16章-(5)
午後9時。満天の星空の下、俺は松明の明かりの下にいる人影へと近づいた。
「来たか」
夜陰に沈む周囲より更に黒いローブを羽織るケインさん。長身長髪の彼の姿はまるで伸びる影が具現化したかのようでもあった。
その隣には――
「どうも」
丸めがねと尖った耳が印象的な女性、ヨルトさん。
伯爵の城でケインさんの部屋の前で一度会ったことがある。ケインさんの補佐をしている女性だ。
俺はヨルトさんに軽く会釈した後、ケインさんに尋ねる。
――話があるからと呼ばれて来ましたが、作戦の話ですか?
「……ああ。あれを見よ」
高台である岩場から下を覗くと、松明の明かりが列をなして動いている。よく見ると何か大きな木材のようなものを運んでいる。
あれは……投石器か? 村の男達が運搬可能な大きさまで分解して運んでいるようだ。
「北東に投石器1台とバリスタを3台設置する。残りは本隊が訪れるであろう海岸に向けて設置する」
――海軍の先遣隊が来るっていう北西には……?
「不要だ。あそこには朔夜隊の兵を派遣する」
朔夜隊……確か、同じ伯爵の城で捕らわれていた元生贄の魔人達。いわばナインズの兵隊のことだ。
伯爵が生贄として選んだ彼らは、一人ひとりが相当の手練れだという話だが……
「どうした。不安か?」
心の内が表情に出ていたらしい。ケインさんに尋ねられ、仕方なく答える。
――裏切り者があの中にいたって話ですが――
「ああ。それがどうした?」
――もしも初めからバレていたら? 俺達がここに来ることが分かってたら、確実に俺達を倒せるだけの兵力を用意しているはず。つまり――
「それはない。海軍、ジレドの者が我々の動きに感づくことはまずないだろう。こちらが動かしたのは最小人数。すなわち“6”のネロシスと“7”の2人だけだ」
パスコウ島防衛のために動いていたのはたった2人。関わる人数が増えればそれだけ情報漏洩のリスクは高くなる。人数が少なければ敵にも気づかれにくい上、動いていたのは“ナインズ”である、と……なるほど、バレてる心配はなさそうだ。
「……ネロシスの奴はそういった緊張と混沌を好むが、奴もナインズ。余計な道草を食っていたようだが、問題なく目的は達成してくれた」
海軍にバレていないなら……大丈夫なのだろうか。海軍の船に奴らは――
「転生者か。確実に乗っているだろうな」
ケインさんは、まるで俺の思考を読み取ったかのようにそう言った。
――な……!
「ジレドの首都にいた転生者の一人が姿を消したと情報が入っている。海軍にいるのは間違いないだろう。問題はどの船に乗っているか、だ。
海軍――ジレドや他の国の者達もだが、奴らは転生者を心の底では信頼しておらぬ。故に己達の目の届く場所、おそらく軍の将校の乗る旗艦に乗せているだろうが……万が一、ということもある」
ケインさんは、暗い瞳で俺をじっと見据える。
「北東・北西から来る先遣隊に潜んでいる場合に備えよう。現段階の配置は北西にシュルツ。北東に私。本隊の来る海岸にお前とマーリカ、ネロシスを置くが……転生者が現れた場合はそれの撃破が最優先となる。
どこに現れても対応できるよう、あらかじめ足止めをするための備えはしておこう。その後はソウジ、お前を向かわせる。お前が転生者を仕留めるのだ」
…………
軽々しく返答できず、俺は沈黙を守る。
すると、またしてもケインさんは俺の心を読んだかのような発言をした。
「ためらっているか。我々の戦いに巻き込まれつつある状況に。そして同郷の転生者を己の手に掛けることに」
――それは……
「……いや。違うな。知らぬ世界の戦いに巻き込まれた事への不満や怒り、非現実感……くすぶるそれらの感情の奥底で、黒く燃えたぎる殺人への衝動……己の中の獣を解き放つことに躊躇しているのか」
やはりそうだ。この人は……
――あなたは人の心を読めるんですか?
俺は今までこの人に抱いていた疑念を口にした。あの伯爵の城で出会った時から思っていた。人の心を読む能力……ウェンディのように、この人もそんな魔法を使えるのでは……
しかし、俺の予想とは裏腹に、ケインさんは静かに首を振る。
「……そうだな。良い機会だ。私の事を話そう……だがその前に」
ケインさんは腕組みをしながら、俺の背後へ視線を移す。
「そこに居るのだろう? 悪いが席を外してもらおう、“ミズリス”の使者よ」
――なっ!?
