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DIVE / DIVA  作者: 葉六
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28話 シフトチェンジ

 深也は、ぼんやりと、果ての見えない水槽を眺めていた。 

 中の水が光っている、初めてこのゲームをプレイしたときに光る海へ感じた既視感は……

 そうだ、小学生の頃、両親に連れられて行った水族館の、一番大きな水槽の前に立ったあの時の光景が脳裏に焼き付いて……焼き付いて、いや? 違う、のか……何だこれは。


 もっとよく見たいとかざした好奇心という虫眼鏡、色の落ちた古びた幼い日の写真おもいでに強すぎる光が集まり、落ちて、白く焦がしていく。

 過去というのは消えないモノのはずなのに、とってつけた脆い色紙のように写真は燃え尽きてしまった。

 燃えて剥がれたその裏側から潮風が香る。

 確かに何かが揺さぶられた。

 自分は、このような光る海を実際に見たことがあったのではないか、どこかで誰かと。


 うまく力の入らない足で水槽へと歩み寄る。

 透明なガラスだけが隔てる海は、境界などないように曖昧ですこし不気味だが、だからなのか目が離せない。

 夏の虫にでもなった気分だ。

 そんな気分に水を指すもないが光に人影が差した。


「これで終わりか」


 ゆるりと水の力に任せながら、男は深也の前へと降りてきた。

 胡坐をかいて片肘をついて不機嫌そうに、空いている手でうなじを掻いている。

 そんな”らしくない”仕草がより引き立てていた、深也と瓜二つの容姿を。


「気味ワリィ」と停止している思考が安直な感想に飛びつく、しかし本当に気味が悪かったのだ。

 呆れたように傾げた片眉、値踏みしながらもすでに見下げた目つき、軽くあがった口角は嗤うことすら億劫だと雄弁に。自分がおよそしたことのない表情筋の使い方をしている。

 そして深也が見ているのだから男も当然深也の様相を見ているわけで、自分が誰なのか深也が気づいていないことに気付いた男は特大の溜息をついた。


「はー、冗談でももう少しマシなのを寄越せと……これのどこが」

「……シンか?」

「ノロマが、瀕死の蝸牛の方が幾分か俊敏だぞ」


 どうやら本当に値踏みをしていたようでシンは軽蔑と呆れの視線を容赦なく深也へと叩きつける。

 だが蝸牛以降の言葉は直ぐには無かった、何度か口を開こうとしてはその間さらに評価が下がったようで口をつぐむを繰り返していく。


「悪口なに言うかで悩むなよ」

「お前は足りて無さすぎる頭も腕も、心も。足りていない程にどの言葉でも言い足りんな……そもそも正気か?」


 どうやら、気が狂っているならば理解できる低能ぶりだと情状酌量の余地を模索する素振りという今世紀でも稀に見るに罵倒へ行き着いたらしい。


「……気は確かだと思うが……で、ここど「ようやくそれか」」


 どこに立っているかも分からず間抜け面を晒して水槽を覗き込むのに集中していた。

 書き起こせばそれなりに威力高めな様子のおかしさだろう。


「食い気味に一言余計だよ……夢じゃないよな? 妙にリアルというか生々しい」

「まぁ半分正解だな、ここはエアが作り出したもうひとつの現実だ。空想と現実、魂と肉体の境界線おとしどころと言ったところか。俺もお前もお互いを認知できるし、今はまだ現存している」

「……今はまだ?」


 それは猶予があるというニュアンスではなかった。

 底知れぬ強さと余裕があるにも関わらず頼りなくも感じる、終わりを悟った者の声だ。


「ちょっと手を出せマヌケ」

「? こうか?」


 唐突に突きだされた手、不可解だが拒むほどの要求でもなく水槽のガラス越しに鏡合わせで手のひらを重ねた。

 それは純粋無垢なる憐れみからだったのだろう。

 ひどく短絡的な、その都度その都度で目の前の弱った者へ発揮される正義感じこまんぞくがそうさせた。

 何者かもはっきりしないモノと、どこかも定かではない場所で、意図の読めない要望を叶えた。


「……俺とアイツじゃ耐えた時間の桁が違う。許してやってくれ」

「アイツって誰だよ、それに許すとか許さないとか急に何の話してる」

「今から主人格はお前だ……焦がれた異海だぞ」

「……!!?」


 困惑が言葉として口から出ない、吐き出されるのは巨大な泡の塊ばかり。

 水槽の内と外が入れ替わった?? ガラスのような何かで隔てられていたはずの……


 空想と現実、魂と肉体の《境界線》、その内と外が


 困惑が怒りへ変換されるのに時間はいらなかった。

 殴打を、蹴りを、目の前で先ほど自分がしたような憐れみを湛えた自分がしない種類の笑みを浮かべる自分と同じ顔をした化け物へと繰り出す、だが届かない。

 ガラスの壁などではない全く別種の空を切るような虚無感が拳を遮る。


(クソッ……覚めるな!!)

