僕はずっと君を見ているよ
やっと書き終えた。
いや、君への思いを書くのに、たいして時間はかからなかった。ただ、ラブレターを書くのが初めてだったので、これでいいのかと悩んだだけだった。
冷めたコーヒーを一口飲み、いつ君に届けようか思案していた。一刻も早く届けたい。このラブレターを読めば、君は僕から離れられなくなるだろう。これからの君との生活を考えるだけで笑みがこぼれた。
時間を見ると、既に深夜2時を過ぎていた。
さすがに今日届けるのは遅すぎる。
君への熱い思いとは裏腹に、僕の気持ちは落ち着いていた。上手くいくことがわかりきっていることが理由だろう。
さて、このラブレターを明日、君に届けよう。
『君と僕は運命で結ばれています。
僕とはまだ一回しか話をしたことがないから不審に思ってる?話したときのこと覚えているかな?
僕がハンカチを落として、君が拾ってくれた。
「落としましたよ。とても素敵なハンカチですね」
この言葉で、僕は恋に落ちたと同時に運命を感じた。
実は、毎日同じ電車に君が乗っていることも知っていた。素敵な人だとは思っていたけど、この会話で確信したんだ。ハンカチを落としたのはたまたまだけど、君と僕が結ばれる運命だったのだからきっかけは大した問題じゃない。
僕はもっと君のことを知りたかった。
だから、毎日同じ電車に乗って、何時に帰ってくるのか、君の家はどこなのか。もちろん職場も知っている。
君は、朝7時30分頃にマンションの204号室から出かける。
電車に乗る前に、コンビニにより、PB商品のジャスミン茶かウーロン茶、たまに緑茶を買っている。。
電車には8時3分発の三鷹行き、後方から3両目に乗る。窪塚駅で降り、徒歩5分程度のビルに入っていく。君は5階の機械系商社に勤めている。
どこに勤めているのか調べるのは、結構苦労したんだよ。ビルに入っている会社全部に電話したんだから。
君の名前が佐藤や鈴木じゃなくてよかったよ。君の家の表札で名前も知ったんだよ。珍しい名前だから、SNSのチェックも簡単にできて君の過去まで知ることができた。でも、もうSNSなんてする必要ないね。友達なんて不必要だよ。僕だけを見ていればいいんだから。
昼は、同僚とカフェでランチが多いのかな。時々、公園で持参のお弁当を一人で食べている。
会社から出てくるのは、大体19時くらい。君は、まっすぐ帰宅か、コンビニ、もしくはスーパーによってから帰ってるね。夜は忙しいのかな。ちょっとコンビニのお弁当の回数が多い。
平日は、こんな感じだね。
こうやって書いてみると僕は知らないことが多い。もっと知りたい。知らないことがあると、非常に気持ち悪いんだ。心の底からマイナスな感情が沸き起こってくるんだ。
それより、僕は君の休日が一番気になるんだ。
ねぇ、あの男は何?君にとって不必要なものじゃないの?君に害を与えるものは排除しないといけないよね。
決して君を責めているんじゃない。きっと騙されてるんだ。だから、僕の家から君は出られないようにしてあげなきゃね。君が安心できるよういい部屋を作ってあげるよ。君は僕から離れちゃいけないんだよ。
そうそう、まだ僕の話しをしてなかったね。
今は、君をずっと見てないといけないから仕事はやめてしまったけど、一部上場の大手メーカーに勤めていたんだ。
でも、誰一人自分のことをわかってくれないんだ。きっと僕のことを認めるのが怖いんだ。否定され続けたよ。
今までだってそうだ。人一倍努力して、いい高校、大学にも行った。周りの奴らは、勉強しか取り柄がないと笑っていた。なぜ認めないんだ。群れを成して周りと同調することしかできない低脳な奴らには理解できないだけなのだろう。僕はそんな奴らとは違うんだから。
親もそうだった。いい高校、大学に行ってもなぜもっといい大学に行けなかったのか、もっといい企業に入れなかったのかと言われ続けた。
どこまでやっても否定され続ける。
