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DIVE / DIVA  作者: 葉六
19/33

16話 アーセナル

 音が響く。


 鷲鼻から流れ落ちる前に、その汗は親指で拭われた。さして体を動かしているわけでもないのにジワリと溢れたそれは、やけに脂っぽい。

 これが”苛立ち”の汗だと拭った本人だけは知っている。


 音が響く。


 音は海に通じる出口へ抜けていくまでに乱反射し、収束し、加速度的に増幅していく。

 それに比例するよう鼻に皺をつくり、頬を引くつかせる男が1人。

 音を降らせる骨子がむき出しになった灰色の天井を男は睨みつけたが音響に変化はない。


 只でさえまとまりに欠ける思考の粒、あらゆる要素と可能性のりゅうしが繋がり合う気配もなく音の波により遥か四方八方に飛び散るのは、もう何度目だろうか。

 事の主犯は規則正しく一定のタイミングで響き渡る金属たちのぶつかり合いである。

 汗も怒声も飛び交わぬというのに兎に角暑苦しく、甲高い音は非常に不快指数が高い。

 かと言って男が声を荒げても仕事の中断という結果しか得るものはない。

 なにより、ここでは只の生活音で、今回の作業は男が弟子たちに指示をだしたもの。それで怒鳴るのは酷というか、もう無茶だろう。


(……場所を変えるか)


 静かに思考に耽りたいのであれば己の足を動かした方が早い。作業現場、作業道具、それらが視界の中にあった方が具体的なイメージが湧き易いと思ったが全くそんな事はなかったのだから。


 苛立ちという名の導火線に余裕があるうちに彼、炎天の支柱(フレイムピラー)の顧問織士であるケイネスは、席を立ってドック2階の実験室へと向かった。


 立ち上がるまで分かりづらいがケイネスは、かなりの長身、さらに肩幅もあるはずなのだが職業病とも言える猫背と仕事に必要でない筋肉をつけてこなかった歪な体格は細く小さな印象を見る者に与えている。

