5章-(2)急転する車内
「んーん。この汽車は“銀砂漠”を超えるための乗り物だから。行き先も大きい街だけど、ジレドの首都までは全然遠いかな」
――満月国とか、上弦国とかそういう国もあるんだろ? 遠い道のりだな。
「……あー、そっか。ソウジってこの世界の地理とかぜんぜんわかんないよね?」
眉間に手をやり、『一から説明しなきゃいけないのか……』というような面倒臭そうな表情を浮かべるマーリカ。
正直そういう顔してる奴から情報を聞くのは嫌だったが、この世界にいる以上聞いておかねばなるまい。
俺はマーリカへ向けて両手を合わせ、『頼む』といわんばかりの態度を見せた。もちろん頭を下げるのはシャクだったので、ただの合掌。要は“いただきます”のポーズである。
だがマーリカは俺のいただきますを異世界流の誠意だと勘違いしてくれたらしく、しぶしぶ地理について説明してくれた。
「はあ……んじゃ、簡単に図を書いて説明するから。ま、テキトーに聞いててよ」
結露する窓ガラスに、マーリカはササッと指で簡単な図形を描き出す。
その時、汽車の汽笛が高らかに鳴り響く。
シュッ、シュッ、という蒸気音と共に、ゆっくりと動き出す汽車。
華やかな歓楽街が徐々に遠ざかっていき、汽車は雪と砂が支配する“銀砂漠”へ向けて疾走してゆく。
「んー、こんな感じかな! ほら、ソウジ!」
地図を描き終えたマーリカが、満面の笑みで俺に振り返る。
俺が窓に描かれた図を見ると……大きな菱形に×印がつけられたような図形があった。見方によっては小さい菱形が4つ重なっているようにも見えるが。
――あれ? 地図は……?
「描いてんでしょうが! 簡単に描くっつったでしょ!? 腹立つ~……」
どうやら目の前の4つの菱形が地図らしい。簡単すぎて本気でわからなかったのは盲点というべきかなんというか。
「名前からも分かる通り、あたしらの世界の国名はそこで見える月の形から決まってるわけ。あたしらが今いるのが右弦国のジレドでしょ?」
マーリカは4つの菱形の一番左側を指さした。
「で、ここから北に行くと下弦国のミレンジア連合国、南に行くと上弦国のアルトライン王国があるわけ」
4つの菱形のそれぞれ上下をマーリカは指さす。
「こっから東にまっすぐ行くと、ど真ん中にある満月国ニルディン王国」
マーリカは4つの菱形の真ん中に円を描き、円の中心を指で示した。
「で、ニルディンからさらに東に行くと、左弦国のヴェルハッド共和国。魔王サマはこのヴェルハッドの領地よりさらに東の凍土にいるみたいね」
最後に右端にある菱形を指し示し、マーリカの簡素極まる地理レクチャーは終わりを迎えた。
いや簡単すぎだろ? と突っ込もうとしたが、あんまり細かい事を説明されても混乱するだけだ。このくらい簡単なほうが良いのかな。
ふと、マーリカの地図で国が5つしか描かれていないことに気がついた。この世界には6つの大国があったはず……確か、ウィンデリアとか言ったか? あのヅィークが治めている国らしいが……
「ああ、ウィンデリア? あの国はこの大陸には存在しないのよ」
は? と俺が言い返そうとした時、マーリカは菱形の左斜め上に小さい円を描いた。
「ウィンデリア王国は空中に浮かぶ大陸の国。空中浮遊都市ってやつかな?レグネ族だけが住んでるから“天使国家”とか呼ばれてる国だよ」
――レグネ族……?
俺が尋ねると、マーリカはニヤリと笑う。
「ソウジも見たでしょ? シパイドで、ラスティナの姿をさ?」
思い出す。左肩から2つの翼を生やしたラスティナの姿を。ラスティナは魔人だった。つまり、レグネ族とはラスティナのような姿をした部族のことか……?
いや、ちょっと待て。魔人ってのはこの世界で迫害されていたはず。なんでレグネ族とやらは国を築くことができるんだ?
「レグネ族は特別だからね」
マーリカはため息を1つ吐き、再び口を開く。
「他の魔人より魔法の扱いがズバ抜けて高いし、フロイア聖教の聖典に名前が書かれてたってのも大きいけど……一番の理由はルックスかな」
――ルックス?