「片側のお前ひとりが足掻いても無意味だ。もう片側の俺が降りるのだから、ここは秒ともたん」


 比重が偏れば、どちらでもあることによって成立していた”場”が崩れ去ってしまう。

 何よりもこちら側で自分が目覚めるのマズイ、確信がある。

 目覚めれば最後、今の立ち位置が現実として確定してしまう、戻れなくなる。


(あ……)


 霞ながら切れていく視界にもうシンの姿はない。

 それはただの夢となった証、寝て起きて食って排泄してまた寝る現実の肉体がたまに見るアレだ。


『お前とのダイブ、思いのほか楽しめた、じゃあな』


 単なる悪夢だ。


 ◆◆◆◆


 数分前、ギルド【炎天の支柱(フレイムピラー)】の病室にて


 ケインとの戦闘後、意識を失い倒れた深也はフィオナによってここへ搬送されていた。


「……起きた! 起き、ましたか?」

「そこまで綺麗な声だと、寝起きだろうと気にならんな」


 固唾をのんで覗き込んでいたフィオナはそれはもう瞼の微妙な弛緩すら見逃さず、その起床に反応してみせた。

 しかし反応したはいいものの歯切れが悪い、なにせこの男、目を覚ましはしたが、誰が目を開けたのか定かでないという妙なことになっているのだから。

 あの時、瀕死の重体から立ち上がった時、すでにフィオナが知っている深也ではなかった。

 強者なのは勿論だが、数多の勝利と敗北を積み重ね続け、自分だけが生き残ってしまう死線を潜り抜け続けた支配者の風格を持っていた。

 今まさにベッドから上体を起こした男のように。


「声が……」


 よって直ぐに分かるはずなのだが……判断に迷った。

 まず纏う風格が違った、言葉遣いも似つかない。

 しかしなによりもフィオナが一番見分ける頼りとしていた差異は”声”が惑わせる。

 面倒くさそうにしながらも優しく笑う彼からは出てこない、あの底冷えするような声。

 その差異が”無かった”。

 そのためにフィオナは困惑する、単に起き抜けで本調子ではないだけなのだろうかと。


「……心配そうな顔が一番似ているのか」


 やはり、違う。

 言葉の内容など、どうでもいい。声は同じだが確かに違う。

 確信があるほど違うはずなのに、嬉しくとも何ともないはずなのに、何故か懐かしくて、たまらなく懐かしくて、フィオナは泣き出しそうになった。


「シンくん、ご飯だよ、食べれば治るよ。お!起きてる! ……」


 激しい郷愁に飲まれそうになる前に叩き開かれたドアの音と底抜けに明るい声がフィオナを引き戻す。

 見舞いも兼ねてかシャックが配膳車と共に部屋へと入ってきた。

 そして自分の方へとベッドから身を起こした何者かの視線を向けられた瞬間に、その軽薄な笑顔に拍車がかかった。笑うように射殺すように目を細める。


「誰」


 笑いながら不愉快さを隠しもせずシャックは尋ねた。

 内包された威圧は、これが疑問というより処断の前の最終確認であることを如実にしている。

 返答が正確であるかどうかは最低限、それも答え方次第で今以上に機嫌を損ねても命に関わる。


「クク、こっちは薄ら寒い笑みと奥底で燻った眼光だな……」


 先刻の戦闘の際にその場におらず、今しがた部屋に入ってきたばかりのシャックにとっては何ら普段と変わらぬ姿形と声のはずで、不審な差異に関してはまだ把握していない状態なのだが、目の前の男の纏った空気だけで必要十分な情報だったらしい。


「で、誰だよ手前」

「……シンだ」


 思わず身を強張らせるフィオナ、今のはおそらく最も言ってはならなかった、間違いなく禁句だろう。

 シャックの浮かべた形相を首を動かさず横目だけで確認し激しく後悔した。

 今まで見せてきた笑顔は全て作り物だったのだろうと思わせる本物の笑み、タガが外れかかっている。


「カンに障ったのは伝わるが、残念なのか幸福なのか嘘じゃないのでな、お前に嘘をつく理由もない」

「その声で喋るな。失せろ、次やったら殺す」

「言われずとも……だ。いやまぁ……最期に見たいものが見れた……」


 満足げな表情でそう言うとシンは糸が切れたように、軽く船をこいでベッドへと沈んでいった。

 残された濁りのない穏やかな寝顔を覗き込んでからフィオナは止めてしまっていた息をようやく吐き出した。

 シャックも殺意を放熱するような息をしてから空いていた椅子へ崩れるように腰掛ける。それでも余熱冷めやらぬのか少し肩で息をしていた。

 フィオナは一瞬だけ逡巡する。

 今なら話しかけても良いだろうか、少なくとも怒りの矛先がいなくなったからと周りに向けるようなタイプではないはず。


「何だったの、でしょうか……どう感じました?」

「ふわっとした質問嫌いだァ……まぁでも君が受けた印象と同じだと思うよ。鬱陶しいくらい懐かしかった、親近感の押し売りみたいなさ」


 口直しとばかりにシャックは水差しからついだ水を煽る。

 あえて口には出なかった、いの一番に感じた底の見えない”強さ”も共に飲み下された。


「さっきのやり取り……ここは海の中じゃないですよ。強がるにしても場所を選んでください、彼の身体能力の高さは知っているでしょう?」

「選らんだよ、ちゃんとね……どちからと言うと選べるようになってしまったんだけど。ここは……もうおかの上じゃなくなってる、後で自分でも試してみなよ」


 軽く指を鳴らしたシャック、その指先に激しい火花が舞った。それが何らかの人為的ヒトのなせるな技巧の範疇による代物ではないと魔導士ウィザードであるフィオナには一瞬で分かってしまった。


「いまのは、でも海中でしか使えないはず……」

「そのはずだった。異海への”鍵”がいくつか開けられたんだろうね」


 審判の大洪水、その予兆。

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