デリタ国宰相マッシュとエメ
「魔王様の頭を撫でて欲しい、ですか?」
その日彼は魔王の住う宮廷から帰る途中のエメをコッソリ呼び止め自分の執務室へ招いた。
最近新たに問題になっている魔王のケモ耳生やしたい病を治める為である。
「しかし、幾ら妃候補といえど正妃でもない私が魔王様に気安く触れるのは・・・」
「そこは問題ありません。我らの王はああ見えて、とても寛容なお方ですので、寧ろ妃候補のエメ様との交流は王の仕事の効率を過去最高に上げております」
最後の方は宰相の本音が含まれた。
エメがここに来てからアルカダが仕事をサボる回数が減った事は事実である。
「・・・仕事の、効率・・・ですか」
目の前のエメが何か言いたそうに宰相の机に積まれている書類の束をチラリと確認した。それらは宰相の両側にうず高く積まれており「あれ?これは最早部屋のオブジェなのかな?」と錯覚を起こしそうな程背景として馴染んでいる。
「仕事、大変なんですか?」
大変である。
問題は山積みである。
そもそも魔人は気紛れで基本真面目に仕事をしない。
勝手気ままに振る舞う者達を束ねる、それが魔王の本来の仕事である。
しかし、その役割の魔王が一番気紛れで気分屋であった。なんでそんな奴が魔王なのか。宰相のマッシュは毎回頭を痛めている。
「貴方が気にする事ではございません。そもそも、貴方が駄け・・・護衛団長の耳を触ったりしなければ、こんなお手間をお掛けする必要などなかったのですよ?」
(え?やっぱり駄目だったの?・・・でも・・・)
エメは自分の行動を非難され首を傾げた。
あれからカトラはエメの護衛から外されたが、たまに見かけては嫌そうながらもエメに頭を下げて耳を触らせてくれる。
その為すっかり慣れてしまい、今ではカトラの耳を触る事はエメの習慣になってしまっている。
たまにしか触れない癒しのもふもふである。
癒しが少ないこの生活の中において、絶対に失いたくない至高の時間である。エメは全力で話を逸らした。
「申し訳ない。本音を言えば、こちらでの生活は私に出来る事がとても少なく時間を持て余してしまって・・・獣人の方は彼方の国では見かけないものですから、つい気安く耳を触ってみたいなどと興味本位で言ってしまったのです。アルカダ様は次の妃候補が決まるまで私をこのまま離宮に留め置くおつもりでしょう?その間だけでも、私に出来そうな仕事を与えて貰えないでしょうか?」
突然饒舌に話し出したエメをマッシュは警戒した。
この国の宰相はエメが意外と賢いと気付いていた。
自分達の事情をある程度理解した上で考えて行動している。
(もしかしたらカトラの耳を触った事にも何か意味があるのかもしれない。現に魔王様はエメ様の行動に振り回されている)
考え方は強ち間違ってはいないが、カトラに関しては的が外れている。エメは、その件に関しては何も考えてなどいない。カトラはただのもふ要員である。
「そうですね。貴方がどれ程の能力を持っているのか、私には分かりませんので、貴方に適切な仕事を与えるのは中々難しいかと思います」
「雑用でもよいですが?なんなら、そこに積んである書類の整理だけでも。私父の仕事の手伝いをしていましたから、そういう仕事は結構得意です」
エメに全く片付いていない書類の束を指摘され、マッシュは眉間を指で押さえた。正直、助手は喉から手が出る程欲しい。
「・・・では、昼までにここ書類を部類別に分けて整理して頂けますか?大まかでよいので。出来たものは彼方の机に避けて下さい」
エメが嫌がる事を宰相であるマッシュが強要する事は出来ない。アルカダを撫でる事を了承しないエメにマッシュは苛立ちつつ、エメの立場を考えれば仕方がない事だと理解は出来た為、取り敢えずそれは保留にした。
「お茶でも用意させましょう。少しお待ち下さい」
マッシュが宮使いの者にお茶を運ぶよう指示し部屋に戻ろうとすると王宮の外から突然一つの影が飛び込んで来た。
全身黒と赤で統一されたその人物は薔薇を背景に背負いつつ華麗にマッシュの前に降り立った。
魔王のアルカダである。
「・・・アルカダ様?今まで一体どちらへ?」
「研究所の者にケモ耳サンプリングを作らせた。お前の意見を聞こうと思ってな!私の美しさを損なわず劣ることないケモ耳を一緒に選ぼうではないか!!」
