昔々
人間国の一番東。
深い森の中に、この世で最も美しい聖女が住んでいました。
彼女は神聖なその場所を守る一族の末裔であり、その森の中にある真実の鏡の継承者でした。
彼女はその森から一度も出た事がありませんでしたが、鏡を通して外の世界をいつも眺めていたのです。
そして、そうやって過ごすうち、自分の姿が他の誰よりも美しいのではないかと気付きます。
彼女は真実の鏡に、こう尋ねました。
"この世で最も美しい聖女は誰?"
その問いに鏡は"貴女だ"と答えます。
それを聞いた聖女は調子に乗り、その言葉を間に受けました。
確かにその時、この世で最も美しい聖女は彼女でした。
しかし、永遠にその美しさを維持する事は現実的に無理があります。そして間が悪い事に丁度その頃、魔国から人間国に遊びに来ていた魔王の放蕩息子がその聖女を誑かし、その森から連れ出そうと言葉巧みに彼女を誘惑したのです。
聖女は益々調子に乗りました。
彼女は自分の役割を果たす事を放棄し、初めて出来た恋人に溺れ、彼女を諫める声に耳を貸さず逆にそんな者達を森から追放しました。
そんな日々が何年も続いたある朝、森の聖女はいつもの様に鏡に尋ねました。
"この世で一番美しい聖女は誰?"
鏡は答えました。
"それはエメ。公爵家長女として、たった今誕生した人間です"
聖女は鏡の言葉が信じられず何度も何度も問い返しました。
しかし、鏡の答えは変わりません。
"白い肌に父親譲りの美しい面立ち。聖女である証の銀色の髪は彼女の美しさを引き立てるでしょう。彼女はこのまま成長し、この世で一番美しい聖女になる"
森の聖女はその言葉が信じられず魔人の男と彼女を探しに行きました。そして、そこには紛れもなく銀色の髪を持つ可愛らしい赤ん坊が美しい男に抱かれていたのです。
聖女はそんな赤子に自分が負けた事が許せませんでした。
この世で一番美しいのは自分である。
それだけが彼女の取り柄だと思っていたのです。
森の聖女は恋人の魔人にあの赤子を殺すようお願いしました。しかし、今まで彼女の我儘を聞いてくれた恋人はそのお願いを聞いてはくれませんでした。
そして彼女はその恋人から信じられない真実をその時、打ち明けられたのです。
「あの子も出会った頃の君と変わらないくらい、いや、それ以上の清らかな魂を持つ聖女だね?きっと大きくなればさぞ美しい女性に育つだろ?それを今殺してしまうなんて勿体ないよ!どうせなら美しく育った彼女を俺の手で真っ黒に汚してからの方が楽しそうだ!」
そう言われ、森の聖女は硝子に映る自分の姿を確認し、とても驚きます。
透き通る様な白く張りのあった肌はすっかり日に焼け皮膚はたるみ美しかった銀色の髪の根元は黒くなっていたのです。
「そろそろ潮時かと思ってたんだよね。あんなに綺麗だった聖女様も今じゃこの様だもんなぁ?心も身体もいい具合にドロドロになって、あの鏡もとうとう隠しきれなくなったよね?」
「な、何を言っているの?」
「"この世で一番美しい聖女"君は鏡にこう尋ねていたけど、そもそも美しい聖女なんて中々いない。聖女の力が使えても美しいとは限らない。でも、君が一度でも質問の仕方を変えれていれば、途中で気付けたのかも知れないね?」
彼女はそれでも信じられず、森に戻り真実の鏡に尋ねました。
「答えなさい!この世で一番美しい者の名を!!」
鏡は答えました。
「それはアルカダ、魔人族の男です。今、彼に勝る美しさを持つ者はこの世に存在致しません」
それを聞いた聖女は自分の杖を掴むと怒りのままに、杖を鏡に打ち付けました。その度に真実の鏡に亀裂が走り、やがて鏡は音を立てて粉々に割れ、それと同時に美しかった森はたちまち霧が立ち込め、土は腐敗し、美しい泉は泥に変化して神聖な森は一変。そこは呪われた森に変わってしまったのです。
聖女であった彼女は、今や沼の住人。
そして、自分本位に振る舞って来た彼女に残されたのは小さい頃から側にいた一羽のカラスだけでした。
しかし、元々白かったカラスも今や真っ暗な醜い姿に変化しそれを見る度に森の聖女は騙された悔しさと憎しみでどうにかなってしまいそうだったのです。
そして、そんな中彼女は恋人だった魔人の言葉を思い出しました。
"どうせなら美しく育った彼女を俺の手で真っ黒に汚してからの方が楽しそうだ!"
