7章-(5)嘘の使い道
彼がそう言った、瞬間。
斧男の影が、わたし達を目掛けて塔のように巨大な斧を振り下ろした!
「――振り落とされるなよ」
そう言うと、ソウジはわたしを抱えたまま、恐ろしいスピードで回避!
とてつもない風と重力で体が吹き飛びそうになり、わたしは両手両足を使って必死にソウジにしがみついた。
「その調子だ。少しの間我慢しろ」
ソウジはそうつぶやくと、さっきマーリカが放った氷の槍へジャンプ。
槍の横側を蹴ると、さらに別の槍へジャンプし、次々と氷の槍を跳びながら上昇してゆく。
前後左右に強烈に揺さぶられる感覚。わたしは目を閉じ、ひたすら嵐に耐えるように、ソウジへしがみついていた。
すると、ふいに。
ごうごう、という耳元で鳴る風の音。足下の浮遊感。
恐る恐る目を開けると――声が出せたなら、わたしは悲鳴をあげていただろう。
いつの間にか、わたし達は15メートル近い高さまで跳んでいたのだから……!
「よし。来い」
呟くソウジ。彼を見ると――彼が右手に持つ、斧の刃が無かった。
斧の刃は遙か下の地面。
刃とつながれた鎖は、斧男の影の、右手と一体化した斧をらせんのように巻き付いている。
これは――まさか!
わたしが予感すると同時に、地面の刃が抜け、鎖に導かれるように上昇する。
らせんを描くように上昇したソウジの後を追い、刃は斧男の影のらせん状に斬り裂いた!
ぐずり、と右手をズタズタに裂かれ、態勢を崩す斧男の影。
ソウジは空中で刃を柄にセットし、その勢いでぐるぐると回転。
わたしは勢いで弾き飛ばされそうになりながら必死にソウジへしがみつく。
すると――見た。
右手で斧を握るソウジ。
その斧から――赤い、血の霧のようなものがまとわりついているのを。
「もう一撃――くれてやる!」
勢いのまま、ソウジは斧をあの影へと放つ!
血の霧をまとわせ、グルグルと斧は回転しながら飛翔し――影の首を斬り裂いた!
あの血の霧の効果なのか、影は首をごっそりと削られ、頭部がゆっくりと背後へ傾き、やがてぶつりと地面へ落ちた。
頭部のもげた影。その断面に――いた。
彼女が――ジュンがいる……!
「あそこか」
ソウジはわたしを抱えたまま15メートル近い高さから地面に着地し、それでも平然と立ち上がった。
冷たいけど――強い。ソウジの行動と言葉。
でも……わたしを抱える彼の左手は、カタカタと、小さく震えていた。
恐怖。
20メートル近い巨大な相手を前に、彼は明らかに恐怖していた。
でもそれを言葉にも行動にも出さない――嘘。
……どうして嘘をつくのだろう?
嘘は誰かを騙して、自分が得をするためにつくもの。
じゃあ、彼が“怖くない”と嘘をつくのは?
誰のため? 何のため?
……ジュンを、助けるために……?
言葉は嘘。嘘は穢れ。
なのに。
人を助けるための……嘘?
「もう一度行く。掴まれ」
わたしは混乱しながらも、ぎゅっとソウジにしがみついた。
すると、またしても強烈な加速感。
ソウジが氷の槍を跳ぶたびに、前後左右を猛烈に揺さぶられる。
放り出されそうになるのを、吐きそうになるのを何度もこらえていると――不意に、上から下に落ちる、普通の重力を感じた。
目を開くと――すぐそこに、影に縛り付けられたジュンがいた。
「動くな。その霧の外から出るな」
駆け寄ろうとしたわたしを、ソウジが止めた。
その時になって気づいた。わたし達の周囲を、無数の影の手がまとわりついていることを。
影に襲われていないのは、あの血の霧がわたし達を守ってくれているからだ。
「ふん」
鼻を鳴らし、ソウジが早足でジュンの元へ近づく。
わたしも遅れないように駆け足で続くと――ソウジは、いきなりジュンの胸ぐらを掴んで彼女を責め立てた。
「くだらねえ。アホ共が面白半分でほざいた事を真に受けるな!」
「わかってる……わかってるよ……」
「じゃあこのザマは何だ? まだ引きずってる証じゃねえか! 連中はあんたの事をなにもわかってない! 外野の陰口ごときを気にするな!」
「やめて……もう……」
「聞け! 自分の殻に閉じこもるな! あんたは――」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
だめだ。
そんなやり方じゃだめだ!
傷ついている彼女を――余計に責め立てるような、そんなやり方は――!
「…………」
ソウジは泣き続けるジュンから手を離し、くるりとわたしに向き直った。
そして、言った。
「パスだ」
……え?
「どうも俺はこういうの、向いてないらしい。お前に任す。奴を解放してやれ」
……でも、でも、わたしは、言葉が――
「任せたぞ。じゃあな」
そう言って、ソウジは――血の霧の外へと体を投げた!
「馬っっっ鹿!! 何やってんのアンタ!?」
遠くでマーリカが叫ぶ声。
「適材適所だ。汚れ役は俺の方が向いている」
落下しながら呟くソウジ。
彼の後を追うように、大量の影がほとばしり、落下する彼を取り込み覆い尽くしていった……
彼が残した斧。その周囲を包む血の霧。
わたしはその中を進み、ジュンの目の前に来た。
「……セイ」
言わなきゃ。
何か言わなきゃ。
絶対に言葉に出す。彼女を助けるため。解放してあげるため。
でも。
なんて言えばいい? 何を言えばいい?
『つらかったね』
『わたしも気持ち、わかるよ』
『ジュンは悪くない』
……だめだ。
なにを言っても薄っぺらくて……嘘で。
でも、言わなきゃ。
だんだんこの血の霧が薄くなってるのがわかる。
言わなきゃ。言わなきゃ。言わなきゃ。
声を――出して――声を!!
「あ……」
「……ありがとう」
口に出たのは、わたしの思いとは、考えとは別の言葉。
言葉は嘘。
口から出た想いは全て嘘に変わってしまう。
目の前が真っ暗になるほど、絶望的な気持ちになった。
その時。
「……ふふ」
声。
笑い声。
ジュン……
「あの揚げ団子のこと?……やっとお礼、言ってくれたんだね」
ち、違う! そうじゃない!
そうじゃない……のに。
「ありがとう、か……不思議だね。そんなありきたりな言葉で、すごく、楽になった気がする……自分自身を許せなかった、気持ちがさ……」
ジュンを縛っていた影が……徐々に薄れて、消えて。
彼女は歩いて。泣いて、笑顔で、わたしを抱きしめてくれた。
……言葉は、嘘。
でも、嘘は悪なのだろうか?
人を守ろうとしたソウジの“嘘”。
“善悪は幻想”というマーリカ。
……善も、悪も存在しないというなら。
嘘が悪でないのなら。罪でないのだとしたら。
それは……結局、使う人次第だということなのだろう。
言葉を使う人の心……想い。
……きっと、その想いさえ、伝えられれば
言葉の嘘が、心を救うのかも……
ジュンの暖かな腕の中で、そう、思った。




