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神の園  作者: 冬見鳥
10/10

エピローグ

9



夢を見ていた。

夢の中で俺はその人になっていて。

その波乱の人生を辿ってる。

これが、あの人の生き方。

頑張り屋で、優しくて、いつも笑顔で、でもどこか破滅的。

理由は単純、その人の存在意義は、何時どんな時だって自分以外なのだ。

他人の為にしか、頑張れない。

愛を与える事しか知らない。

例えば、息を吸うことを知らず、永遠と、肺ににあるだけの息を吐き続けるような。

ああ、なんて無頓着。

自分の崩壊にすら気づかないそんな人が、幸せになんてなれる筈が無い。


でも、ただ一つ。

あの人が、幸せな部分が一欠片でもあったのなら、それは。

擦り切れて、痛々しくて、辛い人生の中。

一度も、たったの一度すら、過去を顧みなかったことだろう。

自分の行いに、後悔がない。

常に、今ある幸せを見つめ続けるその姿が酷く、俺には眩しく見える。


過去に、囚われ続けている俺には。





瞼の裏を僅かに白ませるような、そんな柔らかい光で、目が覚めた。

まず目が開いて、しかし意識には霧がかかったままであったから、数秒は少し明るくなり始めた空を見上げ続ける事になった。


夜の静寂は、小鳥の喧騒にひきさかれ。

明け方の空に侵されて、紫紺の夜が溶けていく。

明星も、朝月夜さえも旭光に追われて山筋へと蹴散らされて……。



そこでようやく、自分が仰向けに、誰かに膝枕をされていることに気づいた。

後頭部に感じる柔らかい弾力と、スルリと、溶けるような布の優しい感触。



チリン。

少し顔を動かすと、それに反応したのだろうか、視界に影が差す。

ふわりと、髪が俺の鼻先を撫でる。

顔を覗き込まれているらしい。

当の人物の顔は、朝日に翳ってよく見えない。


「おはよう。由季。」

その名を呼ばれて一拍、どくりと脈を打つ。

俺の名を、こんなに優しく呼んでくれた人を、自分は一人しか知らなかった。

「……かあ、さ…ん……?」

「………………。」


帰ってきたのは、沈黙だけ。

影に隠れた彼女の顔は、今どんな表情をしているのだろうか。

「かあ、さん………。」


目の前にいるのが、母だとしたら。

そんな仮定に、必死に縋りたくなってしまう。


「あ、ああ…。かあさ、ん…。」

「かあさん、許してくれ…。ごめんなさい。許して…。」


彼女の表情は依然読み取れない。

でも。

「なんで、謝るの?」

彼女の声音は幼子を宥めるように優しい。

「だって…俺は、俺は!貴方のように…生きていけなかった…。」

そうだ。俺は、自分の理想を追い続ける事で強くあった母の様にも、他人を思う事で強くあった、あの人の様にも生きていくことができなかった。


自分を咎める過去から逃げることに必死で、気づけば自信がこれから進む道を見失っていた。


「辛いことが…あったんでしょ…?」

