20話 リ・スケイル④
数字は人間に生み出されながら未だ持て余されていた。
測るために用いられるはずが、その計測でも数値は人理の内側で下限上限を定められている。
なればこそ迅速に人外を弾き出すのは必然と言えた。
計器の記録資料、測定値外の羅列を嬉しそうに眺めて陸奥国は当該の人物を見つめて言い放った。
「真っ当だと思うけどね、僕は」
「頭を測るテスト受けろよ」
ケインからの罵倒は長らく受けていないストレートさで陸奥国は思わず吹き出す。
『人外と言えば良かったか、間違えたよ』と笑いながら陸奥国はその手に持つもう一つのレポートを緩やかに読み上げ始めた。
表彰でもするかのように異常どころではない超常を高らかに。
「えーと、筋力は常人の二十四から二十八倍強……これ本気でやった? エアの流れを感知できる視覚でも聴覚でも嗅覚でも触覚でも味覚でもない第六感の超感覚を保有する、か。いやまぁ……でもさ源詩の魔導よりよほど正常、海に適応した真っ当な進化だよ」
水の抵抗をモノともしない膂力にエアという最有力資源をキャッチできる感覚。
ケインに備わったこれらの能力は明確に海洋への進出に適応した形をとっていた。
「アンタらの見解だと源詩の魔導は進化じゃない、だったな」
「生体機能の洗練と環境適応の末に行き着く進化とは違うね、断じて。不釣り合い甚だしい、そんな呼称は。あれらは海の方が自分たちに合わせるべきだと環境を歪ませる道を選んだ。強いて言うならば”思想”さ……」
そうは言っても進化ではある。
両者のどちらが優れているのかという話ではなく、ただ人が扱いきれぬうちから産まれ落ちた不幸があったということ。
数字と同じく久遠へ達することも出来たはずの進化で得た能力は人理で測られ行使され、袋小路へと真っ直ぐ突き進んだ。
「いや、奴らのは先祖返り、要するに退化だろって確認なんだが」
「あっと……あらら、当時の癖というのは中々抜けないなぁ」
「? それに俺のが正常ってのもよく分からん、進化ってのはもっと足並み揃ったもんだろ」
種族単位で相応の年月をかけておこるのが進化ならばケインのそれは突然変異と呼ぶのが妥当だろう。
「そうだねぇ、もしそんなイレギュラーなら、どうしてこうやって数値化や言語化できたんだろうねぇ」
「うぜぇよ……前例がいるのか」
「今はまだ僕らしか使ってないけど学名だって付けてあるんだ」
『どう進み、何と化すべきか』
千余年の洗練や適応など待たず先を見据え、既に到った者達。
彼らが獲得したのは深海へ分け入る剛毅、エアの流れを見切る魔眼。
”先”へ”導”く者とかけ、【潜瞳者】と名付けられた。
◆◆◆◆
傾注、傾注、とケインは嘯く。
「眼ェ開けろ、耳をそばだてろ、鼻を利かせろ、毛を逆立てろ、舌を這わせろ」
それでようやく真っ暗闇だ、と。
影が消えては現れ、現れては消える。
奇術師が机の上のコインに何度も手をかざすように。やがては霞の如く払い消してしまうように。
特専、ダスクジェミニの能力は2つ、本体と寸分違わぬダミーを生み出す【幻影】と完全に姿を消す光学迷彩の【絶影】。
これらを駆使して戦いの最中、まったく見当違いの方向へ敵の攻撃を誘導させる。
(ダスクジェミニは確かに強力なシステムだが、燃費が悪すぎて効果時間は短い)
だからこそ勝負の急所を見極める使い手のセンスや技量、経験が如実に現れる。
深也が散々見せつけられたそれらの差がここにきて布石へと転じていた。
苦境の今、深也には騙されているフリが出来る。
ノーマルな大気の魔導炉の出力とシステムへのリソース配分で考えるとダスクジェミニの効果時間は1秒、長くても2秒程度となる。
いま目の前にいるケインは本物、これは出力から推し量った効果時間による”おそらく”という読みではなくシンの感知能力による確信。
腰部に装備した双銃剣テンペストに軽く指先を這わせる深也。
深也の手持ちにあるカードは2枚、まんまと騙されているとケインに思い込ませた実力差、そしてその隙へ突け入るだけの力を持った特専【アガタ】。
いける、殺せる。背部に装備したランブルエッジが変形した刃翼が開く。
刃から剥き出しになった推力機関が感づかれぬようエアをゆるく放出する。
