18章-(2)
あのフロイア聖教の神父がこの街に現れたのはつい最近だ。
丸メガネとあごヒゲが特徴的な神父は、ふらりとこの街に現れると食い詰めた者達へ無償で食事を配給し始めた。
教会なら慈善活動をしていてもおかしくないと思うだろうか? しかしあの男は教会が敵視する俺達魔人にも分け隔てなく食事を提供している。
……ありえない。何か、裏でもあるんじゃないだろうか? そう訝しんだが、理由はすぐに判明した。
彼は教会の命を受け、“ヒールタブ”の製造を任されていた。
ヒールタブは摂取すると怪我や病をたちどころに回復してくれる薬だ。
まるで魔法のような効果をもたらす薬。むろんそれは薬学による産物ではない。ヒールタブもまた魔法によって作られる。
彼は無償で食事を提供しながら注意深く見定めていた……ヒールタブを作れる人員、魔法の才を持つ住人を。
キアラの前に頻繁に現れる理由は――
「わたしには才能があるって言ってた。温かい部屋と洋服とおいしいご飯をあげるから、ヒールタブを作る仕事をしてほしい、って……」
キアラの才能は本物だ。このガラス細工も彼女が魔法で作ったものだ。誰か師がいたわけでもなく独学でこれだけのものを作れるのは並大抵のことではない、とあの神父も言っていた。
……親を亡くし仕事もなく、こんな寒空の下で粗末な露店を開くような生活より、あの神父の下で働いたほうがよっぽどいい暮らしができるだろう。
神父の話に乗るのは悪くないと思っていたが、なぜかキアラはそれを拒み続けていた。
「わたしにそんな資格はないよ……ヒールタブなんてこの国にとって大事なものを作る仕事なんて……温かい部屋も食事も、わたしなんかに……」
理由はそんなことか。
全盲で仕事に就けず、通りがかった連中からの寄付や配給された食事で暮らしている自分に、どうやら彼女は負い目と劣等感を覚えていたのかもしれない。
両肩を抱きうつむく彼女に、俺はやさしく肩を叩いてやった。
「資格なんて必要ねえよ。頼られてるんだぜお前は? 応えることは何も悪くない。堂々と行けよ」
「……でもわたしは何の役にも立たないから……わたしなんか……」
俺は彼女の肩に乗せた手にぐっと力を込め、卑屈の殻に閉じこもる彼女へ強く、呼びかけた。
「だからこれからみんなの役に立つ仕事に就くってんだろ? 胸張れよ、俺なんかには到底マネできない立派な仕事だ。今がダメだからってそれがどうした? これからだろう? 大事なのは!」
「…………」
俺は手を離し、全盲の彼女には見えないだろうが、満面の笑みを浮かべてやる。
「知ってるだろ? この街のことを。純人類も俺みたいな魔人も一緒に暮らして、一緒に汗を流して働いてる。立場や身分なんざ関係ないさ。
平等なんだ。俺もお前もみんな平等なんだ。しっかり働くお前を咎めるやつなんざこの街にいねえよ」
「……平等?」
キアラは両目を閉じたまま、ゆっくりと俺へと顔を向ける。
その表情は……まるで天使でも目の前に現れてくれたかのように、心の底から希望を溢れさせるような顔だった。
「平等さ。魔人の俺も、目の見えないお前も、みんな同じ、な」
実際は平等などという言葉とはほど遠い扱いだ。けれど……目の見えない彼女には、こんな汚い世界を一度も見ていない彼女には……せめて希望を見せてあげたかった。
「ありがとう……わたしもいいんだ……こんなわたしでも……何で泣いてるの?」
「バッ、な、泣いてねえよ! 全く少し優しくするとこれだ!」
「優しくしてくれるならもっと買って欲しいんだけど」
「俺の狭い部屋にこれ以上お前の作品置けねえよ! 金にも余裕はねえんだ、これ以上優しくできるか!」
「優しさには限度があるんだね……世知辛い」
「それより神父の仕事をすれば金もたんまりもらえるだろ? 優しくされたら優しさを返すのが道理だ。だからちょっと俺にも今までのお礼、とか……」
