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「陛下」
凛とした涼やかな声が室内に響いた。
見れば先ほど姿を消した衛兵に付き添われて、大公殿下がやって来ていた。眩しい金髪に緑色の瞳、外見だけなら双子のようにそっくりな従兄弟同士だ。
彼はエドワード陛下を見つめて言い直す。
「いいえ、エドワード従兄上。ユーフェミア嬢を困らせてはいけません」
「うるさいっ! そなたには関係がない!」
大公殿下は、ゆっくりと首を横に振る。
「先ほどお伝えしたではないですか。この国の王はもう私です。十八歳になるのはまだ先ですが、先日特別に聖印を受けて力が芽生えたのです。公爵も辺境伯も、この国主だった貴族はすべて私を認めました。神殿もです。後は……」
そういえば、最初のころは聖印を受けるのが十八歳という縛りはなかったと聞く。
早く聖印を受けて力が芽生えると、幼くても死地に送られていたため十八歳という決まりが出来たのだとか。
塔に軟禁されて運ばれてきた書類仕事をしているだけでも外の様子はわかる。
私がいなくなったことで実質的な王妃となったミセリアは暴虐の限りを尽くしていた。彼女は相変わらず陛下に偽りを吹き込み、周囲を不幸にしていた。
あまりのことに、大公殿下が十八歳になるのを待てなくなったのだろう。
だけど……そんなことができるのなら、もっと早く、もっと早くしてくれていればあの人は、私の愛したあの人は──
そこで私は大公殿下、新しい国王陛下の視線に気づいた。
ああ、そうだ。もう偽りを終えてもいいのだ。
私は指から結婚指輪を抜いて、床に叩きつけた。エドワード元陛下の顔が絶望に沈む。
「愛していません。もう私はあなたを愛していません。異母妹と私のベッドで睦み合い、彼女を信じて私を罵る方を愛することはできません。彼女に力が芽生えなかったといって、私が愛し始めていた人と引き裂いて偽りの結婚をさせるような方を愛することはできません」
婚約破棄の後で持ち込まれた縁談の相手、辺境伯の三男は黒髪で青い瞳だった。
貴族の嫡子でも力が芽生えるのは三人にふたり。彼は芽生えなかったひとりのほうだったが、自分で体を鍛えて魔獣に対抗する力を得ていた。
妖精のように美しくはなかったけれど、彼の笑顔を見ていると胸が温かくなった。私の赤茶の髪と黒い瞳を豊かな大地の色だと言って、聞いていて恥ずかしくなるほどに褒め称えてくれた。
私との縁談が解消された後(公爵家は私と元陛下の間に生まれる第二子が継ぐ予定だった。生まれるはずないのに)、彼は辺境伯領へ戻る途中で暴漢に襲われたと聞いた。
もう戦うことのできない体になったのだと、子どもを作ることもできないのだと。
ミセリアがどこまで関与していたのかはわからない。でも少なくとも、あの娘が産んだ子どもが黒髪で青い瞳だったのは、私への嫌がらせで間違いない。
「嘘だろう? 嘘に決まっている。ユーフェミアそなたは、そなただけは私を愛してくれているのだろう?」
美しい金髪を振り乱して問いかけてくる元陛下に、私は答えた。
「エドワード殿下がそうお思いであっても、真実は変わりません」
「あ、あ、あああぁぁぁぁぁっ!」
茶器の破片が散らばる床に泣き崩れたエドワード元陛下は、衛兵達に引き立てられていった。彼はもう王ではない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
偽りは終わった。
王宮へ迎えに来た公爵家の馬車へ乗り、私は帰る。
新しい国王陛下には愛する女性がいるので私の力は必要ないのだ。
陛下のお相手は婚約者の貴族令嬢で、陛下が十八歳になったら結婚なさる。
彼女は陛下の力を高めることはできないものの、魔獣と戦う力は持っている。
ふたりで危険な地へ赴き、魔獣の大氾濫から国と民を守ってくれることだろう。
公爵邸へ戻って落ち着いたら、とりあえず辺境伯領へ行こうと思う。
私の持つ力を求める者は多いだろうが、偽りの結婚が終わった後は好きに生きていいと父に許可をもらっている。傷ついた彼は私に会いたくはないかもしれないけれど……私は会いたいのだ。
会いたくて会いたくてたまらないのだ。
私は真実の愛を取り戻す。
だって偽りのときは終わったのだから──
愛し続けていてもらいたかったのなら、それなりの態度を取るべきでした。