きっとあの男はあの赤子が身も心も美しく育つのを待ち兼ねているに違いない。そう考え彼女は赤子に"加護"をかけました。呪いでなかったのは、その時はまだ彼女が聖女の力を持っていたからです。聖女の彼女には人を呪う力はありませんでした。
そして、その加護とは"エメの魅力をイケメンに全振りする"というものだったのです。
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「シャルラーニ・・・私は真剣に聞いてるの。ずっとそうしてたいの?」
『いやいやいやいや!マジマジ!本当の話!!いでででぇ!!お願いだから、もう解放して下さいッス!!』
エメは現在、鏡の姿に戻され中でも移動出来ないようアルカダに拘束されたシャルラーニに事情を聞いていた。
やはり、クソみたいな内容であった。
今朝、彼をアルカダの術から解放するんじゃなかったとエメは早速後悔した。
「それって結局、殆どシャルラーニが悪いんじゃない!!しかも、私本当に関係ないよね?全く1ミリも恨みを買う理由ないよね?イケメンに全振りって何!!」
通りで男にモテない筈である。
いくら顔がハンサムであってもエメだってそれなりに女性らしく過ごしていた。確かに幼い頃から女の子にモテモテだったので達観しサバサバした性格になったが、それでもあそこまでノーチャンスな状態になるのはおかしかった。
『いやぁ〜あの時の赤子がアンタだとはなぁ?あの後、親父に捕獲されて破壊された鏡を完全に修復させる為に閉じ込められてさぁ?でもこの鏡、新しい持ち主が現れれば元に戻るらしいんだよなぁ』
それで"聖女のキス"なのか。
エメは深い溜息を吐いた。
あと、まだエメを騙そうとしているシャルラーニを睨んだ。
「お父様に閉じ込められたんじゃなくて聖女に呪われたのでは?」
エメは自分達がゼーラ達と対峙していた間、アルカダが森の聖女と話していた内容を教えて貰っていた。
シャルラーニが小さくした舌打ちをエメは聞き逃さなかった。
「・・・そう、じゃあずっとそこにいれば?どの道もうシャルラーニを外に出すつもりないから」
「エメ!!エメ様待って下さいッス!!御免なさい正直に話します!!いや、実は・・・俺さっき話した通り前魔王の息子だったんだけどね?お怒りの沼女の嫌がらせで子供を作れない体にされちゃったんだよ」
エメはシャルラーニの言葉に首を傾げた。
シャルラーニは男性で子供を産むわけではない。
その様子に彼は下衆顔で訂正した。
「いや〜だから俺、たたなっ・・・いでぇえええええ!?」
「話は済んだかエメ?簡単に言えば子供を儲けられない体にされたのだ。それで私がこの国の王になった」
いつからいたのか、アルカダが二人のいた部屋に入って来た。
エメはどこまで話を聞かれていたのか心配になり、チラリと魔王の顔を伺った。
「なんだ?そんな目で見惚れるほど今日も私は美しいか!?そうだろう?そうだろう!!」
大丈夫そうだった。
そもそもエメが男だろうが女だろうがアルカダはどちらでも変わらない気がする。エメはそんなアルカダに微笑んだ。
「本当に、この人がこの国の王様にならなくて良かったです!私は、アルカダ様がいいですから!」
エメの言葉にアルカダは初めて少しだけ驚いた顔でエメを見つめた。そしてニヤリと笑うと何も言わずそのままエメの肩を抱いて部屋を出て行く。
てっきり、いつもの様に当然かの如く首を振ると思っていたエメは少し拍子抜けした。
(なにか、変な事言ったかな?)