「……最低。照れ隠しの冗談だとしたらもっと最悪」
「……やっぱお前にゃ勝てねえなあ」
冷たい雨は変わらず振り続ける。暗く冷たい街の隅っこで、それでも俺達は笑い合った。
それから3日が経ったころ、彼女が神父の元へ行ったことを知る。
いつもの潰れたパン屋の前に彼女の姿はなかった。
しかし俺はそこを通るたび、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
お互い仕事があるから今まで通り会えない。だけどここにいないということは、あの神父の元で張り切って仕事をしてる証だ。
道の端っこでボロボロの露店を開いていたあの子がなあ……懸命に働いている彼女の姿を想像するたび、誇らしい気持ちになるのだ。
頑張れよ。俺もふんばり続けるからよ。
潰れたパン屋の前を通り過ぎるたび、心の中でいない彼女へエールを送った。
それから一月くらいたったある日。
いつものように玄関のギイギイ喚くオンボロ扉を開けると……足下に1枚の木板。それから透明な小瓶が一つ、ちょこんと置かれていた。
木板の差出人はあのキアラだった。神父の元で魔法の研鑽を積んだこと。同じような境遇の仲間達と打ち解けてきたこと。今ではヒールタブを作るメンバーの1人になれたこと、などが書かれていた。
小さな木板に入りきらないほど書かれていて、俺は思わず吹き出してしまった。
元気にやってるみたいだな……
ふと小瓶を取り上げてみると、俺は愕然とした。
小瓶の底に……小さな淡い緑の錠剤が一粒。
これは、まさか……!
(追伸――1つだけなんだけど、わたしが作ったタブを贈るね。わたしを変えてくれたあなたへの心からのお返し。あなたの人生が変わるきっかけになると嬉しい――親愛なるシンガへ)
ヒールタブだ……! 間違いない!!
これで治せる。妹の、アトナの病を。
そう思った時――肺の奥から強烈な痛みが広がる。
「ゴホッ!! ゴフッッ!!」
何度もせき込み思わず玄関の前で膝をつく。だがヒールタブは落とさない。大切に両手で握り込みながら喉がヒリつくまでせき込んだ。
……そろそろ俺の体も限界なのかもしれない。もはやこの街から離れたとしても、一生こんな風にせき込み続けるのだろう。
ヒールタブを……飲めばたちどころに治るだろう……
――馬鹿な、何考えてんだ俺は!
せきが収まると、俺は一瞬でもそんな風に思った俺の弱気を幾度となく罵った。
俺が飲んでどうする? 妹を置いて気楽に楽しく生きられるとでも?
それができねえから……こんなクソッタレな街まで出稼ぎに来てんだろうが……!
「恩に着るぜキアラ……お前は俺の、俺達の恩人だ……!」
妹のやつが治ったら、今度は一緒にこの街に来よう。そしてあいつに心から礼を言うんだ……ヒールタブ作りは忙しいだろうが、あの神父ならきっと会わせてくれるはずさ。
着替えもせず、はやる気持ちを抑えられず、俺は財布と小瓶だけを持って朝一番に郵便局へとかけこんだ。
ヒールタブを送ったその日の内に、俺は職場の監督官へ辞めることを伝えた。新しい人員を補充するまで待てと言われたが、俺はそれをちっとも悪く思わなかった。
毎日重い足取りで炭鉱へ向かっていたが、それがウソのように軽い。目の前に希望が見えていたからだ。暗い暗い穴底のような俺の人生にまばゆい光が差し込んだ。
出口だ。俺はもうすぐこの炭鉱から解放されるんだ。
毎日朝起きては返信の木板が届いていないかを確認した。
(お薬のおかげで治ったよお兄ちゃん!)
(もう1人で歩ける! 昔みたいにクルミ拾いにも行けるんだよ!)
そんな返信が届くことを今か今かと待ち続けていた。
そして――ついに故郷から返信の木板が俺の元に届いた。
内容は。
訃報……だった。




