負け犬の遠吠え
「下じゃ随分と嫌味を効かせてくれたようだね、ブルックス君」
「なんのことでしょうか? ハイターギルマスにつないでくださいと、お願いしただけですけど?」
バルズ・ハイター。
総合ギルド連盟ラスディア帝国本部レットー支部の支部長は、片方の眉を器用にあげて見せた。
小娘が偉そうに。
そんな雰囲気が漂ってくる。
アンジュはそれを受け、同じように眉毛を片方だけ上げてやる。
自分は本部の支配下にあり、あなたの部下ではありませんよ。と、そんな意思表示だった。
「地下には地下の作法があるというの知らないのかね?」
「さあ? まだ地上では行なっていない大々的な技巧賃貸契約説明会、とか。ちょっと目を疑ってしまいましたけどー?」
「上ではやっていなくても下でやることはあるものさ」
「水は高いところか低いところに降ると言いますけど。このレットー支部では、下から上に昇るようだわ。とても報告のしがいがあります」
「ダイアンに報告をしたければすればいい。君がたまたま技巧賃貸契約説明会を開催する日に居合わせただけの話だ」
「そういう意味ではなくて……。ハイターギルマス。あなただってご存知でしょ、わたしの役目」
普段は制服の内ポケットを中に入れている、それをアンジュは堂々と掲げて見せる。
それは上手に折りたたみ式の身分証明書。
開けば下部には一つの紋章があった。金属製で厚さ数ミリもなりそれは、一枚の貴重なプレートに刻印されてものだ。
総合ギルドに勤める関係者のうち、管理職以上の者に与えられる青い金属製の紋章だった。
プレートの一番下の部分に、アンジュの名前と階級と所属部署名が彫刻されているそれを見て、ギルドマスターはふんっと鼻を鳴らした。
「ノーラ・アンドルフィア・ブルックス……。二等回収官、債権回収課所属か」
「まあ、そういうことです」
「しかしあれだね君」
横柄な態度で自分の椅子に座り込むと、ハイターは丁寧に整えられたカイゼル髭を撫でてアンジュを一瞥した。
テーブルの上に置かれていた琥珀色の液体の入ったガラス製の瓶を手に取ると、二個のグラスを手にしてそれぞれに、琥珀色の液体を注ぐ。
それをアンジュに手渡すと、彼のデスクのすぐ前に用意された椅子を、彼は顎先で示した。
勧められるがままにそれに深く腰かけると、少女は地上世界ではみせることのない横柄な態度で両足を組んで見せる。
ちょうど、その形の良い胸がハイターギルマスの方に向くように、仕向けながら。
「何でしょうか?」
おっさん、ちょっと視線の位置やばくない?
わざとらしく胸を寄せてみたら、案の定、ギルドマスターはそれに引っかかって食い入るように視線を下ろしてきた。
アンジュのな胸の頂きにいやらしそうな視線を這わせてくる。
素晴らしいセクハラの塊のような男だ。
「いやいや、そのなんだね君。今回の任務が終われば、ここで働く気はないか?」
「……考えさせてください」
「それは構わんよ。是非考えてくれたまえ」
これが地上の文明世界なら、彼のような存在はあっというまにギルドを追い出されるだろう。
しかし、ここは地上よりも数世紀文明の遅れた地下世界。
男尊女卑が当たり前のようにまかり通っている、そんな場所だ。
受付の女性たちも大変ね、そう思いアンジュは出されたグラスの中の液体に口をつける。
「あら、美味しい」
地下世界産のウイスキーの一種らしい。少しだけコクあるが、喉の辺りを通り過ぎるとまろやかな風味が鼻先を抜けていく感触に風情があった。
「分かるかね? その後でも一番の酒蔵から取り寄せた一級品だ。わしのそばにいれば、こういったものも容易く手に入るぞ?」
「それは素晴らしいことですねー、でも。地上のお酒もなかなか美味しいので。これを教えていただいたことに感謝いたします。ところで、ダイアン様からの紹介状の件なんですが」
