したまま、両隣りの愛里と伊緒を見た。
この二人は、来る途中の船の中で仲良くなった子達で、同い年の21歳だった。
「…愛里ちゃん、伊緒ちゃん、疲れてない?」
あゆみが言うと、愛里が答えた。
「ちょっとだけ。破格のバイトだからってクリスマスも諦めて来たけど…ほんと、こんなに遠くに連れて来られるなんて思ってなかったなあ。」
あゆみは、頷いた。
「だよね。」と、腕時計の箱のような所に刻印されている、番号を見た。「私は9番だ。二人は?」
伊緒が答えた。
「私は10。愛里ちゃんは8?」
愛里は、頷く。
「うん。番号順に並んでるんだね。部屋も隣りだろうな。」
そんなことを言っていると、向こう側に座っている、男性が言った。
「なあ、船で話した人達は良いが、全員と話したわけじゃないだろう。自己紹介しないか。これから10日も一緒なんだ。ここでは下の名前しか使わないって聞いてるから、下の名前だけ言うな。オレは明生。1番だ。この社会実験に参加したのはいい金になるからだ。よろしく。」
すると、隣りの若い男が言った。
「え、順番にやる感じ?僕はカイ。カタカナでカイだよ。大学一回生で18歳。僕もすごくいいバイトだなって思って参加した。だって、1日10万円でしょ?10日で100万円だよ。」
隣りの男が頷いた。
「年末年始を犠牲にしても良いと思うよな。あ、オレは3番、和人。でも、働いた日数だけとか書いてたよな?社会実験に参加してるんだから、参加してる間は働いてることになるんじゃないのか?」
その隣りの、少し落ち着いた男が言った。
「書いてた。どういうことかはまた説明があるんじゃないのか?オレは4番、景清だ。変わった名前だからすぐに覚えてもらえるだろ。よろしく。」
その隣りは、おとなしそうな女性だった。
「ええっと…私は5番、杏奈です。大学三回生です。」
あゆみは、思わず言った。
「あ、同い年?」
愛里も伊緒もウンウンと頷く。
杏奈は、ホッとしたように微笑んだ。
「人見知りで…同い年の人がいて嬉しいです。仲良くしてください。」
だから船でも一人で座ってたのか。
あゆみは、早く話しかけてあげれば良かった、と思った。
その隣りの大柄な男性が言った。
「オレは6番、昌平です。大学四回生で、就職決まってるし、単位足りてるし、暇だから最後に稼ごうと思って参加しました。よろしく。」
隣りの男性が言った。
「お前、でかいなあ。なんかスポーツやってたのか?あ、オレは7番、一輝。会社員だ。歳は28。」
昌平が答えた。
「ちょっと中学からラグビーやってて。社会人になったらやめるつもりだったから、もう引退してますけどね。」
ラグビーかあ。
だろうな、と皆がウンウンと頷いている。
愛里が、緊張気味に言った。
「私は8番、愛里です。大学三回生です。学部とか言うべき?」
愛里は、あゆみを見る。
あゆみは、急に振られたので驚いた。
「え、え、どうしよう。」
カイが言った。
「言いたかったら言ったら良いんじゃない?」
そういえば、みんな言ってない。
愛里は、言った。
「ええっと、あの、経済学部です。以上です。」
言わなきゃなの?あゆみは、焦って言った。
「ええっと、私は9番、あゆみです。国際文化学部です。三回生です。よろしくお願いします。」
なんか、たどたどしくなってしまった。
あゆみは後悔したが、誰も気にしていないようだ。
伊緒が言った。
「私は10番、伊緒です。三回生です。看護学部です。よろしくお願いします。」
看護師さんなのか。
あゆみは、驚いた。
おっとりしていて、そんな感じではなかったからだ。
それには、向こう側に座っている、女性が言った。
「あら、看護師目指してるの?私は専門学校出てから看護師やってるよ。あ、16番、恵令奈です。歳は28なの。」
伊緒が、驚いた顔をした。
「先輩ですね!よろしくお願いします。」
伊緒の隣りの、男性が言った。
「へぇ、看護師が居るんなら何かあっても安心だな。あ、オレは11番、永嗣。会社員だよ。29歳。よろしく。」
こうして聞いていると、歳を言う人と言わない人が居る。
その隣りの、爽やかな若い男性が言った。
「オレは12番、元気です。工学部二回生で20です。よろしくお願いします。」
名前の通り打てば響くような元気そうな人だ。
と、あゆみは思った。
その隣りの女性が、言った。
「あら、うちの息子を思い出すわ、まだ小学生だけど。」と、笑いながら続けた。「私は13番、和美よ。一人息子を一人で育ててるんだー。今回は、実家に息子を預けて参加したの。来年息子が中学なんだけど、いろいろ物入りだし、あの子小さい頃から野球やっててね。また新しい用品揃えなきゃならないし、お金が必要なの。あ、私は33歳よ。もしかしたら一番年上かもしれないわ。」
だが、明生が言った。
「あ、オレ31歳だから。近いと思うぞ。」
すると、歳を言っていなかった和人も言った。
「オレも30。三十代仲間で頑張ろうや。」
和美は、苦笑した。
「ま、それでも私が一番年上よね。よろしく。」
隣りの男性が言った。
「オレも三十代仲間だぞ。多分オレのが上。34歳。」
あら、と和美は言った。
「あなた子年?」
干支?!
