6章-(1)そして終わり、始まる
※6章は主人公のソウジ以外の視点で描かれています。
ソウジは中盤あたりで敵として現れるので、視点の違いを楽しんで頂ければ幸いです。
毎日がうんざりだった。
会社と自宅を往復するだけの毎日。
こちらの業務の状況を理解しない無能な上司から、くだらない事を理由に毎日叱責されるだけの仕事。
家に帰れば、暗い部屋で一人。
テレビを点ければ、ニタニタ気色悪い馴れ合いばかりを見せつけるバラエティに、頭の軽い馬鹿共が繰り広げる恋愛ドラマ。ニュースは与党への恨み言ばかりで終始する。
ユーチューブを見れば、お寒い素人連中が馬鹿騒ぎばかりを繰り返し、ネットを見ればマウント取りしか頭にないクズばかりが威勢良くレッテル貼りを繰り広げる。
テレビも、パソコンも、スマホも切って、うんざりしながら固いベッドに横たわる。
――毎日がうんざりだった。
安アパートに似合いの安っぽい蛍光灯の明かりを見ながら、俺は喪失する気力と沈殿する絶望感に全身を浸らせていた。
こんなことをするために生きているのか?
こんなことを続けるために生きてきたのか?
なんで生まれてきたんだろう? なんのために死んでいくのだろう?
こんな無意味で空虚でくだならい人生に一体なんの価値があるっていうんだ……?
無意識に、涙があふれた。
真面目に生きてきた。誰にも迷惑かけないように、いつも正しく生きてきたはずなのに。
恋人は出来ず。友達は次々に離れ。両親はできの良い兄ばかりもてはやす。
どうして俺ばかりが。一人で。こんなに。惨めに……
この世界への絶望。怒り。そして憎しみ。
それらの感情がどす黒く混ぜ合わさった瞬間――俺の体は突然、強い光に包まれた。
狭いアパートの一室が、突如蒼穹の空へと変貌。だが体は落下せず、俺は空の上に佇んでいた。
すると、目の前に光の柱が現れ――そこから1人の美しい女性が姿を見せた。
「ずっとあなたを見てきました」
彼女はそう言って、一粒の涙を流した。
「あなたはあの世界で生きるべきではありません。あなたは……あなたの能力を生かせる世界で生きるべきなのです」
「――あなたは一体……?」
俺が女性に話しかけると、彼女は午後の柔らかい陽光のように、優しく微笑んだ。
「私は我欲を司る“グランスピリッツ”の1柱。選ばれし者をふさわしき世界へと召喚する“神”」
「神様だって……?」
「あなたの深い絶望の声が、次元を超えて私の元へと届きました。故に私はあなたを異世界へと導きます」
異世界……まさかそれは、漫画や小説でよく見る……“異世界転生”……!?
「……しかし、あちらの世界はあなたの元いた世界のように平和とは言えません。魔獣や魔人と呼ばれる者達が人々の生活を脅かし、さらに世界は“九回目の新月”により滅亡の危機に立っています」
神と名乗った女性、女神は、憂いを帯びた表情でファンタジックなことを口にし出す。
俺は両手で強く顔を叩いた。ジンジンと熱を帯びて痛む両頬……やっぱり夢じゃない。
――現実。だとすると俺が、異世界転生の主人公みたいに……?
「故に私は、あなたに1つの力を授けます」
女神が何事かを呟くと、彼女の右手が突如発光した。
右手の光はヂキヂキと音を立てながら不思議な模様と文字へと変化し、球型の幾何学模様へと発達する。
「強く。願い。私の手を取りなさい。あなたの想いが唯一無二の力へと顕現します」
「…………」
「どうしました? もしや……元の世界へ帰りたくなりましたか?」
心配そうに見つめる女神に、俺は首を振り、きっぱりと言った。
「あんな世界にもう未練はない。俺は……俺の人生をやり直したい」
「では。強く。願い。手を取りなさい。あなたの想いが唯一無二の力へと顕現します」
恐る恐る発光する幾何学模様へ触れる。すると暖かな感覚が手を、腕を、やがて体全体を心地よく伝わってゆく……
俺は目を閉じ。強く願った。
守る力を。
誰も俺を踏みにじり、支配し、貶めることができない――絶対的に俺を守る力を。
その瞬間、エレベーターに乗った時のような強烈な重力が体を貫き――
目を開けると、そこは森の中。
元の世界では見たことのない動植物。蒼く清浄な川の水が流れ、木々の間からは昼でもはっきり見える、大きな右弦の月がこちらを見下ろしていた。
明確に自覚できた。
間違いなく俺は――異世界へ来たのだと。
全身が軽くなったかのような高揚感。
こんなワクワクしたのはいつ以来だろう? クリスマスにプレゼントの包みを開ける時か、あるいは欲しかったゲームソフトをゲーム機に入れる瞬間だろうか?
