7話 デスペラード
蒼乃深也の脳内の譜面は、まさに底を尽きかけていた。
流行りのポップスのストックは無くなって、後はクラッシックをいくつか残すのみ。
弾けるほど覚えているものとなると……鎮魂歌は流石に縁起が悪いの思いとどまる。
ブリーフィングルームの机を鍵盤に見立てて弾くのに飽きた深也は、様子を見に行っていたシャックが戻ってくるなり尋ねた。
「そろそろ出発したいんだが……あいつは?」
フィオナが装備確認のために別室へ向かってから、すでに十分すぎる時間が経っている。
深也も、こと女性相手に準備の遅さを咎めるような真似はしたくないが、いい加減しびれを切らし始めていた。
「えーと、あの……怒らないで聞いてね?」
普段から軽薄なシャックの声音だが、こんな吹けば飛ぶほど薄っぺらくなるのは珍しい。
真紅の瞳も所在なさげに左右へ踊っている。
「なんだその予防線、お前は俺をなんだと思ってるんだ」
深也は片肘をつきながら、面倒くさそうに先を促す。
実際こんな何でもないはずの問いに、シャックが言い淀む理由などないはず。
「先に行っちゃったみたい」
「は?」
「こんなのが置いてあってさ」
そう言ってシャックは深也に1枚のメモを差し出す。
『足を引っ張られると思いますので先に行きます。帰還ご自由にどうぞ。その際はお気をつけて』
言いたいことだけ詰め込んだフィオナの書き置きに深也の眉と口角が引きつる。
一瞬、内容が頭に入らず「達筆だな」などと思ってしまったのが、心中の色々に火を点けた。
「ぶっとばすぞテメェ……」
「ぼく!?」
腹が立つタイプの素っ頓狂なシャックの声が、着いた火にこれでもかと油を注いでいく。
「なんでドアの前で立っておくとかしねぇんだよ!」
「覗きの心配をさせるわけにもいかないから離れて待つしかないのは、シン君も分かってるじゃーん!」
「んなことでお前の株が下がるとか知らん! それでお前がクビになろうがクソどうでもいい!」
「そんなこと言わず助けてよー!!」
今日一番の青筋を額に浮かべる深也に、シャックが泣きつく。
いつものパターンで、最終的にはさっさと解決したほうが早いと面倒を嫌う深也が先に折れてしまう。
深也自身も自覚していない心の習性を、今回の件でシャックは完全に察していた。
「……お前さ、その杜撰さでなんで事務方についてるんだ? なぁ」
「さぁ……それは僕にも疑問だけど、今は問題の解決に専念しない?」
手伝う流れになったのを敏感にキャッチして、シャックがさっそく調子に乗り出す。
着火と消火の天才的な手腕に、深也は肩と口角の痙攣を抑えられない。
「後で覚えとけよ……とりあえず今からでも追いかけるしかないか。首根っこ掴んででも一緒に船まで戻る。お前は残って適宜フォロー出来るようにな」
「いいね!」
「念のため、何人か回してもらう手配もしとけよ」
「了解!さすがシン君分かってるぅ! 」
「お前はほんとに分かってんのかね……」
そこまで言って深也はフードを目深にかぶった。
フードに遮られて少し狭くなる視界に合わせるように、思考が急冷されていく。
「展開」
アビスフレームが地上で唯一使用可能なのがこの展開指令、入水前に密閉形態をとる。
深也からの指令に〈アビスフレーム〉が衣服から本来の姿へと移行していく。
地上では硬質化こそ出来ないが、内部では繊維が隙間なく結合して装備者を密閉していく。
「アンカー使うぞ」
シャックの返答を待たず、船に積んであった潜水のためのアンカーを掴み、深也は海へと飛びこんだ。
重量により深海へと一気に引きずられていく。
(この義務感からくる焦燥感……好きじゃないんだよな……)