同じように深也も深く小さく息を吐いた。
「ハァェァア……」
深也の感覚は極限に研ぎ澄まされていた、身を包むアビスフレームの装甲などまるで無いような。
吐き出さなければ溢れてしまうほどの力にえづく。
そうだ、詠み込め、踏み込め、飛び込め、吞み込め
根から枯れるほどお前に”酒”をくれてやる。
薄皮一枚の背後で嗤う何者かの声が
文字通りの引き金となった。
構えることなく腰だめの状態から抜かれたテンペストが十二本の熱線を吐く。
海中でのクイックドロウ、それでも深也の腕と指は易々と音速を超えてみせた。
だがその程度なら反応できぬはずもないだろうとケインの形態変化と防御が熱線の軌道に割り込む。
裂け目なく高速回転する旋棍が円盾となり熱線を遮る。
1つ、また1つ、遮られた熱戦が光の尾を残しながら淡く消えゆく。その残光がたまらなく深也は欲しかった。
(これで濃くなる)
深也の眼は旋棍を捉えていた、それが作り出す死角すら。
カチリカチリと律儀に間抜けに回る秒針が、熱線どころかケインの視界まで遮る刹那すら。
「いやお前速ぇな……」
見開いたところで刃翼の痕跡は火花のみ、それでもケインの人智を超えた知覚が深也を、一瞬で背後に回らんとする予測軌道を描き出す。
エアソリッドシステムへの起動指令は無かったはず。
しかし今日一等速い、背部に追加された推力機関だけでは到底説明がつかない速度。明らかにシステムによるサポートを受けている。
加えてこの軌道だ、馬鹿正直に動作するしかないのがエアソリッドシステムのはず。
それを高速回転する旋棍が塞ぐ視野に身を潜めながら距離を詰めて見せた。
これはアガタの機能の”片割れ”、他所のギルドの特専をここまで再現したということにケインは僅かながら笑った。
それを差し置いてケインの胸中に発生した懸念が笑みを抑えたからだ。
「”片手落ち”とは仕上がってる粗悪品じゃねぇか」
ケインは旋棍を三節棍へと変形、自身に巻きつかせるように放つことで振り向くことなくブレイズエッジを発動させていた深也のテンペストを横から弾き飛ばす。
エアを追えるケイン相手に奇襲は無意味であった。深也はただ距離を詰めただけ、死地へと潜り込んだだけ。
「オラ、読んでみろ青二才」
「ッ!!」
三節棍による挟撃、折れ曲がり、捻り回り、悉く深也の防御を掻い潜る。
棍と違い攻撃に迎撃を合わせたところでその反動すら運動エネルギーに変換し速度を増す。もう躱すしかない。
(今の俺なら……)
特専【アガタ】の機能はエアの超精密任意操作、これによりエアソリッドシステムを起動指令無しで、強弱や緩急を付けて使用できる。
深也はランブルエッジを起動、通常であれば即時加速するだけのシステムが筋肉のような脱力と緊張を得て別次元の敏捷性能を発揮する。
これならば見えているにも拘わらず、などという状況にはなり得ない。
抑え込まれていたシンの反応速度と技巧のタガは完全に外れていた。
(今のシンなら……)
深也の瞳が暴れ狂う三節棍を追跡するが直ぐにケインの全体を捉えるように焦点を合わせた。
ヒットスポットである棍の先端だけを追ったところで変則軌道に惑わされる。
肝要なのは腕と肘、肩の動きから得られる情報による予測の洗練と修正。
装甲を押し上げる筋肉の隆起で初動を、その開始地点から枝分かれする予測軌道を関節の可動域によって絞り込む。
その場にて躱してみせると引かぬ深也にケインは心くすぐられた。
「いい眼だ、殺す前に抉るか」
しなる、剛性など無いかのように鞭の如く迫る死線の網を深也は潜る、潜り続ける。
ここは引かない、アガタが発動しているのだ、間合いを詰めてケインが三節棍から旋棍へと形態変化する遅延に差し込めるはずだと更に前へ。
間合いの内側へ近づくほど軌道の幅が減っていく、この一撃を透かせば届く。
離れろと言わんばかりの側頭部を狙った薙ぎ払いを前後のフェイントで、紙一重で……
「ッ!!!」
躱したはずの、見切ったはずの三節棍のリーチが突如として伸びる。
フェイントのため紙一重後ろへ沿って体のバネが利きにくくなった状態への強襲。
食らった頭部が体に留まっている奇跡に深也の心拍数は跳ね上がった。
「本物ばかり偽物ばかり、そんなんは騙しじゃねぇよなァ」
