3章-(7)彼女の秘密
――なんで?
「わたしは……ずっとひとりぼっちで……他に行くあてもなくって……」
涙ながらにそう語る少女。
哀れだと思った。だが……それで彼女を連れて行くかといえば、それとこれとは話は別だ。
――俺には関係ない。
「でも……」
――行く当てがないなら、どっかで見つければいいだろ? どこかで働いてもいいし、どこぞの金持ちに取り入ってもいい。俺には何もできないんだよ。
「……あなたの側がいい」
――なに……?
「少しでも恩返しがしたい……わたし、何でもする! だから……!」
必死に頭を下げる少女。
俺は歯がみし、後頭部をガリガリとかいた。どういうつもりだこいつ? 俺はお前を一度見捨ててるんだぞ……
当然ながら彼女を連れて行くわけにはいかない。この先、さっきみたいな連中に出くわすかもしれんし、ナインズとしての命令も受ける可能性がある。彼女を連れて行くのは危険だ。
第一俺には金がない。自分の暮らしすらままならない状態で、他人の面倒まで見られるかよ……
――あー、好意は嬉しいんだけどよ。
「うん……」
――俺は金がない。おまけに行く所もない。お前が付いてきても、奴隷同然の暮らしになると思うぞ?
「……行く当てがないなら、見つければいい?」
ぐ……こいつ、俺がさっき言ったことを……!
「構わない……わたし、あなたについてく!
きっと、あなたがいれば、わたし、生まれ変われると思うから!」
――だからそれは迷惑だって――
「ぜったい離れない……!」
ひし、と少女が俺の腰に手を回し、ぴったりと体を密着させてくる。
伝わる柔らかい感触と、暖かい体温――
体がこわばり、頭が真っ白になる。
……だめだ。このままの状態は……刺激が強い!
俺は強引に彼女を引っぺがした。
だが、なおも俺にひっつこうとする少女。
――もう勘弁してくれ……
「じゃあ……!」
――ついて来たいなら勝手にしろよ……
「やったっ!!」
両手を広げて大喜びする少女。
本当は歓迎できる状況じゃないんだが……しかし、満面の笑みを浮かべる少女の顔を見ていると、こちらまで無意識に笑みがこぼれてしまう。
「わたし、ミューって言う……ご主人のお名前は?」
――ごしゅ……勘弁しろよ。俺はソウジでいいから……
「ソウジ……ソウジ? うん……ふつつか者だけど、よろしくお願いします」
今度は地面にひざまづき、三つ指立てて深々とお辞儀だ。
――なんでそんな和式の挨拶知ってるんだよ!? てか、マジでやめてくれそういうの!!
「……お礼の気持ち――」
――恥ずかしいからやめろってんだよ! ため口で普通に接してくれていいから!
「それ、命令?」
ミューが小首をかしげ、反則級の上目遣いで俺を見る。
思わず目をそらした。見つめ続けたら、それこそ変な気持ちになりそうだったのだ。
――命令じゃねえよ! そういうのじゃなく、普通にしてくれていいんだ!
「そういうの、って?」
――俺はお前のご主人様じゃない。
「それは……」
――だからお前は奴隷でもない。だから……普通にしてくれていいんだよ……
ミューは目をぱちくりさせ、驚いたような顔を見せる。
そして、またも深く深く頭を下げた。
「……嬉しい。あなたに拾ってもらって本当によかった……」
――勝手に付いてきたんだろ、お前……
「うん! ついてく!!」
満点の明るい笑顔を見せるミュー。
もう、この笑顔の前には何を言っても無駄な気がしてきた。
……ていうかどうすんだよ。メシとか泊まるとことか。もう夕暮れだぞ? 今から二人分稼ぐとか……無理じゃねえのか?
「ごしゅ――ソウジ、なんだか心配事?」
――さっき言ったろ? 金がない。メシが食えない。眠る場所がみつからない……
「そっか……」
ミューはしばらく考えるような素振りを見せ、やがてぽん、と手を叩いた。
「それならアテがある! 待ってて!」
そう言うと、ミューは勢いよく坂を上り、全速力で角を曲がってどこかへ行ってしまった。
おいおい大丈夫か? さっきの3人組も近くにいるかもしれないのに。
……というか、アテってなんだよ? さっきまで奴隷だったのに、この街になんのアテがあるっていうんだ……?
不安はあるが、彼女の姿を見失った今、ここで彼女を信じて待つしかない。
俺は観念して待ち続けた……1分。2分……10分。
……さすがに待たせすぎだろ。どっかでなんかトラブルでも起こしてるんじゃねえか?
不安になり、ミューを探そうと歩き出した、その時。
「やったよ、ソウジ!!」
沈みゆく夕日をバックに、ミューが輝くような笑顔で現れる。
――なにやってたんだよ、一体。
「お店の人となんとかお話して、ご飯と宿を用意してもらえた!」
――なに……?
得意げに控えめな胸を張るミュー。
いや待て。一体どうやってそんなことができた?
