第二話
2
第一の印象は、不思議な人だな。
その程度のものだった。
何しろ、彼が意識を失って倒れている間、寝入るその表情は驚くほど柔和であったからだ。
自分の寝相を見たことは無いが、こんな間抜けな顔はしていない、はず。
これを他人に見られれば、きっと恥ずかしくて死んでしまう。
「ムニャ…。」
ムニャ!?
目の前には信じられないものが存在した。
寝言でムニャを言う人が。
数度目のうめき声がして再び振り返ってみれば、目をしぱしぱとさせ、しきりにアゴヒゲを指で擦っているムニャ助の姿があった。
寝ぼけたような仕草をしながら、きっと必死に今の状況を把握しようとしているのだろう。
その様子が、なんとなしにおかしく見えて、つい頬がゆるんでしまっていた。
「なんの不都合があるんだ。」
口を尖らせて、言い放つ彼を見て思わず吹いてしまいそうになる。
目尻に刻まれたシワ、顎下に薄く生えたヒゲなど、彼の加齢を象徴するものはいくつかあるにも関わらず、その物言いや表情は親に叱られてスネてしまう幼子のようであったからだ。
そこに、少し感慨を覚えた。
しかしそれも彼の不意の質問に吹き飛ばされてしまった。
君はシにたいのか。
その問いに、自分は口を開くことができなかった。
何故?分からない。
ただ、私もきっと死にたかったから此処にいるんだろう。
それ以上の回答を、今は用意出来そうになかった。
そういえば、この外見に似合わない幼さを醸し出す彼は、何という名前なのだろう。
「私は───。」
「俺は國島由季。今更、よろしく。」
その名が彼の口からこぼれた瞬間、同時に心臓が大きく脈動した。
ユウキ、ユウキ……あなたの名前は……。
ドクン。
「え…?」
頭の中を何かが凄まじい速度でよぎる。
それは一瞬に過ぎなかったが、致命的だった。
大きな欠落があることに気付けない。
しかし、そんな衝撃さえも刹那のもの。
すぐさま通り抜け、今や何に衝撃を受けたか自分でもさっぱり分からなくなっていた。
大きく上がった動揺の波を押さえつけるように、一層の笑顔で手を差し出す。
「よろしく、國島さん。」
程なくして、誰かがやらなければいけない、睦まじく喧嘩中の彼らの仲立ちという仕事を負ってくれる人物が立ち上がった。
キッチリとした身だしなみをして、眼鏡をかけた細身の男性だった。
「済まないが、そろそろやめにしよう。ここで堂々めぐりすることより優先してやる事があると思わないか。」
「ええ、そうでしょうとも、この監禁犯を縛り上げればいいのよ!」
「なんだと!誰かこのヒステリックな女を黙らせてくれ!」
「まあまあ、とにかく双方落ち着いて。この件は、外に出てから。それまで持ち越しにしよう。」
彼は限界まで白熱した両者に、こともなげに落ち着きの払った対応している。
そのかいあってか、先程まで限界まで熱せられた鍋のように激しかった彼らの語調も、冷水につけられたように段々とその熱を失っていった。
「ええそうね。まずはここから出るのが先決よ。ええ、誰かさんがその方法を吐いてしまえば、すぐさまこんな所出ていってやるわよ。」
「だから、なにも知らないと何度言ったら!」
「まあ、取り敢えず。」
口を動かしながら、彼は周囲をぐるりと見渡す。
「全員、気が付いたようだ。おはよう、みんな状況に大体の察しは付いてるかい?」
全員、返事は返さなかったが、男は構わず続けた。
「みんな、不安になってしまうのは仕方ない。それは何もかもが不鮮明な状況のせいだ。」
「だから、ひとつひとつ明らかにして行こう。そうすればきっとみんなで協力し合って、状況を打開する手がかりが掴めるはずだ。」
「僕の名前は大石マコトです。まずは自分を紹介していこう。ここにいる6人、一人づつ尋ねていっても構わないかい?」
そういって一番最初にこちらへと視線を送って来た。
演説に慣れているのだろうか。
大石と名乗る男から矢継ぎ早に繰り出される訴えには、誰も異論を挟むことが出来なかった。
先程まで不毛な水掛け合いをしていた二人も、彼の後ろで仲良く口をあんぐりと開けている。
私自身、勢い圧倒されて、思わず真面目に自己紹介などしてしまった。
「私、岡田あずさです。皆さんよろしくおねがいします。」
次に國島さんが自己紹介。
続いて神経質そうな女性が。
「中村幸代よ。」
横にいた、中年の男性。
「さ、佐藤幸治だ。よろしく。」
最後に、今の今までまったく意識の外にあった人物に、全員の視線が誘導された。
きっと何度も視界に、入ってはいた。
しかし、一度も特徴を捉えようという気を起こさなかったのは、何より不思議だった。
「…………新谷、コウ。」
その少年?はひときわ小さなシルエットではあったが、部屋の隅で体育座りをしているせいでより一層に小さいと感じさせる。
しかし、見渡しても驚きの気配は感じられない。
唖然としていたのは私だけのようだった。
「うん、一通り紹介も済んだね。それじゃあこれからどうするか、決めようと思うんだが…」
しかし、満足げに頷く彼の話を妨げる者が一人。
「その前に、少しいいか?」
突然の横やりに意表を突かれた大石さんは、思わず言葉を止めてしまう。
「え?ど、どうぞ、ええと……國島さん。」
「まず聞きたいんだが、ここは俺たちの目的地、ではないんだな?」
