1章-(1)生まれ変わりは贄として
暗闇をどこまでも落ちていた。
いつまでも。どこまでも。
深く。暗く。果てしなく。
……死ぬのか? 俺は?
いやだめだ。まだ死ねない。死ぬわけにはいかない。
あいつとの約束を――最初で最後の約束を――
――――瑞希!!
突如、目の前に光が現れた。
……いや違う。自分自身の叫び声で跳ね起きたのだ。
はた、と地面に手をついているこの状況に気がついた。
……ここは……どこだ?
壁に立て掛けられた松明がパチパチとオレンジ色に燃える。
冷たいレンガ造りの床。錆び付いた鉄格子。
このカビ臭く底冷えする空気……牢屋、なのか?
なぜ牢屋に……?
そもそも俺は何を……?
――――っっ!!
一瞬で記憶が呼び起こされた。
彼女と出会ったこと。
彼女とあの工事現場で過ごしたこと。
あの海で約束したこと。
病気。余命幾ばくもない事。最後の約束。
……別れを告げに彼女のいる夜の病院に忍び込み、そして。
果てなく落ちる暗闇――――
「気がついた?」
呆気にとられるほど朗らかな声がした。
殺伐とした暗い牢屋にやけに明るい少女の声。
――ええ、と?
「あたしはマーリカ。あなたの部屋のお隣さん」
声のする方角を見ると壁の一ヵ所に5センチほどの小さな穴が開いていた。
薄暗い牢屋のさらに深い闇からまたあの明るい声が聞こえた。
「ね。あなたって、“転生者”だよね?」
――は?
「こことは違う別の世界へ来た人でしょ?」
――違う? セカイ……?
「なんで自分がここにいるのか、あなたわかる?」
――いや?
「気がついたらここにいた? 気がついたらよくわからない牢屋にいた?」
――ああ。
「じゃあ、実際どう? この牢屋の中を見て、どう思った?」
――どう? って……いや、古くさい所だな、と。
「ふんふん」
――レンガ作りの牢屋に松明って……中世ヨーロッパじゃあるまいし……
「チュウセイ? ヨーロッパ?」
――は?
「別の世界のこと言われたってわかんないよ?」
――別の……ちょっと待て。
「うん、だからね? ここは、あなたの知ってる世界じゃないの」
――よくわからない冗談だ。
俺がそう返答すると――
ゴン!!
と、鉄合子を蹴るけたたましい音が響いた。
「さっきから貴様あ! なにを一人でしゃべっとる!?」
見れば、白ヒゲをたくわえた鎧甲冑の大男が鉄格子に足をかけていた。先ほどの音はこいつか。
しかし――あまりにもファンタジーじみた鎧姿。冗談みたいな素っ頓狂な姿に俺は思わず呆気にとられた。
「ああ? なんじゃ貴様、ワシに言いたいことがあるようだなあ?」
……なんだこれ。なんだこの状況?
なんの冗談だ? 映画? テレビ番組か何かか? 夢……幻覚……統合失調……?
「なああにジロジロ見とる貴様あ!」
ヒゲの大男がまた牢屋を蹴った。轟音とともに、ぐに、と若干曲がる鉄格子。
……マジか?
サッと鉄格子に触ると恐ろしく頑丈な手応えがあった。鋼鉄でできているのだろう……それを一蹴りで? レスラーでもこんな芸当無理じゃないか……?
「チッ、気色の悪い奴よ……『贄』とはいえ、これ以上騒げば命は保証せんぞ!」
ガチリガチリと鎧をならしながら、ヒゲの大男は立ち去った。
俺は唖然とするほかなかった。
なんだあいつ?
なんなんだここは?
「ヤダかわいそう。やっぱり『贄』にされるんだ、あなた」
――は? にえ……?
「うん。生贄。転生者は極上の生贄になるの。勉強になった?」
――いけにえ? ……生贄……!?
「じゃあ、もう一度言うよ」
一呼吸置き、マーリカが冷たく言い放つ。
「ここはあなたの知る世界じゃない。あなたは別の世界から来た転生者だよ」
別の世界。
その言葉がようやくこの奇妙な現実感と合致した。
――別の世界……転生者……?
