6話 プレデター
陽光の届かぬ深海、たとえ海凶の巣穴の只中にあってもダイバー達の視界は良好であった。
これには海魔石が大きな役割を果たしている。
海魔石は何らかの条件が重ならないかぎり自然環境の中で大きな結晶となることは滅多にない。
基本的には粒子のまま、そしてその粒子は外的衝撃などで簡単に砕ける。
その際、わすがに光るのだ。
砕けたことで結合率が高まり、また粒子サイズまでは大きくなる。
そしてまた砕け、光り、集う。
この終わりなき循環が海底にありながら、ダイバー達に淡い光をもたらしていた。
淡く輝くどこか幻想的な巣穴を、アビスフレーム【ナイトヴォルグ】を装着したフィオナが静かに進んでいた。
ナイトヴォルグは狭隘な岩礁地帯での戦闘を前提にしたアビスフレームを設計開発してきたギルド、夜烏が手掛けた傑作機である。
彼らの支配海域は岩礁により狭所となっている地形が多い。
その狭さゆえに、ダイバーたちは海凶相手に数で攻めることも出来ず、回避行動にも悩まされてきた。
だが、そんな劣悪な環境下で開発調整されてきたからこそ、
夜烏のアビスフレームは、装甲、運動性、隠密性を高い次元でまとめ上げていた。
特に隠密性で言えば他のギルドの追随を許さない。
それでも、その隠密性を以ってしても、今の状況にフィオナは違和感を覚えずにはいられなかった。
(これだけ倒しても感知されていない?……)
ヒトを超えんとする海凶は、みな特殊な感知能力、伝達能力を持っている。
アーマーアントのそれは、リレー通信のようなもので一匹がやられた場合、すぐさま近くの個体がそれを感知、と同時に別の仲間へと伝え、瞬く間に情報が群れに伝播していく。
仮に連続してその信号が発生するようなことがあれば群れへの被害を抑えるために戦闘に優れた個体が迎撃に出てくるはず。
ここまで巣穴を進んできてフィオナは群れの規模を概ね把握できていた。
かなり大きい、成体ばかりなところを見るに群れが出来てから長期間経っているだろう。
群れの中で役職や、それに伴うヒエラルキーなども出来上がっているはず――なのに、統制に欠ける。
群生の生物が個別で外敵の対処に当たる意味がない。
(見つけた、けど……)
懸念を抱きながらも最奥部へ進んだフィオナは、20メートルほど先で群れているアーマーアント8匹を発見したが、その形態の異常性に体を強張らせた。
外殻は左右非対称であり、脚は折れたり切断された訳でもないのに長さも形も不揃いになっている。
そして何よりも全長だ。
5メートル、大きくても6メートル前後であるはずのアーマーアント。
それが目測だが、8匹全てが7メートル近くあった。
(女王となっている個体の側近? エサのおこぼれによる栄養価の向上でサイズに関しては多少の説明がつく……けど、これはあまりにも…)
外見だけでも強力な亜種へと移行する兆候が見て取れる。
試験の要件は駆除”数”だが、こんな危険な個体は見逃せない。
フィオナがタクトを構えようとするより先に、彼女の存在に気づき群れが動いた。
触覚がダウジングのように動き回り、馴らすかのように顎を開閉するとアーマーアント達は”水の中で”踏ん張った。
通常であればバタ足の原理で足を動かして推力とするのがアーマーアントの”泳法”だ。
見た目は力強いが、イカやタコのような軟体生物と違って柔軟性に欠けた多脚のデメリットは大きい。
多脚が仇となり推力の方向性の分散する。
無駄が多いため初速は遅く、そこからの加速も微々たるもの、最高速などお話にならない。
だが、異形の蟻たちは海中を”滑った”。
水を掴んで足場とするような爆発的な初速、そして長さが不揃いの多脚が生み出す変則的な推力は、脳の軌道予測に従って動くフィオナの眼球から蟻たちの姿を簡単にかき消した。
(囲まれてる!?)
