2話 ネゴシエイト
深也が海から上がってボートのハンドルを握る頃には先ほどまで鎧として纏っていたアビスフレームは解除されていた。
ボートを操る深也の手元で、アビスフレームの装甲に纏う結晶が潮風に溶けていく。
外装の装甲形態を維持するエアが大気中に散ってしまうことで無条件に非武装状態へと移行したのだ。
エア、それは海中で命を繋ぐ気体であり、水圧に耐えるための液体であり、時には外敵から身を守る固体でもある。
エアはアビスフレームの背部に内臓された動力機構、大気の魔導炉から供給されている。
供給先は装甲板や各種スラスター、そして装備者自身。
固体となる性質、その結合率を高める力で装甲を強化し、液体燃料として駆動系と推力機関に力を与える。
そして吸引している装備者の体内では酸素の代替品、あるいは液体としても機能し水圧から保護する。
エアの結晶化によって硬質化していた鎧が本来の姿を取り戻し、潮風を受けて”はためく”。
ヘルムを含める上半身はフード付きのジャケットに、下半身も同様に浸水を防ぐための拘束が弱まり、変哲のない黒いボトムスのようなスッキリとしたデザインへと変形していた。
パッと見ても金属質であることは隠せないが衣服の体裁にはなっている。
それに深也の美的センスではスチームパンクな印象を受けていた。
フードの内側と黒の生地にはしる電子基盤のような青のインナーカラー、このカラーリングも含めて中々悪くないデザインだと深也は気に入っていた。
変形終了後、エアがドライヤーのように吐き出され表面の水を弾き飛ばしていく。
それに加えて真夏もかくやという気温と爽やかな潮風がわずかに残った湿り気をすぐさま取り去っていった。
被っていた兜もといフードも風に任せて流れる。
押さえつけられてクセがひどくなった黒髪が出てきた。
一気に肘までまくりあげた袖から出てきた日に焼けた浅黒い腕が、乱雑に前髪をかき上げる。
現れたのは整った顔立ちに年相応な幼さ。
だが、黄色の眼光に宿る蛮勇が、それを打ち消している。
しかして、大きくなっていく街に引き寄せられた視線はなんとも緩やかで
(沖から見ても熱気があるの分かっていいなぁ)
沖から一望する山に向かって伸びていく街並みに深也は思わず感嘆の息を漏らした。
火山都市ボルケーノ、ターミナルと呼ばれる港近くの工業エリアを端に、ぎっしりと密集した大小まばらな商店が山の裾野までひしめきあっている。
夕焼けをバックにする死火山のつくり出した影が街をゆっくりと柔らかい暗闇へと落としていく。
そんな伸びる山影に点呼を返すように街が明かりを灯し始める。
日が沈んでいなくとも住人たちにとっては、これこそが夜の合図だ。
今から思い思いの店をハシゴしながら酒を片手にケンカを売りさばく、あるいは武器と女を漁りながら今度は海から来る夜明けを待つ。
(不夜城、まさしくロストモラル、巻き込まれるリスクがないならホント最高だな)
大きくなる夜景を楽しんでいる間に深也は港へと到着する。
元々が赤茶色のレンガ造りの街がオレンジの街灯に照らされてさらに色を深くしていた、錆びた鉄と油の匂いが鼻を突く。
街道は大雑把な継ぎ目をした石畳で踏みしめる度にコツリコツリと高音を返してくる。
深也にとっては見慣れたが、こうして近くで見る街は、やはり異世界らしく異様であった。
場違い、というより逆の意味で時代錯誤な物が多い。
建造物は鉄骨とレンガが織り成している。技術水準は産業革命期のイギリスを彷彿とさせた。
酸素濃度を奪うために建設したのかと思えるほど密集した港近くの倉庫地帯の背後には各工場から伸びた煙突たちが荒々しく息継ぎをしている。
しかし、そんな乱立する煙突から毒々しい煙は一切立ち上ってこない。
