3章-(9)魔法の副作用
中年男性が、深いため息と共にそう言った。
……ということは、ここは俺のいた世界でいう下水処理場のような施設なのか?
では、先ほどの少女は、汚水を浄化するための生贄にされたのか……? たかが汚水を処理するために……?
俺がその疑問を口にすると、男性らは怪訝そうに顔を見合わせた。
「君は、もしかしてこの世界に来て間もないのか?」
素直にうなずくと、中年男性はため息を一つ。
「……では、魔法と生贄の関係から話さねばならんか。
多くの転生者は“生贄を使う魔法”と聞くと、代償を伴う分強大な魔法を使用すると考える……だがそれは違う」
――違うのか?
「ああ。“生贄が魔法の代償”というところから間違っている。
生贄とは……簡単に言えば、魔法による反作用の身代わりだからな」
――身代わり……?
「ああ……魔法とは元々、我々人類が扱えるようにはできていないんだ……」
視線を地面に落としながら、中年男性は語る。
「魔法はコツさえ掴めば、誰でも簡単に使用できる。理論を組んで扱う者もいれば、感覚に頼って使用する者もいる。正しいやり方などはなく、感情と理子の二つが揃っていれば問題なく発動する。
……だが、発動してからが地獄だ」
――地獄、とは……?
「魔法は使うともれなく使い手に反作用が発生する。発動後に使い手が酷いやけどを負う、全身から血を吹き出す、足のつま先から徐々に体の肉が消失するなど、現れる反作用は人によって異なるんだ。
そういう反作用から術者の身を守るために生贄は使用される。術士の代わりに、生贄に反作用を受け止めさせる……ていのいい身代わりなんだよ」
生贄とは、身代わり。
マーリカも言っていた。魔法を使うには贄が絶対不可欠なのだと。
だが、彼女は魔法を使う時木の実の粉末などのささやかな物を生贄として使用していた……本当に、人間を生贄として使う必要があるのか……?
俺がそう尋ねると、中年男性は感心したような顔をした。
「それは、君の会った人がかなり才能のある人物だったんだろう。使い手の才能によって使われる生贄の質も大きく変わるからな」
――どういう事だ?
「反作用の大きさは術の規模に加え、個々の経験と才能にも左右される。6大国には優れた術士も多いので水の浄化も木の実などを生け贄にするだけで済ませられる……だが、大国から離れたこの小さい街だと、ろくな術士がいない。
無能な術士の保身のため、我々の命はチリ紙同然に消費される……」
……反吐が出るな。
確かに上下水道の浄化はその街にとって生命線といえるものの一つ。だが、そのために毎回さっきのような非道が行われているというのは納得できない。
おまけに使われているのはその街の住人でもない者達だ……胸くそ悪い。
「なあ……あんた、あんたの持ってるその斧、それは魔剣じゃないのか?」
若い男が、俺の背にある斧を指さしてそう言った。
今さらながら気づく。
そういえば、なぜ俺は斧を持ったまま牢に入れられてるんだ?
しかも彼らとは違い、服も全て着たままだ。最低でも武器になる斧は没収しておくものだろうに。
「……魔剣は、主と認めた者以外は触れることさえできない、意思を持つ武器だと聞いた。くだらない伝説だと思っていたが……実在したのだな。
君が倒れた後、連中はその斧を取り上げようとしたのだが、斧に近づくたびその斧がひとりでに動き、切っ先を連中へ向けたんだ。流石に触れるのは危険だと思ったのか、結局斧を持たせたままこの牢に君を投げ込んでしまったよ」
中年男性が、愉快そうにそう語った。
……自分で動けるなら牢に入れるのも阻止してくれよ。気が利かないな、斧。
「な、なあ! その斧が魔剣なら……それを使って、この牢を破れないか?」
興奮するように、若い男が言う。
周囲を見回すと、彼同様に牢屋の人々は一斉に俺へ期待の眼差しを向けた。
「頼むよ……あんた転生者なんだろ?」
「魔剣は一騎当千の力が得られる武器って話だ。そんな鉄格子、簡単に破れるはず……」
「ああ、これは天の助け! 転生者様、どうか……!」
……正直、こういう風に頼られるのは得意じゃない。
彼らを助けるため……なんて正義感は俺にはない。だがこのまま奴隷商人まがいに売られるのもごめんだ。
俺は立ち上がり、鉄格子に向けて斧を構えた。
背後の人々は固唾を飲み、見守っている。
足を肩幅まで広げる。そして斧を背後へ向け、反転。
遠心力をつけた、渾身の一撃を振り抜く!
ガアン!
激烈な金属音とわずかな火花、そしてビリビリと両手伝わる衝撃。
手応えはあった。だが。
牢の鉄格子は――傷一つついていなかった。
――クソッ!!
二度、三度と斧を振り下ろす。
そのたびに斧は大きく跳ね上がり、しかし鉄格子にはまったくダメージがなかった。
「……補強魔術が使われているんだ。物理的な干渉だけでは破れん……」
中年男性がそう言う。
つまり、この牢を出るには魔法を使わない限り無理、ということか……
俺は斧を使った特訓は受けたが、魔法に関しての特訓は全く受けていない。
つまり、使える魔法は時間を止めることのみ。あげくオグンとの時のようにうまく発動できるかも未知数だ。斧で叩いてどうにもできないなら、打つ手がない……!
「この牢屋は鉄格子以外、理子を通さない特殊な術式が刻まれている……ここでは魔法も使えないんだ。だからこそ君の存在が天の助けと思ったが……やはり転生者の君でも、ここでは打つ手がないのか……」
落胆する声を背後で聞きながら、11度目の攻撃を鉄格子に加える。
やはりびくともしない。
クソ、どうすれば……!?
その時だった。
ゴッ、ゴッ、という重いブーツの音。
暗い下水処理場の闇の中、一人の男が現れた。
星明かりよりなお青白い顔をした美男子――イルフォンスだった。
「無様だな……それでも魔剣使いか? お前の斧が泣いている……」