「……もう覚えた、次は無い」
「手前ェ吼えやがるな」
リーチが長くなったのではない、短く偽っていた。
【絶影】、ダスクジェミニの光学迷彩により棍の一部を透明化してリーチの目測を狂わせてきた。
もうこれは眼だけでは追えない、ならばと深也は”全て”使う。
深也の中で境界が滲む、自我が海へ溶けるような。
もはや境界など無い。
遮るものが無いクリアな感覚が思考を混濁させていく。
こんなにも、自分は遮ってきていたのかと。
否応なく入れ戻される吐瀉物で、敵も自身のアビスフレームに流れるエアも見通せる。
(……ああ成程、さっきまでのは確かにオれが甘かった、そおに”あるかどうかだけ”なんてヌル癖ぇ、透ォ明になってんなら輪郭まで把握死ねぇと)
これほど巧みに隠蔽された真実が、もはや深也には雷雨が水面に作る波紋の騒がしさと変わりない。
ケインが指先ひとつが動くだけで、いや、動かさない攻撃すら読み切れる。
円運動と振りのエネルギーによって力学の法則通り動くはずの三節棍、その先端からエアが発生し腕の振りとは”逆に”動くまで0.024秒前。
永遠の束の間にダスクジェミニによる入射角とリーチの誤差を修正し完璧に見切る。
今度こそ、ケインは驚嘆する。
出会いがしら、初撃で自分の膂力を凌いでみせたこと、さらにはエアの感知ができなければ使いこなしきれないアガタを完璧に扱ってみせた時点で予感はあったが、これで確定となった。
(こいつはエアを流れを見切っている)
ケインは本当に驚かされていた
何よりも生かしておけない存在に会えた幸運に。
「はっはぁ!! オイオイオイオイオイ!!! ここにも同類かよ!! 必ず殺すぞ!!!」
「じゃあ、テメ瞬死ね」
距離が詰まった、ケインは間合のいるボードによる防御も目くらましも使えない。
完璧なる瞬発力の乗った【ブレイズエッジ】が三節棍によって阻まれる。
もう一刃ある、これも阻まれる。いや、使わせたのが正確だろう。
「刺まい、摘ミだ」
距離は潰した、逃げるための《足》はない。
三節棍は完全に防御に回った、もう《手》はない。
深也の背中で刃翼が回転しカマキリの前腕の如く逆立った。狙い落とすは鎖骨の隙間、心臓まで直通路。
だから聞こえるわけがない、骨の軋む音など。
これは噛み殺した笑い声だ、ガギリと噛み合っていたケインの犬歯が開いた。
飛び退くのほどの悪寒だがブレーキになるには遅すぎた。突き立てた大曲刀の切っ先から伝わってくる感触は分厚い鉛のような。
エアソリッドシステムで得たはずの剣速が底無しに、ぬかるむ。
「死ぬのも詰みも、お前だよ。”再誕”撥ねろ【シンゲン】」
厚く鈍い感触を返してしてくるのが何よりも薄い水の膜、そんなものをランブルエッジが突き破れない。
ケインは身動きしていないため、これはエアソリッドシステムの力だろう。エアソリッドシステムだけの力、あまりにも程度を越えた、これが。
その場でエネルギーを産みだせるアビスフレームを装備した戦闘において体格でのパワーや間接の可動域から得られる情報の信憑性は薄くなる。
だからこそ、そのエネルギー量はケインの持つ武器の性能を純然に、噓偽りなく主張した。
あまりにも強大な死の気配、言葉になどできない、
ひゅっ、と忘れていた呼吸を取り戻すように深也は息を飲み込んだ。今、くる。
震源地から最も近い、三節棍と接触していたブレイズエッジが破砕した。
深也が力の伝導を察知して手を放していなければ、いやもう関係ない。
深也の体が歪に曲がった。
城塞である装甲をひしゃげさせ筋肉と骨をかき分け、奥の内臓を鷲掴みして捻られるような。一切の防御を無視した破壊の権化が深也の体内を蹂躙する。
「チッ、間に合わせやがったか。翼を逆に開いてたのが幸いしたな」
なんの助走も、屈みもなかったため、深也の体はまるで壁が引き寄せたように後方へ吹き飛んだ。
「……!!……!!」
インパクトの瞬間、深也はランブルエッジを発動し自分から後ろへと飛んでいた。ダメージは殺せたはず、というより当たってすらいないはず。
それでも深也はのたうち回れなかった。
痛いのかどうなのか、判断する頭も根こそぎイカれていた。全身を均等に何千回と殴打されたような。