 そして身に纏う白衣がいっそう汗水流す技術者という枠組みから彼を遠ざけ、部屋に籠り更けり探求を止めない研究者へと仕立てあげていた。

 もはや活発的だと主張しているのは、せいぜい白髪まじりの短髪と大きく速い歩幅くらいなもの。

 見る者が見なければ腕利きの技術者であることは、まず分からない。


「ちょ、無言でズカズカいかないで下さいよ、師匠。おーいてかないでー」


 甘ったるい、肩にもたれかかるような気軽な声がケイネスを呼び止めるが、彼の足はまるで回転率を落とさない。

 まだ付き人から昇格していない弟子の1人である少女は無視されたことに拗ねることもなく、すぐケイネスの後を追った。

 後ろなど気にせず進むケイネスに遅れまいと小走りで駆ける。


 ベリーショートの赤髪とお揃いの短い赤のスカートから伸びる健康的な浅黒い肌の生足がケイネスと同じく着込んでいた白衣に映える。

 背伸びをしているような、慣れぬことに精一杯なような、そんな少女の愛くるしいチグハグ感も前を歩くケイネスの目には映らない。


 実験室の扉を開けるケイネス、後ろから付いてきている弟子のことなどおかまないしで、杓子定規に『開けたら閉める』を決行した。

「にゅが!!」閉めた直後に発生した硬質な感触と妙な声も無視される。


 部屋の灯りをつけていくケイネス。

 灯されたグラス型のランプの中には海水と小型のエーテルコアが入っている。


 今朝がた、ケイネスが確認した空白の予定表通り部屋は使用されておらず、その無人の実験室は無闇やたらと広かった。

 ここは試験機専用ドックの中の一室。ドックの特徴は非常に”手狭”であること。

 しかしあくまでもドックとしては、だ。ほとんどのスペースを設計室や実験室に割いた皺寄せが、そうさせている。

 これは分かりやすく金の絡む話の結果だ。如何ほどかと言うと、そろばんを弾くまでもないほど分かりやすい。


 平時であれば無用の長物で維持費だけかかる大型艦艇の新造、それでも『嫌だ』とは明言しにくいので『”ドックは”作ったよ』という子供のような言い訳がなされた。

 そして、作ってコストが発生する前に、見つけられる欠陥は全て事前に潰したうえで作れという組織の歯車として当たり前の思考の結末。

 それで開発に遅れがでると闇雲に人件費が、となるがここからはケイネスの主義の話。


 運用実験大いに結構だが、考えなしに作ってみて、使ってみたら、やっぱり欠陥品ゴミでした、など恥だの無様だのを超越した致命傷を晒したくないという”ケイネスの”主義。

 これは彼の脳内に住み着いている、かなり脚色されてしまった粗暴な兄が原因である。


 無言のままケイネスは手の中の短槍を掛け台へと置いた。

 長さ60センチほどの短槍は、当然ながら解体バラされることなく、受け取った時のままの状態を維持しているスコルピアーロンズである。

 ケイネスが受けた業務命令は深理アストラ特専ユニーク、【リモートテック】の解析、可能であれば複製もと匂わされていた。

 この指令にケイネスは心躍って了解し、しかし渡された次の瞬間には不可解で、保管ケースから取り出して姿を見た時には、もう手詰まりに陥っていた。


 問題へのアプローチが間違っているのか、とケイネスも考えたが、そもそも別のアプローチがなかった。

 なぜなら、エアソリッドシステムとはそういうモノだから。


 エアソリッドシステムは武装の構造と大気の魔導炉(エーテルコア)に組み込まれた動作コードで成り立っている。

 たとえ特専ユニークにカテゴライズされていようと、それは先達の天才たちが産み出した複雑怪奇で超絶技巧なエアソリッドシステムに冠された称号である。モノとしての成り立ちに違いは無い。

 例外はあるが、それも出力機構の【デュアルコア】くらいのもの。


 再度なめ回すようにスコルピアーロンズを観察するケイネス。エアソリッドシステムの解析は構造の理解から始まる。

 大気の魔導炉(エーテルコア)にインプットされたコードから入っても、そこは流石の特専ユニーク。ほとんど意味不明で、どれだけ眺めたところで何がどのように動作し、作用し合うのか全く想像できない。

 筋肉や関節を知るために動作指令を出す脳から調べる者はいないだろう。


氷河の社(ヒムロ)のアガタなんぞ独自の言語まで使っていたからな……だがこれは)


 この【リモートテック】は”なぜ動いているのか”分からない。

 戦闘時の動作がどの様なものだったかは相対したシャック本人が作った報告書から知ることが出来た。そこには中々鮮烈な単語が並んでいた。


 展開総数28基、個々での動作を確認、ここまではいい。もうギリギリ一杯だが分からなくもない、ケイネスが知っているリモートテックの範疇にいる。


「おい、お前……弟子64号、これを見てどう思う」

「名前は覚えてなくて何番目にとった弟子なのかは覚えてるって……ったく弟子甲斐の無い師匠ですねー……」


 部屋に入ってすぐかけられた声が名前でもなく管理記号であることにエトナは思わず嘆息する。期待などしていなかったが師匠と仰ぐ男の破綻っぷりは彼女の想像の上をいっていた。


