「幼い僕らは孤独だったね」で始まって、「全部嘘だよ」で終わる物語
「幼い僕らは孤独だったね」
隣に座ったアイツはぼそりとつぶやき、河川敷の隅、芝生の植えられた土手へとごろりと寝ころんだ。
「まぁ、アタシもアンタも、『鍵っ子』だったからな」
アイツもアタシも両親が共働きで、家が近かったこともあって小学校から集団下校したあとよくつるんでいた。親の目がないのをいいことに、宿題を共同戦線で手早く片付けて、こっそりテレビゲームにいそしんだこともあったっけ。
小学校に上がった直後から、たった五年程前までの話。十年ひと昔というぐらいだから、それこそ半昔しか経っていないことになる。いや、まだアタシは十六だから、人生の三分の一ぶんになるのかな。いや、正確には四年と一週間前までの話だから、ほぼ人生の四分の一ぶんになるのか。よくよく考えたら、長いような短いような、評価に困る長さだった。
「あの頃が懐かしくないかと言われれば、懐かしくないわけではないけれども、でもやっぱり、ほかのみんなは家に帰ったら『お母さん』が家で待っていてくれて、気の利いたおやつの一つや二つを出してくれてたんだ、と思うとやっぱり妬けるよね」
「……アタシじゃ不満だったかしら?」
昔の思い出を汚されたような気がして、ムッとして投げつけた言葉に、しかし、返事はなかった。
あれだけ仲良く遊んでいたというのに、時の流れというもののせいなのか、はたまた思春期の男女なんて「そんなもの」なのか、中学に上がり、運悪く学区が離れた途端に疎遠になり。小学校時代に一緒に勉強していただけあってオツムの出来にはさほど差異がなかったらしく、高校二年目にして同じクラスになって、ようやく運命の再会――なんてことはなく、アタシとアイツの間にはなんとなくお互いを探るような、収まりのよろしくない空気が流れていた。
そんな状況のまま二年生の授業が始まって一週間が経って、そろそろぎこちない距離感そのものにすら慣れつつあった。しかし、たまたま昇降口でアイツとバッタリ出会ってしまい、当然家の方向は同じなので、一緒に帰るしかなくなった。流石にここでお互いにシカトしてつかず離れずの距離のまま徒歩二十分通学路を歩けるほど、アタシもアイツも図太い性格をしているはずもなかった。
ほとんど会話を交わすこともなく数分歩いたのち、ふと昔を懐かしんだアイツの提言で、小学校のころ遊んだ川の土手に座り込んで、今に至る。
「……さすがに、四年前と同じ、ってわけには行かないだろう? 僕も君も、もう幼いというには歳を取り過ぎだよ」
「さすがにアタシが小学生のころから成長してないとか言われたらハッ倒すぞ? いや、まぁ無理だけど」
当時はアタシの方が背が高かったぐらいで、力もアタシの方が強くて、アイツが自由研究で常識の斜め上をいくような実験をしようとするのを羽交い絞めで止めたこともあったっけ。それが今や、アイツの顔が物理的に視線の斜め上だ。
とはいえ、アタシだって当時から成長した。……胸とか、胸とか。泣かないぞ。
「生憎僕はマゾヒズムな性的指向は持ち合わせていないからね、遠慮しておくよ」
「そりゃよかった、アタシもマゾヒスト以外をサディズムでもって応対するような性的指向なんぞ持ち合わせてないからな」
相変わらずアタシとアイツの間の空気はギクシャクしたままで、寂しくともどうしてもそこに四年間分のブランクを感じざるを得ない。
「……なぁ」
「ん?」
アイツの顔すら見ずに、声をかける。四月の空は記憶にあるそれよりもずっと雄大で、出来損ないの入道雲がゆっくりと空を泳いでいく。
今のアタシには、アイツのことが何もわからない。きっとこの四年分のブランクは、ゆっくり埋めていくしかないのだろう。だからこそ、この四年間にあったことを聞いてみようとしたが、それにしても、アイツはこんなに飄々とした性格だっただろうか。そんなに気が強い方ではなかったけれども、もう少し間抜けな一面というか、「かわいげ」があったような気がする。
顔の輪郭と面影だけはそのままに、まるで変わってしまった旧友に一抹の寂しさを感じながら、それが時間の経過というものだ、と自分自身に言い聞かせてその孤独感を無理やり打ち消そうとしてみる。
――そんなことしても、アイツに抱いた違和感が消えるわけもないのに。