未知へと向かうことを実感させる海のグラデーション、いつもなら心躍る光景だが、仕事となると途端につまらない。
つくづく自分は義務感で動きたくない人間なのだと、深也は改めて自覚する。
相手の都合や希望要望など知ったことではないと、ゲームの中でくらいは言い張りたい。
なのに何故、自分はこの程度のフラストレーションで済ませているのか、嫌みの1つも出てこないのか。
そもそも何故、フィオナに対して義務感が働くのか。
まだ深也には分からない。
「ほんとあの女……何が助けさせないでくださいね、だよ」
つまり、『いざとなれば私が貴方を助ける』ということ、自分だけで行くという判断も根源を辿れば、足手まといになりうる深也を巻き込まないための彼女なりの配慮である。
だが、そこまで考えをめぐらせることもまだ出来ない。
◆◆◆◆
(……ここだな)
そこは周りの岩礁とは明らかに異質であった。
深也は潜水してすぐ、気泡が弾けたような痕跡を残す岩礁地帯を発見、気泡の密度が高い方へと辿っていくと入り口らしき大穴があった。
一見しただけで、自然に出来上がったものではないことが分かる。
用意周到に、入ってすぐの曲がり角によって奥への射線が切られていた。
深也は入り口付近の壁を小突く。
(崩落は……するわけないか、巣にならない)
アーマーアントは、その強靭な顎によって粉々に砕いた鉱物を粘性の強い酸で溶かし、再び顎でそれを噛み締めることで不純物を排して”鍛え上げる”。
そうやって水圧をものともしない無数の部屋と、毛細血管のような迷宮を鍛造するのだ。
(異様に広い入口だな……アーマーアントの巣にしては、規格外だ)
入り口の大きさに深也は眉をひそめた。
これまでも何度かアーマーアントの巣は見てきたが、その中でもダントツと言っていい。
(アーマーアントみたいな雑魚が自分たちより体格あるのが入ってこられる巣穴を作るか?……いやそんなことよりだ。ここにいないってことはアイツ、巣の中入っていったのか……)
悪化の一途を辿る状況に、ヘルム越しでありながら深也は、うなじを掻いた。
思い当たる節は随所にあった。
フィオナはライセンスを持っていない、加えて護衛まで付けるという待遇を受けている。
その時点で考慮出来た可能性だが、魔導士というワードのインパクトによって覆い隠されてしまっていた。
(浮世離れした雰囲気はあったが、まさか実戦経験が無いのか……)
巣穴に入って駆除を行うダイバーは滅多にいない。
海凶のホームグラウンドである以上に、入り組んだ構造により帰還が遅れれば窒息死の危険が非常に高くなってしまう。
入り口で待ち伏せるか、何らかの方法で炙り出したところを駆除していくのがセオリーとなる。
(窒息……このゲーム、死んだら終わりなんだよなぁ……まだ乙ったことないけど。NPCにもキャラロストはあるみたいだしな)
様々な『取り返しのつかない要素』を天秤にかけて発生するリスクヘッジが思考を痺れさせる。
それこそまさにハードコアの醍醐味ではあるが、ここまで気が逸ると味わいも何も無い。
「あー、もう何なんだ……」
次から次へと出てくる懸念が深也の中でせめぎ合ったが、結局「アーマーアントなんて雑魚だろ」という認識が勝った。
武装である剣銃【テンペスト】も構えず、巣穴へと入った。
途端、その認識は少なからず改められることになる。
曲がり角を超えると、視界が一気に開けた、大広間のような空間だ。
そして深也が入ってくるのを待っていたのか、壁に擬態していたアーマーアントたちが一斉に蠢く。
大きさもあるが、視界に収まりきらない数である。
(なんだこの不恰好なのは、亜種かよ。てかこの数、マジでアイツ駆除してたのか?)