そして、未だ鏡の中で拘束されたまま放置されたシャルラーニは悲痛な叫び声を上げた。
『ちょっと待って!ちゃんと話したじゃん?このまま放置していかないで!!このままだと俺目覚めちゃう〜!!』
勝手に目覚めてしまえばよい。
エメは握った拳の親指を立てると、親指を下に下ろしたのであった。
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魔人アルカダは不本意ながら魔王になった。
前魔王が寿命により新しい魔王を立てなくてはならなくなり、本来なら力もそれなりにある息子のシャルラーニがその後を継ぐ筈であったが、彼は国内だけではなく、人間の国にまで不法に入国し、彼方の大事な聖なる森の聖女と聖域を穢し、関係ない人間まで巻き込んだ挙句、後継も作れなくなってしまった。
前魔王はコレに怒り、自分の息子を破壊された鏡の中に封じると二度と人間国に迷惑をかけないと親交のあった人間の王に誓いを立てた。
そして人間側も、これまで魔族の国に侵入し獣人を拐うなど度々問題を起こした経緯もあり、お互い協力し合うという形で、その件は取り敢えず一旦保留になった。
そんな事件の後、まだただの魔人であったアルカダに声がかかったのだ。
アルカダはその頃から自分にしか興味がなかったので本当はその申し出を断るつもりでいた。
しかし、騒動に巻き込まれた人間の少女をいずれ此方に連れて来ると聞いたアルカダは気が変わった。
(真実の鏡が、この世で最も美しいと絶賛する聖女か)
アルカダは、結局他にやる事もなかった為、魔王になる事を承諾した。そして、前王が亡くなり魔王になった時、王宮の腐敗っぷりに逆に感嘆した。
臣下が全く仕事をせずに、皆遊んでいるのである。
(成る程、前の魔王は余程有能だったのだな?)
アルカダはそれを知り余裕で魔王の仕事を放棄した。
朝儀にも出ず、次々に出される書類の認可を跳ね除け、ひたすら美しさとはなんぞや?というウンチクを語り続けた。
そんなアルカダに我慢出来ず反抗して来た者は力でねじ伏せた。そうして手元に残った臣下は「自分達がちゃんとしなければこの国は滅びてしまう!!」という危機感の元一致団結!こうして彼は、まともな魔王ライフを手に入れた。
そして数年後、予想通り行き遅れたエメは問題なくアルカダの元にやって来た。
臣下達が阿呆な企てをしている事は気づいていたので、彼はそれに乗っかってやる事にした。友人のベアリーズ国王に事情を知らせ丁度いいのでエメをそのまま此方へ連れて来る事にしたのだ。
全ては、アルカダの思い通りであった。
「隣国ベアリーズから参りましたエメと申します」
「・・・うむ、遠路遥々ご苦労」
被っていたベールを畳み頭を下げたエメの姿は先の連絡の通り男性の姿であった。長かった髪は此方に来る前に切られてしまったという話であった。
「労いのお言葉勿体のうございます」
エメの姿を見て呆然とする臣下達に彼は考えを巡らせた。
彼等はアルカダにさっさと世継ぎを作らせ新しい王を立てたいのだ。下手に刺激すると怒りの矛先がエメに向かう。
アルカダは、座っていた椅子から立ち上がり足元の階段を降りてエメの前まで来ると、上からエメを見下ろした。
そして、何故か顎に手を置きながらグルグルとエメの周囲を回り出した。
一方エメは目を見開いて興味深げにアルカダを見ている。
そうして、ひとしきり回り終えた魔王はピタリと動きを止めると再びエメを見下ろし、先ずはエメの反応を見る事にした。
「私の方がイケメンだ!!」
アルカダの言葉に一瞬ポカンとしたエメはしかし怒ったりせずに笑って言葉を返して来た。