この世界では石炭を代表とする”燃料”、つまり燃やして発動させるエネルギーは全く主流でない。
煙突からはエアが排出されているのだ。
電線のように張り巡らされた上水道と下水道を介した【エア】の伝達により街中のインフラと産業にエネルギーがもたらされている。
路面に引かれたレールに水が走った。
そろそろ”路面車”が通る。
文明レベルは現実世界とは土台にある技術が違うため比較のしようもないが、先ほどまで深也が操縦していたボートなど、海底遺跡からサルベージされた古代文明の遺物たちが技術発展の方向性を著しく歪めていた。
本来であれば踏むべきであった技術開発のフローチャートは完全に無視されている。
先史文明との歪なハイブリッド、そんな別世界の街は夜の始まりに向けて、ゆっくりと目を覚ましていた。
こみ上げてくるような街の熱量に当てられて軽くなった足取りで深也は総合装備屋【アークス】へと向かった。
アークスは武器、防具、カスタム、ジャンク、ついでに酒場と全てを網羅する人気の名店である。
到着した店の扉の前で一瞬、ノックする形をとってしまった手を軽く揉み解しながら深也は店の中へと入った。
(この店の客やたらこっち見てくるんだよなぁ。NPCだけどリアルすぎて現実でヤクザと対人してるのと変わらんし。緊張で手が勝手にノックしようとするし……)
この街でも比較的強面な客で賑わう店内に深也が入ると途端に目の前の人の波が真っ二つに別れて道を作った。
道の終着、店のカウンターにいるのは酒と油で汚れた前掛けをまとった髭の男。
料理人かつ技術者であることを示す装いをした客に負けない強面が蓄えに蓄えたアゴ髭を撫でながら深也を一瞥した。
髭の滝が割れて口を開いたことが分かる。
「おう、来たな……素材、取ってきたんだよな」
警戒心しかない店主のNPCであるグラッグの表情に深也は苦笑いを浮かべた。
「なんでそんな身構えてるんだ?」
◆◆◆
基本的に、この街の人間は快活と下品と腕力、少しの知性で成り立っている。
豪快でがめつく横暴で都合が悪ければ卑屈になるとも言える。
ただそれは金銭が背景にあるならば適切なやり取りのようなものは出来るということ。
人となりの”アク”だの”クセ”だのが強かろうと札束ではたけば大抵大人しくなる。
騒がれたところで暴力で物言わぬ状態にも出来る、してもよい。
つまり、せいぜいが恨まれる程度だ。
勿論、この街で恨まれるということの意味は考慮しないものとする。
店主グラッグが深也へ催促するかのように髭を蓄えた顎をしゃくった。
「早く出せ依頼品を、お前が来ると店の雰囲気が悪くなってしょうがねぇ……」
「そうか? いい雰囲気に見えるけどな」
深也の何でもないような皮肉に店内の温度があがった。
店内の人だかりから小声で深也への恨み節の合唱が始まる。
「(おい、アイツ……この間うちの連中を切りまくった奴じゃねぇか)」
右からは壊滅寸前に追い込まれた海賊たちの怒りが。
「(手懐けかけてた”海凶”を無手でくびり殺したイカレ野郎が……)」
左からはネジの吹き飛んだ商売をしようとした密売人くずれたちの嘆きが。
店内のあちこちから投げつけられる恨み辛みの視線の重さに深也はため息をついた。
(カルマシステム採用してんのか思うほど恨まれてんなぁ)
ならば、この恨み節と同じくらいの感謝の言葉があってもよいはずだが深也は聞いたことがなかった。
このゲーム、善行も悪行も好きにすればいいと言わんばかりの放任主義。
戦闘面でもそれは遺憾なく発揮されておりステータス的な要素もなければ特殊スキルの獲得のような要素もない。
プレイヤーはアビスフレームの外装のカスタマイズと搭載するシステムでやり繰りすることになる。