「…あった…あった!たくさんあった!」

吐き出していく、贖罪を求めるように、断罪を受け入れるように。

「でも…立ち向かえなかった!俺は、辛いことからも!母さんからも!…最後には自分の生からも逃げた!」

「皆のように、立ち向かえなかったんだ…!」

嗚咽が漏れてしまう。涙は出なかった。

それは、ただただ苦しかったから。


しかし、そんな俺を見ても彼女の声音は変わらない。

依然、俺の罪ごと包み込むように語りかける。


「それでも、これまで生きてきたんでしょう?」


許すというのか、俺を。

彼女にそんな権利はない。

神でもない。母でもない。

そんな君に俺の何を許す権利があるというのか。


「辛いことがあって…苦しい事があって…でも、貴方は、これまで生きてきたんでしょ?」

嗚呼、でもきっと俺は、この声で赦されてしまったのなら、きっと全ての業から解き放たれてしまうだろう。


「なら、大丈夫。きっと大丈夫だよ。」


これまで逆光だった曙光が、彼女の顔へ僅かに差し込み、その顔貌を顕にする。


「由季は偉いね。」


奇しくもその言葉は、母のものと同じだった。


その一言で、かつての記憶が鮮明に蘇る。


そうだ、母は何時だって俺を褒めるときは、心底嬉しそうに笑っていた。


思い出してしまった。

その時の母と同じ表情を見せる少女のせいで。


同時に、自分の罪すら蘇ってしまう。

俺の罪状は。俺が母さんを選べなかったのは。

「怖かったんだ…!母さんが!」


幼い頃、俺は母に心底心酔していた。

と、同時にその生き方を畏怖してもいた。


何も顧みず自らを高めていくその姿は、鋼鉄の麗人もかくや。

幼心に、その強さに惹かれる一方、その影に潜む冷徹な側面を恐れてもいたのだ。

そんな人物に寄り添って、傷つくのが怖かった。

だから裏切った。


ただ、当時俺はその決断の意味を理解してはいなかった。

母の放つ鋭い光に目を眩され、彼女の影の部分が視界に入らなかったのだ。

きっと、誰の助けも必要としない強さを持った人なんだと、そんな浅はかな想いで見捨てた。

しかし後に、あの写真を見て間違いに気づいた。

孤独に苦しみ、誰か必要とするその表情。

彼女も、一人の人間だったのだ。

決して強くなんか無かった。

むしろ、彼女のような人間にこそ、誰かそばで支えてあげれる人が必要だった。

そう気づいた時には、既に俺は全て失っていた。


考えれば自明の理だった。

あんなにも、嬉しそうな声で俺の頭を撫でてくれるあの人が、鋼鉄の麗人、なんて下らないものであるはずが無かったのだ。


なら、目の前の彼女の場合どうだろう。

あれだけ悲痛な運命を辿っても、ひまわりのように笑っていた。

あれだけ悲痛な仕打ちを受けても、それを憎むことは決してなかった。


でもそれは、彼女が強かったから?

違うような気がする。

それは、そうするしか無かったから。

そうする事でしか自分を保てなかったから何じゃないのか?

