0章-(5)夜に沈む海
――どこに行くんだ?
「港のほう。ついて来て」
スマホの画面を見ながら、冷たい表情で先導する瑞希。
俺は一輪車を立たせて、彼女の後をついていく。
夜の街並み。
湿気をはらむぬるい風が頬をなでる。
彼女は大通りを避け、街灯の少ない暗い道を選びながら歩いているようだ。
虫の声。二人の足音。ギイギイと鳴る一輪車の音。
沈黙。
――なにが、あったんだ?
耐えきれず、俺は、そう瑞希に問うた。
「覚えてない?」
――ところどころ、記憶が……
「そうなんだ……無理ないかもね」
沈黙。
そして。
「……キミがブロックを振り下ろした時、ほかの二人はびっくりして逃げちゃったんだよ。
止めようとしたみたいだけど、キミの顔を見た瞬間、逃げてった。手を出したら殺されると思ったんじゃないかな?」
――そうか……やっぱり俺が……
「もしかして、自分の意思とは違うのにやっちゃったの?」
俺は、素直にうなずいた。
「……」
瑞希はしばらく考えるようにうつむき、やがて口を開く。
「キミは、やっぱり普通の人とは違うんだね」
え? と俺が聞き返す。だけど構わず瑞希は続ける。
「……これだけは気をつけて、総慈くん。
もし、キミに近づく人がいたら、好意を持つ人が現れたら。それはきっと……キミを利用しようとする悪い人……
キミは他の人とは違う。だから他の人より……慎重に」
――何の話だ?
「これからの話だよ」
やがて――俺達の進む道の先に、月が現れた。
潮の香り。チャプリチャプリと水の音。
いつの間にか、海の近くまで来ていたようだ。
車道の反対側を渡ると、夜の黒い海と無数のテトラポットが見える。
汗ばみながら、重い一輪車を押し、街灯の少ない車道沿いをしばらく歩く。
「――うん、この辺でいいかな」
瑞希が立ち止まる。そして、すぐ左側の海の方角へ指をさす。
「それ、落とそう。下に」
俺は瑞希と一緒に麻袋に包まれた胴体を持ち上げ、海へと落とした。
ドボン、という重さのある音と共に、水しぶきが大きく跳ねた。
「……ここさ。潮の流れが速いんだ」
呟くように、瑞希。
「流れに乗れば、沖のほうに流される。そうしたら、見つかりにくくなるから」
…………
落とした場所からは、まだ無数の泡が立っていた。
「洋服は燃えるゴミと一緒に捨ててね。キミが着ている服も一緒に捨てて。不透明なレジ袋に入れれば大丈夫」
――これで、もう大丈夫……なのか?
俺が尋ねると、瑞希は、ゆっくりと首を横に振った。
「無理だよ。沖に流れたとしても、漁師の船に見つかる可能性がある。工事現場も、完全に証拠隠滅できたとはいえない。
なにより目撃者が二人いる。今はわたしをレイプしかけたことがバレるから黙ってると思う。でも、しばらくすると死んだお友達の両親が安否を尋ねてきたりするし、学校でも話題になる。だんだん黙っていることに罪の意識が芽生えてきて……証言しだすと思う」
冷静に、淡々と瑞希が説明する。
「せいぜい3~5日くらいが限界かな」と彼女は付け加えた。
証言で殺人の可能性が出てくれば、警察も本気で取りかかるのだと。そうなれば、俺達のお粗末な証拠隠滅程度では隠し通すことはできない、と。
――どうせ捕まるのか。なら、いっそ自白したほうが良いのか……? いや待て、なら証拠隠滅したのは逆効果じゃないのか? 隠し通せないと知ってるなら、どうして……?
俺が尋ねると、瑞希はぽつりと呟く。
「時間稼ぎだよ。その間に、キミは逃げたらいい」
――逃げる……なら瑞希は……?
「わたしは、無理かな……」
乾いた笑み。
まるで、全てを諦めてしまったような、笑顔。
――無理、というのは……?
「見たでしょ? わたしの髪」
……確かに見た。彼女の美しい髪は作りもの。あれは――
「ガンなんだってさ。進行性の」
……ガン?