「ほらよっと」
もうこの隠す気のない罵詈雑言は飲み屋のBGMみたいなものだと諦めて深也はグラッグのいるカウンターに持っていたカバンから大ぶりの結晶をぶちまけた。
「うい、依頼通り。レベル2の海魔石6つな」
「……8つあるぞ」
「ああ、それな。またランブルエッジの噴出機構がダメになったみたいだから追加だよ、修理代」
グラッグが露骨に顔を引きつらせた。
深也の装備しているアビスフレーム、【蒼炎】は自分の店で購入していったものだ。
納品の際にどこで試運転するかも、それとなく聞き出していた。
危険な海洋生物が跋扈するような海域ではない。
そこでは海賊が幅を利かせている。
「じゃ、頼むわ」
「おう……エアソリッドシステムは問題なく機能したか?」
「ああ、ちゃんと起動した。遅延も感じなかったな」
混沌極まるエネルギー、エアを吸引している装備者の声には特殊な波長が生じる。
それを利用したのがエアソリッドシステムである。
あらかじめ設定されている指令やシステムのコード名、その個人の声帯特有の音の波とエアを吸い込んだことで生じる特殊な波長にアビスフレームが呼応するのだ。
(こいつ、あっけらかんと。使ったってことは……そういう)
受け取ったランブルエッジに血はついていない。
だが深也が口にしたのは、つい先ほどまで人を斬っていたと言ったも同然の言葉である。
(海水で洗い流されたか)
軽く刃に触れてみて感じる残った油のぬめりが指先から這い上がった。
「ん? 素材になんか問題あるか?」
「いや、そんなことあるわけないだろう……」
とはいっても、この血まみれな話にグラッグが肝を冷やす必要はなかった。
自分の仕事に専念していれば深入りすることはない。
前掛けのポケットからルーペを取り出してカウンターに置かれた海魔石の1つを手に取った。
「……状態がいい、レベルもそうだが何より大ぶりだ。これならコアにも使えそうだな」
海にあふれる微細なエア、それが水圧や海凶の体内で生成などされて産み出される高純度の魔石。
海魔石と呼ばれるそれらはレベルと比例して純度も高くなる。
その用途は多様であった。
アビスフレームはもちろん、ライフラインとなる各種インフラにも密接に関わってくる。
捨てるところがない。
「よし分かった、ランブルエッジは一旦預かるぞ。当面はどうするんだ」
「テンペストがあるさ、新しい海層だとむしろ燃費も取り回しもいいコイツがメインになるし」
そう言って深也はガンベルトに収まっている2丁の拳銃を撫でた。
大型の、特に長く設計された鈍い銀色の銃身が肉厚なダガーとなっている。
「そいつなら、よほど無茶な使い方をしない限りは壊れないだろうな」
シンから預かったランブルエッジをカウンター下の棚にしまいこみ、海魔石に手を伸ばすグラッグ。
その伸ばされた手よりも早く深也の後ろから伸びてきた鋼鉄の拳がカウンターの台ごと海魔石の内の1つを殴り壊した。
飛び散る破片を片手間で弾きながら、カウンターにめり込んだ鉄拳に目を白黒させる深也。
挨拶のついでくらいの感覚で拳が飛び交うのは珍しくないが自分に向けて振るわれるのは久しい。
「義手……あーなるほど? グラッグ、この店いつから人身の売買も始めたんだ?」
「んなことするか!」
「腕の買戻しかと思ったんだが、なんだ違うのかよ」
「当たり前だ! あーもう!俺は関わらねぇぞ!!」
髭をぐしゃぐしゃと搔きむしりながらグラッグが悲鳴に近い愚痴を吐く。
じゃあ何なんだよ、と深也は面倒くさげに振り向く。
背後には光かがやく見事なスキンヘッドに血管を数本浮かび上がらせた大男が指をならしながら立っていた。
”ありがち”がすぎる、創作物で親の顔より見た展開への胸やけと男臭さに深也の喉奥が酸っぱくなる。
