7話 レイズ レイズ! レイズ!!
出会いがしら以降、フィオナは蟻の女王の姿を捉えることが出来ていなかった。
前と思えば後ろ、上かと思えば下。
感じる気配と、わずかに視界に写るブレた影、位置情報の矛盾が混乱を途切れさせない。
全周囲、絶え間なく変わっていく景色から雪崩れ込む情報量は、脳と三半規管のキャパシティを優に超えていた。
フィオナは自身の姿勢制御すらおぼつかなくなっていく。
一方の女王はフィオナが完全に自分を見失った際にのみ口から酸弾を射出していく。
高速移動しながらの射撃で命中率は低いが、相手に一呼吸入れる間隙を与えなければそれでいい。
フィオナが死の恐怖にうずくまるまで粛々と繰り返す。
そうしてまた酸弾を放つ。
放たれた透明な酸弾は海水に触れると速度はそのままに結晶化された。
液体のままでは得られない貫通力を得てフィオナに迫まる。
フィオナは魔導を展開する。
「深海の蒼詩!」
初見よりも多く魔力を消費して展開した泡の壁が酸弾を阻んだ。
そうして、すぐさま高い手札を切らされたことに気付く。
(防戦したところで意味はないのに……!)
結果が使うべきではなかったことを如実に現していた。
泡が絡めとった酸弾は直撃コースから大きく外れていたのだ。
限られた魔力を無駄に消耗してしまった。
命惜しさが理性を押しのけ悪手を打たせる。
そもそも逃げても無駄ならば、踏みとどまり戦闘という分の悪い賭けに出るしかないのだ。
だが、容易くそれを覚悟し、命を賭けられる者がどれだけいるだろう。
脳裏にチラつく逃亡の選択肢、フィオナの無意識がその死に札に縋りついていた。
(自身の加速と対象の足止めが可能な魔導を使って……ここから逃げる……違う、このままだと”見逃す”ことになる)
そう、運よく撤退することが出来たとして、討伐のため万全を期して駆除に向かってくるであろうダイバー達を待つほど、この女王が悠長なはずもない。
巣を捨てて、また新たな巣と手駒を揃える日まで身を潜めることだろう。
そうなれば事態は振り出しに戻ってしまう。
また誰かが巣に入り、同じ状況に陥る。
そんな連鎖は、なんとしても防がなくてはならない。
逃げられないが、逃がすわけにもいかない。
覚悟を決めてフィオナは、巣穴の壁を背にして陣取った。
これにより逃げることを意識から切り離す。
そしてなにより攻撃がやってくる方向が限定される。
初見の射出の際、威力と精度を両立させるために女王が四枚羽でその反動を殺すことに使用して一瞬停止することを知れたのが大きい。
背後を取られ振り向く動作による時間差がなければ攻撃が間に合う目算はある。
(強力な魔導は後一発しか打てない、外せない。《ブレイドシャード》の展開範囲のリソースを前方に絞って射程範囲を稼げれば……)
有効範囲を広げれば威力が落ちる、威力を高めれば有効範囲を狭めることなる。
だが、フィオナの陣取りでこのトレードオフは粗方を解消したと言える。
仕留めきれるであろう威力、そして酸弾の射出による停止からの再始動では回避が間に合わない射程範囲を確保してもフィオナの視界のおよそ6割近くを薙ぎ払える。
(この一手で……)
フィオナの覚悟に呼応するかのように蟻の女王が姿を現した。
羽を広げて足を止める射出のモーションに入る。
(私の魔導が早い!!)