「あーそれな、拝見した。ヘッドギルドマスターとは昨年の支部長会議で会って以来だ。そろそろ引退を考えてもいい歳だと思うんだがなあ」
「は? 引退……?」
「いやいや何でもな、こちらの話だ。ダイアン様やバクスター様とはもう二十年ほどの付き合いになる。あの頃はわしもまだ若くて、単なる小僧だった。よくよくこき使われたもんだ。そのぶん可愛がっていただいた」
「過去の話にはあまり興味がないんです。それよりもコボルトの館なんですが」
「また面倒くさい案件を抱えてきたね、債権回収か。言っておくが、先ほど君が女にしていた技巧賃貸契約説明会。あれはわしの独断ではないぞ」
「話が見えないんですが?」
お酒は美味しかった。
瓶に書いてある銘柄は覚えたから、地上に戻る前に地下の金持ち御用足しの百貨店でも買って帰ることにしよう。
そう思いつ、ダイアンの引退だの遠回しに自分の女にならないかだのと持ち掛けて来る、このエロおやじの目の前からさっさと立ち去りたい。
だが、その前に知ることがあるのだ。
このハイターギルマスの許可が必要な調査資料に目を通す。
その同意を得なければならない。
「誤解があるようだから、それを解いておこうと思っただけの話だ。あいにく、地下世界には人工女神の力が及ばない。それを望まない魔族がたくさんいるからね……仕方なく、長い年月をかけて我々は開発したのだ」
「何のことですか、開発って」
「様々な個人の持つ資質を複製するそんな魔法だよ」
「はあ?」
「簡単に言ってしまえば、地上世界で管理している過去の英雄や勇者たちが神々より与えられたスキル。それは何かの魔導具に複製され封印されて、現代に継承されたものだ。そうだろ?」
「……多分そうだと思いますけど」
「つまり地下でも同じような試みは行われてきた。ただし、人工女神というあまりにも最先端な存在ではなく、あくまでその能力だけを複製して封印する。それだけに尽きるがね」
「でもさっき、開発したって……。能力の複製と封印だけなら、地下世界でも当たり前のように行われているはず」
「その通りだ。こう考えてみたことはないか、もし目の前に鏡がありそこに映し出されたもう一人の自分は、現在の自分と同じだけの能力や経験や知識を有しているとしたら。どうかね」
どうかと問われても返事はひとつしかない。
鏡に映るもう一人の自分はあくまでも光が収束した結果に過ぎない。
そこに本体が持つ様々な情報を写し取るなんてことは、アミュエラですらもできないだろうし。
あくまで、鏡に写しただけ。それだけなら、不可能だ。
全身をくまなく光学魔法で走査し、魔素の波長やそこに残された能力者の断片的な記憶や意識のかけらから。
その能力者が持つ技巧が何かをすることは可能だろうけど、と眉唾物のギルドマスターの発言にアンジュは首をかしげた。
「鏡に映しただけでそんなことができるのなら、人工女神も魔導具も。何より誰かの能力自分のものにしたいなんて欲望そのものが無意味なものになりますわ」
「わしは、そうは思わん。誰でも己の無力さを知れば―ー例えば魔族の暴威を目前にして立ち向かうことすらできず、ただ命からがら逃げることしかできなかった。そんな経験を持つ者達ならば、君のような発言はできないはずだ」
ギルドマスターという名前に恥じず、どれだけ己の欲望に忠実なエロオヤジでも。
ハイターは歴戦の猛者だった。その言葉には強力な相手を前にして戦い己の無力さを思い知らされた人間の悲しみが詰まっているような。
そんなふうにアンジュには聞こえてしまった。
だがそんな経験なら自分だって何度もーー何度も。
何度も……経験している。
それでも誰かの能力があれば、あの勇者の力があれば自分は勝つことができるなんて。
そんな情けない他力本願に心を支配されたこと一度もない。
負け犬の遠吠えには興味がなかった。




