17章-(3)
ジレドと下弦国ミレンジアの国境線の近くにあるのが、このジャンデの街だ。
他国と国境を接しているというのだから、厳めしい外壁に囲まれた街かと思えば……外縁部に広い畑を有する農業都市であった。
雪に覆われた畑で何が採れるのだろうか。遠くを見ると、畑にデカいモヤシのようなものがいくつも生えており、それを農家らしき男がナタで手際よく採取していた。
あれが特産品だとしたら、ここでの夕食はあんまり期待できそうにないな……などと考えていると。
「く、く、く、クサいっ! クサイですよこの街ぃっ!!」
ウェンディが鼻をつまみ耐えかねた様子で絶叫。
「あれだ! この周りにある家に建てられた煙突! あそこからクッサイクッサイ蒸気がうっすら出てますよ! わたし人より鼻がすっごい利くからわかるんですよ!!」
いやお前じゃなくてもそれは感じていたが。
……この街に入った時から感じていた。肥だめのようなスカ臭となにか糖蜜のような甘ったるい匂いが混じったような独特の臭気……
ウェンディとセイが口やら鼻やらを押さえてしかめっ面をしている中、オバアに化けたマーリカが物知り顔で解説。
「“マニュアピラー”じゃろ? 床下の土にフンとか色々混ぜて、肥料にする時に出る熱で暖を取ってるんだそうな。この街の名物みたいなもんじゃ」
――じゃろってお前口調まですでにオバアかよ。というより肥料にする時の熱……?
「そうじゃ。肥料を発酵させている間、なぜかその土が熱くなることがあっての。で、陶磁器の筒を差して部屋の中に熱が届くようにしたわけよ。暖も取れて肥料も採れて一石二鳥。ただし街中が死ぬほどクサくなったがのぉ。ふぉっふぉ」
そういや、おがくずとかも発酵するとめちゃくちゃ熱くなるっていう話を聞いたことがある。発酵で現れた熱で暖を取る……一瞬賢いやり方かと思ったが、この臭いと四六時中付き合うと考えるとやっぱないな。
「……周りの商店もほどほどに活気がある。おしゃべりな客として情報を集めよう」
「承知しましたケイン様。それでは皆様、失礼いたします」
ヨルトさんは俺達に一礼し、一人で店へ向かうケインさんへと駆け足で付いていった。
おしゃべりな客……あの陰気な感じでおしゃべりとか、ちょっと想像できないな……
などと考えていると、不意に後ろから声。
「いやあどうもどうも。まいどまいど。そちらのご婦人、見たところ魔法にはお詳しそうですが?」
ニコニコと薄っぺらい笑みを浮かべる30代くらいの男。彼が話しかけたのはオバアに扮したマーリカだ。
「ああわた――ワシか? そういうお前さんは魔法使いの扱いに詳しそうだの?」
「“扱い”だなんて滅相もない……私はただの単なる商人ですよ。そう、魔法使いの方々が好みそうなものを主に扱っております」
魔法使いが最も欲しがるもの。
それは“贄”に他ならない。魔法は種類や規模によらず、使えば必ず副作用が発生する。
贄はそんな魔法の副作用を受け止めさせるための身代わり。この男、魔法使い用の贄を取り扱っているのか。
「そうじゃの、“シュジュフの第三頭骨”のストックが少々心許ない。扱っておるか?」
「だ、第三頭骨ですか……あいにくウチのような小さい店では……ですが、それより上等な贄を先日入荷しておりまして……」
ニヤリと商人の男が笑う。どうやら俺達に話しかけたのはその「本命」のものを売りつけるためのようだ。
「今や禁制品……ここだけの話ですよ? 実は……転生者の肉の一部を入荷しておりまして……」
――なに……!
こいつ……今、転生者の肉体の一部を入荷したと言ったか? 魔法の生贄として、俺と同じ転生者の……!
「お、おや、どうしたのかなボク? びっくりさせたかもしれないけどあんまり大きい声は……」
「すまんの。孫が取り乱すのも無理はない……ワシらは転生者とだいぶ近い間柄だしのう」
「え、て、転――も、申し訳ございません! で、ですがこのことはご内密に! 私は“転生者狩り”とは何の関わりもない! ぐ、偶然手に入れただけで――それではっ!!」
商人の男はひきつった笑みと脂汗を大量に掻きながら、脱兎がごとく速度で逃げ出してしまった。
――どういう事だ。転生者の一部……!? 生贄として転生者が……!?
「あれ? 最初に会った時に言わなかったかしら?」
くくく、とマーリカが邪悪に笑う
「“転生者は極上の生贄になる”ってさ。魔法の贄の中でも転生者の血肉は別格。見習いレベルのど素人でも転生者の血肉さえあれば、副作用なんてほぼ受けずに大魔法放てるくらいの代物だからね。
魔法使い達にとって垂涎の的ってことよ」
――その血肉はどこから手に入れる!? “転生者狩り”とか言ってたが……!?