立体的に展開することのできる海中での死地の定義は極めて単純、全包囲である。
「…ハァ……」
フィオナの口から自虐の溜息が漏れる。
もちろん、蟻達はそれに続くであろう遺言など待たない。
最高速の突進とアギトで、フィオナの体を8つに裂くだけだ。
「深海の蒼詩、【ブレイドシャード】」
フィオナを中心に、刀剣の檻が展開された。
それは海水を極限まで圧縮し、高速回転させ、刃と化したもの。
鉄格子のように張り巡らされた水の刃が、殺到する蟻たちを瞬時に細切れにしていく。
衝撃を受け止め斬撃を受け流す堅固なアーマーアントの外殻は刃詰まりの音すら鳴らすことはなかった。
装備の機構に左右されるエアソリッドシステムでは、ここまで細やかな水流の操作は出来ない。
魔導の力が可能にする全方位への防御兼迎撃である。
彼女の前に、速さだけの一芸者など立つことすら許されない。
もっとも、フィオナ自身も対価として多大な魔力を消耗する。
「っフー」
今日初めて、というより人生初めての本物の窮地からの脱却と急激な消耗。
フィオナは知らず一呼吸ついていた。
そして、その消耗した瞬間こそが、異形の蟻たちの異形の女王が見たかったもの。
女王は城に入り込まれたことを感知していた。
ただ、観察に回っていただけ。
あえて統制を外し、群れの戦力を小出しにして当てながら、敵の反応と戦術を見極めていたのだ。
群れなど自分さえ生きていれば立て直しがいくらでも利くと女王は知っている。
最終的に”自分が”勝てばよい。
そしていま、敵の奥の手と消耗を見た。
もう十分だ。
後はこの者を食って、失った配下を産むための糧とするのみ。
(女王個体!)
フィオナが巣穴の岩壁だと思い込んでいたものが突如として大きく歪む、水による屈折ではない。
周囲にとけこんでいた輪郭が、姿を現した。
脈の浮き出た青みがかった4枚羽、10数メートルはあろうかという巨体だが、シャープなフォルムと特徴的な足の長さにより鈍重さは微塵も感じられない。
通常の個体であれば大きな鋸状であるアギトはぴったりと閉じられ、両刃剣の切っ先のように研ぎ澄まされている。
(ミラージュストライダーと女王個体のキメラ……マズイ!!)
ミラージュストライダー、光をねじ曲げる特殊な外殻を使って、敵から一瞬姿をくらませることを得意とする海凶。
戦闘においては雑魚の部類、脆い外殻に弱い顎と、戦うのではなく逃げて生き延びていく生態だ。
だがこのキメラは、その弱点をアーマーアントの堅固な外殻という因子で完全に補っている。
親たちの弱さを受け継ぐこともあるためキメラは一概にも強力な存在とは言えない。
まして補完するような交配かつ、それぞれの強みだけを受け継ぐようなケースなど数えるほどの報告例もない。
だが、そんな悪夢のような落とし子に出会ってしまった。
女王が咆哮する。
水の抵抗に捻じれ狂う音響と共に、女王の口から何かが射出された。
”動作から”そう判断しただけで、フィオナにはその何かが視認できない、不可視だ。
「深海の蒼詩! (ッ間に合わないか!?)」
フィオナがとっさに放ったのは海水の粘性を高め、無数の泡として展開する捕獲用の魔導。
触れれば泡が弾けて周りのものすら巻き込んで絡めとる。
防御用ではないが、彼女の直感が無数の選択肢からその魔導を選び取った。
フィオナと女王の間に形成された泡の壁に、何かが着弾する。
弾け飛んでいく泡と引きちぎられていく粘液が、不可視であった飛来物の弾道を浮かび上がらせた。
直撃コース、ここまで詰められてしまうと回避も間に合わない。
「ッくうぅ……!」
フィオナはアビスフレームの装甲に頼った緊急時にとる苦肉の受け流しを行った。
技能として知ってはいたし、出来もする。
だが、まさか魔導士である自分に使う日が来ようとは思いもよらない。
それが、自覚のない思い上がりが、瀬戸際での精度を下げる。
数万にも及ぶ層が構築する装甲が浸水を防ぐための最低値まで消し飛んだ。
被弾部を確認したフィオナの目に抉られて露出した装甲の断層が飛び込んでくる。
この瞬間、フィオナの中でグラリと何かが傾いた。
何かとは自尊心であり、それは心の平衡を保つためのもの。
ついて回る死の存在に思考が直面しないよう、無意識のうちに心が設けた緩衝材である。
それが装甲と共に剥がれ落ちた。
何をもって死なないなどと高を括っていたのか、そんな疑問を先駆けにフィオナの思考が凍り付く。
妄信していた根拠に入った亀裂、そこから死への恐れが雪崩れ込む。
そして生来の捕食者である女王の本能が、己に対する獲物の恐怖を見逃すはずがなかった。




