23話 ペイルダイバー
依頼を受けて部屋を後にしようとしたところ陸奥国から投げ渡された異物、その”引き金”に指をかけながらケインは尋ねる。
「なんだよこれ? 俺は銃使わんぞ」
「そりゃそうだろう、君は弾丸より速く動けるうえに殴る蹴るの方が確実なんだから」
つまり銃じゃないんだな、とケインは勝手に納得した。
まともに説明する気がない手合いであることは既に分かっている。
もう一度しげしげと眺めてケインはその銃のような何かに砲身があっても銃口がないことに気づいた。
リボルバータイプの銃のような何か、ケインはそれの弾倉を振り出した。
放つための銃口もないのに薬莢が6つ収まっている。
「で、なんだよ」
「うん、そうだな。今まさに説明しろってことだろうけど。シンプルなものでね、名は体を表すとも言うし。それはまさしく説明不要な代物で、【アイテムボックス】さ。ポケットに満杯くらいじゃあ君の『奪う』には窮屈だろう?」
◆◆◆◆
フィオナは殺すと言った。
この宣誓に嘘偽りは一切ない。
『嘘偽りない』というのは彼女の流儀に即して筆舌に尽くしたところ”絶対”へと行き着く。
それは『言動に嘘や偽りを交えない』などと、そんな読んで字の如くの領域から隔絶した段階にある。
手抜かりなど起こりえず、粗雑など有り得ない。
顕現した氷の装甲と槍がその証明であった。
氷は不純物が混ざることによって作られた僅かな隙間で脆く儚い物質へと激変してしまう。
ならばとフィオナは魔力の指先を分子の域にまで這わせる。
圧縮、濃縮、一点の曇りもない憤怒が鋼の三倍の分子結合度という机上の氷を現実へと持ち出し、あまつさえ殺意が刃として研ぎだした。
招来を受けた気泡ひとつない極めて透明度の高い氷の装甲を持つ巨人たちは、主に影を落とさない。
彼女の威光を、殺意を、己が巨躯の背に隠すなどと畏れ多い。
彼女に見せなければ敵が骸と化す瞬間を、怨敵に見せつけなければ彼女を瞳を。
寛”容”も”赦”免も決して有り得ぬと。
「刺せ、踏め、磨り潰せ、私の前にそれの肉を残すな」
女王たるフィオナからの拝命に巨人達が構えた矛をそれへと”伸ばした”。
彼らは氷の装甲を纏った水の巨人、人間ではないのだから槍を突き出すために肘を引くような目に見える予備動作などという優しいを手順を一切踏まない。
装甲の間接部、その内部に圧縮した水を開放するだけ。
だけ、である。
本来であれば体積の変わらない、変えられない水を開放するだけ。
出し抜けに鋼の三倍の硬度を持つ突撃槍が未だ振りかぶり力を溜め続けるケインへと飛ぶ。
その速度は飛来というよりもはや、既にそこにあったとでも評すべきだろう。
「あ――あるひぃー」
時間軸のズレた、気が抜けるような陶酔を伴うケインの声。
言い終えることすら出来ないはずの言葉が何故かフィオナの耳へと滑り込んできた。
舌足らずで間の抜けた掛け声のような何かと共にケインが棍を振り落とす。すでに深く氷槍に可動域を侵された棍には加速に必要な距離がない。
速度も技巧も無いような、そこにあるのはケインの膂力だけのような。
そんなハズがなかった。
確かな狂気がそこにはあった。
『絶対』を掲げるフィオナの殺意とは似て非なるモノ、ケインの殺意を裏打ちするのは『狂気』。
似て非なる、のだ。ケインの狂気は絶対の領域に肉薄するほど近しい。
目的のため無駄なく過不足なく珠玉の大魔導を遂行したフィオナに反して今のケインには無駄も過不足も余りある、そんなものだからこそ。
そんなものだからこそ限度がない。
過剰に精密、超過な剛力、狂気には上限などないのだから必然、剛力も絶技もすべからく、果てなく、極み高まる。
狙い絞った焦点以外が粗雑になるほど狂おしい情念で見つめ、その他の全てを手抜かりするほど望我の極北により執り行うのは余りに乱暴に込められた膂力、理性の果てを突き抜けた技巧。
そんな事をせずとも、もっと他の手段があっても、ケインは。
ケインは突撃槍との正面激突を選んだ。