「別にいいですけどー…… それ深理アストラさんとこのリモートテックですよね」


 いっさい引きずることなく切り替えるエトナ。

 人間力を授かれると思って工房入りする者などいない。無論、エトナも例外ではない。

 いかにも天真爛漫な容姿を持つエトナだが彼女の中の職人勧はドライであった。すちわち、今、技術者の自分がすべきなのは世間話ではない。

 無言で付き出されている報告書を受け取り、目を通して、そこにある文章と現物を見比べる。


「……いつの間にか”無線”になったんですね、リモートテックって」

「今の返答でお前をクビにしないのは、俺にも分からないからなんだが」

「承知してますよー、それくらい」


 深理アストラのリモートテックは未完成品である、専門の筋では有名な話だ。

 リモートテックは、目指した頂きが高すぎたが故に頓挫、その後に起こった事件により剥がれない未完成品のレッテルを貼られることになった。


 何を目指して興り、何が起こって潰えたのか。


 開発当初のコンセプトである複数機の小型自走砲台のアビスフレームに自律機構オートマチックないしは随意機構マニュアルを搭載するという剣ヶ峰は踏破ならず、当然だ。


 それでも中途の段階までは案外進められていた。

 人という重りを内包しないため推力の確保は良好で必要な出力を確保するというハードルを越える大気の魔導炉(エーテルコア)の小型化にも成功した。


 しかし、そのコアへ、人ならざる無機物へ、人のように考えて動くための疑似的な脳を落とし込めない。

 ここからケチが付き始めた。


 おのずと開発はマニュアル操作へと舵をきることになるが、今度は指令を正確に伝達する方法がない。

 海中にただよう魔力を中継すればよいはずだが各基への異なる指令を選り分けてキャッチさせることができない。識別の問題が立ちはだかった。


 あれよあれよとリモートテックが転げ落ちた先は有線式であった。

 最終的には有線式であっても装備者に高すぎる練度を必要とするため展開する基数をダイバーの技能に合わせて減らすことになる。

 ともあれようやく形になったその矢先であった。


 ギンジ・ギアーズの手により深理アストラは壊滅。開発元であるギルドを失ったリモートテックは、完全なる未完成品となり機構情報は闇に消えた。


「未完成品が今になって完成品として出てくるとはな。表舞台から消失して早10年、10年でここまで仕上げる? どんな手品だ……」

「バラして中身タネ見ちゃいます?」

「その軽率な言動がどういうわけで出てくるのか興味が湧いてきたな……バラすか」


 お前を、とまでケイネスは言わなかったがエトナもそれくらいは察した。冗談を言うタイプの人間でないことも知っている。


「私ながら真面目な言動だと思いますけどね、うーん」


 そもそも師匠ケイネス自分エトナに尋ねたのは何故なのか。それはエトナが自分より知識がないと踏んでいるからだ。

 ケイネスは”知識の無い自分”を欲している。


 偏見は、先入観は、知識で補強されていく抗い難い深層心理。知見が生み出す思考の死角だ。

 だからいま求められているのは知らぬが故の与太話かせつ。それが死角を写し込む鏡、知識の無い自分となるのだ。


 分かってしまえば気は楽なものであった。

 彼女はケイネスと違い最初から諦めてよいのだから。躊躇うことなく積み上げた知識に両手を上げさせて結果をただ受け入れてやればいい。


 (そう、何はともあれ無線で動かせるってこと。でも自律機構オートマチックは……やっぱり無理があるよね。というかそんなことが出来るなら、もっと他にもやれることあるだろうし)


 だとすると随意機構マニュアルが搭載されていることになる。

 ならば可能になった技術は、人工的な脳の搭載ではなく、装備者の指令を誤差なく伝達できるというもの。

 難易度的には、かなりのグレードダウンである。掘り進めるならばココだろう。


(無線……けど実際に”繋がって”いないわけじゃないんだ。媒体となってるのは海中の微細な海魔石、そこに目に見えていないだけの何かをのせてる。技術として確立できているってことは、感知可能ヒトがあつかえるということ……んーん?)


 まだ思考という名の鉱脈を掘り始めたばかり、にもかかわらずエトナは答えに行きついた。

 それなら行けるのでは、と一度放棄した知識までもが色めき立つ。


「師匠、”音”ならどうですかね。目に見えず、一定の周波なら耳でも捉えにくい、互いに波で位置管理すれば展開中の衝突もない。個々にキャッチできる音波の高低とか波数なんかを限定しておけば指令の誤認も防げる」

「……お前それは……」


 ”当たりだ”それと同時に、もうリモートテックだけの話ではなくなっている。状況が状況なだけに別の技術体系からの介入だけで済む話でもないことは技術屋のケイネスにもわかる。

 判明した垂涎の答えからケイネスの胸に去来したのは喜びではなかった。


 (裏切り? 内通? まさかギルド主導で特専ユニークの裏取引??? 盟約への重大な違反だぞ!? しかしどれも、あり得…なくはないのか、現に俺が……そんなことより対抗技術の確立は…ダメだ。下手を打てば開戦事由になりうる)


 ケイネスの頭に技術開発だけでなく各ギルドのパワーバランスまでもが渦巻いていく。


(ああクソ、面倒くさい! 情勢がどうだのは俺の専門外だろうが!!)


 だが、いつだってそうだ。異変に気付くのも対応するのも政務に携わる者などではない。

 その道の先頭に立つ専門家スペシャリストたちになる。

 それに、そこまで含めての”ギルド仕え”でもある。いやなら個人経営でもすればいい。


「……なによりもまず首領ボスに一報いれておかないとな、今後の立ち回りに関わる」

「じゃあ今すぐに行かなくていいんですか?」

「そろそろ来客なんだよ。ただその中にシャックがいる、首領ボスへ伝えるよう言って……ちゃんと伝えるだろうなぁ、あのとぼけ顔……っと、噂をすれば影か」


 ケイネスの脳裏にニコニコ笑う金髪赤目の優男が浮かぶ前に、実物が想像比4倍程度のうっとおしさで現れた。

 ノックもなしに開けられた扉から上半身だけ出して部屋の中を遠慮なしに覗くシャック。

 慎重なのか、無作法なのか、おそらく入ったことのない部屋への好奇心だろう。


「ちゃーす、ケイネスさん」

「うっとおしい、さっさと入ってこい」


 ケイネスの吐く毒にも濁ることなく目当ての人物を見つけた紅玉の瞳は嬉しそうに三日月をかたどった。


 ◆◆◆◆◆◆


 何を言われたのか分からずフィオナは表情を固める……ことはなかった。叩きつけられた言葉を解明するためだけに脳へリソースが割かれたことで、むしろ表情の変化に歯止めがきいていない。