よそ者というだけで頑なだったこの街の人間に、奴隷だったお前がどうやって交渉したってんだよ?
俺がそんな疑問を彼女にぶつけると、彼女は得意満面に言ってのけた。
「ツケ払い!!」
……なんだか猛烈に頭が痛くなってきた。
ようするに借金か? んで、借金返済の代わりになんかやれってのか?
俺がいない間になに勝手に約束してんだよ……!
「もうお料理を作ってるって! 早く行ってできたてを食べよう、ソウジ! 早く早くっ!!」
……ツケの支払い、皿洗いとかならいいのになあ……
ミューに背中をグイグイ押されながら、俺は本日最大級のため息を吐いた。
「んふぉいふい!!」(訳:おいしい)
――あーはいはい。
せめてツケを最低限に抑えようとする俺の気持ちを知らないのか、ミューの奴がアホのように食いまくっている。
今いる場所は宿屋。
だが、ここは元の世界のホテルのように、一階が食堂になっているタイプの宿屋だ。
泊まらない人にも開放しているので、こうして俺達は食事にありつけている。
「なんだい兄ちゃん、あんまり食ってないようだが、ウチの料理が口に合わないか?」
宿屋のオーナー兼ホール係である初老の男性が、不満そうに声を掛けた。
――いや、少しでも借金の額を抑えたいので。
「なんだ、そんなみみっちい事考えてたのか? パーっと食いな! これが最後のメシかもしれねえんだしよ!!」
――最後とはまた不吉な。
「え? ああそんなこと言ったかい? うはははは!!」
酒瓶を山のように抱えつつ、オーナーの男性は豪快に笑いながら去っていった。
「はー……食べたあ……」
魚と牡蠣のチーズ煮を綺麗に平らげ、ミューは満足げに味覚の余韻に浸る。
ちなみに俺が食っているのはサバのような魚の塩焼きとパッサパサのパン1切れだ。
……なんか節約してるのがアホらしく思えてきた。もっとカロリー高めなやつ頼めばよかったな……
「むう……ちょっと眠くなってきたかも……」
ミューが手で目をこすりだした。
――宿屋もここでツケるか?
俺がそう尋ねると、ミューは首を横に振った。
「ううん、実はもっといいとこ知ってる」
ミューは宿屋の出口まで歩き、ちょいちょいと手招き。
――どこ行こうってんだよ。
「ぐっすり眠れる、とっておきの宿屋」
ランタンが灯る夜の巷へ、蝶のようにミューが駆ける。
俺は肩を落とし、彼女の後を追っていく。
いくつもの店を通り過ぎ、楽しげに彼女は俺を誘う。
やがて静かな住宅街が現れ、彼女はそこも一気に走り抜ける。
どんどん歩く。人気のない道へ。
……一体どこまで行く気なんだ?
そもそも、奴隷だったはずの彼女が、なぜここまでこの街に詳しいのだろうか? この街に元々住んでいて、その後に奴隷にまで落ちぶれてしまったのだろうか……?
さまざまな考えがよぎり、流石に不安になってきた、そんな時だった。
「ここだよ。タダで泊まれる、オススメの場所」
街の外れにある、地下へと続く石造りの階段。
途中に鉄格子まではめられており、いかにも通り抜けるのは危なそうな場所だった。
――おい、ここに泊まるとか何の冗談だよ?
「地下だから風もこないし、暖かいよ? 中に寝るところも一応ある」
――いや、そもそもここ通り抜けできんのかよ?
俺がそう言うと、ミューは鉄格子に備え付けられた扉を開いた。
ぎい、と音を立てて簡単に開く扉。
「最初から鍵は外されてたよ。行こう?」
――本当に眠れる場所はあるんだろうな?
こくこく、とうなずくミュー。
まあ、そもそも俺は文無しなのだ。タダで寝れるなら贅沢言ってる場合じゃないよな……けど嫌だな、ここ入るの。
そんな俺の気も知らず、一人でズンズン奥へ行くミュー。
俺も覚悟を決め、彼女の後を追って石段を降りて行った。
奥へ行けば行くほど、暗闇。
壁を伝い、足下を注意深く探りながら、一歩ずつ階段を降りていく。
すると……だんだん、音が聞こえてきた。
水の音だった。
サラサラと流れる、川のせせらぎのような音。
こんな地下に川が……?
やがて階段が終わり、開けた場所に出た。
水音のする方角に目を向けると――地下とは思えぬほど、大きな湖があった。
わずかな天窓から星明かりを映し、地下の湖は黒い鏡のように静謐だ。
だが、湖に近づくと、次第に強烈な悪臭が鼻をついた。排泄物混じりの汚水のようだ……
その時。
複数の、何者かの視線。
振り返ると――俺は愕然とした。
牢屋だった。縦が3メートル、横が4、50メートル近くありそうな巨大な牢屋。
そしてその中には――ほぼ裸の状態の人達が、数多く閉じ込められていた。
……地下牢? こんな所に? ここは一体――
「そこの牢屋が、あなたの眠るところだよ、ソウジ」