正面から踏みにじりたいという狂気を遂行するために迷いなく喰らいついた。
「むかーしぃー」
円柱の棍が綺麗に、それはもう綺麗に、矛先の”点”へと接合する。
水の抵抗、鋼の三倍の硬度、侵食されてしまった加速に必要な距離、そんな枚挙に暇がない不利と真向から相見えたのだ。
氷槍の突撃エネルギーが進路へと置いただけの棍に相殺され、接合後には押し合いとなった。
「あーるとこーにィィ」
ケインは棍を槍の前にゆるりと”置いてから”振り切った。
一瞬で棍が飴細工を砕いていた。
叩き壊したのではなく圧し壊した、両者とも本来ならば驚愕に値する結果への感情は無い。
なぜなら彼女は絶対なる殺意の君で、彼は狂気の無頼漢で、鋼以上の硬度を誇る氷の槍が砕かれたという途中経過の良し悪しなど、そんなものは2人にとって求める結果まで逆算するための判断材料でしかない。
「深海の蒼詩 【蹴波の兆し】 【水天一碧】」
深海の蒼詩のみに許された性質変化の魔導、棍によって砕け散っていく魔力の宿った氷を無形の水へと戻しアメーバやスライムのように結合し形成、凍結して氷の騎士へと再構築する、この工程を永劫に繰り返す。
砕かれる事を前提に組み込みんだ再構築の魔導、必要な魔力はすでに水に込めてある。
壊すという工程を敵であるケインに任せて自分は支配下にある水を運用し続けるだけでいい。
粉々に砕け散り海中に混ざり溶けだそうとする氷の破片に込めた微細な糸を追って手繰り寄せ、氷の騎士として織り上げる。
「……いァ」
フィオナの声は、口から掠れて干からびて朽ちた。
溺れるほどの流氷の騎士達を繰るフィオナは絶えなく渇く、気が磨耗する、息が切れる。
瞬きを忘れた目は血走り、指先が焦燥で震えだしそうになっていた。
フィオナが展開したこの魔導、構築の理論上では魔力を枯渇しない。
しかしそれは灼熱の砂漠の中で特定の砂粒を時間内に探し出して、それをまた自ら振り撒く、これをミスなく繰り返すような。
そんな地獄を己に科すことで成り立っている。
地獄だが、ミスなど彼女の”絶対”が許さない。
今までならば逃げてきたであろう過去の自分を彼女は絶対に許さない。
だからこそ、今こそ、ここで過去諸共に殺してみせる。
流氷の騎士達はケインが倒しても倒しても溢れ出す、倒れても倒れても湧き出でる、無限に引いて、無限に寄せる。
無量大数へも迫る氷刃の波へ対処することは虚空を切り続けることに等しい。
そんな無意味という劇薬に耐えられるほど人の精神は頑強でない、秒と持たず崩れ去る。
「おとーコにィ」
怒涛の只中でもかき消されない嗤い声。
ケインの精神はけして頑強ではない、ならば崩れ去るのか。
そもそも崩れ去るというのは工程における1つの段階、まず正常が在り、内外からの力によって崩壊へと至る。
最初から壊れていたケインを、狂っていたその心を、壊すなどと。
「おーンなにィ」
確かに注がれた劇薬は既に割れた器から零れていた。
圧倒的な数を前に棍は狙いを定めることをやめている。
水の抵抗を引き裂いて海を唸らせながら棍の先端が流氷の騎士達を刺し貫く。
それでも、彼らは人ではないのだから振り下ろさんとする剣は止まらない。
止まらない、で間違ってはいない
たとえ結果だけ見れば1ミリも動いていなかろうと”それだけ”では止まらなかったのだから。
ケインは、すでに三節棍を薙ぎ払い終えていた。
流氷の騎士を刺し貫いたまま棍を変形、騎士達の”背後”の海をキャンバスに、三節棍は鎧の硬度によって淀むこともなく巨大な稲妻を描いた。
騎士達の機能停止がトリガーとなり魔導による再生が始まる。
旋棍はそれを待たず高速回転して渦潮を作りだした。
独楽を投げるかのようにケインが渦潮を再生せんとする騎士達へ向けて放つ。
(……渦で形成が)
再生寸前の騎士達が渦に飲みこれ捻じ切れていく。
渦潮はすぐに消え去ることなく着弾点に留まり破壊を撒き散らし続ける。
これによる、ほんの零コンマ数秒もないほどの再生にかかるラグがフィオナの絶対に影を落とした。
