愛を試すのもほどほどに~殿下は氷の令嬢の心をどうしても知りたい~
「なあ、ロッシェ」
何やらずっと悩み塞ぎ込んでいた我が主人ガトー殿下が俄にクルッと私の方に顔を向けてこられました。
「何でしょう?」
「イアリスへの贈り物は何が良いと思う?」
まあ、殿下の悩みの種などイアリス様の事しかありませんね。
イアリス様とはクーム伯爵のご息女で、ガトー殿下の婚約者として選ばれたご令嬢です。政略結婚ではあったのですが、殿下はお見合いの席で彼女に一目惚れしたのです。
「ああ、寝ても覚めてもイアリスの事が頭から離れんのだ……いや、風呂でも食事でもトイレでも、なんなら息をしても彼女が気になる」
いえ、一目惚れなど生ぬるい表現でした。
一目ベタ惚れと言うべきですね、これは。
「今この時、私と同じようにイアリスも呼吸をしているのかと思うと運命を感じる」
「生きとし生けるものみな息をしていますが、殿下の運命の相手が余りに多すぎやしませんか?」
「ロッシェ、それは不粋と言うものだ」
私の迂闊な指摘に殿下が僅かにムッとされました。従者たる者なら主人の意を汲むべきなのかもしれませんが、どうにも私は一言余計なようです。
「お前からは私がさぞ滑稽に見えるだろうな」
自覚はあったのですね。
「だが、それでもロマンは大切だ」
「ロマン……で、ございますか?」
「そうロマンだ!」
立ち上がり両手を大仰に広げる殿下の芝居じみたお姿からは想像できませんが、こんなでも普段は沈着冷静な良く出来たお方なんですよ。ホントに。
「ロッシェとて好きな相手が自分と同じ事をしているのではないかと想像するだけで胸が高鳴るだろう?」
それは想像ではなく妄想では?
「さあ、お前も自分の好きな相手を思い浮かべてみろ」
そう仰られても私には懸想する相手はおりませんが?
「食事をすれば彼女は同じものを食べているだろうかとか、風呂に入れば今ごろ彼女も風呂に入って……グフッ……トイレでは……ゲヘヘヘ……」
「変態ですか」
ホントに普段はご立派な王子なんですよ?
まあでも、イアリス様がお相手では致し方ございませんか。
氷のように白銀に輝く髪、清涼感のある澄んだ青い色の瞳、抜けるような白い柔肌はまるで汚れのない白雪――数々の男性を惑わしてきた絶世の美少女なのですから。
物静かで振る舞いも落ち着いていて美しい。
学園での成績も優秀と聞き及んでおります。
顔良し、頭良し、性格良しの天から何物も与えられた奇跡のご令嬢――それがイアリス・クーム様なのであります。
だからこそ伯爵令嬢でありながら未来の王妃候補として抜擢されたわけですが。
唯一の欠点は作り物の如く完全な無表情。
白い外見と感情の温度を感じさせない美しい顔から付いた通り名が『氷の令嬢』。
殿下と婚約するまでは、誰がその氷を溶かすのかが社交界でぶっちぎりのホットな話題でした。
「ああ、イアリス、イアリス、イアリス、イアリス、イアリス!」
「また発作が」
「イアリス、君はどうしてイアリスなんだ!」
イアリス様を想像して殿下がまた壊れた!
