1章-(6)ナイトオブナインズ
「ヴヴヴヴヴヴヴブブbb……」
大量の蟲の羽音のような声をもらしながら、現れたるは異形の怪人。
肩から両腕がそぎ落とされた異常に細い体躯に、褐色の皮バンドを幾重にも巻きつけ、さらに外側に鎖まで巻きつける周到な拘束具。
はげた頭頂部には幾本もの太い釘が刺さっており、後頭部に残る髪は針金のようにガビガビに硬く、皮バンドで拘束される首元を覆っている。
そして、何よりゾッとするのはその仮面。
右半面は白く簡素な仮面で覆われているが、左側は仮面が割れて骨組みだけが残る。
松明の明かりを鈍く反射する仮面の骨組み。その奥で――血走った目玉が二つ、こちらを睨みつけていた。
そう。二つだ。
顔の左側に目玉が二つ、確かにある……!
「……我々は無用な戦いを好みません。通していただけますか?」
シュルツさんは、いんぎんにその異形に語りかける。
異形は……ブルブルと震えながら、首を70度ほど右下に傾けた。
首の骨が折れているんじゃないかと思える角度。そのまま言葉を絞り出す。
「ヴヴvう゛bブヴ……お、オ、俺は……〈ナイトオブナインズ〉……」
なに……?
その単語には聞き覚えがある。
『……貴様らの処断は、我が忠実なる騎士、“ナイトオブナインズ”が受け持つだろう』
『伯爵』の言葉が蘇る。
ナイトオブナインズ。伯爵の言葉から察すると……俺達への刺客……!?
「な、ナイトオブナインズの“9”――オグン。お、お、お前達を、ここここ殺す殺す殺す……!」
オグン。それがあの異形の名前なのか。
オグンはブルブルと震え、しだいに浜に打ち上げられた魚のごとく体を激しく前後に跳ねさせる。
シュルツさんは身構えながら、オグンに話しかける。
「オグン、といいましたね? ……あなたのその体。“伯爵”に――」
「ダ! だだだダだ黙ダマれええっ!!」
オグンが発狂するかのように叫ぶ。仮面の奥の目玉がこぼれそうなほど見開かれた。
その瞬間。
「ぐおっ!?」
シュルツさんは唐突に倒れた。
いや――違う! 彼の周囲の床がひび割れ彼の輪郭に沿うようにえぐれている。
まるで巨大な見えない手で、押しつぶされてしまったように……!
「ソウジ! 気をつけて! こいつ――〈重力使い〉みたい!!」
重力使い。
魔法。重力を操る魔法ということか……?
つまり、シュルツさんが倒れたのは彼の周囲の重力が数十倍になったから、ということなのだろうか?
ちょっとまて……そんなやつ相手に、どう気をつけろってんだ……?
「キショイ奴はさっさと片付ける! “氷蛇”――」
「だダ黙レと言いいっっイっ、てるうう!!」
オグンが発狂するように声を上げる。
瞬間、
「うっぐっ!」
マーリカさえもシュルツさん同様に地面へぬい止められた。
だが、その時。
「ぎギ……!? ギャガアアアぁあアああアぁァあェアッッ!!」
しかし、同時にオグンもなぜか凄絶な悲鳴を上げる。
なんだ……こいつ一体……!?
その時俺は、オグンの体に起こる異変を目にした。
奴の鎖の下、地面から何か黒いモヤのようなものが這い上がっている。
なんだあれ。あいつが苦しんでいるのに関わってるのか……?
「ヒギ、ぎ、ぎ、えエぐggいいいイぃイヸヸヸ……」
体まで這い上がろうとした黒いモヤが寸前で引いていく。
まるで。あのオグンの意思の力で追い払われたように……
「ごゴッっ!!」
オグンが突如せき込み、ドス黒い吐血を仮面の下から吐いた。
……こいつ、あの黒いモヤに取り憑かれているのか……?
「……伯爵の呪い、ですね……」
地面にぬい止められながら、シュルツさんがそう言った。
「オグン……彼の事は聞いたことがある。あの伯爵の、実験体の一人……」
――実験体……?
「ええ……伯爵はより質のよい贄の“製造”を研究していました。
彼はおそらく、強力な魔法を生み出すため安価かつ手軽に使用できる贄の一人として〈改良〉された……いわば伯爵の“玩具”……!」
改良?
ちょっと待て。人間だぞ? 人間一人を……改良?
稲やイチゴみたいに改良? しかも生け贄として?
……シュルツさんは、オグンを“実験体の一人”と言った。
つまり……他にもいるということか? 生け贄にするためオグンと同じく異形に“された”被害者が……!?
「……私が、彼の説得をします」
のしかかる強力な重力にあらがいながら、シュルツさんがゆっくりと立ち上がる。
「オグン……君が我々と対するのは、伯爵の呪い故ですか?」
シュルツさんの静かな語りに、オグンもまた痙攣のような動きをひそめた。
「…………」
シュルツさんが問いを重ねる。
「なぜです? なぜ、私たちが君と対立せねばならない……!?
君をその姿にしたのも、君をさいなむその黒い影も、すべて伯爵のもたらした災禍だ! ならば君が怒りを向けるのは我々ではないはず! なぜ君は――」
「は、伯爵のォオおヲヲを……言うこと、は、絶っっッ対い……」
「なぜだ、オグン!! 君だってわかっているだろう!? 全ての悲劇をもたらしたのは、あの伯爵の仕業――」
「だ、ダあぁアぁあェあアアアあァあまれェえええええええええええええええええっッ!!」
「がはッ!!」
オグンは発狂するように叫び、再び彼を地面にぬい付けた。
「ゲええeえええ、ェえええeええええええrっ!!」
再び黒いモヤが駆け上がりオグンが絶叫して身もだえる。
だが、ふいに先ほどとは様子が変わった。
「ひぎギ……て、転生者、の臭い! 匂う!匂うにおうにおうにおううnにおう匂nmnおおおおおオォ?っお?!」
どす黒い血反吐を吐き散らしながら、オグンが蠢く。
ずるり。ずるり。ずるり。
まるでシャクトリムシのように、腰を丸めて顎と膝でズリズリと地面を這う。
ずるり。ずるり。ずるり。ずるり。
「てェええええええっってテててんn転生sぃイい?! 死! 死ね死死死死死sss……!!」
なんだ、こいつ……!?
ゾッと背を冷やした。
恐るべき執念を燃やしオグンが俺へ這いずり寄ってくる。
仮面を地面にすりつけながら、血走った目でブツブツと呟く。
「殺す殺すコロスコロコロスコロコココオコオ……」