「……ラスティナ、めっちゃ美形でしょ?」
素直に認めるのがなんとなく嫌だったが、同意した。
「レグネ族って美形ぞろいなんだよね。しかもほかの魔人と違って変身してもほとんど人と姿が変わんないからさ。見た目が綺麗だから迫害されてないわけ」
――そんな簡単な理由でか?
「他の魔人が迫害されてるのも見た目が原因じゃん? 争いの起こる理由なんてどれもそう。どこの世界でもびっくりするくらい簡単な理由でしょ?」
――そうだな……俺の元いた世界でもそうだった……
俺のいた世界は、21世紀になってもなお下らない理由で差別や偏見を繰り返す。ここの世界の連中と何ら変わらない……
「ありゃ、ソウジの世界でもそうなんだ? ま、争いなんてどこ行ってもつきまとうもんだし、クソ真面目に捉える必要ないと思うけどね?」
小馬鹿にしたように笑うマーリカ。
俺は「フン」と鼻を鳴らし、彼女から目をそらす。
「まあまあ。それでさ、この空中浮遊都市なんだけど、なんで浮いてるかって誰もその仕組みについてわかってないんだよね。この大陸って前に侵略した世界の――」
マーリカはそう言いかけて、不意に隣へと視線を向けた。
彼女の視線を追うと――隣にいた身分が高いと思われる三人組の一人に、通路を歩いていたばあさんが倒れかかっていた。
「何のつもりだ!」
「あ、ああ、すみません。揺れで足下がふらついてしまって……」
「…………気をつけろ」
無骨な警護の男にすごまれ、ばあさんは怯えたように早足でその場を去っていった。
「あらら、大丈夫かな、あれ」
――あのばあさんか? 別に怪我とかしてるようには見えないが?
「んーん。違う。あっちの男。おばあちゃんに扮した奴に仕掛けられたみたいだけど?」
――扮した? 仕掛けられた?
「うん。重心の移動が滑らかすぎるから、アレはおばあちゃんに擬態してる奴だと思う。
で、さっき倒れかかった時さ、不自然に首筋へ触れてたじゃん? あれってちょっと前に流行った手口なんだよね。毒を塗りつけた手袋で相手の首筋に触れて、経皮摂取で相手を昏倒させるってやり方なんだけど」
――どういう事だ? おい、まさか……
俺の懸念に対し、マーリカは即答。
「うん。多分今の奴、例の列車強盗の一味だと思う」
その瞬間。
ドン! という床を打つ音。振り返ると、先ほどばあさんと接触した男の一人が、口から泡を吐きながら倒れていた。
たちまち騒然となる客車。連れの緑の髪の少女が口元を押さえて驚き、もう一人の男が倒れている奴をさすり、何度も名前を呼びかけている。
「どうした!? 何事だ!?」
そこへ汽車に乗り込む時に会った、鎧を着た警備兵が現れる。
「わからないんだ! いきなり倒れてしまって……! 治療術士、いや、医者をこの客車から探してくれないか!?」
「わかった!」
男と警備兵のやりとりを見ながら、マーリカはまたも不吉なことを呟く。
「……こりゃどーしよーもないわね。お姫様だけじゃなく、守る騎士も温室育ちなのかな? 疑うってこと全然知らないみたい」
――おい、マーリカ……?
「最初っから怪しいって思ってたけどさ。やっぱそこの警備兵、強盗団とグルだよ」
すると――事態は急変した。
「が、ああっっ……!? あ、が、な、何、を……!?」
少女を守る騎士の男。彼の腹を、警備兵が剣で無残に貫いた。
「……治療術士も医師も必要あるまい? どのみち2人まとめて痛みのない世界へ旅立つのだから」
ドサリ、と騎士の男は床に倒れ、おびただしい血が周囲へ広がる。
弾かれたように悲鳴を上げる乗客達。
緑の髪の少女は窓に寄りかかり、怯えた表情で己の騎士の亡骸を見つめるのみ。
そこへ、先ほどの老婆が銃を天に向け3発撃った。
「騒ぐな。口を閉じ、冷静に。金か金になるものを俺達に寄越せばいい。そうすりゃ死体は2つだけで済むぞ?」
その声は――明らかに男の声であった。やはり何者かが老婆に化けていた姿だったのか。