進行性の癌?
なにを……待て、ガンだというなら……彼女の髪は、抗がん治療による……?
「無理なんだ。この土地を離れるのは。病気以前にそんな体力もなくって……ここに来るのもけっこうキツくてさ……」
確かに彼女は肌の色も白く、体力があるようには見えない。
だけど、これまで元気な姿で登校していたのに……本当に……?
「最近、調子よくってさ。だから、最後に普通に学校に行きたくて。無理言って登校したの。
……もう、治療もしてなくて。痛み止めだけ」
――待て。待ってくれ。最後……って……?
「思い出づくり、ってやつかな」
また、笑う。
早世子さんのように、悲しく。
「わたしの噂、聞いたことある? ひどいいわれようでしょ? でも全部本当。
本当に……自分でもあきれる。両親が高いお金払って、必死にわたしの治療費出してくれて、友達もみんなわたしを応援してくれて……治ったと思ったのよ? ガンが消えたって聞いてさ。本当に嬉しかった。
――再発だってさ。いくつも転移してて、進行も早い。治療もできない……なんて」
…………
「どうせ死ぬならパーッと遊んでやろうと思ってさ。今までの自分とは真逆のことをしてみたの。
悪そうな奴とつるんでさ、オジサン相手にお金作って、酒を飲んだりたばこを吸ったり、妙な薬も試したこともあったかな。
……虚しいだけだった。好きでもない人と会うのはつらくて、お酒もたばこも不味くて。勧められた薬で何度も吐いた。病気のせいなのかなんなのかもわからないくらい気持ち悪くて何度も何度も吐いてた記憶しかない」
――瑞希……もう……
「おかしいよね? いよいよって時に、外に出る最後のチャンスだって時に、わたし『普通に学校行きたい』って言ったのよ? 笑っちゃう……何を今さら、ってさ……
未練がましいよね? 今さら真面目ぶっちゃってさ。時間も残されてないのに、なにやってんだろって……
そんな時だったよ。総慈くんを見つけたのは」
瑞希が、笑う。
だけどその笑顔は――優しい顔に、見えた。
「第一印象は、とんでもない変人。
いっつも一人だし、むすっとしてるし、しまいには校庭で木に寄りかかって休んでて、『アンタは何時代の人間なんだ!』って内心馬鹿にしてたんだ……あ、ゴメンね?
でもそう。キミに話かけたのも、『こんないつもひとりぼっちな変人よりも、まだわたしのほうがマシな人生送ってる』っていう優越感に浸りたかった……かもしれない。
でもさ。話してみると……また印象が変わったんだ。『とんでもない変人』から、『とんでもない不器用』にさ」
クスクス、と楽しげに、瑞希が笑っている。
「話してる内容もどこかズレててさ。会話のキャッチボールも続かなくて。
でも、いつも必死になって会話を続けようとしてくれてるのがおかしくて。ちょっとした冗談でもマジに受け取るし、すぐ傷つくし、『ウソウソ』って言ったらすぐ立ち直るし……なんか、(子供だなぁ)って思ったし、(わたしみたいなのがいないとダメなんだろなぁ)って、思ったかな」
――子供……
「ほら傷ついた! ウソだって、ウソウソ!」
あはは、と瑞希は無邪気な笑い声を上げた。
けれど――楽しげな笑顔はすぐにしぼんでしまった。
「そんなキミだから、生きてほしいのかもしれない。
わたしの分まで生きて欲しいと思った。でも――今のキミはすごく不安定だから。
たぶんキミは自分の感情を制御できないんだと思う。キミは純粋で――純粋すぎて、感情を抑えたり、受け流したり、ごまかしたりができない。だから突き詰めすぎて、行っちゃいけない場所にまで行ってしまう」
それは……
「逃げて。総慈くん……キミはもう一度やり直して。
キミみたいな人は、一度型をはめられるとそこから変わることができない……【人殺し】なんて型をはめられたら……二度と」
だが……それは……!
「わたしはキミに変わって欲しい。キミはまだ変われると思ってる……いけない事だってことはわかってる。でもこのままじゃ、キミはもう――」
――もう、会えないのか?