相打ち気味のカウンターになるだろうというフィオナの予想は外れた。
間に合うどころか自分の方が早い。
「深海の蒼詩! 【ブレイドシャード】!!」
前方への展開に魔力のリソースを割かれた刀剣の檻はその密度を極限に高められていた。
研ぎ澄まされた刃の波が幾重にも隙間なく重なり蟻の女王の体を通りすぎていく。
抵抗感を全く感じさせず蟻の女王は細断された。
だが、射出のモーションが止まらない。
(どうして……)
魔力が底を尽き、打てる手がないフィオナを嘲笑うかの如く、射出の予備動作が長い。
止まりかけるフィオナの思考、だが手品の種はそんな状態でもすぐに突き止めることができた。
女王の羽が妖しく光る、フィオナの顔が上からの光に照らされる。
それは真正面にいるはずの女王が放つ光。
(偏光で位置を)
女王はアーマーアントとミラージュストライダーのキメラ。
ミラージュストライダーの特徴は光の反射を利用して一瞬姿を消すこと、それにより外敵から逃亡する。
それを攻撃におけるフェイントに転用したのだ。
水と光が作り出す屈折を操り、フィオナに位置を錯視させた。
逃走のためだけに特性を用いる原種では確認できないであろう使用法。
勇ましくタクトを構えていたフィオナの腕が力なく落ちた。
せめて苦しまず済むようにと全身から力が抜けだしていく。
誰にも看取られず海の底で虫共のエサとなる、最低の死に様にフィオナは弱々しく口元を緩めた。
耳をつんざく女王の咆哮、音の爆発が結晶化した酸弾に乗り切らんとしたその瞬間。
「うっせぇなぁ」
「あ……」
突如として肩を引かれる。
背後から一体のアビスフレームが立ち替わるように前に出た。
剣幕が透けて見えるような低くドスの利いた声は今朝方に彼女が会った男の声と似ていた。
◆◆◆◆◆
乱入してきた深也の様相にフィオナは思わず見入ってしまう。
両手の剣銃、テンペストには、ここまで駆除してきたのであろうアーマーアントの頭部が突き刺さったままであった。
アビスフレームは攻撃され続けたのか避けきれなかった酸液により細部が溶け、船で見た時の【蒼炎】の名に恥じぬ流麗さはもはやない。
「無視してパなそうとしてんじゃねぇ」
当然ながら見入っていたのはフィオナだけで蟻の女王は今まさに酸弾を射出しようとしていた。
深也がアーマーアントの頭部が突き刺さったままの状態で剣銃の引き金を引く。
高速で吹き飛んだ蟻の頭蓋は、女王が作り出した酸の結晶を弾き飛ばした。
続く二射三射を女王が身をひるがえして躱す。
「蟻ンコの分際でミラージュ系とのキメラかよ」
愚痴をこぼしながらも深也のマシンガンもかくやというほどの剣銃による連射は女王の体をわずかに掠めた。
当たってはいない、だが狙いをつけて撃っている。
そのことにフィオナは驚愕する。
(え、正確な位置が……)
なぜ分かるのか、発動しているはずの女王の偏光による幻惑を意に介さず深也の猛攻は止まらない。
絶え間なく連射される熱線を巨体ながらも見事に躱していく女王、だがそれすら深也は瞬時に戦略の1ピースへと組み込む。
射線により進路を操り、自分の間合いへと誘導する。
「エアソリッド起動 【海駆け】【ブレイズエッジ】!!」
エアを燃焼して発生させたエネルギーを剣銃のブレードに移し、対象を溶かし切る灼熱の刃を作り出す。
狙うは攻撃の起点になっている女王の顎、ここを破壊して一気に戦闘力を奪う。
作り出したルート上のポイントへ女王が到達するタイミングに深也は自身の加速を合わせた。
解放された脚部のスラスターからエアを放出し、一気にトップスピードへと。
(”ここ”だろうが!)