「それより贈り物を選びませんか?」
「むぅ、確かにそれは最重要事項だ」
もっと重要案件はあるとは思いますが、賢明な私は何も申しませんよ。
「だが、彼女が喜んでくれそうな物を選ぶのは至難……そうだ、選ぼうとするからいかんのだ」
「贈り物を諦めるのですか?」
「そうではない。国中のありとあらゆる宝物を買えばいいのさ」
「バカですか。国庫が空になってしまいますよ!?」
「イアリスに微笑んでもらう為なら国庫を空にしたって構わない!」
「構いますって!」
あの堅物だった殿下がここまで壊れるとは。
恐るべきイアリス様。
まさに傾国級の美少女です。
「落ち着いてください。国のお金を浪費したらイアリス様はむしろ殿下を軽蔑されますよ」
「むぅ、確かにイアリスは貴族としての気高さと聖女の如き慈愛を兼ね備えた素晴らしい女性だった」
贈り物で国を潰すとか勘弁してください。
「以前贈られたドレスに合わせてイヤリングかティアラなんかどうです?」
「ホントにそれで良いと思うか?」
「きっとイアリス様も喜ばれますって」
「ホントにホントか?」
しつこいですねぇ
「殿下の贈り物に喜ばぬはずありません」
「いや、だって前のドレスもぜんぜん嬉しそうにしてくれなかったぞ?」
「嬉しそうも何もイアリス様は表情が全く変わらないではないですか」
そもそも『氷の令嬢』は微笑むどころか表情筋がピクリとも動かないのです。
「もしかして私の贈り物は迷惑だったのか?」
「別に誰に対してもイアリス様の表情は変わりませんよ」
「それはつまり、イアリスにとって私はその他大勢と同じ!?」
「嫌われるより良くないですか?」
「ロッシェ、それは違うぞ!」
オブジェクション!
叫んで殿下が机をバンバン叩く。
「好きの反対は無関心なんだ。好きも嫌いも関心のある裏返し、まずは私に興味を持ってもらわなければ」
「それじゃ、贈り物を大量の虫にされますか?」
一発で嫌われること請け合いです。
「それではイアリスに嫌われてしまうじゃないか!」
「無関心よりはマシなのでしょう?」
「まず好かれる方法を先に考えろよ」
めんどくさい人ですねぇ。
「好かれるより嫌われる方が簡単なんですが」
「私はイアリスに嫌われたくない!」
わがままですねぇ。
「ロッシェ、面倒な奴とかわがままとか思っただろ」
「まさか、そんな事は……」
考えまくってましたよ。
何ですかこの人、私の思考を読めるんですか?
「お前の考えている事などすぐに分かる」
ちょっと止めてくださいよ。
「お前とは長い付き合いだからな」
「そんな洞察力があるのにイアリス様のお気持ちが分からないのですか。婚約者でしょ?」
「こういう以心伝心は、お互いの気持ちを理解していなければできんものだ」
私が殿下と気持ちが通い合っているって言うんですか?
やめてください気持ち悪い。
「私はイアリスが好きだ。大好きだ。誰よりも愛していると断言できる」
そんなの言わなくても見てりゃ分かりますよ。
「だが、イアリスが私と同じ気持ちとは限らない」
「つまり、殿下とイアリス様はまだ想いが通い合っていないと?」
「そうだ。イアリスはもしかしたら私を嫌っているかもしれない。ただ無関心なだけかもしれない」
「婚約を快諾しているんですから考え過ぎじゃないですかね?」
「いーや、伯爵家の彼女は王家の懇請を断りにくいはずだ。本当は渋々だったかもしれないだろ」
どっちでも良いじゃないですか。
殿下は好きな女性と結婚できるんですから。
「お互い好き合って夫婦になるもんだろ」
「政略結婚なんですから個人の感情は置いておきましょうよ」
「私はイアリスの嫌がる事はしたくない」
冷徹な政治判断する癖に意外とピュアなんですねぇ。
「まあでもイアリス様が嫌がっているかは分かりませんよね?」
「そうなんだ。何とか彼女の気持ちを知る手段はないものか」
あの表情筋が死んだイアリスの顔色を察するのは至難の業です。
「いっそ本人にお尋ねになられたらどうです?」
「そんなの直接聞けるか!」
うるさいんでバンバン机を叩かないでください。
「だいたい本人を前にして、あなた嫌いですなんてイアリスが言えると思うか?」
「難しいでしょうね」
しかも王族を相手なんですから、間違いなくイアリス様には「好きです」か「愛してます」の二択しかありません。