俺は驚いて背後へ振り返る。
ミズリス――俺と同じく、元の世界への帰還を目的とする転生者達の組織。以前彼らとも同盟を結んだと聞いていたが、彼らもここに来ていたのか?
しかし、振り返った先には人影すらない、夜の闇が広がるだけだった。
「……姿を見せよ」
ケインさんは全く動じず、もう一度虚空へ向けて話しかける。
俺は目を凝らして周囲を確認したが、やはり誰もいない。本当に彼はミズリスの者を見たのだろうか?
そんな疑念が脳裏をかすめた――瞬間。
「ウェヘヘ……まさか異世界人に見つかるとは思わなかったなぁ~……ど、どもども」
夜陰から唐突に、学生服のブレザーを着た一人の少女が姿を現した。
ぽりぽりと気まずそうに油っぽい黒髪を掻く少女。彼女の名は祭里天子。ミズリスのメンバーの一人であり、俺の動向を報告するため、ステルス魔法で今まで隠れていた事を明かしてみせた。
――ずっと俺達の旅に付いてきてたのか……?
「そうだよぉ~。君が森でアオイと戦ってたときからずっとねー。隠れる魔法に関してはかなり自信あったんだけど……速攻で見破るなんて。さっすがナインズって感じだよねー」
そう言い、場を取り繕うような苦笑いを浮かべるテンコ。小柄でちゃんと身なりを整えれば可愛らしくなるだろうが、卑屈げな目つきと青白い肌、瞳の下のクマなど、どこか不健康そうな雰囲気を醸し出す。
……なんとなく、元の世界の学校にいた、同人誌やキャラグッズを持ち込んでは仲間同士で盛り上がっていた、ソッチ系の女子達を思い出した。
一方、彼女の存在を見破ったケインさんは、陰鬱な表情を変えぬままぽつりと一言。
「……ほう、やはりいたか」
「え? ん? ……あれもしかして、え!? こ、これまさか、カマ掛けられたぁー!?」
わかりやすく慌てふためくテンコ。
ケインさんは大きく肩を落とし、低い声で続ける。
「後にラスティナから話が行くだろうが、もしもの場合はお前達の力も借りるかもしれん。勝手な話に聞こえるだろうが、よろしく頼む」
「うぇっ!? あ、はい……えっと、じゃあ、そのー……」
テンコは俺、ケインさん、ヨルトさんへ視線を移し、大変気まずそうな表情を浮かべ――
「じゃ、じゃあ……帰りまーす」
現れた時と同様に、煙のようにフッと消えてしまった。
ケインさんは腕を組んだまましばらく沈黙。数秒後に、小さくため息を吐く。
「……早く去れ」
「ほげっ!? さ、サーセーン……」
テンコの声。どうやら姿だけ消してこちらの話に聞き耳を立てていたらしい。今度は本当に立ち去ったようで、気配も完全に無くなったように思えた。
「さて……何の話だったか……私の能力の話だったか?」
俺が頷くと、ケインさんは訥々と、嫌な思い出を打ち明けるように話す。
「人の心を読む……とは違う。有り体に言えば……未来の予知、というのが正しいだろう」
未来予知……!? 未来に起きることがわかるから、俺の言いたいことや考えていることもわかったのか……?
「私の能力は……他の魔法とは違う。己の意思で制御ができぬ。故に、私が望もうと望むまいと未来の映像や声を断片的に予知できる」
そして……ケインさんは、忌々しげに息を吐く。
「そしてこの能力にも反作用は現れる。未来予知の反作用は“恐怖”。逃れられぬ未来を見る度に、私の心臓は縮み上がり息が詰まりそうな恐怖を覚えるのだ……」
副作用。なるほど、未来予知なんてトンデモ能力を持っているにしては、どこかいつも不安げというか何かを恐れているような素振りを見せていた。副作用によって現れる恐怖心が原因だったのか。
「この能力が身についてから、私は予見する未来に怯えた……予知が当たれば当たるほどに現実味が増していく、垣間見た己の運命……現れる暴威。幾多の別れ……己自身が息絶える瞬間を……」
……そうか。未来を見るってことは決していい事じゃない。目を背けたくなる出来事、待ち受ける悲劇すらも知ってしまう。しかもそれが決して逃れられないという事実付きで……
「だが、それらはしだいに慣れた」
ケインさんがサラリとそう言ってのけ、俺は驚いて彼を見る。
しかし彼は――言葉とは裏腹に、長身の体を前方に丸めてカタカタと小さく震えていた。
「惨憺たる未来。確実に訪れる死……それらは慣れる。毎日のようにその光景を見せられると、逆にその日を待ちわびるようにもなる……贄として伯爵に捕らえられた時もそうだ。予見する末路と恐怖心の狭間で、私の心は安堵していた。これでようやく終わる。死ねるのだと」
カリカリと右手親指の爪を噛みながら、ケインさんは続ける。
「城に囚われていたある日、女が現れた。醜い憎悪に取り憑かれた哀れな女……そいつが言った。この城を出ると。伯爵の召還の儀を狙い奴の首を取るのだと」
それは。その話は、女というのはまさか……
「ラスティナ・ファン・ドーンリウ。奴は私の他に、7人の生贄候補達に話かけていた……総勢9人。選抜した手練れ達で伯爵への反逆を行うのだと」
やはりナインズの話か。俺が召喚される前にあった出来事だ。
「私は快く応じたよ。予見していたのだ。この企みが失敗するとな」
なっ……!?
