7章-(2)そして現れる黒い斧使い
「残念ですが、今日はもうカンバンですよ」
駅馬車の御者をしているおじさんが、葉巻の煙を吐き出しながらそう言った。
数輌の駅馬車が留まる停留所。わたしとジュンはそのなかの一輛と交渉していた。
「もう夜だ。アタシは夜行はしないんですよ。何かと物騒ですしねえ。ええ」
「…………」
ジュンは無言で、御者に数枚の金貨を握らせた。
「ちょ……お客さん……」
「危険は承知。私が聞きたいのは、それを押してでも行く勇気があるかってこと」
「お客さん、アンタ……」
「危機なら私がなんとかする。何が来ても馬車ごとあなたを守れる……これでどう?」
「…………夜行をするにはそれなりの準備が必要さ。1時間くださいな。お嬢様方お二人を星の海へエスコートして差し上げましょう」
「顔のわりにキザな事言うのね……まあよろしく」
御者との交渉を終えたジュンは、わたしに振り返ると笑顔を浮かべた。
「一時間後にこの街を出る。お土産でも買ってく?」
わたしは首を2、3度横に振った。
「そう? 遠慮しなくていいのに」
肩を落とすジュン。
と、その時。
「ぁう……あぁ~っ!!」
赤ちゃんの泣き声。
駅馬車から降りた婦人の、腕の中の赤ちゃんが唐突に泣きじゃくっている。
「もう……よしよ~し」
赤ちゃんをあやす婦人。夕焼けの中、ホッとするような平和な光景。
なのに。
「…………」
なぜかジュンは、赤ちゃんと婦人を見ながら、青い顔をしていた。
どうしたの?
……そんな何気ない一言も、わたしは発することができない。
「は……はあっ……はっ……」
胸を押さえ、呼吸を荒くするジュン。
もしかしてこれ……過呼吸とかいう……!?
その瞬間。
背筋に、ゾッと冷たいものが走った。
背後に、なにか異様な気配が……
勇気を振り絞って振り返ると――わたしは悲鳴を上げそうになった。
そこにいたのは――斧の男。
だけど……それはあの黒服に灰色のマフラーの男ではなかった。
全身が黒く。
背は高く、しかし体は針金のごとく細く。
左腕から無数の鎖を生やし、右腕は斧と一体化している――そんな、まぎれもない怪物だった。
「やっぱり、来た……!!」
ジュンは息も絶え絶えで、それでも懐から自分の武器を取り出した。
彼女には不釣り合いなほど大型で無骨な――影のように黒い拳銃。
ゆらゆら、と頭を右に左に揺らし、不格好にこちらへ迫る斧の男。
ジュンは正確に、迷いなく、斧の男の足・胸・頭の3つをほぼ同時に撃ち抜いた!
「わあぁっっ!?」
さっきの婦人と夫、周りの駅馬車の御者が悲鳴を上げて逃げていく。
黒い斧の男は地面に倒れ、グジュグジュと嫌な音を立てて、おかゆみたいな状態になりながらゆっくりと溶けていく……
これは……この怪物は一体……?
彼女へ振り返ると……ジュンは荒い息で何事かをブツブツと呟いていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
謝っている……?
一体何を?
わたしがそんなことを考えている間に――事態はさらに悪くなる。
わたし達を囲むように、いつの間にか6体の斧の男が現れていた。
「――伏せて! セイ!!」
ジュンに言われるまま地面に伏せると――頭上から唸るようなすさまじい銃声が鳴り響いた!
頭上を見る。左手に拳銃よりも2周り近く大きい銃を持ったジュンが、周囲にいる斧の男を銃弾で薙ぎ払っていくところが見えた。
星のようにチカチカ輝く銃火。涼しげな音で落ちる薬莢。
よく見ると、引き金を引きっぱなしの状態にして、自動で弾丸をバラまいているようだった。異世界の銃なのだろうか……?
でも……一体あの銃は、どこから取り出したんだろう……?
「…………」
音もなく、無言で現れ続ける斧の男。
まさしく影のように、音もなく、前触れもなく現れる……!
「じっとしてて……すぐに片付ける……」
ジュンはそう言うと、両手の銃で現れる斧の男を次々打ち倒していった。
右手の前後にスライドする拳銃で、疾風のように軽やかなヘッドショット。
左手の自動発射の拳銃で、迫り来る斧の男を迅雷のごとく掃射。
銃火を瞬かせ、硝煙を巻きながら、黒づくめの彼女はなお暗い斧の男達を制圧していく。
すごい……やっぱり転生者は強い。あの灰色のマフラーをした斧の男と同じく、彼女は強くて。孤高で。
でも…………
「ハア……ハア……」
どうしてだろう?
