25話 ホワイトリーパー
シンとケインは互いに自身の背後まで思い切り腕を振りかぶっていた。
もう後戻りは出来ない。
これから始まり一瞬で終わるのは、差し合いや間合い取りの妙といった総合技術が試される中距離戦ではなく、超近距離戦での一撃勝負。
どちらも一刀の下に切り伏せるだけの膂力はあるが、それがスタートラインの世界である。
スタートラインから先はただ残酷さしかない。
技術介入の余地が極端に削ぎ落されたパワーとスピードが絶対の世界。
アビスフレームの出力は互角、ならば装備者自身が差となる。
その単純な身体能力でケインに劣るシンでは見えている勝負であった。
ただしこの『見えている勝負』というには些か以上に語弊があった。
『シンには視えていた勝負』というのが正しいか。
とっくに、死合が始まった瞬間から、この状況までの構築がシンの中では出来上がっていた。
後はケインに自覚なく読みを噛み合わさせる、やるまでもなく見えている勝負へ突き進むように。
ケインの思考判断を縛り誘導した要素は、急所、技量差、権能の3つ。
まず急所であるフィオナ、確かにシンはフィオナを護衛する意識があり、それをケインに見せてしまっている。
となると、この犬は必ず急所を嗅ぎ付けてくるだろう。シンはケインの洞察力を甘く見ていない。
射線の重なりを切ったことでケインは自身でなく、自分の攻撃をフィオナへと誘導させ一瞬の硬直を引き起こすことを狙ってくると読み切る。
ケインが分かり易く攻撃を誘って来た時にはシンの口角はこれでもかと吊り上がっていた。
そして技量差がケインの手幅を更に狭める。まともにやっても打ち勝てないほどの技量面でのアドバンテージがシンにはあるのだからケインは自分の土俵で戦うことを選ぶしかない。
それもこれも初手の読み誤りさえなければケインもおそらく憂慮していただろう。
始まってすぐ何の躊躇いもなく披露されたシンの体に宿った海胤であるクシナダの権能、それは吞み込んだ物体の特性の獲得ではない。近くはあるが厳密には異なる。
正しくは【吞み込んだ”物質”の還元】である。
物体である必要はない。気体だろうが、液体だろうが、固体だろうが、それらのどれでもなかろうが関係ない。
だがこれにはその物質を呑めという指令がいる。
つまり物質を認識できる目、もしくは見聞が必要。
しかして、まるで誂えたかのように此度の装備者であるシンには”目”が備わっている。
潜瞳者の魔眼がフィオナの周囲に未だ滞留しているエネルギー、ケインによって潰されたデュアルコアのエアを捉えていた。
蛇を伝って莫大なエアがシンのアビスフレームへと還元される。それを全てこの一撃のためだけの出力へと。
わずか0.033秒の刹那、シンのパワーとスピードがケインを完全に上回った。
「……!!」
ケインの声ならぬ声、突如としてシンから立ち昇ったエアの激流に精神がたじろぐ。
だが肉体が止まらない、もう後戻りは出来ない、そういう世界へ他でもない自分が誘い込んだはず。
シンは本来であれば持て余すほどピーキーな出力になりかねない量のエアをアガタによって制御、突き出した左手でケインの旋棍による振り下ろしを撫でるように半円を描いて抑え込んだ。
前に置いた左手で防御と射線を確保しながら右を打ち込む、それはただの正拳突きであったが視えているケインにとっては違う。
自分の渾身の一撃を軽く抑え込むレベルの出力のエアがシンの右腕へと移行していく、見た者の時を止めるほど流麗に。
音速を遥かに逸したことで発生した海流によって衝撃波が可視化される。
幾重もの蒼を突き破ってシンの拳がケインの腹を抉った。
(……!!)