「そうですね?貴方の方がイケメンだと思います」
「そうだろう!?なんだ、お前分かっているではないか!で?私の花嫁は何処だ?」
アルカダは、エメと臣下達の反応をみて、このまま誤魔化す事にした。その方が、面白そうである。
「申し訳ございませんが貴方の目の前にいるのが花嫁でございます」
「は?目の前とは?」
その衣装は上下白のタキシードに美しい刺繍が施されていた。そして彼は何故かここに来る時、白の長いベールを被っていた。実に紛らわしい姿であるとアルカダは思った。
何故、中途半端にベールなど被って来たのか。
誤魔化す方の苦労も考えて欲しい。
「ア、アルカダ様。その方が、その・・・貴方の花嫁でございます」
面倒なのでエメの胸を少し触るフリをして否定すればいいだろう。デリカシーのないアルカダはエメの胸に手を伸ばし、予想外にも反撃された。
渾身の腹パンである。
攻撃されるとは思っていなかったアルカダはモロにパンチを腹に受けた。
「ぐほぉおおおおお!!」
「「「ア、アルカダ様ぁああああああ!!」」」
「も、申し訳ございません!つい癖で!よく同じ様な確認のされ方をされそうになるものですから。申し訳ございません」
アルカダはいきなり腹パンされ憤りを感じたが、こんな事で魔族の王が動じたなどと思われては癪だったので、なんとか堪えた。
「お前が、隣国からやって来た私の花嫁だと?」
「はい。他の者は皆嫁いでいた為、私が参りました」
「もしや、種族が違うと性別も関係ないと勘違いしているのか?人間は・・・やはり阿呆ばかりだな」
この場でエメが女だと知っているのはエメとアルカダだけである。どんな姿であろうと女だと知られれば妃にされる。
エメを隠し保護する言い訳が出来たアルカダは人間国の王に悪いと思いながらも、そういう事にしておいた。
「まぁ、最初から人間などに期待はしていなかった。私は器がデカいからな?しょうがない、お前をそのまま引き取ってやろう」
しかし、エメの哀れな生き物を見るような眼差しが若干気に触ったので彼女もこの茶番に巻き込む事にしたのは魔人であるアルカダの悪い部分が出たとしか思えない。
「お前は私ほどではないが美しい!話が合いそうだ!同じ顔ばかりで丁度退屈だったのだ、お前は私の話し相手になってもらおう」
「アルカダ様!しかし・・・」
「実際、花嫁を娶ると子が出来るまで離宮に閉じ込められてしまうからな?相手が人間だと身体の作りも違うであろう?同じ魔族の女でも嫌がる風習だからな?説明が面倒だったから丁度良かった」
空気を読んで訂正しようとするエメを黙らせる為、エメの立場もちゃんとわからせる。当然、エメは黙って流される方を選択した。頭のよい女性である。
「そうなのですね?こちらの不手際ですのに身に余る心遣い感謝致します。もし、他の方を娶られる時は我等の国の事はどうかお気になされませぬよう。その方を正妻に据えて下さいませ」
「ふん?それもそうだな?まぁしかし、形式上しばらくはお前が正妻という事になるであろうな。人間の手違いだ、他の者もそれ程気にはしまい」
王妃になる事を免れたエメは隠していたが明らかに安堵していた。アルカダは自分で企んだ事ではあったがそんなエメが少しだけ気に入らなかった。
彼はエメの話を聞いた時から彼女に会う事をずっと楽しみに待っていたのだ。
しかしその相手は全く自分に興味がなさそうである。
「はい。では、改めまして今日から宜しくお願い致します」
「うむ!大いに励め!」
こうしてエメと彼の臣下達は今もなお、魔王アルカダの掌で踊らされているのである。
これが、エメが知ることのない此方に来る事になった大まかな経緯であった。