「んー、転生っていうとやっぱり語弊があるのかな? 別の世界からこの世界に来るとき、体の組成全てが分解・再構成されるから、一応あなた一度死んでるんだけどね?」
ピンぼけしたセリフをぶつぶつ呟くマーリカ。
――ちょっと待ってくれ。別の世界……っていうとあれか?
「あなたの言う『アレ』は知らないけど、あなたの住んでいた世界ではないよ?」
――冗談……
「冗談でもなんでもないけど?」
――は? 別の世界? 異世界? 思い切り日本語しゃべってて何を……
「ニホンゴってなに? あなたの世界の言葉かな? でもあなた、今すごく流暢にシアル語しゃべってるけどわかってる?」
――シア……?
「この世界の公共語なんだけど……わかんないよね? じゃあさ、あなた今、自分の名前書いてみてよ。その辺に石っころ落ちてるでしょ? レンガひっかいてさ、書いてよ」
……俺は言われた通り石で自分の名前を書いてみた。
状況に流されながら、馬鹿馬鹿しいと思いながら……
だが。
なんだこれ。
何語だ、これ。
……俺は日本語で書いたはずだ。なのに……書き上げてみれば三本の縦線と点で構成された、奇妙な図形が描かれていた。
文字というよりは楽譜に近い。右端の点が母音、線の間や上に打たれた点が子音という極めてシンプルな文字。……なぜ、こんな文字を俺は読める?
「へ~。シダ? シダ・ソウジ? それがあなたの名前なんだ?」
興味深そうにマーリカがそう言った。
……幻覚。妄想。
そういえばさっき高い所から落ちたような。俺、頭を――
「殊勝だなあ。転生者ってさ、みんなここに来たとき、真っ先に自分の頭がイカレたって思い込むんだよねえ……自分以外よりも自分自身を疑うなんて、そっちの方が狂った思考だって思わない?」
――何を言ってるんだ……?
「ん、こっち側の話。生きてた世界が違うんだから仕方ないけどさ……で、どうするの?」
――どうするとは?
「ここにずっといる?」
――いや……
「出たい? どうしても出たい? 命がけで?」
――いや、なぜ命をかけないといけないんだ?
「だってさ? ここにいたら、あなた間違いなく死ぬよ?」
――は?
「だからさ? あなた『贄』だからさ? 生きたまま魔法の材料にされちゃうの。材料にされたら、死ぬの。OK?」
――は?
「自分の頭がイカレたってまだ思ってる?」
…………。
俺はもう一度自分の名前を書いてみた。
やはり訳のわからない文字になった。この醒めた感覚は断じて夢ではない。
ならば――やはり幻覚。妄想……
「じゃあ、そのままここで死ねば?」
――なに……?
「本気で自分の頭がイカレたって思うなら死ねばいいじゃん。生きてたって仕方ないでしょ? イカレてんだからさ。ここに残って死ねばいいよ」
…………。
「じゃね。ソウジ。それじゃあ、あたしは一人でここから出ることにするから。あなたに会えてよかったよ。いい暇つぶしになった」
……待て。
「ん? なんか言った?」
……出してくれ。
「聞こえないんだけど?」
――俺をここから出してくれ。
「……聞こえない」
――出してくれ!!
自分でも驚くほど大声でそう叫んでいた。
……いや、そうだ。夢でも幻覚でも妄想でもなんでもいい。
俺はこんな所で時間を食うわけにはいかない。
……時間が。時間がないんだ。俺にも。あいつにも――瑞希!
――出してくれ! 俺を元の場所に帰してくれ!!
「貴様あ! やかましいと言ったのがわからんかあ!!」
ガチンガチンとあの大男の鎧の音が近づく。
まずい。クソ、何してんだ俺は……!
思わず身構えると、壁の穴からクスクスと鈴の転がるような笑い声。
「いいよ。ソウジも出してあげる。一緒に行こ?」
ぎい、という耳障りな金属音。隣の牢屋の扉が開いた音だ。
「ぬ!? 貴様いつのまに鍵を――ぬおっ!?」
ヒゲの大男が飛び退くと同時に俺の牢屋の格子がスッパリと切り裂かれた。
ガラガラと崩れる鉄格子。同時に小柄な人影が現れる。
「お待たせ、ソウジ」
藍色のボブカット。純白のワンピース。ところどころに巻かれた痛々しい包帯。
華奢な外見に似合わない毒を含むような笑み。
彼女が、マーリカだ。