深也へ叩き付けられた衝撃波は一度のインパクトで薄くなった防御が引き戻るまえに、それを何度も何度も何度もスジが張り裂けるまで繰り返すというもの。
仮にまともに受けていれば体が”こじ開け”られていただろう。
(来るぞ、張りつめろ)
深也の体が事象の何もかもに追い付かなくなろうとケインは待たない。
そもそも決めにかかった攻撃はこれだけではない、それを悉く凌がれてきたのだ。倒れ伏したところで待たない、むしろ行く、殺しに。
(まだ薄氷の上だ、あと少しだ)
何者かの声に従い、揺らりと体を起こす深也。
ここは海の中、もとより立つも倒れるもない。ただ折れぬ魂がモノをいう世界。
(……もうアタるかよ)
視界はぼやけていたが感覚はさらに鋭さを増して情報を次々に拾い上げ続け深也の脳内へと打ち込んでいく。
発動した極大の力はケイン自身の剛腕でも持て余されているのが分かる。
大仰に構えて、ここまで振りかぶらなければ安定しづらいのだろう。
振りと威力、エアの流れで読んだ射程は60メートルほど。
規格外すぎるが、横幅がない。機動力の差を活かせば……
「動くな!!当たらねえだろうがァ!!」
「!!」
吹き抜けの塔という、”トンネル”ともなる構造がケインの味方をする。
振動波が反響により上下左右の射角を得た。
あらゆる方向からの振動により対象を”固定”する荒業。
三節棍に叩かれた海が深也を閉じこめようとするが、そこは振動が一定数へ達する前に速度差で振り切る。
というより、もはや速度差しかない、まだ攻め手はあるが決めきれるほどの威力もないため間合いに入って一撃いれたところで反撃で一気に”死”まで捲られる。
二の矢を放てるほどの隙、初速のアドバンテージが倍加するような予期せぬ異分子を待つしかない。
そうでもなければ万が一にもないケインのミスを待つしかない。
「いける……十二分だ」
深也は、さらに高く賭けた、速く駆けた、まだ勝負はついていないと。
そんな生き汚い深也の様にケインの足元から背に冷たいものが走る。
(なんだ、また速くなりやがった? いや動き出しが速くなってそう見えるだけか……ワルドと同じで感知能力に比重したタイプだな。それにしても、増援か俺のミス待ちかよ)
か細いが死に目に賭けているわけでもない。
正気の沙汰で死線の糸を渡り切ろうとしている。
それを察した途端に、ケインの背後から昇ろうとしていた寒気は立ち消え、歓喜と殺意で思考が塗りつぶされていった。
新たなる海胤を手に入れ、敵になり得たかもしれない者を失う、こんな望外な幸福はない。
「フ、は、やべえ……なんだこれ。死ぬな……死ぬなぁ!!! 俺が殺すまで死ぬな!!!」
「……」
ケインの連撃は、これまで以上に狂った軌道だがキレはむしろ上がっていく。
伸びる、止まる、曲がる、増える、消える、歪む
死の淵へ引きずり込もうとする濁流によるブラフを読み切り躱し続ける深也。
この猶予に終わりはない、いやあるのかもしれない、無いのかもしれない。
だからこそ深也は搔き毟るほどに求める、逆転の潮目を。
(コい、こい、来い!!)
一瞬でいい、この流れを断ち切る何か。
絶望などしない、渇望、飢えているのだ。両者ともにだ。
深也もケインも、互いの飢えが感覚を研磨していく。それでも飢えで勝ったのは追い詰められていた深也。
ケインより早く、圧倒的に速く、その乱入者に気づいた。
後から動き出したケインがその乱入者を一撃でもって排除するヴィジョンすら読み取れるほどに。
その排除される乱入者がどこの誰であるのかすらも。
故に決定打となった。
『排除される乱入者を尻目に詰め切る』深也が為すべきは、そんな単純なことでよかった。
可否はともかく考慮の余地はなく、深也に逡巡はなかった。
動き出す深也、ケインは乱入者の排除で生まれてしまったラグを抱えたままのデッドヒートとなる。
しかし、そんなケインが待ち望んだコースから深也は大きく逸れた。
「外に急所を作るようなマヌケかよ……」
後から動き出したケインは、乱入者へと放とうとする自分の攻撃の軌道を遮るように向けられた深也の背へ全力で失望を叩きつける。
砕ける散る刃翼と骨肉、糸が切れた深也はフィオナへともたれかかった。