「え、ええ、そもそも人気のないところであればどこでもよかったんですが…」
國島さんの質問に答えたのは、佐藤さんだった。
「最終的には、移動に使用したバンの中で練炭を使うつもりでした。ですからこの場所にはまったく見覚えがないんです。」
「それは皆も同じ、でいいのか。」
國島さんは、見渡して全員の反応を伺った。
それに対し、数人は首を縦に振って、残りは沈黙の肯きで応える。
「なら、単刀直入に言う。」
「今ここで、それを決行しないか?」
「なっ…!」
流石に、今回は全員の反応が完全に一致した。
「何を…!」
「俺達は元々、死にたくて此処にいる。どこで死のうが構わないって思ったから、ここにいるんじゃ無いのか?」
「それは…!」
「そもそも!この状況は、絶好の機会なんだ。」
「何者かに誘拐され、監禁されている。しかし裏を返せば、誰からも見つかりにくい場所に閉じ込められているという事でもある。誰にも迷惑を掛けることなく逝けるチャンスなんだよ!」
「それは…しかしだね…。しかし……。」
國島さんの訴えは段々と、語気に熱を帯びて行き、反して佐藤さんの弁は彼に封殺され、うまく二の句が継げずにいる。
「まあまあ、それくらいにしないか?」
そこに助け舟を出したのはやはりというべきか、大石さんだった。
「君の言うことには一理あるんだけどね。君の意見に賛成できない人だっている。」
「それにね、僕たちにはそれができない理由が幾つかある。」
「……それは?」
「うん。まず一つ、実行に最も必要なアイテムがここに無いこと。犯人は僕たちと一緒に練炭をここに運んではくれなかったんだよ。」
「なら、練炭以外で実行すればいい。人が死ぬ方法なんていくらでもあるさ。」
「ああ。そうだね。練炭なんてなくても人は簡単に死ねる。死んでしまう。」
先ほどまでの熱はどこへやら、彼らは淡々と、しかし至極物騒な内容を談じている。
「しかしね。それはもう一つの理由によって、やはりやめた方がいい。」
真下を指す、大石さんの人差し指。
「そもそも、此処はどこか全くわからないんだ。そして、誰の物かも分からないだろ。」
「そんな場所を集団自決の現場にしてしまうのは、誰にも迷惑を掛けないという君の言に反しているんじゃないのか?」
「だが、それは俺たちを監禁した奴の行いの結果だ。そんな奴に同情はしない。」
「それは、この家が犯人のものだったら、だろ?」
「……。」
「君と同じ気持ちが此処にいる人に、まったく無い訳じゃない、でも全員が同じ考えという訳でもないんだ。」
「今は此処から脱出することを念頭に置いて貰えはしないだろうか。」
はあ、というため息一つ小さく、数秒閉じていた目蓋を開いて、彼は渋々といった様子で了承した。
「ああ…………分かった。」
「では、再び脱出の手段を考えようと思うんだが、彼の忌憚ない意見も考慮して、迅速な脱出に皆協力してほしい。」
今度こそ、彼を妨げる者は誰一人として現れなかった。
争いを収め、反対意見をねじ伏せ、あっという間に場の主導権をかっさらってしまった彼は、その後早々に結論を下した。
「一応全員が目覚める前に、屋敷内全て見て回ったんだが、残念ながら出口と呼べる扉は一つも目に入らなかった。」
「しかしこの屋敷は案外に広い、そこで手分けをして出口の探索をしようと思うんだが。」
と、いう訳で。
私は仏頂面を貼り付け、不満を隠そうともしない國島さんの隣を歩いていた。
屋敷内の散策のため、あの場を解散して皆違う方向を調べようという趣旨だ。
癖なのだろうか、仕切りに顎下に少し生えた髭をジョリジョリと指で擦っている。
「くっそぉ、あの野郎…絶対ボコす…。」
「ボコすってなんですか?」
「目も当てられない状態にしてやるってことだ。」
「やめてください。」
彼は胸の前に拳を構えて前に突き出し始めた。
「そろそろ機嫌、直しましょーよ。口喧嘩で負けたからってそんなに拗ねることないじゃないですか。」
「別に、機嫌悪くないが。」
いやいや、それは無理がありますよ。
眉間の皺の数が、彼の心情を代弁している。
「どれだけ年をとってても、ムニャ助はムニャ助なんですねぇ。」
「ムニャ助って何だ。」
「それにしてもこの廊下、暗すぎ長すぎツルツルすぎだよぉ。」
「さっきからうるさいぞ。不満言ってる暇があったら、出口を探したらどうだ。」
「いーやいや、こんな長廊下に出口があるわけないじゃないですか。」
「いやもしかしたらだな。こう、壁にスイッチが在って押すとクルリと…。」
「どこの忍者屋敷ですか、それ。」
先ほどの口論で発揮した剣幕はどこへやら、彼の口調はすっかりおどけたものへと変わっていた。
しばらくの沈黙。
彼は耐えかねたというように、口を開いた。
「………………なあ。」
「はい?なんでょう?」
「その奇妙なステップで俺の隣を歩くの、やめてもらえないか?怖いから。」
「はえ!?な、なんの事でしょう⁉」
「いやだから、その両足を折られてそれでも尚、踊らされてるダンサーのボックスステップみたいなやつ。」
奇妙な例えだ。
「こ、これは、床が滑りやす過ぎるがあまりの挙動であって!別段なにかを我慢しているとかそういうわけではなくって!」
「?なんか憑りつかれてんの?怖いからやめてね。」
なんでわかんないの?