夕飯がまだで良かった。
「はぁ……なんか用でもあるのか? 今砕いた魔石分の代金を支払うって話なら付き合うけどよ」
「ああ払う、払う。俺の言い値でな」
人を見る目を養うほど人生経験を積んでいない深也でも一目見て分かるレベルの人相と言動で非常に有り難かった。
コイツは話にならない、こんな比喩でもない極論を結論にできる。
深也は、躊躇なくカウンターに向きなおった。
「グラッグ、早いとこ会計を済ませてくれ。1つなくなった分はこのハゲに請求とけ」
「俺は関わらないって言っただろうが! いま受け取ったら俺まで巻き込まれる! 解決してからに、おいッ!うしろぉ!!」
今度の鉄拳は深也の後頭部を捉えていた。
うなじでも掻くように後頭部へ回した深也の手が、アビスフレームのグローブを着けたままの手が鉄拳を遮る。
「おいおい!シン!! ケンカはしても店を壊すな、汚すな!」
「店汚すなって"いつも綺麗に使って頂き、有り難う御座います"みたいな場所で何言ってんだ」
「その”いつも”は、お前が初めてこの店に来てからの話だよ!!」
わめきたてるグラッグの額に強めのデコピンをいれて黙らせ、深也は鉄拳を払いのけて再度ハゲの方へと振り向いた。
「義手なぁ。髪は品切れだし、手も残すは1本だけか。下にある足の形した髪束2本は……頭に植え込んだりするのか?」
「俺の右手はお前に落とされたんだよ!」
「我ながら笑える冗談だと思ったんだが。あと、いちいち覚えてねぇよ。どこで誰のどっちの腕を切り落としたかなんて、これっぽっちも覚えてねぇよ」
どうやら戦ったことのある海賊くずれらしい、と分かったところで深也には感慨も何もなかった。
つまり海の中でのことだろう、アビスフレームを装備しているのだからヘルムで見えない顔など覚えようがない。
自分に限って言えば例外なので単純に覚えていないわけだが。
本当にそんなことがあったのかなどと、矛先の向けどころの正誤はともかくハナから喧嘩でおさまる程度の恨み事ではなかったようで、その証拠に今の深也の煽りでさらに拍車がかかった。
怒髪天をつく咆哮を禿頭の男が上げる。
体格差を活かした掴みからテイクダウンか、それとも絞め落とし狙いか。
掴もうと開かれ、迫ってくる男の手を深也も掴み返し、そしてゆっくりとそれを握りつぶした。
殊更念入りに、懇切丁寧に。
砕けた骨が肉を突き破らぬよう、勢いに任せず、磨り潰すよう、粉々に。
「なんかチョークみたいだな、お前の骨」
骨の鈍い低音、軟骨と間接の泡立つような快音、鉄製の義手からも小気味のよい重低音が鳴り響き、男の悲鳴をかき消した。
あまりの激痛に耐えかねて腰が抜けて落ちてきた男の顔、その顎先に躊躇なくヒザを打ち込んだ。
一瞬、神からの啓示でも受け取ったかのような姿勢になった後、男は静かに崩れ落ちた。
僅かに震えているところを見ると神様的にはまだ自分のとこへ来てほしくなかったらしい。
「済んだ、血は出てない。店も綺麗なままだぞ」
「見りゃ分かる!! あークソ!なんて日だ! 見ろ! 客の酔いがさめちまってる!」
「明日の今頃には、いつも通りまたバカ騒ぎしてるさ。それよりも会計だ」
深也は倒れた男から金品を物色してそれをカウンターに置いていく。
「受け取らねぇぞ! 恨まれてややこしくなるって言ったろうが!!」
「海賊にも密航者にも酒だして盗品だろうと扱ってる店のマスターが何言ってんだよ」
そう言って深也はグラッグの頭をガシリとつかんでみせたかと思うと唐突に撫ではじめた。
「撫でてやってる内に済ませろ」
「……! 分かった!分かったから!」
グラッグにとって今しがた脳裏に焼き付けられた光景と合わせて、それは最後通牒に等しかった。