どうして――ジュンの方が苦しそうなんだろう……?
そう思っている間に、斧の男が次々と現れる。
数は――おそらく20体近い! どこから――いや、そもそもこの怪物は一体……?
「鬱陶しい……邪ああ魔ああっ!!」
ジュンはいつの間にか両手にあの自動拳銃を持ち、引き金を引きながら周囲360度へ弾丸をばらまいていった。
わたし達の周りにいた斧の男は、銃弾の雨にさらされ、一瞬でどろどろの黒いおかゆ状態になっていった。
「ふう……」
息をつくジュン。
だけど――わたしはその時、気づいた。
彼女の背後へ――撃ちもらした影の男の一体が、すさまじい勢いで迫っていることを。
危機を伝えようとした。ジュンへ、影の男が背後にいるということを。
でも。
声が……声が、出ない……!!
「……大丈夫」
ジュンはうなだれたまま、両手の自動拳銃をくっつけた。
すると――自動拳銃はまるで粘土のように溶け、くっつき、別の銃へ姿を変える。
拳銃とは違う、長さのある、銃。
「――残念。数だろうと奇襲だろうと、私を倒すことはできない」
斧の男が右手の斧を振りかぶるより迅く。
ジュンは銃口を男の頭部へ向け、そのまま引き金を引く。
すると。
破裂音と共に、影の男の頭部が一撃でバラバラに砕かれた。
後で知った……散弾、とかいう弾を放つ銃らしい。
「……ごめんね」
ジュンが、わたしに向かって頭を下げた。
「私と一緒にいると……私と同じように、あの斧の男達に狙われることになる……」
視線を足下に向け、ジュンはわたしに頭を下げ続ける。
しかし。
「でも……お願い。私を、私を捨てないで……逃げないで……!」
ジュンがわたしを抱きしめ、うわごとのように何度もお願いをする。
「お願いよ……これ以上一人でいたら、私、私もう……壊れてしまいそうに……!?」
瞬間。
ジュンはとっさの判断で、自分の背後へと拳銃を向ける。
同時に、彼女の首へ迫っていた斧の刃が動きを止めた。
静止。
キイン、と耳が痛くなるほどの緊迫した無音。
「あなた……何者?」
今までとは明らかに違う、緊張したジュンの声。
「こちらのセリフだ……勝手に連れ回して、その子に何してくれてんだお前?」
声。
男の、声。
わたしは振り返り……思わずひっくり返りそうになるほど驚いた。
斧の男。
黒服に灰色のマフラー……わたしを追うあの怪物のような男が、目の前にいたのだ。
「……なるほど。あなたね? セイを追い回してる男女っていうのは?」
「セイ? 誰の事だそりゃ?」
「その子よ」
斧の男の目がわたしへと動き、即座にジュンへと戻る。
「……セイ。それがお前の名前か? すまん、今知った」
「わざとらしい。セイを追ってここまで来たんでしょ? こんな子供を追い回すなんて、まっとうな趣味とは言えないわよね」
「子供一人じゃ危ない世の中なんでな。目を離すと危険なんだよ――お前みたいな保護者気取りの誘拐魔とかうろついてるからな」
「誘拐魔はあなたでしょう? 全部この子から聞いたわよ? 身代金欲しさに強盗団からこの子を奪い取った〈ナイトオブナインズ〉さん?」
「話が早くて助かる。クソこっ恥ずかしい自己紹介しなくていいわけだ」
ふう、と斧の男がため息を吐き、そしてわたしに顔を向ける。
「しかしつくづく運がないよな、お前。転生者から逃げた先に、また転生者に捕まってたのか?」
「……ちょっと?」
ジュンの制止を全く聞いてないように、斧の男が続きを話す。
「お前には悪いと思っている。でもすまんな、下っ端は上の人間の思惑がわからん。自分でもよく分からん状況だが……俺はお前を守る必要があるらしい」
「……なんのつもり!?」
ジュンの怒りの声に、斧の男はやや意外そうにする。
「……なんだよ?」
「とぼけないで……あなたでしょ?」
「なにが?」
「あの斧の男の影……あなたの仕業なんじゃないの?」
斧の男は、肩をすくめるだけだ。
「さっぱりわからん。なんの話だ?」
「とぼけても無駄。見てたはずよ? あの斧の男の影を」
「ああ…………なんださっきのアレの話か」
ふう、と再び斧の男がため息を吐いた。
この様子。
もしかして……さっきの斧の男は、本当にこの男が……!?
けれど。
そんなわたしの予想は――まったく完全に裏切られることになった。
「あれは俺じゃない。あんたの作ったお人形だ」