なんで今ここで類まれな鈍感さを発揮するの?
そんな言い合いを繰り返して、少しだけ歩くと壁に突き当たった。
ようやっと曲がり角が現れたのだ。
「ん?この壁、なんか書いてあるぞ。」
「ホントですね。ええと…ううーん。暗い上に掠れてて読みにくいですね。」
國島さんは前へ出て文字を凝視しする。
「ふむ…なになに………ふ。」
「ふ?」
「り…。」
り?
「か…。」
か?
「える…。」
……。
「……な。」
「ふりかえるな…って書いてあるな。」
そういって、彼は背後にいた私の方へ、向き直った。
いや、振り返ってしまった。
「あ……しまっ…。」
「ちょ、ちょっとなんですか。そんなくだらないお巫山戯に付き合ってあげるほど私は大人じゃ…。」
彼の口から返答は無かったが、目だけは雄弁であった。
私の、その後ろの長廊下を写して。
驚愕と恐怖と、ただ深い、絶望に色を染めて。
見つめている。ナニかを。
それにつられて、首がうごいてしまう。
ダメなのに、今振り返ったら、絶対に駄目なのに。
ああ、でも、もう振り返ってしまった。
終わるのか。私はここで。
しかし、別段何も無かった。
視線の先には、薄暗い、ただ不気味な廊下が長々と続いてるだけ。
何も…。
金槌で叩かれていたかのような鼓動は、すこし、落ち着きを取り戻した。
ポン。
肩を軽く叩かれる。
「あっ、くにしまさ…」
「だァかァらァ、ふ、り、か、え、るなってイッタノニィィィィィィィィ!!!!!!!!」
「な〜んつって、びっくりした?厠だよ。ほら、か、わ、や、って書いてあるだろ?この先にあるらしいぞ。」
「あれ反応ない…?気絶してる…?どうした、脅かしすぎたか?」
「…………なんで、この世のあらゆる欲から解脱した仏みたいな顔してるの…?」
「…………あ…………………。」
國島は静かに、厠と書かれた文字の矢印と同じ方角を指さした。
「俺…その…待ってるから…あの……どうぞゆっくり…。」
幸いにも下着は全く無事だった。
「ふぅ…。」
用を済まして厠の扉を閉める。
「國島…野郎…ありえないくらいボコしてやりますよ。」
怨敵の名を、呟きながら来た道を戻っていく。
途中、目的地しか頭に無かった先程には目に入らなかったモノが、奇妙なことに通路の壁はっついていた。
扉だ。
なぜだか、早々その扉から目が離せなくなってしまう。
「扉…?なんでこんなところに…。」
國島さんの言う通り出口なのだろうか。
この扉は、一層目を引く要因として、無骨で仰々しく大量の鎖を繋でいる大きな南京錠が、中心にくっついていた。
扉に錠がついている。
それだけで、十分に不気味な扉は、何故か私をひきつけてしまう。
取り敢えず、戻って國島さん達に報告しなくては。
そう思っているのに。
頭ではそう考えているのに。
なのに、何故私の手は、真っ直ぐと扉の取手へと伸びている?
自分でその行動を理解できない。
しかし、確実に、この手を動かすのは自分の意志だった。
駄目…だ…。
これを開けては。
何か、取り返しのつかないことに…。
必死に手を止めようとするが、体は動きを止めない。
だ…めだ…。絶対に開けては…。
でも…行かなくちゃ、助けなくっちゃ…。
開けるな開けるな開けるな!
手が、止まる。
やっと、とまって……くれた。
そうして、ゴトリ。
牢固な南京錠がひとつ、床へと落ちた。