入ってすぐのモンスターハウスは、焦りどころか深也に更なる冷たさを注ぎ込んだ。
(またえらく死に急ぐな……)
まっすぐ向かってくる蟻たちにテンペストの銃口を向けるが、蟻たちは一気に散開して深也の視界の外へと消えていく。
アーマーアントたちのネットワークは『どうすれば敵がもっとも苦悩し、消耗するのか』という、フィオナとの戦いによって得たフィードバックを、群れ全体へ既に行き渡らせていた。
(亜種かと思ったが、亜種の速さと移動法じゃないな、別種の海凶とのキメラか。末端がこれってことは女王個体は……)
蟻たちの状態と移動方法、そのスピードから、女王がキメラであることに深也は即座に当たりをつける。
フィオナが単身でこの巣に入っていったのだとすれば、こんな雑魚にかまっていられる時間はない。
だが、追いかけられながら探索と救出を行うなど、もっとやっていられない。
深也の思考が、殲滅へと切り替わる。
海凶もいまや海の生態系の一部、通常はライセンス試験だろうと駆除には上限数が設定されている。
だが、今の深也にとってそんなもの知ったことではない。
「エアソリッド起動 〈海駆け〉〈ラス・イグニス〉」
包囲するためとはいえ、旋回するということは、直進していれば詰められたはずの距離を捨てたということ。
なら、その距離を拾いにいけばいい。
加速スキルである〈海駆け〉を使い、深也は急速に”後退”する。
視野外へ消えていった蟻たちの姿が、再び視界と射角の内側へとおさまった。
エアソリッドシステムにより強化された2丁の剣銃が火を吹く。
マズルフラッシュにも、似た閃光の如き熱線が蟻達の外殻を溶かし、貫いていく。
放たれる熱線の直径は大型拳銃の口径ほど。
だが、着弾し体内を貫通する際に拡散していく余波が、その何倍もの広さで内部組織を溶解させていく。
大人の握り拳大の風穴が開いたコンマ数秒後、痙攣の後に巨体は沈黙した。
倒れていく群れの仲間を他のアーマーアントは、ただ凝視している。
(虫でも呆気にとられたりするのか?)
情報伝達のための硬直であろうが、一瞬とはいえ敵の前でやるのは、途方もなく危機感に欠けていた。
深也は動かない的にむけて引き金を引き続ける。
足の止まっていたアーマーアント10数匹が、数秒で肉塊へと変わった。
もはや趨勢は決している。
これが対人戦闘ならば、敵の戦意はとうに挫かれているだろう。
だが、個としての意識を持たず「群れとして負けなければよい」と刻み込まれた蟻達にとっては、ここからが本領。
臆することなく、不規則に”蛇行”しながら接近してくる。
どうやら情報の共有と対策の検討は終わったらしい。
(真面目なバカだな)
深也が内心で抱いた評価は的を得ていた。
そんなことをしても焼石に水、無駄な足掻きにしかならない。
対抗策をとったところで身体能力が上がるわけではなく、パフォーマンスの上限に何ら変化はない。
武器と防具という外部オプションを有し、生来の知能と磨かれた技能のある人間相手に、身体機能の範疇で出来る事をやっているだけの野生生物が勝てる道理などない。
つまり負け戦だ、無駄死、死ぬしかない。
それでも向かってくる、死ぬことが目的かのように。
(愚直すぎる……そうか、時間稼ぎか。女王が狩りと食事の最中だから邪魔をするな、と)
単なる推測でしかないが、おそらくは的中している推測だろう。
ただ、そこまで冷静に考えていた深也の思考が、急激に沸騰しはじめた。
不愉快、思わず顔が歪むほどの不快感。
一体どういう訳で湧いてでた感情か。
ただ、あの場でシャックを蹴り倒して帰らなかったのが正解だったことは分かる。
フィオナを無事連れて帰れば、この不愉快さが解消されるであろうことも。
上下左右に蛇行して向かってくる蟻達に、深也の構えた2丁の剣銃が、追尾するかのようにピタリと照準を合わせた。
「退け」
静かな声だった、深也は消し飛んでしまった冷静さを取り戻そうとしている。
しかし、テンペストの名に恥じぬ銃声の響きは深也の内心を隠そうともせず、むしろ雄弁でさえあった。