「カッカしないでよ可愛いなあ……転生者狩り。ま、呼んで字のごとく転生者を狩って金を稼いでる連中のことよ」
――転生者を……だが、この世界にとって転生者ってのは……
「常軌を逸した力を有する畏怖の存在。とはいえ、手段を問わなければ討ち取る手段はいくつもある。よ~く知ってるでしょ?」
……文字通り寝首を掻く、食事に毒を盛る、不意打ち。騙し討ち……単純な勝負ではなく、殺す事を目的とするならば、異世界人でも転生者は殺せる。これまでの旅でそれはよく学んだ。
しかし、生活の糧として、俺達転生者を狙っている奴らがいるというのは流石に初耳だ。
「今は六大国の方針で転生者は手厚く保護するよう言われてるけどね。ほんの14、5年前くらいはちょっとした産業だったのよ? 転生者狩りってね」
マーリカは邪悪な老婆の姿で平然とおぞましき話を続ける。
「昔はね。大きな“転生者狩りギルド”なんてものがあったのよ。狩る方法は籠絡する今のやり方とほぼ同じ。親切な友人、村人面して毒を盛る、または美女や美男をあてがって油断した所を狩る、ってのがポピュラーな方法かな。
この世界に来て右も左も分からない転生者は格好の餌食。運良く逃れた転生者も、ギルドの連中は執拗に追う。人間不信になり人のいない廃屋に立てこもる転生者には、あえて近づかずに痕跡を残すの。気が緩み魔術障壁が薄くなったタイミングであえて大きな物音を立てる……それを数ヶ月、長いと数年単位で繰り返し仕掛けるのよ。
どれだけ強大な力を持っていても、孤独な状況で執拗に精神的な責めを受けていけば、やがて心が壊れる。魔法は精神力に依存する。心の壊れた転生者なんて魔獣より容易く狩れるからね」
…………
俺の元いた世界、現代でも、人間の体を取引材料とする事例は数多くある。
先進国で秘密裏に行われる人身売買。途上国ともなると、呪術の材料として未だに使用されることがあると聞く。この中世丸出しの異世界でも当然のように人が狩られるのだろう。
しかし…………
「9回目の新月が近づき、異世界征伐やら魔王軍の相手やらで戦力が必要になった六大国は、転生者を懐柔するためまず自分たちの世界をクリーンにすることにした。
異世界転生者達に安心してこちらへ帰属してもらうため、都合の悪い転生者狩り達を次々捕らえ、急場でこしらえた法案で次々に死罪を言い渡す。
やがて六大国の統合軍を差し向けられ、ギルドは抵抗虚しく壊滅。ギルド長を断頭台送りにして終焉を迎えた……はずだったんだけどねえ。
需要があれば無断で供給する輩は必ず出てくる。ギルドの残党なのか新しく稼業を始めた輩かは知らないけど、秘密裏にまだやってる奴いるみたいね。転生者狩りを」
…………
……不意に。昼頃に海賊船の上で、ケインさんと交した会話が蘇った。
『お前は何を言っている? これは、戦争だぞ?』
あの時俺は、無関係なジレドの人々が理不尽に巻き込まれることを非難した。
しかし、この世界の人々はこの世界に転移させられた俺達転生者を、一方的に理不尽に殺傷していた……直接手を下してなかろうと、見て見ぬフリをしていたのだ。
一大産業となっていたと言ったマーリカの言葉が正しいならば、きっとこの世界の連中の大多数は俺達が狩られる現状を批判せず、疑問すら持たず、鳥やイノシシ同様に狩り市場に並べていた。
新鮮な牛や豚の肉を並べるような感覚で、贄として転生者の遺体を並べる店。それを平然とした顔で見るこの世界の人々。
…………少しだけ、この世界の連中を見捨ててしまっても良い気がした。
だがわかっている。そんな狭い視野で判断していい訳がない。
過去転生者が犠牲になったからといって、それらの問題と何の関係もない人々が犠牲になっていいわけがない。“怒り”に惑わされるな。頭を常に冷やし常に全体を見渡し、行く末を見据えなければ。
……この判断は正しいはずだ。俺は冷静に己の行く道にスジを通しているはずだ。
しかし……自分の中に確証がない。見知らぬ街に突然放り出されたような不安感と心細さ。俺は、本当に……
「ええっと~、話してることよくわかんないですし、何やら重苦しい? 感じの雰囲気のところ申し訳ナッシングなのですが~……この後、どうするんでしたっけ?」
ウェンディが申し訳なさゼロのヘラヘラした様子で話しかけてきた。もうほんとヤダこいつ。
「ひとまず夜まで待機ね。あたし達もその辺の店巡って時間潰そっか」
そう答えるマーリカに、俺はなぜ夜まで待つのかを尋ねる。
「言ってなかった? ここの領主が庭園で茶会やるんだってさ。しかも夜にね。月とお花を愛でるそれはそれは優雅な会。そこにあたし達にコンタクトを取った奴がいる」
……貴族のお遊びかなにかだろうか。だが、そこに俺達と接触を望んだ奴がいるとなれば、そいつもそれなりの身分なのだろう。
社会勉強でもしろとラスティナは言っていた。歪んだ世界。歪んだ倫理観の人々の上に立つ貴族。
果たしてどんな奴なのか……ほんの少しだけ、好奇心が頭をもたげた。