タイミング、シチュエーション、ともに完璧な攻撃だった。
唯一、深也が見誤ったのは、蟻の女王の見切りの良さである。
灼熱の双刃は、顎の部分ではなく頭の側面をわずかに十字に切り裂いただけだった。
ほんの0コンマ数秒程度の誤差だが狙いが顎より”後ろ”にズレてしまった。
つまり、女王が先ほどより早くなっているということ。
この敵には偏光による幻惑が通用しない、女王はその事実をただ学習し、強大な四枚羽を推力増強に回したのだ。
女王とはいえ虫である。
自分の能力に過信も尊厳も持ち合わせていない。
通用しないと分かれば簡単に切り替えられる。
それが功を奏してしまった形。
瞬間、手繰り寄せていたはずの勝負の綾がすり抜けていくのを深也は感じた。
(いや、まだ間に合う!!)
すでにブレードの間合いの外だが射程内ではある。
すぐさまテンペストを弾く。
2つの熱線が伸びる、だが、”わずかに”届かない。
「……ッ!コイツ!!」
距離を詰めて続けざまに連射を見舞うが、先ほどまでと違って女王には掠りもしなくなった。
この事態を前に深也の見切りも早かった。
すぐにでも、この勝負から降りなければならない。
後方でへたり込むフィオナと合流し、彼女の腕を掴んでその場を退散しようとする。
「オイ! 退くぞ、今すぐだ!」
「ちょっと! 痛いです!」
それだけ彼女を見捨てたくないと思っていることの表れだが、乱暴に連れて行く深也の手をフィオナが振り払うようにもがく。
牽制射撃を行いながら無理やりに引きずっていく深也。
「貴方、あんな危険な個体を放置していくつもりですか!?」
「ハァ?! 正気かお前!」
「そっくりお返しします! 後ろから見てるだけでしたが貴方なら……!」
「勝てねぇよ、バーカ!! 近接も遠距離も射程とスピードを覚えられた! 今の装備じゃ万回やっても負ける!」
「なっ!」
言いたいことは分かったが、これだけ確信をもって力強く自身の敗北を宣言する男をフィオナは見たことがなかった。
そのある種の不甲斐なさがそうさせるのか、フィオナの義憤と期待の心に余計に火がついた。
「この機会を逃せば、将来もっと多く人に被害が出ます!」
「クソ他人事じゃねーか! 弱いクセに責任感に目覚めるな!」
「……! 貴方だって強いのに逃げるクセに!」
戦闘開始からずっと冴えてきた深也の思考がここにきて停止する。
一体なんだというのか、このNPCは。
命を持たないゲームキャラがなぜここまで自分をかき乱すのか。
出会った時にも感じた出所の分からない懐かしさを筆頭に、バックボーンとするものがない感情が湧き出すのを止めらない。
そんな感情でも自分の中の指針が揺らぎ始めていることが自覚できる。
(まさか、コイツに嫌われたくないのか俺は……ハァ!?)
いったい何を考えているのか自分は、たかがゲームのキャラに嫌われたくないなどと気色の悪い。
今すぐこれを考えたバカ開発者を呼びつけてやりたかった。
だが、今から自分も負けず劣らずのバカな賭けをすることになるだろう。
「…勝てない勝負に勝てって……お前さ、これ片付いたら覚悟出来てるんだろうな」
「!……本当に不埒ですね!!」
「下がってろ!!」
そう言って深也はフィオナの腕をさらに力強く引っ張って自分の後方へと放り投げる。
そして迫る女王にテンペストを一発。
凄まじいスピードを加味した置くような射撃を女王は、あたかも見切っていると誇示するかのように射程外ギリギリまで下がって躱してみせた。
(インプットの時に射程をケチったツケがでかい……こういう時に融通が利かなさが出るな)
エアソリッドシステムは予め大気の魔導炉にインプットした動作のみを行う。
状況に合わせて強めに打つ、弱めに打つといったことは強弱の設定をしていなければ出来ない。
その中でどう運用するのかということだ。
期せずして真面目なバカだなと内心で罵った蟻たちと同じことをしている自分に驚く深也。
(なるほど、女からの頼みを断れなかったのか)
そりゃバカもするか、と合点がいったところで要らぬ思考を切り捨てる。
今現在求められていること、その前提条件も、はっきりしている。
手段は、そこから逆算していけばいい。
射程が見切られていない武装で、見せてしまった《海駆け》以上の超スピードで、一撃で決められる威力を以て
殺る
足を止めた深也に対して女王が四枚羽を開いた。
場所は通路ばかりの巣の中でも先ほどよりも広い、踊り場のように開けた空間だった。
スピードの差がより顕著となる不利な地形だ。
女王が海中を飛翔する。
(さっきより速え……!)
