3章-(1)訪れる朝
「おはようございます!」
ユウムのはつらつとした声で、俺は目覚めた。
「起きましたか? 起きましたね! ではシーツの交換と軽いお掃除をするのでとっとと部屋から出てください! さあ早く! 仕事の邪魔です!!」
ユウムはずかずか近づき、起き上がろうとした俺ごと勢いよくシーツをまくり上げた。
ゴッ!
ベッドから床へ転げ落とされた……痛い。
だが彼女はそんな俺の様子は微塵も気にしていないように、生き生きとした様子で仕事をこなしていく。
……初めて会ったときはびくびくしてたのに、最近扱いすげえ雑だな……
「あ、そういえば」
はた、とユウムが仕事の手を止める。
「今日からお城から外へお出かけするんですよね?」
俺は床に打った頭をさすりながら、うなずいた。
「ナインズの大切なお勤めだと聞きました! 頑張ってくださいね!!」
未だぼんやりしている俺以上に、ユウムはフンフンと鼻息荒く気合いに満ちあふれていた。
そのやる気を分けてもらいたいもんだ……俺は苦笑し、「そんな大したもんじゃない」と答える。
「ご謙遜を! では、ソウジさんがいつ帰ってきてもいいように――いえ! もう二度とこのお城から出たくないと思えるくらい! このお部屋を綺麗にしてみせます!」
――いや、それは逆に問題だろう。
「お部屋のインテリアにも凝ります! テーマはズバリ『疲れた冒険者がひととき心を癒す隠れ家的オーガニック風リゾート的宿屋』っ!!」
――いやこの狭い部屋にインテリア用品とか置かれても困るんだよ。というか「的」とか「風」が多くてわけわからん。
「ぬはーっ! みなぎってきましたよ!! ソウジさんもファイトですよ!! ガンバです!!」
ガンバとかいう死語まだ使う奴いたのか。というか……城から出発する前にめちゃくちゃ疲れてきた……
……けれど、なんとなく前向きな気持ちになれるのは、彼女のおかげかもしれない。
両腕を振って全力で見送るユウムへ、俺は笑顔を浮かべて手を振り返した。
「ぬうー……」
城の中庭で、ダンウォードが不満まみれの声を吐く。
「もう約束しちゃった事でしょ? 未練ったらしいなあ」
マーリカが、あきれたようにため息をついた。
「……だがのう。たったの十五日じゃぞ? こやつを鍛えるのに使えた日数がたったの十五日……せめてあと1ヵ月もあればそれなりに育ったじゃろうて……」
げええ。1ヵ月とか勘弁してくれ。
俺は十五日前の記憶を反芻する。
『――城から出るじゃとおっ!?』
ドラ声を張り上げるダンウォードに、シュルツさんがなだめるように答える。
『ラスティナ様からの指示です。昨日、彼からの要望があり、それを認めると』
そう。あの夜、ラスティナに言った『お願い』だ。
この世界を広く見て回りたい――
ラスティナは『物好きだ』と笑ったが、俺にとってそれは重要なことだった。
……この世界にとどまり、瑞希との約束を先延ばしにする……伯爵の言い分は、正直に言って魅力的だった。
こちらの世界と元の世界では、時間の流れが違うと言っていた。つまり、俺がどれだけここにいても現実の彼女はずっと生き続けているわけだ。
だがそれは俺にとっての最良の選択。瑞希にとっては全く異なる。俺が現れるまでいつまでも待ち続け、苦しみ続けることに他ならない……
だからこそ俺は元の世界へ帰る。己のためではない、他ならぬ瑞希のため。
元の世界へ戻るためならナインズには協力する。だが、彼らナインズの行うことが本当に正しいことなのか――知らなければならない。
知ったところで、きっとやる事は……やらされる事は変わらないだろう。
だが知りたい。この世界のことを知り、己にとって本当に正しいことが何かを見極める。
……それがきっと、俺に命を預けてまでまともに生きて欲しいと願った、瑞希のためになると信じて……
『……認めぬ』
『あなたの気持ちもわかりますが……あの方の決定に逆らうと?』
『そうは言っとらん!! だが……三十、いやせめて十五日は待ってくれんか? 今のこやつをこのまま野に放してみよ。転生者どころか、その辺の魔獣のエサになるのがオチぞ!?』
『……一理ありますね』
うなずくシュルツさん。え? いやちょっと待て!
『ええ。“いつ外に出るか”といった期日は明言されなかったようですし? 多少日数がズレたとしても約束を破った事にはならないでしょう』
――ふ、ふざけるな! そんな横暴通るとでも――
『ハハハ! ツメが甘かったのうソウジ!! 時間の猶予はない! 今日からみっちりしごいてやるゆえ、ありがたく思え! まともにメシや睡眠が取れると思うでないぞ!!』
――せ、責任者を呼んでくれ! パワハラと労働基準法違反とついでに未成年虐待で訴えてやる!
『グハハ! 泣け! 叫べい!! いずれそれすら満足にできぬようになるわ!! グハハハハハハハハ! グワッハハハハハハハハ!!』
地獄の悪鬼のような笑い声をした悪魔に拉致られ、それから俺は丸々十五日間、大阿修羅ダンウォードの元でリアルな地獄を見た。
……十五日でも永遠に続くかと思えたのに、1ヵ月? 余裕で死ねるわ。アホか。
「まあでも? 腐っても転生者だろソウジは? ちょっと鍛えただけでもそれなりに仕上がったんじゃないか?」
死の瀬戸際にいるかもしれない俺をよそに、ネロシスは軽い口調で尋ねる。
「まあのう……初めはそこらの小僧程度のナマクラじゃったが、鍛えればこちらの予想以上に伸びよる。だんだんワシが楽しくなってなあ、メシや睡眠を与えることもしょっちゅう忘れてしもうた! ブハハハ!」
――笑いごとじゃねえんだよクソジジイ……
「ふーん。んじゃ、一応基本はたたき込む事はできたってこと?」
「まあ……及第点じゃのう。まだまだ教えることは多いんじゃが……」
「基本ができてるなら大丈夫っしょ。後は実戦で覚えればいいんだしさ」
……初めてかもしれない。マーリカに感謝を覚えたのは。
まあ、実戦で覚えろという意見には賛成しかねるな。戦わないことに越したことはない。
「ぬうー……」
まだなんかゴネそうなダンウォードの気配を感じ、俺は話題を変えた。
――中庭で待てってシュルツさんに言われたんだが、なんでここで待つ必要があるんだ? あの門から出れば外に出られるんだろ?
「ざーんねん。この城って周囲が崖っぷちで絶海の孤島状態だから。あそこから出ても崖から落ちるだけよ?」
――じゃあどうやって出ればいいんだよ?
「まあそう焦るでない……お、来よったか」
空を仰ぐダンウォード。
すると――上空から、ばさりと人影が舞い降りた。
「――ナインズ麾下、“朔夜隊”飛空団団長レイザ。ただ今参上いたしました……皆様を待たせたことをお詫びいたします」




