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その嬰児は、一声も発さずに天へと還った。
金の髪に緑の瞳を持つ夫、国王エドワード陛下に少しも似ていない、黒髪に青い目の赤ん坊。どうしてこんな見た目に生まれてきてしまったのか、陛下にはわからないかもしれない。
私には……わかる。
だけどそれを口に出す気はない。この偽りはまだ終わるべきときではないのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
公爵令嬢である私ユーフェミアは、生まれたときから婚約者が決まっていた。
相手はこの国の第一王子、未来の国王エドワード王太子殿下だ。
エドワード殿下の髪は太陽のように煌めく黄金色で、瞳は夏の森のように鮮やかな緑色。無骨な軍人の父に似た赤茶の髪と黒い瞳に劣等感を持っていた私にとって、明るく眩しい色の髪と瞳を持つ殿下は伝説に出てくる妖精のように輝いて見えた。もちろん、整った顔立ちや優美な立ち居振る舞いも、彼を妖精のように見せていた理由のひとつだ。
この国は、凶暴な魔獣が蔓延る大森林に取り囲まれている。
父は公爵領を中心に大森林と接する辺境で魔獣の大氾濫に立ち向かうことが多かったため、王都にある公爵邸で過ごすのは主に私と母だけだった。多くの使用人はいたけれど、私も母も父の不在が寂しかった。
厳つい父に似ていることに劣等感はあったものの、父が嫌いなわけではなかったのだ。
ミセリアが公爵邸にやって来たのは私が十八歳、彼女が十五歳のときだった。
母が亡くなる半年ほど前の話だ。
薄紅の髪に紫色の瞳。私は、エドワード殿下よりも美しい人間を生まれて初めて見た。父に私の異母妹だと言われて、複雑な気持ちになったことを覚えている。
ミセリアの母は大氾濫に巻き込まれた辺境の住人で、助けられたことがきっかけで父を慕うようになり……そういう関係になったのだと説明された。
彼女はミセリアが我が家へ来る前に亡くなっている。
だから父が異母妹を引き取ったのだ。
母の死からは、もう五年ほどが過ぎ去っている。
あれから……いろいろあった。
私は二年前、二十一歳の年に即位なさったばかりのエドワード陛下と結婚した。ちょうど大規模な大氾濫が起こった時期で、陛下の父君である先代国王だけでなく多くの貴族が亡くなった直後だった。
……可哀相に。
抱き締めた黒い髪に青い瞳の赤ん坊を見つめて、私は思う。
この子が生きていたら、私はどんなに愛したか知れない。
だってこの髪の色は、この瞳の色は──
「なんなんだ!」
エドワード陛下が声を荒げる。
出産を終えたばかりの女性がいる部屋で、そんな大声を出さないでほしいものだ。
しかし、生まれたときから全てを許されてきた彼に、他人を気遣えと言うほうが無茶かもしれない。
前にも言ったように、この国は凶暴な魔獣が蔓延る大森林に取り囲まれている。
そのせいで民を守る使命を持つ貴族男性の多くは短命だ。孫が生まれる年齢まで生き延びているのは、私の父である公爵とその盟友である辺境伯くらいのもの。
エドワード陛下の父君もお爺様も、大公だった叔父君ももういない。
そう、今のこの国にはエドワード陛下に代わって王になれる人間がいない。
だから周囲のものは彼に従い彼の願いを叶えなくてはならなかった。
それが、どんなに理不尽なことであっても。
──彼に許されないのはたったひとつ、ミセリアを王妃にすることだけだ。