そんな世界に嫌気がさしていた時に、君は手を差し伸べてくれたんだ。
「落としましたよ。とても素敵なハンカチですね」
僕は、とてもそのハンカチを気に入っていた。あるアニメのキャラクターが描かれているハンカチだ。周りからは馬鹿にされていたが、君は僕を肯定してくれた。嬉しかったよ。
その時僕は思ったんだ
君は僕に必要だ。そして僕を肯定してくれる君は僕のことが必要なんだ。
そう、やっぱり運命なんだ。
だから、一緒になろう。僕の帰る場所に君はずっと居続けられるように、外の世界に騙されないように、君に理想の部屋を作ってあげるよ。君の世界には僕しか必要はないんだよ』
私はどれだけ騙されればわかるんだろうか。
彼に何回電話してもよく知っているメッセージが流れるだけだった。
「おかけになった電話番号への通話は、お客さまのご希望によりお繋ぎできません」
薄々騙されているのはわかっていた。彼にとって私は遊び相手でしかなかったのだ。
今回は大丈夫、彼は私のことを愛している。自分に暗示をかけ、不安から逃げていただけだったこともわかっている。気づかないはずがない。何十回も経験しているのだから。
でも、それでも良かった。私は誰かに必要とされたい。必要にされていると私は生きていていいんだという気持ちになれた。
そして、騙されるたびにこう思う。
見捨てられるような私が悪いんだ。
私は生きている価値があるのか、私が死んでも悲しむ人なんているのかとネガティブなことばかりが頭の中でぐるぐると回る。
気持ちを落ち着けるため、そして罰するために、また手首から血を流す。血を見ている時が一番落ち着いた。
その後、いつも考えることは仕事だった。唯一仕事だけは私を必要としてくれる人も、評価してくれる上司もいる。
傷口に絆創膏を貼り、睡眠薬を飲み、仕事のことだけを考え眠りについた。
君がマンションから出てくるのを確認してから僕はポストに手紙を入れた。
今日は君にとっても僕にとっても記念すべき日になることを思うと、気持ちの高鳴りを抑えられなかった。
今すぐ手紙を渡したい気持ちもあったが、
僕にはしなければならないことがあった。
君を迎え入れる準備をしないといけない。
君が会社に向かうのを物陰に隠れながら見送った後、すぐさまホームセンターに向かった。
部屋の鍵を中からは開けられないようにするための材料が必要だった。探してみると意外にも需要があるのかすぐ見つかった。あることは事前に調べてはいたので知ってはいたが、こんなにも種類があるとは知らなかった。とりあえず付け替えが簡単なものを購入した。
その後、すぐに秋葉原へ向かった
部屋から出るときのために手錠と、君に着せる可愛い服を買うためだ。
秋葉原の大人のおもちゃ屋に着くと、想像以上の品揃えだった。
手錠はもちろんだが、たまには気分を変えるために縄も必要だと思い両方購入することにした。着せる服は、王道のメイド、ナース服、警察官と、アニメのキャラクターの制服の合計四着購入することにした。
自宅へ戻り、鍵も取り換え、君の部屋が完成した。もうすぐ君がここで暮らすことを思うと興奮が抑えられなかった。
忙しくしていたせいか、思っているより外は暗くなり始めていた。
手紙を受け取るところを確認したかったので、君の家へ向かった。
君を僕の家へいつ連れて行こうか。そうか、
君が出てくるまでマンションの玄関で待っていよう。手紙を読んだ後なら、君の気持ちは決まっているはずだ。
君は、僕と運命で結ばれているのだから。
私は、何とか起き上がり、仕事に向かう準備をした。
洗面所で顔を洗った後、血で滲んだ絆創膏を外し、傷跡を見た。
自分を傷つけ落ち着かせ、次の日に傷が増えたことに後悔する。でもやめられない。麻薬なようだと思う。いつでもやめられるという感覚も、悪いことなんだともわかっている。でも、不安に襲われるたびに、私を罰するために、なくてはならない行為となってしまっている。。