だがスピードを重視しているためか直進が多い。
これならまだ先ほどのように進路を操れる。
あとは一瞬でも、このスピード差を覆せば攻撃を合わせられる。
ここまでの道中でエアも残り少ない、もう後がない。
最後の攻撃になる。
熱線が蟻の女王の行く手を遮りながらその進路を操作していく。
極限の集中が必要となる進路予想と精密連射、エアの消耗がもたらす脳が焼き切れるような感覚に酔いしれる。
「離れてろ! エアソリッド起動! 《海駆け》《ラス・イグニス》!!」
加速用と熱線強化用、二つのエアソリッドを同時に起動する。
深也は剣銃をスラスターに見立て、後方へと噴射させた。
女王の酸弾しかり強力な射撃には比例するように強力な反動が付き物だ。
それを利用する。
反動とそこに加わる熱線のエネルギーが想定を超える速度をもたらす。
叩きつけられる水の抵抗をアビスフレーム《蒼炎》の流線型の装甲が受け流した。
だが、これでもまだ速度が足りない。
熱線の放出は一瞬、体を速度にのせればブーストにもう用はない。
ためらうことなく剣銃から手を放して無手になる深也。
その、ほんのわずかな積載量の削減が女王との速度差を、距離を、完全に潰した。
女王の眼に時間が飛んだかのようにアップになった深也の姿が映る。
深也はそのまま女王の体にある先ほど自分がつけた十字傷に掌底を叩き込む。
常軌を逸した深也の膂力と傷が外殻を貫通させた。
「エアソリッド起動! 《エーテル・ブリンガー・リバース》!!」
深也が持つ最後のカード、それは掌底部分に仕込んだエア吸収のシステムであった。
システム本来の用途は戦闘終了後に倒れた敵の大気の魔導炉から、または海中にある一定以上のレベルの海魔石からエアを吸収するというもの。
その吸収せんと走るシステムを反転させる。
用意された正規の供給箇所を無視して、許容量を超えてもなお、相手に劇薬を流し込み続ける。
己を顧みないことで手に入る確殺の一撃。
これは相手アビスフレームの大気の魔導炉と各種武装をつなぐ回路へ無理矢理にコネクトすることで可能になる。
海魔石を心臓とする生体アビスフレームとも言える海凶にも当然この回路に近似したものがあった。
「くたばりやがれ!」
堅牢を誇るアーマーアントの外殻、その特性を併せ持つ女王の体がいびつに膨れ上がる。
だが、全長8メートル越えを誇る巨体を溢れさせることができない。
女王が突き刺さった深也の腕を引き抜こうともがき、必死の抵抗を見せる。
決めきれない原因は明白だった。
戦闘終了後に深也自身が巣から脱出する際に必要となるエアの残量をキープするために供給を小出しにするよう組んだセーフティシステムを同時に起動しているためである。
「クソがァ! だったら全部くれてやるよ! いい加減ッ……爆ぜろ!!」
アビスフレームに内臓された大気の魔導炉が上げる悲鳴を無視して、今持てる全てのエアを叩き込む。
急激な無酸素状態で赤黒く濁る視界が、今度は意識と比例するように白で覆いつくされていく。
(やばい…なんだ、落ちる? これゲームのはず……)
一瞬浮かんだ疑問、だが、ぼやける意識では捕まえられず、ひたすらエアを流し続ける。
深也の瞳は、弾け飛んだ女王だった残骸を映す前に閉じられてしまった。