「ですが、婚約した以上はイアリス様には殿下と結婚する以外にないでしょう?」
「それは……」
「それとも殿下の方から婚約破棄でもしますか?」
「できるわけなかろうベニエ・フレスやブレスト・パーリじゃあるまいし」
ベニエ様とブレスト様は殿下の元側近です。
お二方とも婚約者がいる身でノエル・ブッシュという男爵令嬢浮気して、ついには濡れ衣を着せて婚約破棄にまで発展した愚か者です。
「件の男爵令嬢を虐めたとか冤罪をかけるのは拙いですよね」
「二人とも能力はあったのに、どうしてあんな馬鹿な真似をしたのか」
浮気までなら救いようもあったのですが、さすがに冤罪で貴族令嬢の名誉を損ねたのはやり過ぎでした。
二人とも殿下の側近をクビになって実家で幽閉されております。
「最近はアレクまでがノエル・ブッシュに懸想しているみたいなんだ」
アレク・エコーチョ様も殿下の側近の一人です。
「アレク様の婚約者はキルシュ・テトル様でしたよね?」
「ああ、イアリスほどではないが『黒百合の君』と呼ばれる美女だ」
私には柔らかく微笑まれるキルシュ様の方が魅力的に思え……睨まないでください殿下。
お願いですから心読むの止めてください。
「私はノエル・ブッシュ様を存じておりますが、キルシュ様を捨ててあれに懸想する意味が分からないのですが」
以前、私はブッシュ男爵令嬢に言い寄られた経験があります。
まあ、ちょっとは可愛いご令嬢でしたが、ご自分を『ヒロイン』だと言われ、またベニエ様とブレスト様の婚約者を『悪役令嬢』などと呼んで誹謗する頭のおかしな娘でした。
ちょっと関わりたくないですねぇ。
「ベニエ様とブレスト様の婚約者も中々の才色兼備でしたが……殿下の側近はみなさん目と頭は大丈夫ですか?」
「そんなのは私の方が聞きたいわ!」
「つまりそれほど異常な事態なわけですね」
私の指摘に殿下がハッとした顔をされました。
「二件の婚約破棄に関わっていたはずのブッシュ男爵令嬢は何のお咎めも無しだったな」
「ええ、ベニエ様とブレスト様は独断でやったので彼女は関係ないと主張されまして」
「そして今度はアレクか」
「他国のハニートラップの可能性もありますね」
「まったく、今はイアリスの事だけで頭がいっぱいなのに……」
国防にも関わるのでイアリス様よりも重要案件だと思うのですが。殿下の中の優先順位がおかしいです。
「そうだ、名案を思いついた!」
「名案ですか?」
「私がブッシュ男爵令嬢と浮気をするんだ」
「はあ?」
ついに殿下までおかしくなっちゃいましたか?
「もちろん偽りだ。ブッシュ男爵令嬢に近づき油断させるんだ」
「それで尻尾を捕まえるおつもりですか」
それは分かりますが……
「イアリス様のお気持ちはどうやって量るんです?」
「分からんのか。好きな相手が浮気したら嫉妬するだろ?」
「つまり、殿下がブッシュ男爵令嬢とイチャイチャしてイアリス様の反応を確かめるわけですか」
「これぞまさにブッシュ男爵令嬢を調査し、イアリスの気持ちも知る事ができる一石二鳥の妙手!」
はぁ……
絶対拗れる未来しか見えないんですけど。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ガトーさまぁ」
「ノエルは今日も可愛いな」
「…………」
殿下はさっそく学園でブッシュ男爵令嬢に近づかれました。
「やだぁ、もぉう、ガトーさまったらぁ」
「ノエルを私の瞳の中に閉じ込めておきたい」
「…………」
なんと、出会って5秒で陥落です。
今や彼女は殿下の恋人気分。
少しは疑ってくださいよ。
「うふふ、他の『攻略対象』と違ってガトーさまもロッシェ君も『フラグ』立てても落ちないんだもん。諦めてたけどぉ、ちゃんと『好感度』は上がってたのねぇ」
言ってる意味の半分も分かりませんが、好感度に関しては上がるどころか真っ逆さまの絶対零度ですよ。
殿下の作り笑顔もヒクヒク引き攣ってるじゃないですか。
「殿下、殿下」
「何だロッシェ?」
「ベニエ様もブレスト様もただのアホウだったのではありませんか?」
まともな人間ならこんな地雷女に引っ掛からないでしょう、
完全に二人の自爆だったと思われます。
「うむ、私もそう考えていた」
あの二人は側近から外して正解だったようです。
殿下、うんうん頷かないでください。また私の心を読んだんですか?