「私は予知していた。伯爵への反乱は失敗し、召喚された転生者の手によって私を含めた全員が皆殺しにされる未来を」
――それは、どういうことですか……? 反乱が失敗? でも現に……
「……そうだ」
ケインさんは、恐怖に怯えた目を見開き、俺を見る。
「そうだ。予知は外れた。外れてしまったのだ……その瞬間、私は自らが認識していた世界が足下から崩れていくような錯覚を覚えた。ありえない。こんなはずはない……ここは本当に私の知る世界なのか……? そんな疑念すら覚えるほどに……」
ケインさんは俺から視線を外し、己の両肩を抱くような格好でガタガタと震える。
「それからも予知の能力は発動し、待ち受ける悲劇と死を何度も予見する。しかし……またしても私の予知は外れた。
7罰の一人、我欲との戦闘。あの戦いでは本来マーリカとイルフォンスは命を落としていた」
なに……!?
「二人の死を目の当たりにし、ソウジ、お前が怒りの感情のままに魔剣を暴走させる。その結果あの我欲の転生者を討ち取った……そうなるはずだった。そんな未来を確かに見た……
だがどうだ……! イルフォンスもマーリカも命をとりとめ、封印されているとはいえあの我欲すらも生きている……!」
それは……
「この戦いも予知とは外れている。本来であればここにダンウォードを呼んでいた。その結果奴は戦いにより命を落とすことになるのだが……」
――ここには本来死んでいたはずのマーリカがいる。だから……
「そうだ……! ダンウォード、イルフォンス、そしてマーリカ! この3人は本来死ぬべきだった! それが定めのはずだったのだ……!
恐ろしい。かつては己の死すら受け止めそれを望んですらいた私が……外れる予知。先の見えぬ未来。暗黒へと続く己の運命……不確定の未来がこれほどまでに恐ろしい、とは……」
――不確定の未来。一体何が、何故予知が……?
呆然と呟くと、それを聞いたケインさんが、青白い顔で睨むように俺を見る。
「……お前だろう?」
――は……?
「お前が現れてからだ。未来が変わったのは。狂っていったのは」
な……俺は、何も……
「命が助かったのはマーリカ達だけではない。シパイドの村を初め、お前が訪れた場所、関わった人間の多くが命を存えている……もちろん予知通り命を落とした者、お前が奪った者もいるが……それでも共通して言える。お前が関わると予知が外れること。そして失われるはずの命が助かること……
ソウジよ。お前の仕業ではないか? 悲劇的な未来を回避しようとする、恣意的な何かを感じずにはいられんのだ」
――俺は何も――
「お前は何者だ……?」
ケインさんは恐怖に震えながら俺を指さし問い詰める。
「そう。本来ならば伯爵への反逆は失敗していた。そもそもあの伯爵が、魔法の祖であるグランスピリッツの1柱が、我々ごときの謀りを見抜けぬはずがないのだ。
だが……お前が召喚されたあの時、確かにあの伯爵が驚愕するように動きを止めた。恐らく伯爵にとってもお前の存在は想定外だった。そう、なぜなら、予知通りならあの場に現れていたのは女の転生者のはずだからな」
――女の転生者……!?
その時、一瞬脳裏をよぎったのが――マオ。
あのゾンビ村で出会った、記憶を失った巨大手甲を持つ少女。あの時マーリカは言っていた。7罰に匹敵する潜在能力を持つこと……そして、なぜだか俺に似ていることを。
女の転生者……まさか本来伯爵が召喚しようとしていたのは、俺ではなくマオだった? それが何かの原因で、俺とマオがすり替わったというのか……?
「一体何者だ……?」
呻くようにケインさんが何度も問い詰める。
「伯爵すら予想できなかった存在。定まった未来や運命すら歪める特異……“シダ・ソウジ”。お前は一体何者なのだ……?」