傷を洗い絆創膏を貼り、頭を仕事方面へ切り替えた。
今日すべき仕事を考えながら朝食を食べ、
素の私ではない外向きの私になるために化粧をした。鏡を見て、ぎこちない笑顔を作り、
明るくて優しい外向きの私を確認し家を出た。
仕事も特に問題なく、昼食も同僚と話しをしながらとるいつもと変わらない一日だった。
終業時間も過ぎ、帰る準備をしている際に上司から応接室にくるよう話しがあった。
恐らく来月から始まる新しいプロジェクトの話しだろうと思ったが、わざわざ応接室まで呼ぶことなんだろうか。
上司なりの考えもあるのだと思い、ノックをし部屋へ入った。
「仕事終わりごめん。とりあえず席に座って」
私は頷き座った。もう大体のことは上司の顔を見ればわかっていた。人の顔色ばかりうかがって生きてきたせいか顔を見ればいい話しか悪い話しかは予想がつく。
上司は憂鬱そうな顔をしながら話を切り出した。
「来月からの事なんだが……来年度は契約しないことに決まったんだ。私は絶対に必要な存在だし、仕事もしっかりしてるし……」
その後も契約更新しようといかに努力したか、契約できなくなってしまった理由を延々と話していた。
理由なんかどうでもよかった。私には仕事しかない。これ以上の話はもう聞きたくなかった。
「いえ、契約社員だから仕方ないことですよ。こんな役回りさせられて気の毒ですね」
私の話しを聞き、上司は少し安堵した顔をしていた。
「すまんな。荷物は来週までに片付けてくれればいいから。あっ、そうだ、送別会とかどうだ?」
「それは嬉しいですね。でも、大丈夫ですよ。気にしないでください」
私は笑顔で言った。
会社から出た瞬間、私の中で何かが崩れていくような感じがした。何も考えられなかった。
ただ茫然といつも通りの道をたどり、家に着いた。
家のソファに座りテレビをつけた。何とかほかのことで気を紛らわせようとしたが、どうしても考えてしまう。
きっとこれから生きていっても私を必要としてくれる人なんていない。
上司も今頃、私との契約を切れてせいせいしてるのかもしれない。頑張って成果を出しているつもりだったが、周りからすれば邪魔者だったんだ。きっと同僚も笑ってるんだろう。
でも、それも仕方ない。
見捨てられるような私が悪いんだから。
無意識のうちにカッターを探していた。カッターを見つけ手に取ろうとした時に、今までにない考えが思いついた。
私を必要としてくれる人も場所もない。今なら、死んだって誰にも迷惑がかからない。死ぬことも悪くないな。
生きていたってこれから良いことなんてあるわけもないし、生きている意味もない。なんで無理してまで明るくて優しい女性を演じているんだろうか。こんな生きがいもない世界で生きているくらいなら死んだほうがずっと楽だろうし、そもそも私なんて生きている価値もない。
自殺という言葉に私は今までにないワクワク感を感じた。
自殺の仕方も調べるといろいろな方法があった。焼身自殺と入水自殺はとても苦しいらしい。できれば楽に確実に死ねたほうがいいに決まっている。メジャーな方法だと、首吊り、練炭、硫化水素、薬物、飛び降り自殺などがあった。
自殺サイトを調べていくうちに死に方は練炭、硫化水素など同様だが、最も興味引く方法があった。
心中自殺。死ぬ時くらいは一人ではなく誰かと一緒に死にたい。誰かと一緒に死ねるなんて素敵だなとさえ思えた。一人で死ぬのは嫌だった。
自殺募集サイトを見ると様々な人が募集していた。こんなに死にたいと思っている人がいる。自殺を考えるのは当たり前のことで、死ぬことの何が悪いんだろうか。
もう未練もないし、自殺の準備をしよう。
心中してくれる人と、家族への遺書を作れば全てが終えられる。やっと苦しみが解放される。
遺書の準備を終えたとき、ポストに入っていたチラシの中から一枚のピンク色の可愛らしい手紙が見えた。名前はないが差出人の住所だけ書いてあった。