だから、この微妙な距離感にケリをつけるべく、それが爆弾になるかもしれないとわかったうえで、パンドラの箱の蓋に手をかける。
「どうして急に、今日、昇降口でアタシに声をかけたの?」
今まではクラスで目が合っても知らんぷりしてたじゃないの、と続けようとして、しかしそれはアイツの言葉にかき消される。むしろ、かき消されたことに安堵すらしている自分自身が間違いなくいた。
「流石に家が同じ方向で、当然の帰結として同じ方向に帰ろうとしている旧友を見て、声もかけずに帰るのは不自然極まりないと思うんだけど」
「……それだけ?」
「……それだけ。」
目の前、もとい真横で寝転がっているヤツはそんな世間体や常識とは無縁の存在だったはずだ。少なくとも、アタシが知っているアイツは、一般的な人付き合いや社交辞令とは無縁の存在だった。
それは人としての成長として非常に真っ当であり喜ばしいことであると同時に、アタシが知っているアイツの「ぶっ飛んでいるところ」――アイデンティティを失ってしまったような、喪失感にさいなまれる。
「アンタ、中学校で何やってたんだ? ……いや、中学校で何があったんだ?」
「何があったって……ずいぶん物騒な物言いだね」
「いやだって、アタシが知ってるアンタからほど遠いい存在に変貌して、アンタが目の前におはしなさってるんだぞ? そりゃ『中学校で何かあった』とさえ思うでしょうに」
どうしても煮え切らずに、口撃とともにパンドラの箱の蓋を乱暴に打ち開く。
「……いやまぁ、何にもないよ?」
「嘘。じゃあ、部活はなんだったの?」
「……帰宅部」
「あ、絶対嘘。だって今アンタ、科学部でしょ? 小学校の自由研究で粉塵爆発起こそうとしてたような奴が帰宅部なんていう、つまらないポジションに落ち着くわけないでしょうに?」
鬼が出るか蛇が出るか、エイヤと開けたアイツという箱は、どうしようもない取り繕いで出来ていたらしい。それがわかってしまうと、いままで身構えていた労力は何だったのか、と力が抜けてしまいそうになる。
「君の記憶の中の僕はどんだけ変人になってるんだよ……」
「アンタは自分自身が変人じゃないとでも?」
微妙な距離感の旧友と、いきなり通学路の途中で雑談をしようとしたあげく雰囲気づくりにも会話のチョイスにも微妙に失敗してるコミュ障を変人と呼ばないならば、世の中に変人は存在しないといっても過言ではないだろう。……いや、さすがに「過言」かもしれないが。
「あはは……ほんっと、君は当時から変わってないね。なんというか、身構えて話しかけた僕がバカみたいだ」
「え??」
アイツの周りの雰囲気が、ガラッと変わった。それは粉塵爆発を起こし、プラナリアでヤマタノオロチを作った、ちょっとマッドサイエンティストなあの四年前のアイツをそのまま大きくしたような雰囲気だった。
――なんだよ、中身は四年前とおんなじで、だからこそヘッタクソな取り繕いをしようとして失敗してたのね。
思わず脳内でだけ毒づきながら、旧友にむけてジト目を送る。
「河原についてからついさっきまで言ってたの、全部嘘だよ。笑ってくれよ、昔なじみの女の子との距離感を図りかねて、無理やりに話しかけようと嘘と理屈でガチガチに固めようとして、その挙句墓穴を掘った哀れな科学オタク、それが僕さ」
「あはははは! アンタ、バッカじゃないの? そんなことしなくたって、フツーに話しかけてくれればいいのに! この居心地の悪い一週間は何だったんだよ! 私のモヤモヤした一週間を返せ!」
「ご、ごめん……」
「まぁいいんだけどさ。アンタが変人なのは十年前からわかってたことだし、種が割れちゃえばただの長いエイプリルフールだよ、こんなの」
「変人呼ばわりは少し心外だけど、それを否定することもできないし……」
「そりゃそうだろうに、ねぇ? ツンデレ君?」
全部嘘で塗り固める天邪鬼をやってのけたのだ、それぐらいの誹りは許されるだろう。
「……で、けっきょくキミは何がしたいのかしら?」
わざとらしく笑顔を作り、アイツへと詰め寄ってみる。
「……言わせないでよ、恥ずかしいんだから……」
しかしアタシは、そのあとにぼそぼそとアイツが口に出した、意味深な言葉を聞き逃してはいなかった。
――言ったじゃないか、「全部嘘だよ」って。