食らった瞬間に海が鳴いたことが分かった、ある種の感動だったのだろうか。
その後に襲ってくるであろうダメージのことを思うと剛嵐の前の静寂だろう。
「なンダッ……!!」
何だこれは、などと当然の思考すら引き剥すほどの激痛がこれより到来する。
そんな猶予がケインにはあった、死を目前にした者なら誰にでも与えられる無意味な後悔と足掻きのための猶予だ。
だがそこで狂犬は後悔しない、そんな風に時間を食わない。
極限の集中が御業の領域へケインを引き上げる。
意識のリソースを全て体を貫かんとする衝撃波へ、振動自体は見えないが攻撃によりアビスフレームを流れるエアが歪んでいる、そこから逆探知すれば認識できる。
海胤の権能を使って振動を分散、さらに身体を振動と同期させることで伝導率を上げ衝撃波を後方へ透かす。
「ッ芸達者な犬だな!!」
ケインは後方に吹き飛びはしたがシンの想定を大きく下回った、姿勢制御も維持したままだ。
おそらく海胤の権能によるもの。
インパクトした瞬間、抜け落ちるような感触がシンの拳に返ってきていた。
致死の衝撃を体内で細切れにしてダメージを腹部ではなく全身で負担した上で更に逃がしたのか。
だが完全に威力を殺せるほど甘い攻撃はしていない、回復の時間は与えない。
追撃に迫るシンと背後から襲う蛇達、だが拳も牙も目前で弾き飛ばされてしまった。
「【震えろ、波がくる】」
猶予はまだ終わっていない。
ケインは中心地を定めるように棍をつき下ろした。
これまで使ってきた相手を固める振動波を自分の周囲の海に使う。瞬間的に振動数を激増させる拡散性の高い攻撃時の運用と違い、出力と効果範囲の維持を両立させる。
「……振動の壁か」
硬度ではなく振動により攻撃を”弾く”不抜の防塁が土壇場で完成していた。
「攻防一体の結界?……いや、纏いながら戦えるならともかく……」
結界に軽く指先を近づけるシン、それだけで超高速で移動している物体に触れたかのように腕ごと弾き飛ばされてしまう。警戒していなければ肩が外れてしまっていただろう。
これを鎧のように纏いながら戦えたなら苦戦必至だが、そうしてこない。
海胤もそこまで万能ではないということか。
「というより、ここまで出来るほどの代物だからこそ御せないのか」
「……」
痒い所に手が届かないなと楽しそうに笑うシンをケインは睨みつける。
痛みがぶり返してきていた。威力を殺したとはいえ完全にカウンターで食らった一撃である。
そう簡単に回復しない。
「自分から入った檻の中から吼えるのは嫌か」
「……」
「どうした? 餌は目の前だ……このままだと”おあずけ”だぞ」
「知らないのか、自分からするのは違うんだよ……これは後にとっておく”お楽しみ”だ」
シンはうなじが逆立つの感じた。
まだ何かあるのか。
「預けておく、次は必ず奪う、必ずだ」
纏ったまま動けないなら範囲を広げればいい。
持続時間は完全度外視、とにかく範囲内に”2人とも”入れる。
シンとフィオナを轢殺出来るだけの範囲を。
(狙いが読めていてもこれではな!)
身を翻してフィオナを抱えてケインから大きく距離をとるシン。
すぐさま向けた背を返したがその先にケインの姿は無かった。
◆◆◆◆
ダンジョンから脱出し回収予定ポイントへ向かうケインの口から意図せずそれは吐き出された。
「ガ……ハッ……」
詰まるように息が出る、灼熱と鉄の息が。
まるで内部から焼かれているような痛み、打たれた部位に至っては感覚がほとんど無い。
ここまでのダメージはいつ以来か。
「アイツ……あの野郎ッ……フハ!!」
面相は潜瞳者の魔眼で透けて見た。
脳裏に次々と浮かぶのは不敵な笑みを湛えた表情、こちらを見下げながら片側の口角を吊り上げたシニカルな笑みだった。
取るに足らない、だが妙に足掻く玩具がいきなり成ったモノ。
別人に入れ替わったとしか思えないほどのキレと技量を見せ、瞬く間に極上のエサとなった何者か。
うっとおしい、痒くて痒くて、これは否定したいという欲望だ。
心底否定したくてたまらない、その絶対強者たる所以を。
強者の仮面を剥ぎ取り、内に秘めた生への執着を暴き出したい。
そうして、がむしゃらにしがみつく生を奪い取る。
それがケインの欲望の源流、ギフトを持って生まれた者にのみ許された特権と言ってもいいだろう。
だが、今は違う。奪う者が逃げている。
陰りゆく日と同様に、剛力も権力も金銭もやがては無用の長物で。
終幕を引くは白い死神、ただ一人。
「……ギンジ・カースウィスパー」
思わず忌み名を口にするケイン。
いつからそこにいたのか、それはまさしく死の如く。
いつからではなく此の世に生まれ落ちたその日から在ったように。
ケインの視界の端に彼は立っていた。
青みがかった白銀の甲冑を身に纏い、手にした刀の鯉口を切る。
「【深淵の夜詩】」
夜の帷が降りた。
豪傑、王族、富豪、何者の生が潰えようと、なべて世は事も無し。
今宵は誰とて死と踊る




