7章-(1)斧の男からの逃走
この章でも、主人公のソウジではない人物が主役となります。
例によってソウジは後半部分から現れます。
わたしには使命がある。
言葉を話さない母様が、初めて自分の口で伝えてくれた、大切な使命。
だから旅に出た。ウェルドーとマルス……仕える騎士達の中で最も腕の立つ二人を連れて、“欠片”を探す旅へ。
だけどそれはすぐにつまづいた。
あの列車で、ウェルドーとマルスの二人は強盗団にあっけなく殺されてしまった。
そして出会った。
あの恐ろしい、怪物のような男……“斧の男”に。
わたしを縛り付けたあと、斧の男とワンピースの女はどこかへ行ってしまった。
……きっとまた誰かを殺すつもりなのだろう。
けれどそれはわたしにとってチャンスだった。
万が一誰かに捕まった時の脱出術……ウェルドーとマルスが教えてくれた。
わたしは死なない。死ぬわけにはいかない。使命のために……あの二人のためにも……
◆◆◆
レジエント。ジレド公国が治める街の1つで、お城のある首都の次に大きいらしい。
ここまで運んでくれた行商人のおじいさんにお辞儀をして、街中をゆっくりと歩む。
「……」
すれ違う大人達。露天商の人、大道芸人の人の目が、わたしを見ている気がする。
決して知られてはいけない。
――わたしが何者なのか――
フードをめいっぱい深くかぶって、人の目を避ける。
……大丈夫。バレてない。バレるはずがない。
こんなボロボロの服を着ているんだから、きっとみなしごかなにかだと思うはず。
街に溶け込もう。目立たず、慎重に慎重に……
ふと。
香ばしい香りが道ばたからした。
振り返ると、露店の1つに、揚げものを売っているお店があった。
知ってる。ジレドで有名な揚げ団子だ。
ニンニクを混ぜた肉団子を小麦の生地で包んで揚げる。仕上げにちょっと辛いソースをつけて、串に刺したらできあがり。ちょうどお店に揚げたてが5つ並んでいる。
ゴクっ、と思わずツバを飲んでしまった。
揚げ団子を見て、匂いをかいだら、急に自分がお腹ペコペコだってことに気づいたのだ。
斧の男とワンピースの女に捕まっている間は何も食べなかった。あの二人は食べ物を出してくれたけど、中に何を入れられているかわからなかったから。
行商人のおじいさんはお水を分けてくれたけど、ご飯はほぼ丸一日食べてない。
お金は……ちょっとだけだけど、ある。
わたしは決意して、その露店に近づいた。
「ん? なに? 欲しいの?」
露店のおじさんがにっこりと笑う。
一本、ください。
そう言おうとした。
だけど。
「…………!」
わたしの口は、喉は、言葉を出すことができなかった。
――言葉は嘘。
口から出た思いは全て嘘に変わってしまう。
嘘はあなたの身を穢す。だから言葉など使ってはいけない――
教育係の女官から何度も言い聞かされたこと。
それが呪いのように――わたしの言葉を封じ込めてしまう。
「……! …………っ!」
何度も言葉を言おうとした。
でも声がでない。息はただの空気の流れになって、口はパクパクと虚しく開いたり閉じたりするだけ。
そんなわたしに、露店のおじさんの笑顔がみるみる消えていく。
「……孤児のガキが。卑しい目でウチの商品を見るんじゃねえよ! 商売の邪魔だ!!」
おじさんは恐ろしい顔で煮えた油をお玉ですくい取り、わたしへ油を掛けようとした。
「…………!」
怖かった。
でもそれ以上に……こんなときにも悲鳴すら出ない自分に――絶望した。
その時。
「危ない!」
誰かが後ろからわたしを抱き上げ、素早く後ろへと退かせてくれた。
ジュッ! と足下で音を立てる油。
チッ、とおじさんは舌打ちし、謝ることなく黙々と揚げ団子を作る作業に戻った。
「まったく……あなた、大丈夫?」
わたしが振り返ると……そこにはホッとした笑みを浮かべる、女の人がいた。
年はたぶん20代後半くらい。真っ黒なロングコートに黒い髪が特徴的な人。
……なんとなく、あの斧の男と似ている部分を感じた。
この女の人も……転生者?
「お腹空いてるの? なら別のお店にいきましょ? この店以外にもあるからさ、揚げ団子」
女の人は優しくわたしを撫でて――優しく、笑ってくれた。
その顔はなんとなく――母様に似ている気がした。
少しだけ見とれていると、すぐにわたしはハッとした。
お礼を言わなきゃ。助けてくれた、お礼。
わたしは何度も女の人へお辞儀をした。
「あはは、そんなに食べたいの? 揚げ団子」
違う! そうじゃない! そうじゃないのに……!
言葉は嘘。
だけどこんな時にも使えないなんて……
ウェルドーとマルスは、何も言わなくてもわたしの言いたいことを理解してくれた。あの二人がいないだけで、わたしはこんなにも弱くて、みじめで……!
情けなくて泣きそうになった時、女の人はもう一度、わたしを優しく抱きしめてくれた。
「慌てないで。落ち着いて……大丈夫」
耳元でささやき、優しく笑ってくれる女の人は……とても温かかった。
「私はジュン。シララギ・ジュンっていうの」
女の人は、転生者らしい不思議な響きの名前を名乗ってみせた。
「あなたの名前は?」
わたしも自分の名前を――言おうとしたけど、やっぱり、言葉が出ない。
だから、仕方なく……地面に字を書いて、名前を伝えた。
「……セイちゃん、っていうの? よろしくね、セイちゃん」
嬉しそうに笑って、ジュンはまた私の頭を撫でてくれた。
母様……もうこの世から旅立ってしまった、母様。
母様と過ごした時のような、温かい気持ち。
胸があったかくなって……気が付けば、わたしも笑っていた。
◆◆◆
わたしは揚げ団子を食べながら、これまでのことをジュンに伝えた。
「……そう。それでその二人組から逃げてきたってわけ……」
わたしが書いた字を読み、ジュンは大きくうなずいた。
……わたしが何者か、ということは伝えなかった。彼女は優しい。でも、彼女にもそれだけは絶対に言えない……
それでもジュンはわたしについては尋ねず、また頭をなでてくれた。
「一人で大変だったね」
ジュンの言葉に、いままでの怖い思い、つらい気持ち、不安な気持ちがゆっくりと溶けていく……そんな感じがした。
でも頷いたら彼女はつらい気持ちになるかもしれない。わたしは“大丈夫だよ”ってことを伝えるため、何度も首を振る。
「強がらなくてもいいよ……でもその二人組、あなたを追ってこの街まで来るかもしれない」
気が重くなった。あの二人の目的はよく分からないけど、遠くの仲間としていた話ぶりだと、わたしを捕まえることにすごくこだわっていた。
……知られたかもしれない。わたしの正体を。
絶対に、あの二人には見つからないようにしなきゃ……
「じゃあさ、私と一緒に逃げちゃおっか?」
……え?
わたしがジュンを見返すと、クスリと笑った。
……すごくつらそうな、笑顔。
「私もあなたと同じ。追われているからね……」
ジュンはため息を吐き、彼女を追う者の名を言う。
その名に、わたしはギョッとした。
「きっとこの街にも現れる……あの“斧の男”が……」




