16章-(1)
「見えてきたね……あれがパスコウ島だよ、ダーリン」
コスタのダーリン呼びを俺は半ば諦めつつ、夕日に染まる緑豊かな島――パスコウ島を見た。
この島は、島を中心に3つの海流が交差している特殊な環境であり、海流の影響で海の色も紺色からコバルトブルーへと、まるでマーブル模様のようにめまぐるしく色が変わる。
ついたあだ名が「マダラ渦域」。3つの海流が3つの大渦を生むこの島は、海流を良く知る島民やいくつもの海域を渡り歩く海賊の他は近づくことすらできない。まさに天然の要塞といっていい島であった。
「いよいよね、ソウジ」
笑みを浮かべるマーリカ。これから待っている血と殺戮が待ちきれないといった様子だ。
あの島へ着いたら人を殺すことになる。ジレドの海軍と本格的に衝突する。この世界の戦争に本格的に介入することになる。
……少し前の俺であれば、こんな状況を断固として否定しただろう。俺に関係の無い異世界の連中の都合に俺を巻き込むなと、怒りすら覚えていたはずだ。
しかし今の俺は不思議なほど落ち着いていた。ナインズとして軍事介入することに全く違和感を覚えない。異世界の人々と関わりを深めたことで他人事として感じられなくなってきたのだろう。
大国からの理不尽な侵略行為は容認できない。スジが通っていない……であれば島側の人々の側に立ち、一方的な侵略を企てる者達を一方的に叩き潰すのがスジだ。
異世界に来て得られたこの力はこのためにあった。理不尽への反逆。この時のためにこの力はあったのだ……今はそう思えるほど俺の心には大きな変化が現れていた。
この世界の人々に触れ、心にも変化が現れた?
そうかもしれない。だがそうだと言い切れない不安が常に心の奥底にあった。
俺が今背負っている魔剣。ホイールアックス。
背中の斧は容赦なく暴き立てる。俺という人間の本質を。
人を殺すたびにじくじくと毒のような快楽が滲み出る、どうしようもない俺自身を……
「ああ……やっと陸地に立てる……! もうトイレにこもらなくていいんだ……!」
声はウェンディであった。港町から出て約1日半、初日に比べれば大分ましになったとは言っていたが、それでもほぼベッドの上かトイレに居続けた彼女だ。いよいよ陸地に立てるとなり感動に打ち震え、涙を流しながら島を崇め奉っていた。
「♪」
ウェンディの隣で、セイは船の縁から顔を出して楽しげに海の景色を眺めていた。
……この二人を見ていると、抱えていた深刻な悩みや不安も馬鹿らしく思えてくる。
悩みが解決したわけではない。これからこの島が戦場となるのは確実だ。
でも。それでも……今だけは気を抜いていい。今だけは穏やかに彼女達の横で笑っていてもいいはずだ。
きっとこんな平和な時は続かないから。“9回目の新月”。タイムリミットが近づくにつれ、戦いは激化し心を休めることもできなくなる。だからその時までは……今は。
「おじょ……キャプテン! 島の連中がこっちに気づいたようです!」
見張り台に立つ小柄な船員、チップがコスタへ報告。
「どうだい、様子は?」
チップは望遠鏡をのぞき込み、再度コスタへ報告を上げる。
「……どうやら歓迎してくれるようです! へへ、可愛い娘が旗振ってくれてます」
「あんたの女房にチクろうか?」
「どうぞご自由に。相手は7歳児くらいのカワイコちゃんですがね」
その後、船を沖に停泊させてボートに乗り込み、俺達は島の海岸へとたどり着いた。
◆◆◆
島へ上陸すると、待っていた数人の住民が歓待の礼をし、島の中へと案内してくれた。
いかつい海賊達との奇妙なハイキングをしばらく続けた後、木々を抜けた先に島人の集落が現れる。
藁葺きの簡素な住宅。その中で最も大きな建物へと俺達は通された。恐らくここの島民の集会所か何かだろう。
「は~疲れた……喉渇いたんですけど……ないんですかね? お茶とか、お茶菓子とか?」
ウェンディが図々しい要望&願望を口から垂れ流し始めたので、大人なら思ってても口に出すなと咎めておいた。
「でももう日も暮れちゃってるし、軽い食事くらい出すのがマナーじゃない? ねえ?」
