8章-(11)クリッター
「はえー、ホントに空飛んでるわー……」
呆然と俺の後ろの席につくマーリカが呟いた。
――だから言ったろ? 飛べるって。
「だから言ったでしょ? 飛べるって」
エレンとハモってしまった。
気まずい思いをする俺とは対照的に、前方の操縦席に座るエレンが「フン!」と不愉快そうに鼻を鳴らした。
……てか、この轟々と風が耳元で唸りまくる上空ですら聞こえるとか、どんだけデカく鼻鳴らしてんだか。
ファンタジーな異世界に来て、機関車に続き複葉機という何故かレトロ目なマシンに相次いで乗っているわけだが……正直乗り心地はあまりよろしくない。
バリバリというけたたましいエンジン音を放つ複葉機。音と共に振動がビリビリとシートにも伝わり、冷たい外気に混じってガソリン臭いエンジンの熱い呼気が時々顔に当たる。
……途中で墜落しないだろうな? 本当に目的地まで飛べるのか、これ?
ちらりと前方のエレンを見る。操縦席で、紫色に輝く魔方陣を展開しつつ、エレンは巧みな操縦で機体を操っていた。
……ガソリンのないこの世界で、燃料代わりに魔法を使用しているらしい。
俺のような転生者とは異なり、この世界の魔法は使用者へ強い副作用を与える。
だが彼女は……魔術の扱いが上手いのか、それとも副作用なぞ意識にすら現れないのか……まるで興奮するように、薄い笑みを浮かべながら魔法を行使していた。
――空を飛ぶのは、そんなに楽しいのか?
「当たり前じゃない! こんなに“自由”になれる乗り物、他にない……!」
もはや俺の質問にすら不快感を現さなくなっている。結局、親子揃って飛行機バカなのかもな……
「セーイ? 苦しくなーい?」
のんびりとした口調でマーリカが尋ねる。
俺の背後のマーリカの、さらに後ろの荷物スペースに入ってるセイ。俺が背後を見ると、彼女はかろうじて見える手でサムズアップしてみせた。
……体格差の関係から、俺が後部座席の先頭に座り、その後ろにマーリカ、荷物置きにセイが無理矢理入ってる状況だ。
――逆のほうがよかったんじゃねえか?
それとなくマーリカに尋ねると、マーリカは「ないない」と半笑いで手を左右に振る。
「ただの空の旅ならそれでもよかったでしょうよ。でも分かってる? あの変態ホストが言ってた、魔獣がいるってことをさ?」
――なるほど。そういうことか。
「そういうことよ。んじゃ、そろそろ迎撃の準備に入ろっか?」
そういうや否や、マーリカは素早く上部主翼の左側へと飛び乗った!
――おい、まさか……
「ソウジも右側の羽根に上がりなさい。お客さんはもう来てるわよ……!」
素早く背後を見る。
すると――彼女のいった、“客”の姿がありありと見て取れた。
……そいつは、エイとクラゲの中間みたいな姿をしていた。
風を受け、ゆらゆらとヒレを蠢かし、空を泳ぐ褐色がかった半透明の姿。
あいつだ。あれがレミリオの言っていた魔獣――クリッター。
大きさはだいたい20センチくらい。近くで見ればそれほど脅威は感じないだろう。
だが問題はこいつらの口元に――肉を裂き喰らうための、鋭い牙が生えていることだ。
……こいつらは元々、空にある“空中プランクトン”を食う生き物だった。
上空に巻き上げられた微生物や花粉、または空中で生活する微少な生き物を、腹部から無数に垂れ下がる触手で絡め取りささやかな栄養とする、おとなしい生き物だったらしい。
だが――理子の影響により、そんなクリッター達の体に“変化”が現れた。
より多くの栄養を得るべく――マナに晒された彼らの体に、牙が生える。
その牙は、空中を漂う“肉”を喰らうため、獲得したものだ。
空中の“肉”とは、さまざまな理由で現れる。
月が近いことで現れる重力・引力が拮抗した無重力の渦。あるいは竜巻に巻き込まれ、奇跡的に上昇気流に乗り上空へ押し上げられる、といった自然現象だ。
時に野生動物、時に牛や豚などの家畜――時に、巻き込まれた人間。
こいつらの牙はそういう、不意の事故に巻き込まれ、空中で抵抗のできない状態の生き物を喰らうために進化し、身につけたものらしい。
……東風の強い、よく晴れた日は、こいつらが風に乗って多く現れる。
だから誰も空を飛ばない。特に今日のような、よく晴れた最悪な時期は……!
一、二体程度なら全く問題はない。だが。
複葉機の上の雲が途切れると――上空を飛ぶおびただしい数のクリッターが現れた。
「ボケっとしてないで早く来なさいソウジ! あたし一人で片付けられる数じゃないのよ!?」
マーリカに言われ、俺は彼女と逆側の右側の翼へ飛び乗った。
だが――くっ!?
強烈な風。滑らかな翼の形状――予想通り、どれだけ踏ん張っても俺の足がズリズリと外へ滑っていく……!
「大丈夫。手はず通り、足場はあたしが作るから」
マーリカが呟くと、彼女と俺の足下から氷が現れ、足首まで覆い固く氷着する。
足を氷漬けにされて、凍傷になるんじゃないか……そう思ったが、異様なことに、マーリカが作った氷は、温かかった。
「言ったでしょ? 魔術で作った氷は温かいのよ」
マーリカはニヤリと笑みを浮かべる。
昨日の夜、彼女からこの作戦について聞かされていた。
無数のクリッター達へ対抗するため、俺とマーリカが両翼に立ち、機体に近づくクリッターを切り捨てていく、という案。
空を飛ぶ飛行機の翼の上へ立つ方法。それはあいつがよく使う、氷で自分の足を接着するというやり方だった。
そんな事すれば凍傷になるんじゃねえのか? 俺の疑問を、マーリカは鼻で笑ってみせた。
『あたしの術の本質は熱の移動。つまり、氷によって逃げる熱を足の方角へ向ければいいのよ』
熱を足の方角へ?
『氷はその場の水分の熱が奪われることで現れる。ならその熱を自分の側へ向けるとどうなると思う?』
……逆に、温かさを感じる……?
『そういうこと。“魔術の氷は温かい”。温かい氷なんて矛盾した物体も簡単に作れるってわけ。あたしが自分の魔法で凍傷起こしてないのはそういう理由なのよ』
マーリカはそうあっけらかんと笑っていたが……こうして間近で魔術の異様さを確認すると、現実との乖離からか、何かブヨブヨとした嫌な浮遊感のようなものを足下に感じてしまう。
「呆然としてる場合じゃないわよ――想定以上の数がこっちに来てる……!」
マーリカの言葉に俺は緊張感を取り戻し、迫り来る数十、数百近いクリッター共に対し、背中の斧を握り、構えた。