 猫の目のようにクルクルと、美しい蒼の瞳孔が細くなり、大きくなり、目尻と口角が上下する。

 さながら百面相だが、少なくとも言われたことに納得しているわけでないのは深也にも伝わってきた。


(まだかよシャック……)


 しかして言い放った深也本人にとってフィオナの意志は心底どうでもよかった。

 さしあたり、彼女が混乱状態から立ち直る前に事を進めるのが好ましい。

 矢面にたって戦うのも、このトチ狂った棺桶に詰めこまれるのも、自分だけでいい。


(……さっさと戻って来いよ)


 いま深也とフィオナがいるのはドックの1階、階段前の踊り場。用事のかなめである人もモノも2階の工房スペースにいるとのことだが、当然ながら入室は許可されなかった。


 工房は秘匿技術の漏洩を防ぐため関係者以外の立ち入りを固く禁じている。深也たちはドックの管理者であるクラッグの弟を呼んでくると言って、上の階へと上がっていったシャックから待ちぼうけを食らわされていた。かれこれ30分以上になる、人を呼んでくるだけの用にだ。

 しかし、そんな深也のじれる気持ちも階段を下りる軽薄な足音によって報われる。


「呼んできたよ、おまたせ」

「ほんとにな、待たせすぎだ」


 どうせ何か別件ないしは関連の事案があったのだろうが、これ以上今回の襲撃事件へ踏み入るつもりはない。


「こちらケイネス技術士長、そして弟子のエトナさん」

「……シンだ」


 紹介を受けて深也はシャックの後方、両手を白衣のポケットに突っ込んだケイネスと大荷物を抱えたエトナへと視線を移し、眉をひそめた。

 それなりの体格の男が少女に大荷物を運ばせて自分は手伝う気は微塵もないというポーズを取っている。

 深也は別に好青年ではないが見ていて気分がいい光景ではない。

 起因する荷物の中身が自分の発注していた装備なら尚更きまりが悪い。


「……シン君ってそういうの気にするね、生き辛そう」

「だから、何も言ってねぇし、やってねぇだろ」

「あれ? ちがった?」

「見透かすなって言ってンだよ」


 ガラの悪さとスレていなさが同居していることにシャックは笑う。

 こんなものは、ただの秩序の構築だ。

 仮に工房のトップであるケイネスが大荷物を持ち、弟子のエトナが手ぶらだったのなら、その方が問題であろう。それでも、となるのがシャックの知るシンという人間。不可解で楽しい。


「ほら、さっさと寄越せ」


 何とか引きずるまいと力いっぱい持ち上げられている大型のツールケースを深也はエトナの手からひったくる。重さを感じさせないほど軽く持ち上がったケースが放り出されるように近くの作業台に乗せられた。

 もはや置かれた際の音の質でしか重量の名残はない。


「おい、乱暴に扱うな」


 今しがたの深也がケースを軽々と扱う様は粗野とも言えた。ケイネスの琴線には当然触れる。もう1人、エトナの琴線にも触れている、別の意味で。


「は? 俺のだろ。それに……武器だろ?」

「そうだ戦争芸術さ。足りない頭で振るなよ猿」

「ンだとテメェ……」

「2人とも、そんな武器の受け渡しだけで険悪にならなくても」


 悲しくなっちゃうよ?と見ている側の脳が余計に沸騰する表情かおで割って入るシャック。本当に場を納めたいのかすら怪しい。

 ただこれ以上シャックに窘められることになるのは、それこそ到底許容できないため怒気を押さえ込んだ。

 どちらかともなく視線を外す両者、こういう時は最初に目をそむけた方が負けと見なされる。


「……」

「……」


 ここまで隠す気のない機嫌の悪さがあるものなのか。

 笑いを堪えるために大口を開けて天を仰ぐシャックと未だ百面相を続ける混乱中のフィオナが添えられた光景は、天井知らずのシュールさを放っていた。4人とも自覚していないのが救いだろう。

 少しでも離れたいとケイネスは現場の指揮に戻り、深也は作業台に置いたツールボックスに手をかけ、これでもかと付けられている”爪”を外していた。


「事前に渡されていた教本での予習は? 済ませましたか?」

「うぉ!?……なんだよ」


 ツールボックスに注がれていた深也の視線、それを遮るようにエトナが横から顔を突き出す。深也を見上げ、覗き込む、眼光を一挙に注ぎ込む。


 燃えるような赤い髪、その熱気に焼かれた小麦色の肌と澄み切ったエメラルドグリーンの瞳、”今、あなただけを見ている”と叩きつけられるエトナのエネルギー量に思わず怯む深也。