「ガトーさまぁ、どうかしたんですかぁ?」
ほら、怪しまれたじゃないですか。
「あ、ああ……そうだ、昼にしないか?」
「そうですねぇ……王子ルートが開放したなら食堂でイアリスの転ばし『イベント』が発生するはずよね」
イアリス様?
転ばし?
また意味不明な呟きをブツブツと……いったい何なのでしょう?
「うむ、何かやらかすかもしれんな」
不吉な事を言わんでください。
ですが、この殿下の予想は当たってしまいました……
学生食堂へ到着して席を探そうとキョロキョロと辺りを見回すとイアリス様の後ろ姿が私の目に止まりました。
あの銀糸の如くきらめく長いシルバーブロンドは目立ちますからね。
「殿下、イアリス様です」
「なに!」
そっと殿下に耳打ちすると殿下がびくりと体を震わせオドオドし始めました。
「ま、まずい」
「何で逃げようとするんですか」
「だって浮気と思われたら嫌じゃないか」
「それが今回の目的でしょう」
「そうだった……でも、やっぱり嫌われたくない!」
「往生際が悪いですよ」
このヘタレがうだうだと。
逃げようとする殿下の尻を蹴っ飛ばし……もとい背中を押しているうちに何故かブッシュ男爵令嬢が先にスタスタとイアリス様の方へ。
「ぐべっ!」
そして、ヒキガエルが潰れるような声を上げて、何故かイアリス様の目の前でダイビングするブッシュ男爵令嬢。
五体投地で倒れましたが……あれそうとう痛いんじゃないですか?
半泣きになってますが……でも、今の自分から倒れましたよね?
イアリス様の神々しい美しさを前にして拝みたくなったのでしょうか?
「きゃっ!」
その直後、鈴を鳴らすような澄んだ、そしてとても愛らしい悲鳴が。
まずい事に倒れたブッシュ男爵令嬢にイアリス様が躓いたようです。
「イアリス!!」
殿下は咄嗟に倒れそうになったイアリス様を抱き留めました。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます」
心配顔の殿下に対して相変わらずイアリス様は美しい無表情です。
「もう大丈夫で――いたっ!?」
「足を挫いたみたいだな」
どうやら躓いた時に足を痛めてしまったようです。
「無理はするな」
「殿下!?」
ヒョイッと殿下はイアリス様を抱き上げましたが……公衆の面前でお姫様抱っこですか?
「ガトーだ……名前で呼んでくれといつも言っているだろ」
「あ、その、ガトー様」
殿下、イアリス様に名前で呼んでもらって喜んでいる場合ですか!
「ガトーさまぁ、これはどう言う事なんですかぁ?」
「あ、いや、これは……私はか弱き者を思わず助けてしまうタチでな」
「優しいガトーさまも素敵ですぅ……でも、私は誰が助け起こしてくれるんです?」
殿下の両腕は塞がっておりますので、手を差し伸べるのは不可能ですね。
チラッと殿下が訴えかける目でこちらを見てきましたが……
「ロッシェ」
え?
私ですか!?