もう別にケモ耳魔王でもいいか、面倒くせぇ。
これがマッシュの本心であった。
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「あ、お帰りなさい。少し机をお借りしてました」
「いえ、戻るのが遅くなり申し訳ない、少し外で捕まってしま・・・」
「そうなのですか。こちらは整理終わりました。だいぶ前の書類も重複してましたので、寄り分けて案件の内容と日時、直ぐに必要な物はそちらに分けました。混ざらないよう避けてありますから、心配なら後で確認を・・・」
いつもの執務室がやけに眩しい。
彼がそう感じたのは勘違いからではない。
光を遮断する障害物が取り除かれていたのである。
マッシュは光に照らされ微笑むエメを半端呆然と見た。
そして、震える手で綺麗に纏められた目を通しきれていない書類を確認し、ちゃんと整理されている事を確認し再びエメを見た。
「い、一体どうやってあんな大量の書類を半日で?」
「え?別に普通に分けただけですよ?紙にちゃんと宛名の印が押してありましたので、サッと確認して重要そうな物は別に避けて・・・下に行く程日付が古いのは分かってましたから、上から順番に整理しただけなんですが?」
寧ろ、なんでそんな事聞くの?と言いた気なエメの様子にマッシュは羞恥心から目を閉じた。
当たり前の事ではあるが、彼は余りに忙しく解決しなければいけない問題が多過ぎて仕事を整理するところまで手が回らないのである。そして、この王宮は万年人手不足であり仕事を任せられる者などいなかった。
「あ、あとこちらですが。提出された経常経理の計算が間違っていたので直しておきました。これを提出した相手に知らせた方がよいでしょう。他のもちょこちょこ間違っていたので、直しておきました」
(な、直して、おきました?)
魔人は頭は悪くないが細かい作業や計算が好きではない。
そのため基本大雑把で適当、毎年王宮に納められる税が合わない事態になり、その修正作業にも追われる事になる。
「これ、後で纏めて直すとなると凄く大変なんですよね。父がよくぼやいていたので。あ、一応直す前の書簡も一緒にしてありますので、信用出来なければ目を通して下さってかまいませんよ・・・宰相様?大丈夫ですか?」
あれだけの量の書簡を整理整頓し内容の訂正までしたエメは疲れるどころか生き生きとした顔でマッシュの顔を覗き込んだ。先程から全く表情が動かないマッシュに心配そうに声をかけてくる。
マッシュは先程まではしゃいだ様子で自分に絡んで来た主人を思い出し、悟りの眼でエメに初めて微笑みかけた。
「私は、なんて愚かだったんでしょう?もっと早く気付いていれば貴方の能力をあんな阿呆の相手をさせる為だけに使うなんて愚行を犯さなかったでしょうに・・・」
「え?」
マッシュのセリフにエメは思わず耳を疑った。
薄々気付いてはいたが、やはり魔王の臣下達はかなり不満が溜まっているようである。
必死で働く臣下に構わずケモ耳を生やす事に夢中になっている自分の主人と、手違いで魔王様の妃としてやって来た人間エメ。
今まで仕事をしない魔王を、なんとかその気にさせようと躍起になっていた宰相は、冷静に物事を判断出来ていなかった事にやっとここで気が付いた。
「エメ様、私の元で仕事したくありませんか?」
「え!?宰相様の元でですか?い、いえ。私はそんな大層な役目ではなく、雑用で十分・・・」
「今直ぐには無理ですが魔王様が貴方に飽きてお妃様を迎えられたら正式に貴方をここで雇わせて頂きたいのです。もちろん、貴方は我が国の事情で此方にいらっしゃっておいでですから、お給金もそれ相応で考えております」
なんだって?
エメは宰相の言葉に思わず真剣な顔になった。
「因みに・・・大体でいいので。それはどれぐらいの?」
マッシュは頷き何やらエメに耳打ちした。
エメはそれを聞いた瞬間うっかり守銭奴の顔になった。
瞳の中にお金のマークが浮かび上がっている・・・ように見えた!
二人は暫しお互い目を閉じ心を落ち着かせてから、誰も見たことも無いような晴れやかな笑顔で握手した。
この二人、とても気が合いそうである。
その様子を執務室の鏡から覗いていたシャルラーニは面倒なタッグが組まれた事に、少なからず不満を覚えたのだった。