人生をやり直す。今度こそ。俺は無意味な人間ではないと証明してみせる。
そう決意した、その時。
「きゃあああっ!!」
少女の悲鳴。近くの茂みからだ。
俺が素早く駆け寄ると――二人の少女が、RPGでよく見るデザインの剣を握った男に、まさに斬りかかられようとする瞬間であった。
「やめろ!」
少女達の間に入る。俺を目掛けて振り下ろされる刃。
死を覚悟した瞬間――女神からもらった“力”が発動した。
「馬鹿な……」
剣を持った男は逆に体を斬られ、大量の血を流して絶命した。
呆気にとられる二人の少女。よく見るとまるで鏡に映したかのように、うり二つの美少女だ。
双子なのだろうか? 違うのは金髪と銀髪の髪の色くらいだ。
「ありがとうございます……! あ、あの、わたし、アリサって言います!」
活発そうな金髪の少女がそう言い、遅れてやや人見知りっぽい銀髪の少女が口を開く。
「……妹のミリア、です。助けてくれて、ありがとう……」
俺は呆然とした。
今までの人生でありえなかったことだ。
誰かの役に立ち、感謝されるなんてことは……
「あの……あなたのお名前は?」
姉であろう金髪の少女、アリサに問われ、俺はうっすら目に浮かんだ涙を拭い、答えた。
「俺は、彩藤継士だ」
「「ケイシ……」」
それがこの二人との最初の出会いだった。
◆◆◆
「んっ……あっ、んう……」
月光が白く艶めかしいアリサの肌を浮かび上がらせ、俺は彼女の大きな乳房から細い首筋へゆっくりと舌を這わせた。
横から手が伸びる。妹のミリア。若干の幼さを残した彼女の裸体はしかし幻想的なほどに美しい。俺は彼女が求めるまま唇を重ね、互いの舌で互いを貪るように何度も絡ませ合う。
夜の森の静寂に、生暖かく湿った音が響く。
だけど構わない。ここには俺達3人しかいないのだから。
互いの肌と肌を合わせ、交互に、代わる代わる交わる。
肉欲のままに。獣のように。このまま壊してしまいたいとすら思えるほどの欲望。しかし俺を求める二人の恍惚な表情は何よりも愛おしい。
二人は俺と交わりながら、時折なんども俺の首筋を噛む。
血を飲んでいた。それは、彼女達の食事ともいえる行為。
彼女達は――吸血鬼であった。
痛みを伴う快楽に身をゆだね、空が明るくなるまで、俺達は土と草の上で痛みと痺れるような快感を伴うじゃれ合いを続けた。
◆◆◆
起きたときはもう昼だった。
毛布を片付け、気怠く体を起こし、俺はのそのそと服を着る。
木によりかかり、ため息を1つ。さすがに血を吸われ過ぎた。貧血気味だった。
アリサとミリアの二人はいない。貧血でしばらく動けない俺のために、なにか動物を狩りに出かけているのだろう。いつものことだ。
目を閉じ、もう一眠りしようと思った、その時だった。
「――お兄さん、もしかして行き倒れ?」
頭上から声。
ふり仰ぐと――頭上の大きな樹の枝の下に、一人の少女が立っていた。
そう、まるでコウモリのように、逆さまの状態でこちらを見上げていたのだ。
「……違うよ」
「わお。生きてた。でもそんなとこで寝てたら風邪ひくどころじゃ済まないわよ? こわーい魔獣や野盗に襲われちゃうかも」
クスクスと笑う少女。純白のワンピースに藍色のボブカット。可憐な印象の容姿とは裏腹に、腕や足に白い包帯を巻いている痛ましい姿が特徴的だった。
よく見ると、足下の幹が凍っていた。氷を足場にしている……という事は氷使いだろうか? ワンピースがめくれ上がらないのも、服自体を凍らせているからだろう。