こんな女、近づくのも嫌ですよ。
「どうして誰も私を助けてくれないんですかぁ」
ガバって立ち上がってブッシュ男爵令嬢が苦情を申し立ててきましたよ。自力で起き上がれるんだから良いじゃないですか。
「だいたい『攻略対象』が『悪役令嬢』を助けて『ヒロイン』を助けないなんて『乙女ゲーム』として間違ってます!」
意味の分からない事を叫んで逆ギレしてますよ。
「いったい何の話をしているんでしょう?」
私が殿下を見れば――
「私に分かるわけなかろう」
殿下はイアリス様を見て――
「申し訳ございません。私にも理解できません」
イアリス様は殿下の腕の中で器用に首を横に振られました。
「何よ三人でイチャイチャしてぇ!」
えぇ! 私も含まれるんですか?
私は別に殿下とイチャイチャなんてしたくありませんよ。
イアリス様とだったら――いえ、殿下に殺されるから遠慮しておきます。だから殿下、心を読んで殺意の目を向けてこないでください!
「こうなったら『断罪イベント』に突入よ!……私、イアリス様に虐められているんです」
何ですか急に?
狂いましたか?
元からか……
「さっきだって足を引っ掛けられ転んじゃったし」
「さっきのはご自分で転んでいましたよね?」
みんな目撃してますよ。
「それに、大切にしていたペンダントを盗まれたし、教科書を破かれたり……そうだ、いつも悪口を言われてますぅ。この間なんて階段で突き落とされちゃいましたぁ」
「なるほど、それは酷いな」
それが事実であれば、ですけど。
「それで、それらをイアリス様がなされた証拠はあるのですか?」
「え? だから私の証言が……」
「それは証拠にならないでしょう」
まったく、証言を証拠だなんて主張しないでください。
「イアリスは彼女を虐めたのか?」
「いいえガトー様、私は虐めなんてしておりません」
「ほら、イアリスはやってないと証言しているぞ」
…………えっ!?
「そっちも証言だけじゃないですか!?」
「イアリスが嘘をつくはずがないからな」
「何でそっちだけ!?」
「私とイアリスの真実の愛の前に嘘はないからだ」
もうどこから突っ込んでいいのか。
「何で何で? 配役がおかしいですぅ。イアリス・クームは氷の『悪役令嬢』なのにぃ!」
「イアリスを悪役とは聞き捨てならん!」
イアリス様を侮辱されて怒り狂う殿下……最初の目的を忘れていますよね?
「いいもん、いいもん。まだ私にはアレク君がいるんだからぁ。ガトーさまなんて知らない!」
プンプン怒ってブッシュ男爵令嬢が去って行きました。
「殿下、けっきょく何も分かりませんでしたね」
「あ……忘れてた」
殿下の作戦はこうして失敗で幕を閉じたのでした。
足を捻挫したイアリス様をお姫様抱っこできたのだけは殿下にとっての収穫だったようです。もうこうなってはと、できるだけ長い時間をかけて医務室へ運ばれておりました。
よっぽど嬉しかったようで、執務室に帰った後もその話題ばかりするんですよ。うるさいんで途中から耳栓をしましたが。
「こら、ちゃんと私の話を聞け!」
「ご安心ください。殿下と私は以心伝心なので耳栓をしても話は伝わっております」
まあ、ぜんぜん分かりませんが。
「それで、ノエル・ブッシュの件はどうされます?」
「今日の失敗は痛かったが、あの天然娘が他国のスパイとは思えんから緊急性はないだろう」
まあ、あんな頭のゆるい女スパイもないでしょう。ハニートラップの線はまずありませんか。
「ですが、殿下の側近が二人もダメにされましたし、現在進行形でアレク・エコーチョ様が篭絡しかかっているのですよね?」
「前二人に関してはむしろ迂闊な奴らと分かって良かったと思おう」
確かにブッシュ男爵令嬢に引っ掛かるようなのを側近にはしたくないですよね。
「アレクに関しては先ほど彼から報告があった」
「えっ!」
いつの間にアレク様と接触していたんですか。
「実はアレクもベニエとブレストの件でブッシュ男爵令嬢を疑っていたらしい」