よく、思い出せ。

彼女の人生を垣間見た。

その中で、一度も彼女は後悔しなかったか。

否、彼女たくさんの後悔を抱えて生きてきた。


でも、きっとだからこそ、これからの未来に同じくたくさんの希望を見い出していたのだ。



目の前の笑顔を見る。

幼子を慈しむ母の微笑み。

俺の前髪を愛おしそうに撫でている。


「あずさは、なんで笑ってるんだ?」



「…それは、貴方が私の側に居るから。」

「ずっと、ずっと叶わなかったけれど。ようやく…ようやく。」


そういって、少しその笑顔に悲しみの色を混ぜた。

「でも、違うんだね。貴方はあの子じゃないし、私もかつての私じゃない。」

これ以上彼女の悲しげな笑みを見ていたくなかった。

膝から頭をのけて上半身を起こした。

そして、彼女と座り込んだまま向き合う。

「君は、由季だけど、由季じゃ無い。でも、きっと貴方がここに来たことは、偶然じゃないんだよ。」


「だから、私があなたを救ってあげる。」

「貴方はきっと、そのためにここに来たんだ。」


なんて勘違い。なんて傲慢。

「っは。何言ってるんだ。」

そうだ、彼女になんの権利がある。

俺の何を知っている。

「あなたが、大きな罪で押しつぶされそうになっていることはわかってる。」

「それは、あなたにとって、今すぐ死んでしまった方が楽なぐらい、辛いことだったんだね。」

まるで、俺のすべてを理解しているかのような口振り。

「誰も許してくれなくて、一人で背負うしか、なかったんだよね?」

そんな、ただの子供をなだめるような調子。

それだけなのに。

「…な、にを……。」

声が震える、胸がつかえる。


「なら、私が許すよ。」


そう、ハッキリと言い切った。


彼女は、真っ直ぐと俺の瞳を覗き込む。

そして、ゆっくりと両手を俺の顔へと伸ばした。

細くなめらかな指先が頬に触れる。

「お、お前に…何が…。」

何を許すと言うんだ。


「貴方の罪は消えない。でも、誰かが、貴方を許すことはできる。」


「罪は背負い続けなければいけないかもしれない。

それは、辛く苦しいかもしれない。

でも、それはあなたの終わりじゃない。」


「人間は、生きている限り罪を犯し続けるかもしれない。

きっとその度あなたを認めて、許してくれる人はいる。

あなたを必要とする誰かがいる。

だから、私はあなたを許すよ。」


そう言って、俺の顔を抱き寄せた。

顔いっぱいに柔らかい着物の感触が伝わる。


「…俺は、許されても、いいのか…?」

「うん、許す。」

「俺は、生きてていいのか…?」

「うん、いいよ。」


「うっ…ぐ…フゥっ…あぅ……。」

情けない。

情けなすぎる。

少女の胸の中で、俺はみっともなく嗚咽を漏らす。

でも、仕方がない。

言ってしまえば、つい数分前、母と同じ言葉を聞いた時点で、俺は彼女に負けていた。



「だって、あなたは、私と違ってまだ終わってない。

まだ、生きてるでしょ?」

「死んでしまったら、あなたの時はそこで止まってしまう。

そうして、罪を雪ぐことだって、償うことだって、許されることだって永遠にない。」

俺の頭を抱える腕に少し力が加わる。


「なら、貴方がそんな事になってしまうくらいなら、私が許す。」


それはどこにだって溢れている、誰だって言える綺麗事だ。

でも、その言葉を使うのが彼女だからこそ、その意味はきっとこの世界の誰が言うよりも重い。

もう、終わってしまった彼女だから。

フワリと、腕が解けた。

いや、違う。彼女の姿が解け始めている。

風に揺られて消えてしまいそうな儚さを帯び始めている。


「ま、待ってくれ…!まだ、言いたいことが!」

止めようとする。


だが、彼女はすくりと立ち上がって、やはり変わらない笑顔で言った。

「だからあなたは、自分と、それを必要とする誰かのために生きて。」

「そうして、自由に生きて、季節巡って…いつか…。」


「待ってくれ!」

悔しかった。

自分のことを棚に上げて、他人のためにしか生きれなかった自分の人生を棚に上げて。

またも、他人を、俺を救ってしまった彼女。

そんな、彼女をまた一人にしてしまうことが。


引き寄せて、お前の方こそ、と説教してやりたかった。

そのために伸ばした手は着物の袖すら掴むことを許されなかった。


その時、山の頂上から朝日が顔を出す。

目を灼くような光が差して。

視界が一瞬白亜に包まれて。

風景が正常な色彩に戻る頃にはもう、赤い着物をたなびかせる姿は無かった。


行って、しまった。

呆然と景色を眺める。

どれだけの秋雲が流れていったか。


周りを見渡すと、俺は崩れ去った屋敷の、瓦礫の上に立っているようだった。

こんなところで、俺たちは何をしていたんだ。

そこで、チリン、と涼し気な音が聞こえたような気がして振り返る。

音の元を探ると、彼女が消え去ってしまった、その跡に小さな、耳飾りが一つ落ちていた。

それを、拾い上げる。

「…借り物ができちまったな。」


危なげな足取りで瓦礫の山を降りる。

そうして、振り返る。

あれだけの惨劇を起こした、血生臭い屋敷は、もうかつての形を保っていない。


でも、確信があった。

彼女は、まだ囚われ続けている。

この屋敷に、じゃ無い。


彼女自身の願いに。



ならば、と

足を動かす、その場を背にして。

俺は、生きる。

生きろと言われてしまったから。


そんな、言葉をくれた、でも自身はきっと今も苦しみ続けている、その人を。

救いたい、そう思ってしまったから。


その人の人生を見て、誰かの為に生きる尊さを教わった。

でも、同時に彼女の持つ弱さをも知ってしまった。


今度は、俺が彼女を救おう、そう決心した。


既に、随分高く朝日の昇った秋口の空を見上げながら歩く。


燦々と輝く日暈に目が眩んでしまうことは、もう無かった。







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