1章-(7)自覚する「刻」
伯爵の下した命令は絶対。それを忠実に守っているようだ。
まるで機械のように。まるで精神まで改良されたかのように。
だが……待て。
伯爵の命令は絶対。そこに疑問を挟む余地はない。彼の精神が本当にそう改良されているなら、なぜシュルツさんの言葉にあれほど過敏に反応した?
こちらの呼びかけに反応したということは、彼の心のどこかにこの状況をおかしいと感じている心がある、ということを意味していないか……?
俺がそう考えを巡らせている間に――オグンが俺のすぐ足下まで近づいていた。
はあ、はあ、と荒い息で俺をにらみつけるオグン。
思わず一歩後ずさりする。意を決して話しかける。
――お前は――
「死いいいぃいねええッ!!」
その瞬間、俺の体がふわりと宙に浮いた。
一瞬の浮遊感。と同時に背後の壁へと引き寄せられる感覚。
そう、まるで……背後の壁へ落下する感覚。
――がふっ!!
したたかに背中を打ち、一瞬呼吸が止まる。
これは……そうか。重力。重力の方向を変えやがったのか。
俺に対してだけ、背後の壁へ向けて重力が働くように力を使ったようだ。
「か、壁に貼りつくぅうう……潰れたトマト! お! オッ! お前をォおヲヲトトトマトみたいにして! したいしたいしたいぃイいいっっ!?」
まるでヘッドバンギングするかのように、オグンが滅茶苦茶に頭を前後させる。
それに伴い、俺を押さえつける重力の力がどんどん増していく……!
ぐうっ……!
全身への圧迫感。骨や肉のきしみ。背中に食い込む壁の破片の鋭い痛み。
だがそれよりも徐々に視界が狭く、暗くなっていく感覚に俺は危機感を覚えた。
血だ。強烈な重力に押さえられ、体の血が頭に廻らなくなっているのか……!?
まずい。まずい。まずい。まずい。
このままブラックアウトすれば……それはそのまま俺の死に繋がる……!!
だが俺になにができる!? 全身を重力で縫い付けられ指先ひとつすら動かせない状態で……!?
だが!
それでもだ! それでも生き残る方法を考えなければならない! そうだ、諦めれば死ぬだけ! 俺は命を賭けている!!
『……なんのために?』
LED電球の光量を徐々に下げるように、じわじわと視界が暗くなってゆく。
……なんのために? 決まっている。瑞希との約束の、ため……
『彼女との約束はただ生きることではない。それはわかっているはずだ』
……何が言いたい?
『生きることとは、とりあえず心臓を鳴らし息をしているだけのことか?』
……何が言いたい!?
『このまま生きて意味はあるのか? 俺に意味はあるのか?』
『彼女は生きろと言った。だが、彼女の望むように生きるなどとうてい無理だ』
『俺には無理だ。わかるだろう?』
『俺は、壊すことしかできない――』
――うるせえっっ!!
怒り。どこにぶつけりゃいいかわからんどうしようもない〈怒り〉。
意識すら暗い水面の底へと沈みかけた刹那、強烈な怒りの感情が俺を目覚めさせた。
そして、その瞬間気づく。
これは――なんだ? さっきまで押さえつけられていた重力すら感じない。
血の巡りが戻り、視界が正常に戻ると俺は周囲の異常に気がついた。
自分の周囲――己を中心とした壁面に、蒼く発光する魔方陣のようなものが現れていた。
いや、よく見るとそれは、まるで歯車が透けて見える時計盤のような図形だ。
前方へ向き直ると、首に掛けていた銀時計が空中に浮いている。
蒼く発光する時計。無意識にそれを掴むと、ガチリ、と背後の時計盤が音を立てた。
……不意に、理解した。
時間。
時間を……止めたのか? 俺は?
いや……正確には“重力が働く時間を止めた”のだ。
シュルツさんやマーリカは、地面に縫い止められたまま驚いた顔でこちらを見つめている。
目の前のオグンは、ブルブルと痙攣するように目を見開いていた。
……やはり、これは俺がやったことのようだ。
この時計を使って止めた……そんな気がする。だがなぜそんな事が……?
『転生者は必ず一つ、元の世界から一番思い入れのある物を持ってきてる。それを媒介にする感じで、魔法を使ってみて』
魔法!
マーリカの言葉が蘇り、そこで合点がいった。今のが魔法……