いつもなら読まずに捨てていたかもしれないが、死ぬ前くらい目を通して見てもいいかなと思い読み始めた。読み終えた後、差出人の住所に向かおうとすぐに外へ出た。
君がマンションから出てきた。
何時間待っただろうか。もうすぐ春とはいえ夜は非常に冷えていた。ただ、君がいつ出てくるかもわからない。その時に僕がいないというのはあってはならないという一心で待ち続けていた。
すぐさま君に歩み寄り僕は声をかけた。
「読んでくれた?」
君は真剣な表情で僕を見ていた。読んでくれたという意味と受けとり話しを続けた。
「読んでくれたならわかるよね。僕は君を迎えに来たんだよ。僕たちはこれからはずっと一緒だ。君に素敵な部屋も用意したし、もう誰にも騙されないよう僕が一緒にいてあげる。なにも心配しなくていいんだよ。僕のことだけを見ていればいいんだ。さあ、一緒に行こう」
僕は喜々と話し、手を差し出した。
君は僕の手を見ながら話し始めた。
「あなただったんだ。最近誰かに追われてるのはわかってたんだ。もちろん読んだけど、本気で言ってるの?はっきり言って恐怖すら感じるし、まともじゃないよ」
「もちろん本気だよ。君も同じ気持ちだよね?ほら、僕たちは運命で結ばれているんだから」
僕がそう言った瞬間、君は安堵したような表情に変わった。
「そっか。あなただけは私のことをわかってくれてるんだね。そうね、死ぬ前くらいは、
お互いどんな風に生きてきたか話ししたいよね。私の生き方を聞いてくれた人と一緒に死ねるなら悪くないな。もちろんあなたの話も聞いてあげる」
僕には君が何を言っているのか理解ができなかった。
なんで死ぬんだ?
おかしい。一緒に死のうなんて一言も書いてないし死にたいなんてもちろん思っていない。
彼女は安堵した表情から嬉しそうな表情に変わっていた。
「あなたが私のことを好きって言ってくれたのも嬉しかった。あんなにまっすぐに気持ちを伝えてくれる人はいなかったから。今までいろんな男に騙されてきたのも見ていてくれたんだね。今の私にはあなたしかいない。あなただけは一緒に離れないでいてくれるんでしょ。だから、一緒に死ぬ部屋も用意してくれたんでしょ。方法は決めたの?私は練炭か硫化水素なんかおすすめなの。準備はもうできてるからすぐにでも大丈夫だよ」
やっと理解した。君は明らかに誤解している。勝手に自分の都合のいいように手紙の内容を変換してしまっている。
「違う。僕は死ぬ気なんかない。僕がただ君と」
僕の言葉を遮り叫ぶように君は言った。
「あなたも私を騙すの!私を喜ぶだけ喜ばせて、また突き落とすんでしょ。あなたも私のことをかわいそうとか思って笑ってるんでしょ!」
君は鬼のような表情に豹変していた。
違う。君はこんな人じゃない。僕の知っている君はもっと従順で優しくて可愛い人なはずだ。僕の思うがままになってくれる人のはずだ。なんであの手紙を読んでわからないんだ。
もしかして僕は君のことをわかったつもりでいただけだったんだろうか。君のことを毎日考えているうちに美化してしまっていたのだろうか。
君が僕の腕を掴んできたのを見て、僕は恐怖に襲われて腕を振り払い必死に逃げ出した。
後ろを振り返ると君は追いかけてきていた。
きっと追いつかれたら殺されるに違いない。
逃げ切れるだろうか。逃げ切れなかったらどうすればいい。説得できるだろうか。あらゆる方法を考えたが全くいい方法が思いつかなかった。
そうこう考えているうちに追いつかれていた。
僕は息を切らしながら説得を試みることにした。それしか方法がない。
「僕は君と死にたいわけじゃない。ただ一緒に暮らしたかっただけなんだ。目を覚ましてくれ!きっと君は今疲れているだけなんだよ。とりあえず明日もう一回話し合おう」
「そうやって逃げるんでしょ!都合が悪くなったりするとすぐに捨てられる私の気持ちがあなたにわかる?