「それじゃあもしかして殿下と同じで?」
「ああ、他国のスパイではないかと調査する為に彼女に近づいたようだ」
「でもスパイではなかった」
「ああ、だが令嬢二人が婚約破棄の被害を受けているし野放しにもできんから、今度キルシュ・テトル嬢と示し合わせてブッシュ男爵令嬢を嵌めるそうだ」
あの男爵令嬢も年貢の納め時ですかね。
「それではブッシュ男爵令嬢の件はアレク様にお任せするとして、残す問題はイアリス様のお気持ちだけですか」
「ああ、イアリス、イアリス、イアリスゥゥゥ!!」
やべっ、この話題は出すべきではありませんでした。
「イアリス、君は私をどう思っているんだぁぁぁ!!!」
当分この問題は解決しそうにありませんね。
――――《クーム伯爵邸・イアリスの私室》――――
「お嬢様、なんだか嬉しそうですね」
学園から帰宅したお嬢様のお召し替えを手伝っておりましたら、どうにも嬉しそうな気配が漂ってきました。
お嬢様は『氷の令嬢』と揶揄されるほど表情が乏しいですが、決して喜怒哀楽のない冷血な方ではありません。お気持ちが表情にほとんど出ないだけなのです。
ですが、長年仕えている私にはお嬢様の心の動きがきちんと伝わってきます。
「あのね聞いてラクト」
声音も単調に聞こえるでしょうが、私には弾んでいるのがちゃんと分かりますよ。そして、こんな風にお嬢様が喜びのオーラを出すのは決まってガトー殿下がらみ。
「今日、学園でガトー様がね……名前で呼んでくれって仰ったのよ」
ほらね。
「それでね、躓いて転びそうになった私をさっと抱き止めてくれたの」
「ふふふ、そうですか」
「しかも、足を痛めた私をねお姫様抱っこまでしてくれたのよ」
「それは、ようございました」
「とっても凛々しかったわ」
表情はホントに変わりませんが、よぉく見れば目が少しだけ潤んで頬が僅かに上気しております。
これは夢見心地の時の顔ですね。
私ほどのお嬢様フリークともなればミクロン単位の僅かな表情の違いを見分けるなど造作ありません。
詳しく聞くと、殿下は最近お嬢様に何かと突っかかってくる令嬢を伴われて食堂へいらしたのだそうです。
「私ってこんなでしょ……可愛げのないつまらない女って思われて愛想を尽かされたのではないかって本気で心配したのよ」
「それはとてもお辛かったでしょう」
まあ、お嬢様にぞっこんのガトー殿下が他の令嬢に心移りなどするはずもありませんが。
「それに、ノエル様が私から虐めを受けたとガトー様に訴えられて……」
だけど殿下は無条件でお嬢様の言い分を信じたそうです。
お嬢様狂いのガトー殿下なら結果は見えておりましたが。
「その時に殿下が仰ったの。私との愛は真実で偽りがないって」
「それは、おめでとうございます」
お嬢様のお話を総合して考えて、おそらく殿下はノエル嬢を使ってお嬢様のお気持ちを試そうとなさったのでしょう。
あの方、お嬢様のお気持ちをまだ理解しておりませんから。
おやおや、先程まで饒舌だったお嬢様が急に黙ってしまいましたよ。
部屋の中央に飾られているドレスをいつものように眺めております。このドレスは殿下から贈られたもので、届けられた日からずっと部屋の中央に鎮座しているのです。
飽きもせず毎日よく眺めていられるものです。
みなは無表情にしか見えないようですが、これはうっとりとした恍惚の表情なんです。きっと殿下を想い出しながら見つめているのでしょう。
殿下は一喜一憂されておりますが、お嬢様はとっくの昔に氷解しております。
なんならとろっとろに蕩けたアイスクリームの如く激甘状態です。
私が殿下にお嬢様のお気持ちを伝えれば全て解決するのですが今しばらくは秘密です。
殿下が自力でお嬢様を理解できなければいけませんから……と言うのは建前ですよ。
だって、そちらの方が面白そうじゃないですか。
さてさて、とっくに両想いになっているのに拗れている殿下とお嬢様の恋の行方はどうなってしまうのか?
私とっても楽しみです♪