マーリカに水を向けられ、セイも腹の虫を鳴らしながら大きく頷いた。
「食事ね……でもその前に、堅苦しい挨拶が先みたいだね」
コスタが振り向いた先に、この集落の村長らしき男が姿を現した。
「久方ぶりですな、エルマノスの方々。ジーパ村一同、あなた方を歓迎いたします」
村長の名前はノフト。年齢は60代らしいが、シワの目立つ顔と白髪のせいでだいぶ老けて見えた。
黒髪にやや浅黒い肌はこの島の人々に共通する特徴だが、ノフト村長は島民達が着る鮮やかな青の伝統装束とは違い、ここへ来る前の港町で見た白布を巻き付けたような服を着ていた。
この島に船は滅多に寄りつかないが、多少の交流はあるらしい。来訪者が訪れた時は相手と心を通わせやすくするため、あえて外の国の服に着替えるのだそうだ。
「どうもノフト村長。あたしは船長代理の――」
「存じております。偉大なるキャプテン・ヴェントのご令嬢ですな。こうしてお目にかかれたことを嬉しく思います」
ご令嬢という単語にコスタは一瞬凄まじく嫌そうな顔をしたが、すぐに好意的な笑みを取り繕ってみせた。曲がりなりにもキャプテン代理という立場が彼女を制したのだろう。
「――そして、あなた方がナインズの……」
村長は俺とマーリカを交互に見て、感激するかのように口元をほころばせた。
「まさか本当にこの島に来ていただけるとは……あなた方の助力、まことかたじけなく存じます……!」
――本当に……? どういうことだ? 俺達が来ることを伝えていたのか?
マーリカに尋ねると、彼女も詳しくは知らされていなかったらしく、首を左右に振る。
「村長さん? 一体誰にその話聞かされたわけ? アンタ達に接触したナインズはどんな奴だった?」
「ああ、いえ、私は直接話したわけではないのですが……アールドンの町まで買い出しに出ていた者がナインズを名乗る男と話をしたらしく……」
――ナインズを名乗る……そいつはどんな格好だった?
「とにかく派手な男だったそうです。金髪のリーゼントに赤いレザーの服を着た陽気な男だったとか」
やっぱりネロシスか……
「ナインズを名乗る男から、この島に海軍が迫っていること。そしてナインズが近々この島に訪れることを伝えられました。初めは到底信じられず……失礼ですが、ナインズを名乗る方自身もどうにも信用ならず……」
そりゃまあ、あんな終始ヘラヘラしてる男の言い分を一方的に信じられる奴なんてこの世にいないだろう。
「ですが現在の世界の状況からありえぬ話ではないと、手を尽くして調べた結果、海軍が迫っている説は濃厚であると判断した次第です。いや、いつあなた方ナインズが現れるのか待ちわびておりました……こんな小さな島を見捨てず、こうして現れてくれたこと……島の皆を代表し心から感謝いたします……!」
――いや感謝とかそんなのは――
俺がそう言いかけた時、背後から陽気な声が掛けられる。
「遠慮なんてするなよソウジ! 押しも押されぬ大悪党のナインズがそんなんでどうする?」
噂をすればネロシスか……
村人達や海賊達は突然現れたネロシスに驚きを隠せずにいたが、俺は移動魔法で脈絡無く現れるこの男にはもう慣れている。
――根回ししてた割に重役出勤だな。で、俺達3人でやるのか?
俺がそう聞くと、ネロシスは愉快そうにこれを否定。
「まさか。せっかくの祭りだぞ? 大々的に派手に行けと、ボスからのお達しだ」
ボス……? それはまさか……
ネロシスは軽薄な笑みを浮かべたまま、後ろへ下がって一礼。
すると彼の背後から――3人の人影が現れる。
ナインズの参謀役。長身に胸まで届く黒い長髪が特徴的な、ナインズの“4”。ケイン。
組織のナンバー2。同じく長身で筋肉質な体に、少々不釣り合いな執事服と眼鏡を身につける、ナインズの“2”。シュルツ。
そして。
「無事に海軍より先に着けて何よりだ。ご苦労だったなマーリカ、ソウジ」
ナインズの“1”。絶世の美貌と絶大なこの世への憎しみを抱くナインズのトップ――ラスティナが、腕を組み悠然とこの場に現れた。