あゆみが驚いていると、その男性はすんなり頷いた。
「そう。君は丑?」
和美は頷いた。
「そう。じゃあ一個上ね。良かった、ホッとした。」
男性は、苦笑した。
「よろしく。あ、オレは14番、重久だ。会社員だが、まあ天涯孤独で帰る実家もないし、年末年始で稼げるなら行くかって軽い気持ちで参加した。」
その隣りの、寡黙な感じの男性が口を開いた。
「オレは、15番、尚斗。オレは会社員で、重久…さんと同じ34歳だ。こういう場は苦手なんだが、機嫌が悪いわけじゃないから、必要な事は話しかけてくれて大丈夫だから。」
重久は、笑って言った。
「重久でいいぞ。同い年なんだし。気を遣わないでくれ。」
尚斗は、笑って頷いた。
「じゃあ、オレのことも尚斗で。」
次は、恵令奈を飛ばしてもっと落ち着いた感じの男性だった。
「オレは17番、安治だ。多分、オレが一番年上。何しろ40だ。上の子供が来年高校生になるんだが、どうも私立高校になりそうな気配がしててな。中学一、二年遊んでて、三年生になって慌ててやったが内申点ってのがあってなあ。やっとそこそこの高校に学力は追い付いたが、同じレベルの公立校には内申点が足りないからって言われてて。せっかく心を入れ換えたのに、かわいそうだしその金稼いで帰ってやろうと思って。だから和美さんの気持ちはわかる。お互い頑張ろう。」
和美は、頷く。
「子供にだけは苦労させたくないもんね。頑張りましょう。」
それを聞いたあゆみは、自分の父親と母親のことを思い出した。
きっと、二人も無理して学費を出してくれているのだ。
感謝しなければ、と何やら身が引き締まる思いだった。
次は、若い女性だった。
「…私は、18番、佳純です。教育学部の三回生です。同い年の人が多いので嬉しいです。よろしくお願いします。」
ハキハキとした印象で、頭が良さそうな人だった。
あゆみは、同い年だし後でまた話し掛けよう、と思っていた。
その隣りは、さっき歩いている時からとても背が高いなあと思っていた若い男性だった。
「オレは、19番、公一です。体育学部の二回生です。よろしくお願いします。」
隣りの、男性が言った。
「お前はまた昌平と別の意味でデカいな。体育学部だからか?」
公一は答えた。
「オレは中学の頃からバレーボールをやってて。身長192センチあるんで、皆にデカいと言われますね。」
頭一つ抜けてたもんなあ。
あゆみは、こうして座っていたらそこまで大きいとは感じなかったが、192センチと聞いて目を丸くする。
男性は、苦笑した。
「マジか。あ、オレは20番の拓郎、会社員で30歳だ。今年のボーナス少ないって早くから噂があってさあ。どうやって生き残ろうと思ってたら、このバイトが目に入って。現金支給だって言うし、いいかなって思って。で、やっぱりボーナス出たけど少なかったから、やっぱり来て良かったと思ってるよ。よろしくな。」
みんな、それぞれこのバイトに賭けて来たのだ。
あゆみが思っていると、真っ暗だったモニターがパッと青い画面を映し出して、そこから声が流れて来た。
『ようこそ、社会実験の場へ。これから、ここでの生活のご説明を致します。』
全員が、モニターを見上げた。