揺られて
学生時代に書いた文章を見つけて、ふと載せてみました。
小説といえるかどうかは分からないものですが、よろしければ見てやってください。
もう夕方と呼んでもいい時刻だろうか。
しかし夏のこの時間は、そう呼ぶのにはまだ明るすぎる。
といっても、電車の窓から漏れ入る午後の光は、朝の真っ直ぐ差し込んでくるような光とは全く違う。少し斜めで、透明感を失い、午後のもったりとした気だるい空気にうまく溶け込んでいる。
帰宅ラッシュにはまだ早いだろうが、やはり都心だからというべきか。混んできたというにはおこがましいものの、この時間でも山手線にはわりと多くの人が乗っている。
なんてことを考えているかいないかのうちに、私は目的の駅に着いた。
背中の後ろで、聞き慣れた発車メロディーが鳴る。
階段を下りて、次に向かうは12番線のホーム。
都内の環っかを抜け出して、少しばかり郊外へと向かう電車に乗り換える。
この駅が始発駅らしく、目当ての電車はすでに停まっていた。乗り慣れない電車なので、車内の停車駅案内を確認してから乗り込む。
座席はもううまっていたので、閉まっているほうの扉のすぐ横に陣取った。
カバンの外ポケットから携帯とイヤホンを取り出して繋ぎ合わせ、ついでに自分の両耳にも接続する。
YouTubeを通して耳に流れ込んできたのは、なんだかあほみたいにやさしい曲。少し前に、本当に全く偶然に出会った、インディーズのポップバンドのPV。
めちゃくちゃ上手いわけでも、素晴らしく個性的なわけでもない。わりと最近結成されたらしく、当然ながら知名度もない。
いつもの私なら、何も考えずに通り過ぎていたはず。
しかし私は今、このバンドが路上ライブをやるというので、その場所へと向かっている。
携帯をいじったり、漫画を読んだり、うたた寝していたり。電車の中で、多くの人はそういったことをしているイメージがある。
けれど、こうして眺めてみると意外にも、何もしないでぼーっとしている人が多いことに気づかされる。
それほどに疲れきっているのだろうか、何かを一心に思い悩んでいるのだろうか、それとも、本当にただぼーっと揺られていたいのだろうか。
斜め前に座っていた同い年くらいの男の子だけが、私と同じくイヤホンを耳にしていた。
電車の揺れと同じテンポで、あたたかく、少し切なく、どこか懐かしいような、そんなどこにでもあるような言葉とメロディーが、私の耳に揺れている。
偶然、気まぐれ、タイミング、とでも呼ぶものだろうか。
この曲に出逢ったのは、気づいた夕方だった。
私はずいぶん長らく、こころを動かしていなかったのだということに。
気づいたその瞬間、押し込められていた想いが一気に大洪水を起こした。
どこにこんな量が収まる隙間があったのだろうと思うほどに、こころの底に隠れていた形をとらない何かがとめどなく溢れた。
いろんな色のような光のような大渦におしつぶされて、目眩を起こしそうになった。
久しぶりに動いたこころは、倉庫に何十年も埃をかぶって眠っていた小さな器械のように、音をたてて軋んだ。
そんなことがあったすぐ後で出逢ってしまったのだから、涙を流さないわけにはいかなかった。
どこにでもありそうな、ただ一つの曲。
なぜだかとても、眩しかった。
もうすぐ降りる駅だ、と、停車駅が表示される電光板に目をやる。
そのときだった。
あ、
斜め前の大学帰りのような男の子のイヤホンが、携帯から外れてしまった。
ちょっと体勢を変えたときにイヤホンが引っ張られて外れてしまう、音楽を聴く人にはままあること。
しかし不運なのは、音楽を聴いていた媒体が携帯で、抜けた瞬間音楽が外気に響いてしまったこと、そしてここが運行中の電車の中だということだ。
あー、あれ恥ずかしいんだよな、やっちゃったよ、と思ったのは束の間。
え、いや、そんなことよりも。
突如として電車の中に響いたメロディーは、今私の耳の中で揺れているものとそっくり同じものだった。
突然のことに戸惑っていた男の子は、イヤホンを再度つけ直すのにもたついている。やっとのことで抜け落ちたコードの先を手繰り寄せると、それを携帯に差し込もうとした、のだが。
ブチっ。
その瞬間、私は自分の携帯からイヤホンを思いっきり引っこ抜いた。
二つの同じ曲が、不器用にずれながら重なって、車内の気だるい空気を微かに震わせる。
何人かの乗客が顔をしかめた。
男の子の手は、もう少しで差し込まれるはずだったイヤホンの端を持ったまま、ぴたりと止まった。その手の持ち主が、ぽかんとしてこちらを見上げる。
電車の揺れだけが、変わらぬリズムをマイペースに奏で続けている。
そろそろ、二人をちらちらと見る乗客が出てきた。
だがそこで、ちょうどアナウンスが次の停車駅を告げてくれた。
「次は、――……」
電車がゆるやかに減速し、扉が開く。
私は急いでイヤホンを携帯につけ直すと、カバンにしまった。
そして、未だわけがわからないといった風情でぽかんとしている彼の手をとる。
電車の窓越しに漏れ入っていた気だるい光は、開いた扉から直接見ると、思いのほか眩しかった。
一重に戻った旋律は、まだあほみたいにやさしいままだ。
先程とった手をそのままためらいなく引くと、
私は勢いよく電車を飛び出し、新たな世界へと一歩足を踏み出した。
――epilogue.
こころが止まってしまうほどに
いっぱい泣いた
それすらも忘れてしまうほどに
全てを押し込めた
それでも
キラキラした世界を
もう一度信じてみたいと思ったんだ
小さな
わたしだけの、光
お読みいただきありがとうございました。
10年もむかしに書いたそのままの散文、もしかしたらすぐ取り下げてしまうかもしれませんが、偶然にも目にしていただく機会があったのならうれしく思います。
→ブクマや感想まで残してくださった方がいらしたので、しばらく残すことにしました。大変感謝しております。
その時代にあるものを小説内に持ち出すと、後から読まれたときにあれっとなる場合もありますが、YouTubeは今もあるなあなんて思いました。今はそれよりもTikTokとかなのかもしれませんが……