 狂った距離感、壊れた勢いとスピード、エトナのそれは一切ためらいがなかった。

 フィオナの遠慮がちな、そのくせ構って欲しいような「いいかな? いいのかな?」と伺うような躊躇いの無垢とは違った、まるで遠慮も手加減も知らぬ無垢。


「なんというか……心臓に悪い助手だな」

「改めましてー、エトナでっす!」

「そうかよ、エトナかよ」


 聞いてねぇよ、などと言葉にするほど深也はガキではないが、これだけのやり取りで名前を刷り込まれてしまっている程度には単純であった。

 横で見ているシャックといえば、女性慣れしているはずの友人シンのちょろさに心配と困惑を隠せない。


 フィオナはどうだろうと目を向けるシャック。

 フィオナはエトナのレース乱入により意識が戻りかけたが、また自問の宇宙へと飛び立ってしまっている。只事ではない。


「えーっと……シン君、ちょろいね?」

「なんだその疑問形……エトナも急に顔出すなよ、手元が狂う。用がないなら向こう手伝って来いよ」


 そう言って深也は背後にて最終段階に入った”砲台”へ顎先を向けエトナを促した。ようやく気づいたのだ、エトナの目にあるのは好奇心のみ、初対面の相手に向ける類のものではない


「そっちはもう私が入る余地ないですから。だから貴方こっちのが気になるんですー」

「俺に触ってどうする……こいつが欲しかった」

「はい、ご注文のランブルエッジ2(ツー)ですよ」


 流れるように淀みなく右腕を這い上がってくるエトナの指を払いのけてから深也はケースの中に納められていた”二振りの”ランブルエッジを抜き出す。


 すげぇ…


 声なき感嘆が深也の胸に落ちてくる。

 細工は流々、見せつけられた仕上がりが極上であることを刀身が語りかけていた『隠すことは許さない』と。刃が獰猛と恍惚の表情を反射する。


「ちょっと振るからどいてろよ、怪我するぞ」


 深也は双大剣《ランブルエッジ2》の肉厚な刀身の”腹”の部分でエトナとフィオナを押しのけて距離を取らせる。直後、野太い風切り音が12回、しかっりと腰の入った、あるいは”手首を返しただけの”振りから繰り出される。

 鍛え上げられた手首リストがどうだという話ではない。天賦にモノを言わせた深也の剣舞にエトナの目が更に輝きを増した。


「ヤッバぁ……いや、ヤバ、ブチ上げなんですけど、マジですか」

「ふ、僕は知ってたけどね」

「どんな張り合いだよ……」


 エトナも使い手に関しては開発する際に話を聞かされてはいた。しかしそれが誇張抜きのシロモノだとは思ってもいなかったのだ。

 この身体能力ならば使いこなす可能性があるというのも頷ける。

 担がれ、深也の背に消えていく二振りのランブルエッジにエトナは小さく手を振る。


「見込みのある人で良かったー」

「無かったらどうしてたんだ?」

「さぁ?どうしましょうか、師匠じゃないですけど動かせもしない人に渡すのは違うと思うんですよ。で、まだ質問に答えてもらっていません。教本での予習は?済ませましたか?」

「そういやそうだったな。まぁ読んだよ、つまるところ才能次第でこんなもん読む意味がねぇってことが分かった……」

「優れた工芸品は持ち主に技巧と才能を求めます。”アガタ”は人を選ぶ特専ユニークなんですよ」


 そんな偏屈な理屈を尊いもののように掲げるから狂ってるんだよ、と深也は思ったが理屈じゃない物事は厳然としてある、吐いて捨てるほど。


「ねぇ、シン君」

「なんだよ」


 シャックが深也のアビスフレームの袖を引く。

 ボリュームを絞った声とチラリとやった視線の先にいたフィオナだけで聞きたいことは察しの悪い深也でも粗方分かった。


「ついてくるな、足手まといはここで大人しく待ってろって言っただけだよ」

「そんなヒドイこと言ったのかい?……」


 ”多少の”悶着はあったが深也はなんとかフィオナを黙らせた。

 深也からすればさして悩むまでもなかったのだ。

 そもそも彼女を守り切れないかもしれないところへわざわざ連れ立っていくこともない。

 この一時いっとき嫌われようが何だろうが関係なかった。

 だが同じ気持ちで彼女が深也についていきたいというかのうせいはこの短慮によって抜け落ちてしまっていた。

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