君は一歩また一歩迫ってきていた。
「ああ、そうだ。君は明日も仕事があるだろうし、今日はいったん帰ろう」
「私にはもう戻る場所はないの!」
そういって一気に襲いかかるようにきた君を見て、僕は持っていたナイフを前に突き出した。
「来るな!」
そう言ったと同時に、僕は押し倒されていた。僕の上に覆いかぶさった君は力を失ったようにぐったりしていた。僕の服は君の血で一瞬にして赤色に染まっていった。。
『お母さんへ
これを読んでいる時には私はもうこの世にはいないでしょう。
ごめんなさい。親不孝な私を許してください。早くにお父さんと別れ、女手一つで私を育ててくれたことには感謝しています。今までありがとう。
でも、私は生きている価値のない人間です。
いろいろな人と付き合ったりしましたが、私はいつも見捨てられてばかりいました。
もっと私が頑張れば良かっただけなのに、もっと彼の希望を受け入れればよかったのにそれを怠った私の責任です。
会社も同じでした。私自身は頑張ったつもりでしたが、周りからすれば役に立たない奴と思われていたと思います。私は頑張ったと自己陶酔に浸っていただけなんです。そんな私が必要なわけがありません。
自分の馬鹿さ加減に嫌になります。
今までも何度も死にたいと思うことはありましたが、結局は誰かが必要としてくれる人がいるかもしれないという淡い思いがありました。
もうちょっと生きていたら、もしかしたら現れるかもしれないなんて。
でも、そんなことはありませんでした。
仕事の契約も打ち切られ、好きな人とは音信不通となっているのがいい証拠です。
もっと早く気づけばよかったのですが、淡い思いを持って生きながらえてしまいました。
でも、やっと死ぬ決断ができました。
自分勝手と思うでしょうが、私には死ぬ以外の選択肢がありません。
そして死ぬことこそが周りにとっても私にとっても一番いいことだと思います。
死ぬことによって今の苦しみから私は解放されるんです。
お母さんだけには理解してもらえたら嬉しいです。
死に方はいろいろ考えましたが、心中自殺をします。
最後くらいは誰かと一緒に死にたいと思います。まだ誰と死ぬかは決めていませんが、
私と一緒に亡くなっている方は同じ自殺志願者です。私とともにいる方に非はありませんのでそれだけは理解してください。
これをもって遺書とさせてもらいます。
お母さん、大好きだよ』
あれ、ここはどこだろう。
白い天井が見える。私の体中に管がつながっているのを見て気が付いた。
あ、そうか。病院か。
刺されたことまでは覚えている。予定外のことではあったけどこれで死ねるんだと、やっと終えられると思った。
でも、死ねなかったんだ。死ぬことすら私はできないのかと絶望した時、お母さんの声が聞こえた気がした。
「お母さん」
とかすれるような声で言った。
「目が覚めたの!良かった」
その後は泣きながら話すので何を言っているのかはわからなかったが、喜んでくれていることだけはわかった。
病院の先生が来て、もう命に関しては大丈夫と告げられた。それと同時に、体を動かせるようになるにはリハビリが必要なこと、部分的に麻痺が残るかもしれないということも告げられた
刺されるという予定外のことではあったが、
死ねなかった場合はどんな後遺症が残るかは調べつくしていたため予想の範囲内だった。
それよりも、予想外の出来事があった。死ぬことしか頭になかったからなのかもしれないが、ちゃんと私が死んだら悲しんでくれる人がいることに気づけていなかった。
お母さんは病院に付きっきりでいてくれたらしい。面会謝絶のため入ることはできなかったそうだが、前の職場の同僚も見舞いに来てくれたという。上司も友人のつてを使って私の就職先なども探してくれていたということも聞いた。
死んでいたらこんなことにも気づけなかった。そして、死んでいたらこの人たちを悲しませていたのかもしれない。
私が死んでも悲しむ人もいないし、誰にも迷惑をかけないと思っていた。
でもそれは違う、私が生きていてこんなに喜んでくれる人がいる。
未だに死にたいと思う気持ちがなくなることはないが、生きていないといけないという気持ちのほうが強くなっていた。
母親は帰り際に昔懐かしい声で言った。
「生きていてほしい。お母さんにはあなたが必要なの。明日また来るわ」
昔よく聞いた優しい声が私の心を包んでくれた。
そうだ、私は生きていていいんだ。