過不足なく、完璧に、粗雑も手抜かりもない絶対には、どうしようもない天井があった。
対して底なしの狂気が迫る。
僅かな隙間に爪を立て、爪が剥がれようとも指先を差し込んで抉じ開け進む、進む、笑って、嗤って。
ありもしない殺意の底へと
「私は……殺すと、言ったぞ」
フィオナは限界など越えなくてよい、越えるつもりもない。
限界を超えられるかどうか、そんな薄ら寒い希望を混ぜては鈍くなる。
まず己の中の限界値など叩き出して当たり前。
そして、そんな自己の物差しの上限にすぎないものを相手が超えてくるのを想定するのは至極当然だ。
彼我の差を踏まえてなおも絶対に殺せるよう組み立てるだけのこと。
魔導による再生が間に合わないなど笑わせる。
波の如く尽きぬ騎士たちをも掻き分け進んで来る? だからどうしたというのか。
フィオナはケインの作り出した渦潮を悟られぬよう支配、より強大なものへと書き換えていく、そうしてその潮流に破砕した氷片を乗せた。
出来上がったのは触れたもの全て骨すら残さず削ぎ落すグラインダーブリザード。
発生地点はフィオナ自身とケインの中間地点、絶対の天秤には易々と彼女の命が掛けられていた。
「あとォ……あー……」
発生した凍て刺す嵐は触れれば最後、塵に還る。
殴打によって引きちぎろうにも、その前に触れた瞬間にケインは死ぬ。
先ほどやったような旋棍による渦潮でも相殺できない規模、それどころか吸収して力に変える手筈すらフィオナは整えていた。
ケインの手札では返せない、あるいは先ほどの、深也にとってのフィオナのような第三者による介入があれば……それでも間に合わないだろう。
魔導は既に発動している、ここからの介入など、もはや”時間も距離も無視した何か”である必要があった。
何もないケインの左横の空間に切れ目がはいる。
フィオナの動体視力を超えた早撃ちでケインは虚空の灰詩を抽出した薬莢に撃鉄を落としていた。
発動した魔導の効果は物質を異空間へ収納するというもの、それだけならば形勢は変わらない。
しかし、考え得る最悪が、先の海賊との戦闘で奪った特専、デュアルコアが、【アイテムボックス】から引きずり出された。
ケインは取り出したデュアルコアを躊躇なく握りつぶす。
燃え尽きる前の最後の大出力、莫大なるエアの瀑布がフィオナの形成していた魔導の力場に雪崩れ込んだ。
魔導士ではないケインがエアの力場を崩してくることなどフィオナは想定していない。
大気の魔導炉を砕けばそれも可能ではあろうが自前のもので行うのはただの自殺と変わらない。
故にフィオナの思考から真っ先に切り捨てられた可能性で、魔導は力場を乱された場合を考慮した魔力配分も行っていない。
物理干渉が実質不可能な魔導であるため崩された場合のリカバリーもまた同様。
全ては威力と精密操作に注ぎ込まれている、それで勝っていた、間違いなく勝っていた。
”ケインだけ”ならば絶対に殺せていた。
確殺のブリザードが朝靄のように柔く薄らいでいく。
「……」
言葉なく、ただ黙してフィオナは殺意を宿す瞳を閉じた。瞼に合わせて腕すら力なく落ちる。
そんなようやくたどり着いた垂涎の光景にケインは萎えた。
この完成された場に……だからこそか。
フィオナの背後にある死に体が起き上がっていた。
一気に熱から覚め、飛び退くケイン。
「後は……ヘビかよ……」
「見ての通りだ」
呆れ果てたと呻くケインに対して、起き上がったその者の声は見飽きた者を見た声音であった。
フィオナも背後から聞こえた声に目を開けて体ごと振り向く。
見知った彼が覚えのない声を発している。
「そう、蛇だ、海胤だからな。……さて、起きて早々喰うに中々重いな」
ケインの返答を待たず、おもむろにシンは拳を向けた。
固く握られていない、ただ親指がそれ以外の4本の指を絞りこむように押さえつけている。
その親指という止め金が外れ、ぱっ…と弾かれる指、それが指揮棒だった。
4頭の大蛇がケインを弾き飛ばし、塔内部を荒れ狂う。
原罪の目覚めに捧げる賛歌となるように。




